第282話 ようこそ、女装の世界へ


 レイが加入した特殊選抜部隊アストラルの戦力は大幅に上昇した。元々、軍人として教育をしていたわけではない。その教育は全て、彼の今後のためを思ってしてきたものだった。


 しかしレイに限っていえば、おそらくは教育方針は重要ではなかったのだろう。彼の場合は異常なまでの適応能力があった。その時の最適解を出すのが、得意というべきだろうか。


 ともかく、レイは特殊選抜部隊アストラルの任務についていくどころか、むしろかなりの戦力になっていた。


「エインズワース大尉。爆弾を発見しました。おそらく術式は遅延魔術ディレイが組み込まれているかと。コードも複雑に絡み合っています」

「よし。解除しろ」

「は。了解いたしました」


 現在は任務の最中。王国内部で不穏な動きがあると言うことで、ある貴族の屋敷を調査していたのだが、そこで爆弾を発見。なんでもこの貴族はエイウェル帝国のスパイであり、王国の情報を密かに流出していたらしい。


 そこで特殊選抜部隊アストラルが介入することになったのだが、そこはすでにもぬけの殻。唯一あるものといえば、時限爆弾だった。


 それを解除するように命じるリディア。他のメンバーは別の部屋を捜索している最中だった。


「終わりました」

「よし。回収して戻るぞ」

「は」


 レイが爆弾を解除するまでにかかった時間はおよそ二十秒。すでに彼はそこに展開されていた術式を理解していた。後はそれを解くようにして、全く逆の魔術を展開すればいい。


 この手の訓練を専門に受けたわけではないが、魔術が絡むのであればレイに出来ないことはない……そう言ってしまえるほどには、彼の技量は熟達していた。


 そうして今日もまた、無事に任務を終えるのだった。



「レイ。次の任務だが、潜入任務になる」

「は。了解いたしました」


 ヘンリックの元にやってきたレイ。彼はそこで、なぜかたった一人で呼び出されていた。今までは全員で集合して、ブリーフィングをするのが当たり前だったというのに。



「さてそこで何だが……」


 ヘンリックは何やら言い淀んでいる様子だった。レイは少しだけ訝しく思うが、特にそれについて言及することはなかった。


「今回の任務もまた、相手はどうやら貴族であり、王国を裏切って情報を流しているらしい。もちろん相手も狡猾であり、かなりの対策をしている。だが一点……その貴族にはある趣向がある」

「ある趣向ですか?」

「あぁ。その貴族はどうやら幼い少女が好きらしい」

「はぁ……? なるほど……?」


 どうやらレイは全くピンときていないようである。そもそも、少女が好きだからという意味はわかるが、それで自分がここに呼ばれた意味が分からない。


 レイは誰かもしかして少女でも潜入させるのかと思っていると、全く理解できない言葉が聞こえてきた。


「そこでだ。レイに女装して潜入してほしい」

「は。って……え?」


 初めはとりあえず了解の返事をしたが、理解した瞬間にポカンとした表情を浮かべる。それは無理もないことだった。


 自分が女装するなど夢にも思っていないのだから。


「大丈夫だ。今回の任務に関して、すでにプロを呼んである」

「ぷ、プロ……?」


 全く意味の分からない状況なので、レイはただ動揺するしかなかった。今までどんな任務も淡々とこなし、特殊選抜部隊アストラルの中でもかなりの戦力になっている彼ではあるが……今回ばかりは、流石に狼狽してしまう。


「キャロライン。入って構わない」

「はいはいはーい!」


 ヘンリックがそう声をかけると、入ってきたのはキャロルだった。今日今日とて、しっかりと化粧をしており髪の毛も綺麗に巻いている。


 そんな彼女はなぜかいつも以上にニコニコと笑っていた。レイはそんなキャロルを見て、最悪の可能性を考えてしまう。それは以前襲われかけた時のものとは、また別の恐怖であった。


