出港

 六月三日、午前九時五十一分。

 呉基地に止まる戦闘空母「かが」の出港に、多くのメディアがカメラを構えている。それを甲板から見据える茉蒜は小さく呟く。

「出港だけでこんな集まるかねぇ……」

 隣にいる典子が「これも運命なのよ……」と同じく小さく呟く。

「まぁ慣れたもんだけどねぇ。それにしてもなまらいるやん」

「方言出てるわよ。それ北海道でしょ?」

「典子は出身どこだっけ?」

「私は青森」

「近いねぇ! 青森だったら大湊に友達がいるよ!」

 愉快に笑う茉蒜を見て、「ほんと緊張感ないわねぇあんた」と呆れ混じりに呟く。

「その方がいいじゃん? 緊張もほぐれるし」

「確かにそうだけどさ」

 時間を見る。まだ出港前じゃないことを確認した茉蒜は「艦橋行ってくるけど、典子も行く?」と中甲板へと歩き出す。

「もちろん」

「それでこそ典子だ!」

 艦内に入ると、空母なのに通路が広いことが分かる。壁を塗装し直したのか、とても真新しかった。

「いやぁあの広さはびっくりしたよ」

「ほんとだよ、あれなんなの? あんた優遇されすぎじゃない?」

「副艦長室も結構広かったよね?」

 二人が一番驚いたことは、艦長室や副艦長室が無駄に広いこと。どうしてここまで広く作ったし、と二人で感嘆の声を上げていた。

 本来艦長がかなり優遇される存在であることは、何年も艦長を務めている茉蒜はすでに知っているが、どうしてこんなに広いのか上層部に確かめたいところだった。

 艦橋に入るとすでに皆が配置についており、点検やエンジンの確認などで忙しそうにしていた。

「あ、艦長、副艦長!」

「おはようございます御二方!」

 二人に気づいた皆は敬礼をして二人に挨拶をする。

「あーいいよ、続けてて。おはよう、今日からよろしくね〜」

「よろしくね」

 操舵手である山下やました姶良あいら三曹は「艦長〜、これ意外と操舵しにくいパターンのやつだよぉ〜」とナマケモノのようなスローペース口調で呟く。

「うーん山下ちゃん頑張って、私も操舵手はしたことあるけど、操舵しにくいタイプもあるよね」

「うぅーんまぁ頑張る〜。今日から長旅になりそうだぁ……」とぼやく姶良に苦笑いを浮かべる副艦長。

「艦長、司令はおられないのですか?」

 支援管制官である海嶋みしまはなだ准尉が茉蒜に問いかけてくる。

「いないよ?」

「えっ」

「えっ?」

 そう、今回のテスト航海は、すべて茉蒜に任されているのだ。つまり言うと、

「司令と艦長両方やるんですか!?」

「えぇっ、艦長すごいっ!」

「……茉蒜、それは私も聞いてないわよ」

 はなだ、姶良の発言に続いて、典子も声をあげる。

「だって言ってないし。私の負担が大きいけど、一佐は私しかいないみたいだし……私は別にいいけどね。それに乗っかってくるかどうかはあなたたち次第だし」

 窓から見える景色を見据え、茉蒜は言う。

「もちろん、ついていきますよ!」

「安全運転は任せたまへ〜」

「……まぁ、私は副長だし……」

 皆が口々にする言葉を聞いて、「ありがと」と笑顔で茉蒜は言った。

「さて、もうすぐ出港前だ。出港式を始めよう」


 ***


「入間から直接横須賀に……ですか?」

 一時間後、話を聞いた三人のうち雅美が声を上げる。

「そうだ。それに我々は乗らずに、自分らで空母のいる横須賀に直接行ってもらう。もちろん、これは命令だ」

 真顔で言う上司……基、榮倉えいくら青娥せいが空将補は、三人の前に立ってつい先ほどまで空母に着艦してからどうするかなどの説明をしていた。

「命令であれば、従います」

「ちょ、ちょっと亮! そんなの無茶よ!」

「雅美、これは命令なんだ。仕方がない」

 説得性のある亮の言葉に、「うぐ……」と雅美は言葉を詰まらせる。

「まぁまぁ二人とも……それで、横須賀に行って空母に着艦したのちは海上自衛隊の指示に従え、と」

 良介は榮倉空将補の目を見て言う。

「そう。よく分かっているじゃないか。離陸は一一三〇ひとひとさんまる。あと五分もすればお前らはしばらくいなくなるのか……来たばかりなのに寂しいなぁ」

 ゴツい顔に似つかないしょげ方をした榮倉空将補を見て、三人は同時に思う。

 あ、この人見かけによらず寂しがり屋だ、と。

「ほら、俺はいいから早く準備をしてきなさい」

 ピシッと敬礼をして、榮倉空将補は言う。

「人類の未来は君たちにかかっている。頼んだぞ」

「必ずや」

「大げさですねぇ!」

「まったく二人とも……」

 そう言いながら、三人は返礼をした。

 太陽に照らされて、いつまでも続く青穹の下で、三人と一人のシルエットは逆光で見えなくなる。

「今日は快晴だ。きっと、空母からはいい景色が見えるぞ」

 笑って、榮倉空将補は口を開いた。


 ***


 時は変わり、午前一一四〇ヒトヒトヨンマル

 横須賀基地の港に、見慣れない戦闘空母が入港してくる。

 港には、やはり大勢のメディア、マスコミが押し寄せていた。

「見えたぞ、あれが……」

 その戦闘空母を指差し、マスコミの一人が言う。

「あれが戦闘空母「かが」……!」

 まるで第二次世界大戦の時に沈んだ「加賀」を見ている様だった。

 あまりにも似ていたからだ。とは言えど、完全な正規空母ではないので、加賀のような三段式甲板ではなく全通式甲板だ。それでも持てる技力全てを使い果たした戦闘空母と言っても過言ではない。


