矛盾だらけの世の中
「日本の海……懐かしいな」
海を見ながら、成実は腕を組む。「かが」の艦長である娘の茉蒜に、事の重大さを伝えにはるばるロシアから航海してきたロシア海軍の
「何がですか?」
隣にいた女性副艦長、ノンナ・シャフナザーロフは首を傾げる。
「俺が若い頃にゃこの海で夢を見ていたなぁと思ってな」
「ロマンチックですね。出港前にも聞きましたが、娘さんもあの艦の
「そうだ。顔は妻のアガーフィヤそっくりなのに、性格だけは俺と似てるんだからよ。いつか同じ夢を追いかけるとなると、楽しみで仕方がなかった」
「親子が似たり寄ったりって、私はいいと思いますけどねぇ」
クスッと笑い、ノンナは言う。
海上自衛隊からロシアに派遣されて、性格が丸くなった。そう自分でも自覚できるくらい、今の成実は横暴な性格はすっかり角が取れていた。二十年程前、あの時自身の娘に何をしていたかなど、記憶の残る成実と、トラウマ化している茉蒜には、想像するのはそう難くない。
「……酷いことを、してしまったな」
その事を、成実は心の底から後悔していた。今更謝っても、きっと娘には理解出来ないだろう。二十年ぶりに再開した自身の父が、こんなにも穏やかになった事など。
「黛艦長、空母「かが」から通信が来ています」
乗組員の一人が成実に声をかける。成実は思考を止めて振り返り「繋げろ」と指示を送った。
やがて通信が繋がり、マイクを持って「黛だ、どうした?」と呼びかけた。
『パパ、ちょっと聞いてくれる?』
通信の主は茉蒜だった。何か話したいことでもあるのだろうか。
茉蒜の口調が、少しだけ焦っているように聞こえた。慎重に聞こうと声のトーンを落とし、「……どうした?」と少しだけ間隔を空けて返した。
『テレビが繋がって、ようやく日本の状況が把握出来たの。でも、どうしてアメリカが敵対する事になっているの?』
「それはどういうことだ?」
『パパ、この「かが」にいる戦闘機が、どこの国の戦闘機か覚えてる?』
「アメリカじゃないか、それが───」
自分で言ってハッとし、言葉を止める。
アメリカ。
そうだ。今「かが」に搭載されている新型戦闘機「YF─23J」の元である「YF─23」は、元を正せばアメリカが一九八五年に開発した試験戦闘機。それが何故、敵対するアメリカから正式採用を持ち掛けられてきたのか? それを何故同意したのか?
『戦闘機が正式採用されたのは、日米安全保障条約、日米行政協定、MSA協定が破棄された後なのよ。これって矛盾しているでしょ? アメリカと仲良くしたいのかそうでないのか、言ってることとやってる事が違うじゃない』
「確かに、そう言われればそうなるな……」
顎に手を添え、成実は考える。MSA協定まで破棄したのなら、日本に軍事的支援をする権利はもうアメリカには無いはずだ。それなのに、何故?
「……アメリカは、日本を試そうとしている?」
『へ? どういう事よそれ』
「戦争を起こして、日本がどれだけYF─23Jを使いこなせるか……それを試しているんじゃないか?」
そう、あの「F─22」と「YF─23」の力比べをした時のように。
『そう言われれば……植民地にするのは戦争の先駆けだし、それはあるかも。
でもそれだと腹立つわ。どうして「かが」なの?』
「アメリカが、茉蒜が艦長に適性がある人物だと知って、わざと持ちかけてきたとしたら?」
条約が破棄される前、アメリカ海軍の元帥と話をした事がある成実は、自身が言ったことに心当たりがひとつあった。その元帥が、やたらと茉蒜の話をしてきた事があったからだ。それは月で言うと約半年程前。その間に、アメリカは新型戦闘機の開発を密かに進めていたとでも言うのだろうか。
『……それじゃあまるで、私達が実験台にされているようなものじゃない』
「テスト航海は実験だ。上が言うんじゃあ、そうするしかない」
それが「軍の片割れ」なのだから。
その言葉は言わずに飲み込み、成実は言葉を続ける。
「落ち着け茉蒜。時間はある、一緒に策を考えよう」
『分かった。私も副艦と相談してみる。また何か動きがあったら教えて』
