第329話 家族の想い

 

 夏がやってきた。


 陽射しはかなり強く、ずっと外にいれば真っ黒になってしまうことだろう。といっても、俺とステラは二人でドグマの森に行くことが多いので日焼けの跡がよく目立つ。


「見てみて、お兄ちゃん! セミ! でっかいよ!!」

「おぉ! すごいサイズだな!」


 ステラがわしっと掴んでいるのは巨大なセミだった。ドグマの森の生態系がどうなっているのか詳しくは知らないが、ここは巨大ヒュージ系の生物が多い。


 魔物だけではなく、昆虫などにも影響はいっているようでステラは自分の手よりも遥かに大きなセミを鷲掴みにしていた。ステラとここ一年過ごしてきて分かったのだが、彼女はとても活発で外で遊ぶのを好む。


 人形遊びやままごとの類には興味がないらしい。曰く、「やっぱりお外で遊ぶのが一番最高だよね!」とのことらしい。俺もサバイバルなどの知識があることに加えて、体を動かすのは好きなので二人で森にこもっている。


 サーシャさんには「あまり無理はしないようにね」と言われているので、危険なことはしない。ステラは魔物と戦いたがっているが、それは最低限にしてドグマの森をフィールドにして二人で格闘戦をしている。


 ステラも色々と技術を学びたい、とのことだったので森での戦い方を教えている。それに基本的な体の動かし方や内部インサイドコードの使い方。俺が知っている全てをステラには教えている。


「ふぅ。今日もいっぱい教えてくれありがとう。お兄ちゃん!」

「ステラもやる気があるからな」

「ふふん! 私はもっと強くなるもんね!」


 胸を張る。


 話を聞くと同世代の中では小さい方だが、将来は絶対に大きくなると信じて疑っていないようだ。実際にサーシャさんもルーサーさんも平均身長を優に超えているので、ステラはきっと大きくなるだろう。


「はい」

「あぁ」


 スッと手を出してくるので、ステラの小さな手を握る。そして俺たちは、今日も帰路へとつくのだった。



 自宅に戻るとサーシャさんとルーサーさんが晩ご飯の準備をしてくれていた。今日から二人とも夏期の長期休暇で一週間ほど休みらしい。


 全員で同じテーブルについて食事を取っていると、サーシャさんがパンと手を叩く。


「ステラ。レイ。明日から、旅行に行こうと思うの」

「旅行! どこに行くのっ!!?」

「……旅行、ですか?」


 旅行か。


 この四人で揃って遠くに行ったことはまだない。思えば、ステラとはすっかり仲良くなったと自負しているがサーシャさんとルーサーさんとはまだ距離感がある。二人はもちろん、俺に歩み寄ってくれている。問題は俺にあると……それは自覚していた。


「えぇ。夏だし、キャンプでもしようかと話していたの」

「あぁ。ちょうど母さんも僕も休みだからね。ちょうど良い機会だと思って」

「わーい! わーい! みんなで旅行だー!」


 ステラはぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表現していた。一方の俺といえば、少しだけ考える。せっかくの旅行だというのに、俺も一緒に行って良いのかと。未だに思ってしまうのは、俺はこの家族……ホワイト家の邪魔をしていないか、ということだった。


 みんなは俺のことを家族だと思ってくれている。


 しかし、俺はまだ本当の意味で家族だとは思えていない。接し方が分からないと行ったほうがいいかもしれない。ステラとは個人的に仲は良いが、家族全体としての振る舞い方が俺には分からない。


 そもそも、振る舞い方を考えている時点でダメなのだと思う。家族というものは、そんな余計なことを考えて生活はしないだろうから。俺の中にあるのは、自分の思い描く家族ならばこう振る舞うだろう……という予測に過ぎない。


 でも、これは良い機会なのかもしれない。いや……もしかして、そのことを考えて今回の旅行を提案してくれたのだろうか。


「レイも大丈夫かしら?」

「はい。問題ありません」


 翌日。俺たちは早速、四人で旅立つのだった。



 向かう場所はガルディア滝がある森。そこでキャンプでもしようという話になった。旅行といっても王国内なので、それほど遠くはない。俺とルーサーさんが主に大きな荷物を運び、ステラとサーシャさんは他の荷物を持ってくれている。


 この四人で外に出るのは新鮮というよりも……初めてだろう。果たして、ただ旅行をしたいだけなのか、それとも……。


 そうして俺たちはしばらく歩みを進めて、たどり着いた。目の前にはガルディア滝があり、王国でも最大級と言われている滝はかなり迫力がある。幸いなことに、他に人はいないようで貸し切り状態だ。


「わーいっ! おっきな滝だっ!」

「ステラ。父さんと一緒に、テントを組み立てる約束だろ?」

「あ! そうだった!」


 と、ステラがトコトコとルーサーさんの方へと歩いていく。俺もそれを手伝おうと思ったが、肩をトントンと叩かれる。


「レイ。私たちは、枯れ木でも集めましょう? テントは二人に任せて」

「……サーシャさん。分かりました」


 彼女の後をついていく。


 サラサラと流れる長い金色の髪を見ると、否応なく師匠のことを思い出してしまう。サーシャさんはとても師匠に似ている。師匠から苛烈さを取り除き、温和な感じを強調すればサーシャさんになると言っても過言ではない。


 前を歩いているサーシャさんがくるっと翻る。


「どう? 家族旅行は?」

「そうですね。新鮮でとても楽しいです」

「ちょっと、真面目な話でもしましょうか」


 ふと空を見上げる。木漏れ日が彼女の髪を照らしつける。反射する光はまるで天使の輪のようなものを、サーシャさんの頭に作り出していた。なんだかその光景は、少しだけ幻想的に思えた。


「昔話、聞いてくれる?」

「昔話ですか?」

「えぇ。私とリディアの話よ」

「師匠と……」


 サーシャさんは後ろに手を組んで、じっと虚空を見つめる。


「私はリディアの姉であることが、ものすごく嫌だったの」

「え……」

「だって、分かるでしょう? リディアは幼い頃から才能があった。私なんかよりも。ううん。この世界の魔術師の中でも、リディアは最高の才能を持っていた」

「それは……」


 肯定するしかなかった。師匠は天才の中の天才。伊達に、史上最年少で七大魔術師に到達していない。


「初めは嫉妬していたわ。それに中等部までは仲も良かったけど、明確に才能の差が出るようになってからは、私はリディアを無視し続けた」

「……」


 黙ってその話を聞く。今の優しい雰囲気を纏っているサーシャさんからは、考えもつかない行動だった。しかし、彼女も当時は色々と葛藤を抱いていたのだろう。


「飛び級して、挙句には史上最年少で七大魔術師よ? もう……本当に笑っちゃうわね」

「師匠は本当に凄い人です。自分はずっとそばで見てきましたから」

「えぇ。そうね。私は結局、表面的な部分しか見れていなかった。才能が人を幸福にするわけじゃない。そんな当たり前のことに気がつくまで、ものすごく時間がかかってしまった。もちろん、才能は幸福につながるかもしれない。けど……リディアほどの大きな才能は、本人を潰してしまう可能性もあった」

「そう、ですね」

「軍人になってから、リディアはもっと苛烈になった。私と話すときは大きな声で大丈夫だと豪快に笑っていたけど、思えばあの時から歯車は狂い始めていた」


 サーシャさんの視線は遠い空を見つめているようだった。過去を省みて自分の想いを吐露している……そんな感じだ。


「リディアの話は、アビーからずっと聞いていたわ」

「お知り合いなのですか?」

「えぇ。割と仲がいいのよ?」

「そうでしたか……」


 まさか大佐とも面識があったとは。流石に知らない情報だった。


「そして、あなたを引き取るという話が出たとき、私は思ったの。絶対に上手くいくわけがないって。当時は私も結婚して、ステラを育てている最中だった。私でも上手くいかないのに、軍人であるリディアに人を育てることなんて、できるわけがない。いやきっと、そう思いたかったのね」

「……」

「戦争が始まってから、やっと私は気がついたわ。リディアが最前線に立って、英雄と呼ばれ始めて、いつか妹が死んでしまうのかもしれない。年齢を重ねて、結婚して、親になった私は途端に死が怖くなった。けど、リディアは帰ってきたわ。たくさんの傷を抱えて」

「それは……」


 俺も師匠も、あの戦争を経験した人間は全員が心に傷を負った。決して消えることのない傷跡が残っている。それは未だに、癒えることはない。


「私はリディアが生きているだけで嬉しかった。でも、もう歩くことはできないかもしれない。車椅子姿の妹を見て、私は才能の恐ろしさを知った。そしてリディアはずっとそれに向き合ってきたこともわかった」

「あの傷は……俺が……」

「ううん。そんなことないわ」


 サーシャさんがゆっくりと俺の方へと近づいてくる。否応なく思い出されてしまう、あの時の記憶。師匠が目の前で弾け飛ぶ姿は、悪夢としてまだ見てしまう。


「リディアからレイの話はたくさん聞いたわ。引き取ることも、躊躇なんてなかった。妹が守ったあなたを、大切にしないはずがない。そして、一緒に過ごして一年が経過した。レイはやっぱり、とても優しい人ね。ステラともいっぱい遊んでくれて、ありがとう」

「自分は……別に……」


 抱きしめられる。暖かさが確かに伝わってくるようだった。サーシャさんは優しく頭を撫でてくれた。


「家族って難しいわね。こんなにも近くにいるのに、分からないことがたくさんある。夫のことだって、ステラのことだって、まだまだ完璧に理解できない。レイのことだって、私は表面上のことしか知らないわ」

「……」

「だから、教えて欲しいの。あなたが何を感じて、どう思っているのか。もう私は後悔はしたくないから」


 ふと顔を上げる。サーシャさんは一筋の涙を零していた。それを見て、俺は今までのことを語り始めた。


「──迷って、彷徨って、いつか自分の場所があるかもしれないと思って、進んできました。でも、自分は結局何も見つけることはできない。師匠に言われるがままに、進みましたが……まだ分からない。ホワイト家の家族の邪魔をしているのではないか、そんな不安もありました」

「まだ難しいかもしれない。家族になるって、とても難しい。血が繋がっているからと言って円満な家庭になる訳じゃない。でもね。だからこそ、理解しあって、家族になろうとするの。私たちは──一人では生きることは、できないから」


 あぁ。そうだ。ずっと分かっていた。俺は、俺たち人間は一人で生きていくことなど出来はしないと。その言葉をサーシャさんから聞いて、なんだかスッと腑に落ちたような気がした。


 家族になろうとする。


 俺は結局、逃げていただけだ。相手の気持ちを勝手に分かった気になって、邪魔をしていると思い込んで、逃げ道を作っていた。ホワイト家の一員になるという気持ちが俺には足りていなかったのだ。


 すぐに家族になることはできない。でも、なろうとすることはできる。たとえそれが、どれだけの時間がかかったとしても。


「……呼び方を、変えてもいいですか?」


 小さな声だった。その提案をするのは、あまりにも怖かったから。


「えぇ。いいわよ、もちろん」

「では、母さんと」

「えぇ。あ、敬語も取ってね?」

「それは……いや。分かったよ、母さん」

「うん。これから改めてよろしくね、レイ」


 距離を取ると、握手を交わす。


 師匠がどうして俺のことを遠ざけて、ホワイト家に行くように言ったのか。少しだけ分かったような気がした──。



 深夜。


 あれから四人でキャンプを楽しんだ。心も軽くなって、存分に楽しむことができたと思う。川で魚をとったり、みんなで一緒に泳いだりと色々なことをした。


 今は深夜になって、全員でテントで寝ているのだが寝付けないので一人で星を見にきていた。


 今日は夜も晴れており、満天の空が広がっていた。


「レイ。寝れないのか?」

「……そう、ですね」


 やってきたのはルーサーさんだった。やはり、この旅行は俺のためにしてくれたということが、はっきりと分かった。


「俺のため、ですか?」

「ん?」

「この旅行のことです」

「そうか。やっぱり、サーシャとは話ができたのか」

「はい」


 近くにある岩場に腰を下ろすと、ルーサーさんは隣をトントンと叩く素振りを見せてくる。隣に座れ、ということだろう。


「正直な話、僕は初めは反対していた」

「……自分を引き取ること、ですか?」

「そうだ。ステラを授かって、家を買って、仕事をして、これからという時に養子を取ってもお互いに不幸になると思っていたからだ。でも、妻がどうしてもというから了承した」

