第311話 最後の戦いへ
俺は走り続けていた。
たった一人で戦場の中をひたすらに走り続けていた。一体どれほどの時間が経過したのだろうか。一体どれほどの数の人間を殺したのだろうか。この手は完全に血に塗れている。
それでも、止まることなどできはしない。
俺たちが止めることができるのはこの戦争が終わった時だけ。今まで散っていった仲間のためにも俺は進み続けるしかなかった。
あれからさらに、数多くの仲間の死を経験した。昨日まで仲良く話していた人間が隣で無残にも死んでいく光景など当たり前のような戦場。その度に心の奥底で何かが擦り切れていくような感覚があった。
でも、それに対して向き合うことなどない。それはおそらく、無意識の防衛本能だったのだろう。仲間の死に、敵の死に向き合ってしまえば自分が壊れてしまう事は当然だったから。
そうして俺は今日もいつものように戦場で大量の返り血を浴びて、基地へと戻っていくのだった。
あと少しで極東戦役は終了するという。それは七大魔術師の介入によって、敵の主力を倒すことができたからだという。しかし、今更そんな事はどうでもよかった。ただただ早く、この地獄が終わればいいと──そう願った。
「レイちゃん! お帰りなさい! 今日は大丈夫だった?」
「あぁ、キャロル。俺は大丈夫だよ」
敵の血に塗れているというのに、キャロルはこうして基地に戻ってくるといつも抱きしめてくる。それが心から心配してのものだと分かっている俺は、拒否はしないが心に響いてくるものなどありはしなかった。
ただいつもと同じ事だと、そう思っていた。
「レイちゃん……その。本当に辛かったら、いつでも私を頼ってくれていいからね?」
「あぁ。そうする。じゃあ、シャワーで流してくる」
「……うん」
ギュッと胸の前で両手を握り締めているキャロルに対して、俺はそんな言葉しかかけることができなかった。他人の心を推し量ることなど、今の俺にはできなかった。
いつものように作業とも呼べる戦闘をこなし、寝て、起きて、殺しに向かう。それだけが今の人生における全てだった。
そして一人でシャワーを浴びていると、少女の声が聞こえてきた。それは現実に存在している少女ではなく、幻聴の類だ。いつからこの声が聞こえてきたのかわからない。だが、ここ最近は特に酷い。
「レイ。もうすぐよ」
「……」
この声に対して返答をした事はない。たかが幻聴に向かい合う必要など、ありはしないから。でもこれは本当に幻聴なのか? そう思う時がある。やけに現実味があって、生々しい肉声。
「もうすぐ出会うことになるわ。覚悟しておいて」
「……」
「あなたならきっと、辿り着けるわ。きっと」
「……」
「バイバイ。レイ」
スーッと声が遠のいていく。
俺はこの声がただの幻聴だとは思えなかったが、それと同時に全てのことに対して向き合うことを放棄していた。
今はただ、戦うだけでいい。
それだけが俺の成すべきことだ。
「……ハワード。俺は」
ボソリと呟くその名前。
戦場で心を殺して戦っていても、どうしても思い出してしまう彼との記憶。完全に断ち切ることなど、出来はしなかった。それでも戦い続ける自分の心が完全に壊れてしまうまで、俺は自分が異常な状態になっていることに全く気が付かなかった。
「……」
深夜。
俺は一人で外に出てきていた。先ほど作戦会議室において次の作戦が下された。おそらくは最後の戦いになるだろうと。王国軍が一斉に仕掛け、相手が降伏するしかない状況を作り上げる。すでに勝利までは目前。だが、そこに喜びなどない。安堵感もない。
無機質なまでに、凍てつくように俺の感情は揺れることはない。
「……星が」
今日は快晴だった。夜の空には雲一つなく、そこには煌く星々が輝いていた。そんな綺麗な星空を見つめつつ、ふと今までことを思い出してしまう。
膨大な数の死を経験し、それでも前に進んできた。けれど、この先に待っているのは何なのか。今の俺には全く予想もつかなかった。
「レイ。どうした、こんなところで」