「了解」
プツッ。
通信が切れ、成実はマイクを机に置く。
「アメリカは最初から戦争になると分かっていて、日本に戦闘機を託した。その性能を試すために、戦争の火種を起こした……?」
「アメリカは物騒な国だと聞いていますが、ロシアは平和ですねぇ」
ノンナは呑気そうに言う。
「そうでも無いぞ。地域によれば物騒じゃないか」
「それを言ってしまったら、どこの地域も物騒ではありませんか?」
クスクス笑い、ノンナは近くの書類を整理する。成実は目を細め、
「……そう、かもな」
海を見ながら、小さく呟いた。
***
「うーん意味分かんない」
通信を切って受話器を元の位置にかけた茉蒜は、テーブルに手を置いて不思議そうな顔をする。
「アメリカは元からそういう国よ。よく分からない行動をするのがあの人達なんだから」
「そうそれ典子、なんでこんな回りくどい事をしてくるのか気にならない?」
典子に指を指し、茉蒜は不満げに言う。
「アメリカは日本を試そうとしている……つまり言うと、私達はアメリカの思惑にまんまと騙されて、実験台にされているって事よ? これだけ腹立たしいことは無いわ」
顔を顰め、茉蒜は頬杖をつく。
「アメリカならやりうるわよ、そんなの。そういう国じゃないの」
「どういう事よ?」
「そのまんまの意味よ。アメリカは私たち日本を下に見て嘲笑ってるのよ」
言った後、典子も同じく顔を顰め、
「……自分で言っといて、腹立たしくなってきた」
「でしょー!?」
「なら逆に、日本がアメリカを試してやったらいいんじゃないんですか?」
そう声を出したのは、艦橋を降りる階段梯子からひょっこりと顔を出した、
「なるほど」
「副艦長が納得した! というかどうしているんですか肥田二尉」
「海嶋准尉、どうも。交代の時間では無いのですが、少し気になりまして」
「肥田ちゃん肥田ちゃん、電波妨害ってどうやってやるの?」
葵は階段を登り終えた後「いきなりですね艦長、どうしてですか?」と首を傾げる。
「テレビとか無線の電波ってどうやって出てるのかなぁって思って……」
「なるほど。最近艦内のテレビが映りましたもんねぇ」
納得したように呟いた葵は一つ咳払いをし、「お答えしましょう! 文字数が長くなりますが!」と一言に続けて言葉を発した。
「メタ発言、ダメ、絶対」
「あらすみません。まず、テレビが映る電波がどこから飛んでいるのか……それはご存じですか?」
「山の上に建ってるあれ?」
「半分正解、半分不正解です。あれは電波の休憩地点のようなものですからね。
そもそも、ニュースのアナウンサーが話している声や音、画像は、マイクなどの電子機器を通して電波信号に変え、放送局の電波に乗せて送っているのですよ。電波の速度は秒速三十万キロメートル。つまり、一秒間に地球を約七周半するくらいのスピード。光の速さと同じなんですよ。それが妨害されるということは、艦の問題ではなくて、きっと放送局の電波に問題があるのか、妨害装置のついた艦艇が近くにいたのでは無いでしょうか?」
「って事は、艦艇のレーダー妨害装置でも妨害できると?」
「そういう事になりますね。魚雷の電波を混乱させたりできるという事は、少なくとも電波関係が絡んでいるかもです」
小五分ほどペラペラと話し終えた葵に感嘆の声をあげながらも、茉蒜は続けて質問をした。
「じゃあもう一つ。上層部からの連絡が途絶えてる事について、これも電波に関わってる?」
「……よくよく考えてみれば、そうですね。先程も話した通り、マイクを通した声を電波信号に変えて、我々の艦艇に送って送受信をしています。無線なので、上層部の方のマイクや電子機器が破損、あるいは破壊されていて、連絡の手段が途絶えているか、それか、妨害装置のついた艦艇が近くにいたか……放送局や電波を送るアンテナが全て壊れていない限り、このどちらかしか考えられないでしょうね」
「な、なるほど……商業科卒には分からない問題……」
「電気卒は就職に役に立ちますからね。中学までは文系でしたが、まるっきりの理数系に変わってしまいました」
いや、言語大学卒やん!
