第348話 最愛の主従関係

 

 リディア=エインズワース。


 極東戦役が終わったからは洋館に引きこもるような形で研究者として活動を続けていた。発表する論文はどれも革新的な内容が多く、彼女の動向を常に窺っている人間は多い。


 しかし、彼女にとって研究はあくまで二次的なものに過ぎない。


 では今のリディアの一番の興味関心は何か。それは──。


「リディア様。朝でございます」

「う……ううぅん……」


 早朝。カーラがリディアの部屋に入って来ると、彼女の体を揺する。もう長い付き合いでカーラはリディアが朝が弱いことは承知している。伊達に毎日起こしてはいないからだ。


「あと三十分……」

「遅刻してしまいます。それに、レイ様のお姿を見るのでしょう?」

「はっ! そうだった!」


 ガバッと布団を退けるようにして起床するリディア。


 そう。彼女にとって、一番の関心は──レイのことだった。


 魔術領域暴走オーバーヒートはほぼ完治し、自分の魔術領域を使ってレイの魔術領域暴走オーバーヒートを抑え込んでいたリディアの役目はもう必要はなかった。


 時間的な要因もあるが、魔術領域が自由に使えることで治癒魔術の通りも良くなり、リディアは杖があれば立てるようにはなっていた。車椅子を使うこともまだあるが、今はリハビリも兼ねて歩くことが多くなった。


「うん! やっぱりカーラの飯は美味いな!」

「ありがとうございます」


 二人での生活ももう四年近く経過する。初めは距離感のあった二人だが、今となっては本当の姉妹のように仲が良い。もともと、リディアが車椅子を必要としなくなる時点でカーラの役目は終わろうとしていた。


 彼女の家系は王国の諜報機関に所属していて、そちらに帰ることも考えていた。だが、カーラは自ら志願してリディアのもとに残ることになったのだ。


「よし。今日も行くか」

「はい。お供いたします」


 屋敷を出て行く。


 二人が向かうのはアーノルド魔術学院。


 リディアは今年度より教員として学院で働くようになっている。まだ新任ということでクラスの担任にはなっていない。主に魔術の授業、その中でも一年生の実践魔術を教えている。


 加えて、リディアのそばにはずっとカーラがついている。杖があれば歩くことができるとはいえ、まだサポートは必要だからだ。


「ふむ……今日もレイとステラは元気だな」

「そうですね」


 リディアたちは学院に到着すると、朝からランニングをしているホワイト兄妹を眺める。すでにこれは日課になっている。そもそも、普通に学院に来るのならば早朝に起きる必要はないのだが、レイとステラが心配ということで早く起きているのだ。


 もっとも心配というレベルで済ませて良いのか……? とカーラは思っている。特にレイに対する執着は異常と言っても過言ではない気がしているカーラ。


 逐一、レイの様子を尋ねられることはもはや日課である。


 学院での様子はずっとカーラを通して話を聞いたいたが、今となっては自分の目で直接見ることができる。流石に少しは緩和するだろうと思っていたが、そんなことはなかった。


「リディア様。そろそろ授業の準備をしなくては」

「待て……今、レイが何かを話している。マリア……と聞こえるな。もしかして、マリア=ブラッドリィのことか?」

「ブラッドリィ家の次女であるマリア様は確か、レイ様ととても仲が良いですよね。他の令嬢とは違って、不思議な仲の良さがあると思います」

「だよな……やはり警戒すべきは、マリア=ブラッドリィなのか? しかし、他の三大貴族も……特にレベッカ=ブラッドリィはかなりの手練れだ。その中に、オリヴィアも入って来るとなると……むむむ……」

「……」


 無表情を貫く。


 が、内心では呆れ果てているカーラだった。


 レイがモテることは彼女も知っている。容姿も悪くないし、筋トレを愛しているということで体つきも素晴らしい。それに天然な部分や察しの悪いところもあるが、彼の性格は真っ直ぐで好感の持てるもの。


 複数の女性からアプローチされるのも理解できる話である。


 理解できないのは、姑気取りで厳選をしているリディアの言動である。いや、厳選といえば理屈は通っているように思えるが、実際はただの嫉妬なのでは……? と思っているがそんなことは口にしない。


 彼女は弁えているし、余計なことに首を突っ込みたくないのだ。


 間違いなくこれから先に起こるのは修羅場。それに加えて、三大貴族の令嬢たちには婚約が待っている。レベッカはまだ表ではエヴァン=ベルンシュタインと婚約していることになっているが、あくまで形式的なもの。