「……師匠」
そう。やってきたのは師匠だった。
長い金色の髪を靡かせながら、彼女は俺の方へと歩みを進めてくる。師匠とこうして二人きりになるのは何だか久しぶりだった。
「レイ。ついに最後の戦いだ」
「はい」
英雄、リディア=エインズワース。
師匠はこの極東戦役での活躍により、少佐へと昇進。そして周りからは英雄と称えられていた。百戦錬磨の魔術師であり、彼女が出陣する戦場で敗北などありはしない。
王国軍の士気が高く維持されているのは、師匠のおかげだろう。
皆が思っている。この戦場は英雄である師匠さえいれば勝つことができると。その希望に思いを馳せて、仲間たちは戦っている。
「ついに終わろうとしているな」
「そうですね。やっと……終わるのかもしれません」
会話という会話にもなっていない。ただ俺たちは、静かにその場に立ち尽くしていた。
「身長。伸びたな」
「そうですか?」
「あぁ。もう少しで私を追い抜きそうだ」
「……確かに、もう同じくらいになりましたね。昔は見上げていることが普通だったのに」
身長は師匠と同じくらいまで伸び始めていた。魔術適性が高い人間は、早熟な傾向にある。そのため俺はこの戦争の中で肉体的にかなり成長していた。それこそ、もう師匠を見上げる必要がないくらいに。
改めて師匠の顔をじっと見つめる。とても美しいと思うが、そこにはやはり哀愁が漂っていた。師匠は俺以上に、戦場で戦っている。敵を屠っている数も、おそらくは一番だろう。
そんな師匠はいつもと同じように、俺に話しかけてくれる。
いつもと同じように……と思うが、師匠は本当に何も思っていないのだろうか。傷付いてはいないのだろうか。そんなことを考えるが、きっと無意味なのだろう。彼女が俺に対して弱みを見せることなど、絶対にありはしないのだから。
俺はこの時、思っていた。
師匠は俺なんかが思うよりもずっと強くて、この戦争において英雄として輝き続けるのだと。
だが、彼女も同じ人間だということに俺は後に知ることになる。
「レイ。この戦いが終わったら、どうする?」
「どうする……ですか?」
「あぁ、そうだ。美味いものでも食いにいくか?」
「……師匠はいつも食べ過ぎるので、程々にしてください。それに、大佐にも怒られますよ」
「アビーはうるさいからなぁ……ま、どうにかなるだろ。ははは!」
笑う。
師匠は快活な笑顔を浮かべているので、俺も少しだけ笑みを浮かべる。こんな日々がずっと続けばいい。そう願っているけれど、俺たちは明日からも戦場に赴かなければならない。
「レイ」
「何でしょうか?」
「キャロルが心配している。戦いが終わったら、デートにでも行ってやれ」
「しかし……」
「お前が今、余裕がないのは分かっている。でもこの戦争が終われば、それもどうにかなる。いやこれ以上は詮ないことだな。すまない」
「……」
顔を背けて空を見上げる。
師匠の横顔を見つめていると、微かに涙が流れてような……そんな気がしたがすぐに俺に背を向けると、師匠は基地へと戻っていってしまう。
「レイ。お前も早く戻れよ」
「……分かりました」
師匠が去って行く背中を俺はじっと見つめ続けていた。
互いに心などとうに壊れている。だからこそ、俺は師匠にもっとかけるべき声があったのではないか。もっと会話をするべきではないのか。
そんな後悔に苛まれる未来など、今の俺は予想していなかった。
こうして極東戦役はついに最終戦へと突入するのだった。
◇
度々の宣伝、失礼します。
冰剣の魔術師が世界を統べる第二巻が発売中です! 既にお伝えしましたが、続刊するためだけでなくこのWeb版を続けていくためにも、是非読者の皆さま一人一人にご協力いただければ幸いです。
既読の方でも楽しめるように仕上げておりますので、何卒書籍版二巻をよろしくお願いします!
まだ購入していない方は、一巻と二巻ともによろしくお願いします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます