第306話 戦いの火蓋

 

 俺は確実に成長していた。


 この極東戦役を経て確実に魔術師として、大成しつつあった。自分でも不思議な感覚だが、何かの領域に届きそうな気配がしていた。皮肉なことに、この戦場で戦う内に俺はさらなる飛躍を遂げていたようだ。


 魔術を使うことはもはや呼吸に等しく、どれほど難しいコードであっても複雑に操作することができる。固有魔術ですら、今の俺にとっては些事に等しい。師匠もまた全盛期を迎えているようだが、俺もまたそれを追いかけるようにして確実に師匠に迫りつつあった。


「……レイちゃん。大丈夫?」

「キャロル。俺は大丈夫だよ」


 今日も任務を終えて基地に戻ってきた。本日は単独任務であり、斥候も兼ねて前線に向かうことになった。しかし、そこで運悪くてきと接敵。戦闘をすることになったが……今の俺が負けることなどありはしなかった。


 屠っていく相手の顔を見ることなく、目の前には死体の山が出来上がっていた。今更人を手にかけることに躊躇などなかった。


 ただただ作業のように俺は冷静にそれを行なっていく。


 なぁ、ハワード。


 俺はハワードのために戦えているのか? この道で正しいのか?


 そんなことをふと思ってしまう。彼のために戦争を終わらせる。いや、それだけじゃない。今まで死んでいった数多くの仲間のために、俺は戦争を終わらせたい。たとえそれが、どれほどの苦しみと悲しみを伴ったとしても。


 俺は成し遂げるつもりだった。今更引くわけにもいかない状況。だが、この血に塗れた手を見るとそう思ってしまうのだ。


 自分の進んでいる道が正しいのか……と。


「レイ。戻ってきたのか」


 キャロルと会話をしていると、そこにはちょうど彼女もやってきた。


「大佐。はい、先ほど戻ってきました」

「そうか。レイ。ゆっくりと休むがいい」


 アビー=ガーネット。


 師匠の親友であり、誰よりも厳格で優秀な人だ。彼女はハワードの死をきっかけにして、さらに戦場へと向かうようになっていたが元々戦況を対極的に見極める能力が高かったのだろう。


 今は後方で作戦指揮官として活動をしている。そんな彼女は極東戦役での活躍を認められ、大佐にまで昇進していた。曰く、史上最年少であると。けれど師匠は言っていた。それはある意味見せしめのようなものであると。


 優秀な指揮官として彼女は選ばれた。それを象徴するような形で大佐という地位を与えられただけだと。


 この戦場には象徴が必要だった。


 師匠はすでに英雄として名を馳せている。そしてそれに対して大佐は作戦指揮官としての象徴になりつつあった。


 特殊選抜部隊アストラルは、ヘンリック=ファーレンハイト中佐が取り仕切っているのは間違いないが階級だけでいえば彼女の方が上になってしまっていた。


 別にそれによって軋轢が生まれたわけではない。


 と思っているが、やはり特殊選抜部隊アストラルとしての活動は少なくなりつつあった。きっとそれは感情的な面もあるのだろう。集まってしまえば、ハワードのことを思い出してしまうから。


「ね、レイちゃん。一緒にご飯でも食べない? このあと時間あるでしょ?」

「すまないキャロル。今日はすぐに休みたいんだ」

「あ……そ、そうだよね。ごめんね無理言って」

「いや構わない。それでは、失礼します」


 二人に頭を下げると、俺は扉に向かって歩みを進めていく。去り際、キャロルの悲しそうな顔が目に入ったが……今の俺はまだキャロルの感情を読み取れるほど余裕などなかった。