「艦首やや右に触れる……」

「艦首やや右に触れる〜」

 操舵室内では、揺れる艦内を心配して茉蒜が窓から前甲板を見つめる。

「今日は風が強いなぁ」

 吹き付ける風の進行方向を確認し、茉蒜は潮の匂いを嗅ぐ。

「天候変更の心配はなし。今日は心配なく出港できそうかな」

 窓から顔を離した茉蒜は、「どう? 入港できそう?」と姶良に向けて質問する。

「まだっぽいぃ……艦首やや左に触れるぅ……」

 姶良が言うのを聞いて、「艦首やや左……って結構揺れてるわね」とはなだが呟く。

「あぁ、多分だけど……」

 茉蒜はとある方向を向く。キョトンとした顔で、つられて同じ方向を向く操舵室のメンバーは、あるシルエットを視界に入れる。

「あれって……」

「戦闘機、よね?」

 三機の戦闘機が、かがの周りを飛んでいたのだ。

「そ。あれが今回のテスト戦闘機「YF−23J」なんだって」

「私が知ってるの、Jがつかない方なんだけど……」

 戦闘機オタクである姶良は疑問に満ちた声で呟く。

「私もそうなんだけどなぁ。なんでも、製造当初に造られたかもしれない戦闘機をそのまま復元した形なんだって」

 茉蒜が言い終わると同時、茉蒜の持つ無線から雑な音声が流れ始める。

 発信元はあの戦闘機からのようだ。手にとると、やがて無線越しに声が聞こえてきた。

『こちらユービーワン、テスト戦闘機YF23─Jの一番機、及びリーダー、三等空尉の浅野亮あさのとおるです。戦闘空母「かが」の艦長でよろしいでしょうか』

 若い男の人の声だった。茉蒜は「あー、艦長、一等海佐の黛茉蒜です。着艦許可ですか?」と珍しく真面目になって聞き返した。

『そうです。着艦許可を』

「えぇ、どうぞ。許可します」

 二人の会話は非常に短いものだった。まるでお互いがお互い興味ないかのように。

 無線を切った茉蒜に「艦長、今のがテストパイロットの人ですか?」とはなだが問いかける。

「ん? うん、なんで?」

「いえ、会話の長さが異様に短いので気になりまして」

「別に興味ないもん。と言うか、声からして年下だと思う。よく若い年齢でテストパイロットを引き受けたと思うわ」

 はぁ、と茉蒜はため息をつく。

「それにしても、浅野……? どこかで……まぁいいや、ちょっと前甲板行ってくるから、典子司令任せてもいい?」

「良いわよ、小さいから吹き飛ばされないようにね」

「失礼な! 吹き飛ばされるほど体重ないわけじゃないから!」

「嘘つきぃ」

 いたずらっぽく言って笑う典子に、茉蒜は頬を膨らませながら「じゃあ、行ってくるから!」と不機嫌そうに言い艦橋を出た。

「あの子も純粋よねぇ」

 その姿を見て呟く典子に「いや、副艦長のいじりすぎだってぇ」と姶良が引き気味に言う。

「そうかしら? うちの子供も今あんな感じだから、子供を見ている様で私は面白いわ」

 微笑み、典子は窓の外を見てそう口を開いた。


「もう、典子ってば私が体重ない事をいじり材料にして……!」

 前甲板で、茉蒜は不服そうに呟く。

 身長一二七センチの小さな身体が、彼女よりもはるかに身長の大きい乗組員の中に混ざって行く。しかしそれは間も無く敬礼の列に姿を変えた。

「あぁいいのに、別にかしこまらなくても」

「いえ、そう言うわけにもいかないのです。あなたは艦長なのですから」

 乗組員の一人がかしこまった口調で言う。

「もうすぐテスト戦闘機が着艦しますので、艦長は離れてお待ちください」

「うん、分かった」

 その指示に大人しく従い、茉蒜はカタパルト付近から離れ柱に手をかけて待つ。

 やがて風が吹き、ずれ落ちてきたベレー帽状の帽子を上に上げる。

 目の前に現れた戦闘機に、茉蒜は思わず感嘆の声を上げてしまう。ひし形の主翼が特徴的な「YF−23J」、すなわち今回のテスト戦闘機だ。

 銀色の機体は、さながら茉蒜の中に秘めるロマンと言うやつを奮い立たせた。女の子だけど。

 ……しかし、着艦するにしても前輪側に機体を傾けすぎではないだろうか。通常、戦闘機の着艦には後輪側に重心を置き、高度を低くする。そう言う風に着艦するはずだ。

 しかし、今回の戦闘機は……、

「あれはやばい……! ちょ、前輪側に傾きすぎ! 何やってんのあの戦闘機パイロット!」

 ちなみにこの状態で着艦すると、

「うわぁぁぁ!」