「……理解はできます」

「けど、あの時の自分の判断は間違っていた」

「え?」


 顔を上げる。じっと下を向いていたのだが、予想外の言葉が出たからだ。


「僕はレイに会えて良かったと思っている」

「それは、どうして……?」

「息子が欲しかったんだ。実は、一緒に息子とキャッチボールするのが夢でね」

「えっと……それは、関係ある話なのですか?」

「あぁ。君はとても優しい男の子だった。それに、私たちは共働きだろう? 妻には家でステラのそばにいて欲しいが、私一人の収入ではどうしようもなくてね。恥ずかしい話だ」


 苦笑いを浮かべ、鼻を軽く掻いている姿をみて、初めてルーサー=ホワイトという人間を知ることができたような気がした。そうか。こんな風な表情もするのか、と。


「そんな時に、レイがやってきた。ステラは元気な子だけど、人見知りでね。それにずっと寂しがっているのは知っていた。そんな時に、レイと出会ったステラは大きく成長した。もう陰りも見えない」

「自分もステラには、色々と与えてもらっています」

「うん。この一年、二人を見て思った。兄妹になるのに、血の繋がりは必要じゃない。なら、家族だって同じだろう? 家族は何を持って家族になり得るのか。答えは簡単さ」

「簡単、なのですか?」

「あぁ」


 簡単、というが今の俺には全くその答えなど分かりはしなかった。


「お互いが家族と思えばいいだけ。それだけ。でも、それが難しい」

「そうですね。それは……その通りだと思います」

「妻は言っていたよ。レイと家族になりたいと。今回の旅行も、レイと話す機会を設けるためだった」

「なんとなく、察してはいました」

「あぁ。レイ。これから教えて欲しい。何が好きで、何が嫌いなのか。私たちには、歩み寄りが必要だったんだ。もう距離感を持って接するのはやめよう。まずはそうだな、キャッチボールでもしようか」


 なぜか腰の後ろからスッとグローブが出てきた。ボールもある。まさか、準備していたのだろか。


「暗いので、夜はできないと思いますが」

「はははっ! それもそうだ!」

 

 ルーサーさんはスッと立ち上がる。そして、俺にも手を伸ばしてくる。


「サーシャのこと、母さんと呼ぶことにしたんだろう? なら僕もそうして欲しい」

「父さん、ですか?」

「敬語はいらない」

「同じことを言われました」

「ははは。夫婦だからね。では改めて、よろしくレイ」

「父さん。うん。これからも、よろしく」


 握手をする。


 形だけなのかもしれない。偽物なのかもしれない。形式的に呼び方を変えただけで、大きく劇的に変わるわけではない。


 でも、俺に必要だったのは変わる気持ちだったんだ。


 そのことを父さんと母さんに教えてもらった。


 心にある空虚さが、また満たされたような──そんな気がした。



 ◇



「楽しかったね!」

「そうだな」

「お兄ちゃん。ちょっと変わった?」

「え……」


 帰り道。ステラがそんなことを言ってきた。人の変化の機微には敏感ということだろか。


「そうね。レイは変わったわ」

「あぁ。そうに違いない」


 後ろから母さんとお父さんが俺の肩に手を置いてくる。ステラはその姿をみて、ぷくと顔を膨らませていた。


「あ! 三人で何か内緒にしてるんでしょ! 私にも教えて!」

「それはできないわね」

「あぁ。できないな」


 ギュッと拳を握りしめて、胸に当てる。この感情をなんと呼べばいいのか、まだ分からない。けれど俺は、前に進むことができている。それだけは間違いなかった。


 それと同時に、あの覚悟も決まった。


 俺は師匠の跡を継ぐ。


 ずっと前から考えていたことだった。師匠はまだ冰剣の魔術師ではあるが……もう満足に動けない。


 そうだ。


 家族のことと同じだ。俺は自分で前に進んでいくべきなのだと。


 そうして俺は覚悟を抱いて帰路へとつくのだった。家族の笑顔と共に──。

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