 この心のうちに宿る暗い感情。


 これを持ったまま誰かと笑い合うことなど、もうできなくなっていた──。



 ◇



「リーゼ。別についてこなくてもいいんじゃぞ?」

「……心配なので」

「おぉ! リーゼは本当に優しい子じゃのう……!」

「……いえ。別に」


 リーゼとフランの二人は戦場の中で悠然と歩みを進めていた。至るところに血が飛び散り、四肢も転がっているような戦場。最前線は苛烈を極めていた。


 二人の目的はある敵と接敵すること。


 今回はフランが一人で行くと言ったのだが、リーゼもついていくと言ったのだ。それは純粋にフランの力をこの目で観察してみたいというものからきたものだった。


 だがそれを説明するのはなかなかに面倒なので、リーゼはフランに都合のいいように解釈をさせていた。


「さて、と。そろそろ来る頃かの?」

「……そうですね。ちょうどきた頃だと思いますよ」


 立ち止まる


 そこは何もないただの荒野だった。目の前には水平線が広がり、一見すれば何もないような空間に思える。しかし、二人の目の前にはちょうど同じように二人の人間が歩みを進めてきていた。



 黒髪短髪で眼鏡をかけた利発そうな男性。その隣にはオレンジ色の髪をくるくると指先に巻き付けながら、気怠そうな雰囲気をまとっている女性もいた。



「ふむ。どうやら、虚構と比翼がきたようですね」

「はぁ……だる。早く殺して帰りたいんだけど?」

「ツヴァイ。これは任務ですよ。気を引き締めてかかりなさい」

「はいはい。分かったよ、ゼクス」


 男性の方はゼクス。女性の方はツヴァイと呼ばれているのを、リーゼとフランはしっかりと耳にした。


 そして二人と対峙するようにしてフランが先頭に出ていく。


「こほん。お主たちが、七賢人セブンセイジじゃな?」

「どうやらこちらのことも調べているようですね」

「もちろんじゃ。うちには優秀な人間がおるからの。このわしも含めての」

「そうですか」


 まずはゼクスとフランが軽く会話を開始する。それはまるで世間話のような軽い雰囲気ではあるが、確実に何かがひりつくような感覚を全員が味わっていた。


 まさに一触即発の状況。


 この雰囲気の中であっても、フランは冷静に話を続ける。


「七大魔術師は巡る。そして、お主たちも同様。こうしてぶつかり合う時がくるのは運命で決まっておる」

「……そうですね。あなたはとても聡明ですね。気に入りましたよ、比翼」

「ふん。ま、どうでもいいがの。さて」


 フランは小さな体を軽く揺らしながら、ボソリと呟く。すると周囲には真っ赤な第一質料プリママテリアが弾けるようにして顕在化していく。すでに戦闘態勢に入りつつあるフランを見て、ゼクスはニヤリと笑う。


「あぁ……僥倖ですよ。ここまでゴミのような人間たちを殺してきてよかった。あなたのような存在と出会えて、私は幸せですよ」

「……抜かせ小僧。その罪、ここで償わせてやる」


 二人が完全に臨戦態勢入っている一方、リーゼは淡々とその様子を見つめていた。そんな彼女の正面には、ツヴァイがゆっくりと歩みを進めていた。依然として気怠げな様子で。


「ねぇ、あんたが虚構でしょ?」

「はい」

「殺してもいい?」

「どうぞ。ご勝手に」

「はぁ……? もうちょっと恐怖心とかないわけ?」

「どうでしょうか。人の感情というものを私はもっと知りたいと思っているのですが、あなたがそれを教えてくれるのでしょうか?」

「きっも。何? その話し方は素なの?」


 吐き捨てるようにして、ツヴァイは声を漏らす。それは純粋な感想だった。今までのような普通な人間ならば、彼女の漏らしている第一質料プリママテリアに当てられて恐怖に顔を歪ませているはずだった。

 

 しかし、リーゼはまるで意に介していないかのように話を続けていた。


「はい。私という人間の本質はきっとそうなのでしょう。誰にも理解されず、誰も理解できない。しかし、あなたたちの存在は非常に興味深いです。私の知らないものを教えてくれるかもしれない」

「ははは……っ! いいよ、お前。最高にムカついてきた。久しぶりにやる気が出てきたかも」



 戦いの火蓋が切られた──。

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