 レイの争奪戦がすでに始まっていることは、誰よりも客観的に見ることのできるカーラが理解していることである。


 そこでリディアのサポートに全力を注いでもいいのだが、面倒なことになりそうなので最近はさらっと流すことが多い。


「リディア様。流石に移動しましょう」

「うむ。仕方ないな」


 ついに移動してくれるリディア。歩けるようになったとはいえ、まだ杖をつきながらの歩行速度は遅い。あまり長居しては、授業に遅れてしまう。


 リディア本人は「授業なんて少しくらい遅れていいだろう」というのだが、カーラは「絶対にダメです」と怖いくらいの無表情で詰め寄ってきたのでリディアは彼女のいうことを聞いている。


 今となっては、リディアの手綱を握っているのはカーラとっても過言ではないだろう。


「美味い! やっぱり、昼飯はカーラの弁当に限るな!」

「ありがとうございます」


 昼食。


 本当はレイと一緒に食事を取りたいと駄々をこねていたリディアだが、レイの学園生活を邪魔してはいけないと自覚はあるようで流石にそこまではしない。


 閑散としている屋上で二人は食事を取っていた。


 リディアはいつもとても嬉しそうに食事を取る。すでに何年も経過して、カーラの食事の味など覚え切っているのにいつも言葉にする。カーラはそれがとても嬉しかった。


 面倒なところもあるが、やはり自分の主人はリディアしかいないと思っている。


「ふぅ。今日も終わったな」

「はい。帰りましょうか」

「レイは確か今日部活だよな?」

「はい。環境調査部の方です」

「なら帰っても大丈夫か。園芸部じゃないなら、いいだろう」

「えぇ」


 園芸部の部活の時はリディアは軽く監視をしている。というよりも、最近は部活の顧問になろうとアビーに掛け合っているのだ。流石にレイのためだけという理由を許すアビーではないので、却下されているのだが。


 早朝は馬車を使って学院に行くのだが、帰り道はリハビリも兼ねて歩いて帰ることが多い。


 黄昏の光に包まれながら二人は歩みを進める。


 リディアは杖をついて歩いているので、かなりゆっくりなペースだ。カーラはぴったりとリディアの横に寄り添っている。前に出ることも、後ろに下がることもなくただ横にいる。


「カーラ」

「どうかいたしましたか?」


 突然、リディアがその場に立ち止まる。足を痛めたのか、と思って鞄の中にある痛み止めを取り出そうとしたがそうではなかった。



「改めて、ありがとう。ずっと私の側にいてくれて」



 感謝の言葉を言われるのは初めてではない。だがどうしてだろうか。今のリディアの言葉は予想以上にカーラの心に響くものだった。


「私はずっと甘えてばかりだな。カーラに与えるものなんて給料くらいのものだ」

「いえ……そんなことは。それに、お給料も普通の倍以上はいただいているので……」

「まぁ、私にはこれくらいしかできなからな。済まないな」

「そっ、そんなことは……」


 給料しか与えてもらっていない、なんて思っていなかった。カーラは幼少期からずっと諜報機関の中枢を担えるような人材として教育されてきた。いわば、スパイ教育のようなものである。過酷な幼少期だった。


 今まで笑うことも、泣くこともなく、ただ感情を殺して生きてきた。


 そんな中でリディアがメイドを探しているという話が降りてきた。かの冰剣のメイドならば、ということで組織からの許可が下りた。初めはただ、冰剣であるリディアに興味があるだけだった。


 史上最高の天才魔術師。


 極東戦役での戦果は一般人よりも耳に入っている。


 どんな傑物と会うことになるのか……と思っていたが、リディアはカーラが思っていたよりも良い意味で普通だった。


 よく笑うし、不機嫌にもなる。朝は弱いし、自分では家事もロクにできない。魔術師としては優秀すぎるが、それだけ。おおよそ、普通の人間以下の生活しかできない。


 放っておけばゴミ屋敷になっているのは間違いないだろう。


 しかし、リディアの世話をしてたくさん会話をする些細な日常はカーラにとって幸せだった。何も与えられていないわけはない。


 この日常こそが彼女にとっての宝物だからだ。


「わ……私は、その。リディア様にたくさんのものを与えてもらっています……」

「そうなのか?」

「はい。だから、そんなことをおっしゃらないでください。ずっとお側に居させて下さい」


 カーラからの言葉を聞いて、リディアはいつものように快活な笑みを浮かべる。


「そうだな。私はもう、カーラがいないとダメだからな」

「はい。朝も起きれませんし、お食事も作れない。掃除はもっての外ですしね」

「う……それはそうだが……」


 くすりと笑い声を漏らす。口元に手を持っていき、カーラは微かに微笑んでいた。きっと心から笑ったのは今が初めてなのかもしれない。


 リディアは苦笑いを浮かべながら、頬を掻いていた。


「ふふ。だから私が側にいないとダメですね?」

「あぁ。その通りだ」


 そして二人は黄昏の光に包まれるようにして帰路へとつくのだった──。


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