ニコニコと笑う葵をよそに、茉蒜ほか一同は心の中でツッコミを入れる。
「というか、電気科でそんなのやる?」
「いえ、電波の勉強はしましたが、さすがにテレビの構造までは」
「ってことは独学?」
「はい、気になって仕方がなくて、高校の時に調べました」
気になったら調べないと気が済まない、それが葵の性格だとよく知っている茉蒜は何も言わずに、ただ困ったように笑みを浮かべるだけである。
何故なら、茉蒜自身もそういう性格だから。気になって仕方が無い時は本か何かで調べ、いつの間にか成実の書斎部屋を散らかしていて母のアガーフィヤに怒られた、なんて事も小さな頃にあったのだから。
「どうしたの茉蒜」
典子は不思議そうに茉蒜を見る。
「人の事言えないから何も言えないのよ……」
「肥田二尉と艦長って何かと似てる所ありますもんね」
今まで黙って話を聞いていた音羅がようやく口を開き、ニヤニヤと笑っていた。
「うわっ、嫌な笑み……」
「艦長は知りたがりなんですよ、だからお節介な性格が出るんじゃないんですか?」
「うわー木曽川ちゃん、それは酷いぞー!」
ぷんぷん怒る茉蒜に、ニヤニヤと笑い続ける音羅。艦橋にほんの少しの和みが現れ、茉蒜は少しだけ安心していた。
「あっそうだ肥田ちゃん、もう一ついい?」
「えぇ、なんでしょう?」
「電波を妨害出来るってことは、私達からは直接電波を送れないって事よね? 周波数の違う電波も送れないってことになる?」
「そうですねぇ、妨害されてしまってはどうしようもありませんし」
「じゃあなんで電波妨害が無くなって───」
茉蒜は言葉を止めた。意図的な電波妨害だとしたら、妨害を解いたのは───、
「……こりゃあまずいことになった。典子、ちょっと任せていい? 後で説明するから」
「ん、え? え、うん、分かった」
「それと、肥田ちゃんが登ってきたそこと機関室、乗組員の居住区、艦長室、士官室、司令室、これらを全部閉めといて。私ができるだけ閉めておくから。いい?」
珍しく帽子を被り、茉蒜はそうとだけ言い残して階段梯子を素早く降り始めた。
「どうしたんでしょうか、艦長……」
一言も言葉を発していなかった姶良は、はなだの言葉に耳を傾けつつも、操艦装置を握る手を離さない。
「いけない、針路がずれてる。面舵一〇度」
「面舵一〇度〜」
典子の言葉の後に復唱する姶良に、「あんた、話聞いてたの?」と音羅が質問する。
「うん、全部聞いてたよ。だから何も言わなかったんだ」
「ど、どういう事それ」
「艦長は電波妨害の事を聞いた時から全部分かってたんだよ。さっき閉めろと指示した艦橋、機関室、乗組員の居住区、艦長室、士官室、司令室……何処に何があって、誰がいるか……分からん?」
「?」
音羅は首を傾げる。姶良は操舵をしながら言葉を続ける。
「乗組員の居住区は乗組員がいる場所、艦長室や司令室、士官室は、この艦のあらゆる情報や書類、機密事項がしまってある場所」
「それってまさか……」
なにかに気づいた音羅に、姶良は右手の人差し指と親指で丸を作る。
「敵がいるってこと」
***
艦長室内。全ての部屋を閉め終えた茉蒜は息を切らしながら、机の二番目の引き出しに手をかける。
「……まさか、使う事になるなんて思ってもいなかった」
引き出しの中に入っていた一丁の拳銃。茉蒜がもしもの為にと備えておいたM40だ。弾数を確認すると、フルで入っていた。
拳銃入れを制服越しに腰にかけ、拳銃を入れる。一応予備の弾も入れ、艦長室を出た。
丁度出たタイミングで、一人の人物と危うくぶつかりそうになる。茉蒜が急停止して見てみると、それはレオニードであった。
「……ホージン大尉」
「お疲れ様です、艦長。そんなに慌ててどうしたのですか?」
彼は驚いたように茉蒜に質問した。
「ちょっとした事でね」
「左様ですか」
パタパタと走っていく茉蒜を見送った後、レオニードは艦長室のパスワードを打つ。茉蒜は教えておいたのだ。しかしそのパスワードは───
「開かないわよ?」
レオニードはバッと振り向く。ニコニコと笑いながら、茉蒜はもう一度「開かないわよ?」と言い直した。
「パスワード、変えたから。それと、あなたに教えたのはフェイクのパスワードなの。パスワードボードを拳銃で撃っても無駄よ? 私のマスターキーじゃないと開けられないの。ごめんなさいね」
茉蒜は両手を腰に当てる。自身の腰に拳銃がある事を再度感触で確認しながら、茉蒜は続ける。
「ねぇ、ホージン大尉。あなた、パパと仲が良いでしょ? 信用に値する人だと思ってたのに、どうして?」
「……」
「私はロシア人が嫌い。こうやって裏切る癖は、あなたの娘とそっくりなのね。
ねぇ、どうして裏切ったの?
アメリカ海軍のスパイさん?」
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