「前輪がいかれちまったぞ! 何やってんだあいつ!!」

 言わずもがな、高度が高すぎて負荷をかけられた前輪は後ろにもげて、そのまま壊れてしまった。そのままガリガリとスライドするように着艦し、甲板に軽く機体を擦り付けた。

「あぁ……」

 やってしまったか。

 心の中で、茉蒜はそう呟く。

 甲板付近では、パイロット、機体の安全確認と対処に追われており、かなりバタバタしている。柱のそばで、茉蒜はその末路を見ていた。

 やがて破損した機体は前甲板側に誘導され、二機目、三機目と着艦する。あとの二機は安全に着艦したことに、茉蒜は少しだけ安心した。

「すごいことやらかしたわねぇ、あのテストパイロット……通信で聞いた声の人は真面目そうだったし、あの人ではなさそうだけど」

 ため息をつく暇もなく、艦長に挨拶をしに行くために一人のテストパイロットが近づいてくる。

 ……の前に、そのテストパイロットの前にいる一人のテストパイロットに近づき、思いっきり頭をひっぱたいた。

「!?」

 驚いて声すら出ない茉蒜をよそに、叩いたテストパイロットはけたたましい声で叫んだ。

「お前ぇぇぇ! なぁに前輪ぶっ壊してんだぁぁぁ!!」

「いやぁごめんごめん、思ったより制御利かなくてさぁ」

「そう言う問題じゃねぇ! 俺は新しい戦闘機をテスト飛行する前にぶっ壊したら、テスト飛行もクソもないと言う事を言いたいんだ!」

 あぁ、なんか喧嘩している。

 怒鳴っている方は、身長一七○センチほどの茶髪茶目の男子……声を聞く限り、先程の通信をしてきた浅野とか言うやつだろう。もう一人の怒鳴られている方は赤いメガネをかけた黒髪の男子。

 そのさらに奥に、もう一人のテストパイロットがやってきた。

 焦げ茶色の癖っ毛に、頭のアホ毛が特徴的な女の子だ。

 女性パイロットだ、と茉蒜は心の中で思う。

 十年二十年遡ればそれは貴重な事だったが、この年代ではそう珍しくもない。だが、テストパイロットで女性というのは茉蒜でも見たことがなかった。

「ね、ねぇ……艦長、そこにいるんだけど……」

 控えめに言ったテストパイロットの女性は茉蒜を指さす。それに気づいた二人はすぐに冷静さを取り戻し、茉蒜に近づく。

「……すみません、お見苦しいところを見せてしまいました」

 女性が謝罪の意を述べながら頭を下げた。茉蒜は手を軽く振り、

「いいよそんな、気にしないで。今回テスト艦長を務める黛茉蒜です。よろしくね」

田口雅美たぐちまさみですっ」

 茉蒜の敬礼に、女性のパイロットは返礼をしながら自己紹介をする。

岡田良介おかだりょうすけって言います! そんでこっちが浅野亮あさのとおる。みんな三等空尉です」

 怒鳴られていた方のテストパイロット……良介が元気よく言い敬礼をしながら、もう一人のテストパイロットを見据える。

「……亮……」

 先程も聞いた名前。茉蒜はやはり、その名前に聞き覚えがあった。それは自衛隊を通してではなく、どこか個人的な、茉蒜自身の記憶の中での聞き覚えだ。

 むすっとした顔で目を逸らしていた亮は、やがて茉蒜の方を向く。しばしの間茉蒜を見つめた後、彼は口を開いた。

「あなたのその態度、その顔、俺は好きではありません」

「? どう言う事?」

「ですから、あなたのような何も考えてなさそうな腑抜けた顔が好きではないと言っているのです。おまけにこのときたら……」

 ダイレクトに心へ一直線に刺さるその言葉に、茉蒜は思わず「心が痛い」と口にする。

 それもそうだ。茉蒜にとって低身長と言う言葉はコンプレックスであり、一番言われたくない言葉なのだ。

 それで防衛大学校の時に散々な目にあっているのだから。

「ちょっと亮! 相手は艦長なのよ!? その発言は下手したら私らの首まで飛びかねないんだけど!?」

「艦長であれど事実を伝えたまでだ。それ以外の理由はない」

 これは接しがいがある。

 しかし茉蒜は凹むのではなく、むしろプラスの方向に考える人である。よほどのことがない限りネガティブな発言なんてしない彼女の性格だからこそであろう。

「……まぁ、いいや。とりあえず艦内に案内するから、付いてきてくれる?」

「甲板任せた!」と甲板にいる航空要員に言い、茉蒜は艦内に入り案内をするのであった。

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