「中佐……もしかして、キャロルに女装を手伝ってもらえ……と?」

「流石はレイだ。よく分かっている」

「レイちゃん! よろしくね!」


 間髪入れずにキャロルはそう言った。その一方でレイは流れる冷や汗を止めることはできなかった。


「今回の作戦の立案はキャロラインだ。私も少し考えたが、有用と思ったので採用することにした。まずはレイが女装して侵入し、そのあとはこちらが外から侵入する予定だ」


 あまりの驚きにレイは声が出なかった。そもそも彼の性自認は男性だ。それに女装という言葉の意味は理解できても、それを自分が実際にするなどとは全く理解できない。


 むしろこれは夢なのでは……? と思うほどだ。そう思ってレイは思い切り自分の頬をつねってみる。


 しかし──


「ゆ、夢じゃない……?」

「ふふ。ふふふ!」


 キャロルは後ろに手を組んで、まるでスキップをするかのようにレイの側に近寄ってくる。その際にふわっとした香水の香りがレイの鼻腔を抜けていくが、今はそんなものも気にならなかった。


「きゃ、キャロル……そんな……嘘だろう……?」

「うふふ。前からずっと思ってたんだよねー! レイちゃんは絶対に女の子になっても可愛いって!」

「お、お前! これは公私混同じゃないのかっ!? 前の約束を忘れたのか……っ!?」

「もう正式に採用されちゃったもんねーっ! 大丈夫。約束はちゃんと守るし、しっかりと可愛い女の子にするよっ!」

「か、壁が……っ!!?」


 と、後ろにずりずりと下がっていくとすでに壁際まで追い込まれてしまっていた。その威圧感はレイが今まで経験してきた中でもトップクラスだった。


 キャロルはいつもニコニコと笑っている。しかし今は……目が笑っていないのだ。それに段々と呼吸も荒くなってきている。


「はぁ……はぁ……合法だから、いいよね?」

「ちゅ、中佐あああああああ! 助けてくださいっ!」

「レイ、すまない。今回はこれが最善なんだ」

「中佐あああああああああああああああああああああっ!」


 その叫び声虚しく、レイはずるずると引きずられるようにして部屋を出て行く。本気で抵抗すれば逃げることは出来るのだが、作戦と言われてしまえば拒否することなど出来なかった。


「レイ。期待しているよ」


 ヘンリックといえば天に祈るようにしてレイの検討を祈るのだった。



「リディアちゃん! アビーちゃん!」


 バンッ! と扉を勢いよく開けて室内に入ってくるキャロル。今日は全員で集まって晩ご飯を食べようということになっていたが、キャロルは用事で遅れるという話だった。


 そしてレイもまた、ヘンリックに呼び出されているのでこの部屋にはリディアとアビーが待っている最中だった。


「お、帰ってきたか! よし、アビー。飯にしようぜ!」

「はいはいって……おいキャロル。その女の子はどこから連れてきたんだ? 誘拐は洒落にならんぞ」

「ふっ、ふっ、ふっ」


 ニヤリと笑いを受かべるキャロルは自分の胸を抱えるようして腕を組む。その言動を見て、二人ともまたいつものやつか……と思うが、どうにもその少女には見覚えがあるような気がしていた。


「かなりの美少女だが、全くキャロルはどこから連れ込んできたんだ……」


 やれやれと言わんばかりにアビーはその少女の元へと向かう。


「大丈夫か? すまない。うちのアホが迷惑をかけたようで……」


 少女は何も言わない。ただじっとアビーの瞳を見つめて、泣きそうな顔をするだけだった。その様子を不思議に思っていると、リディアがあり得ないことを口にした。



「ん? もしかして、レイなのか?」



 それはまさに青天の霹靂。アビーはその馬鹿げた主張を一蹴する。


「リディア。そんなわけがないだろう。レイがこんなに可愛い女の子になるわけが……」

「……レイです……すみません……本当になんと言っていいのか……」

「は?」


 ポカンとした表情を浮かべる。そう、間違いなくその少女からレイの声が聞こえてきたのだ。少し華奢な体に、整った容姿。目はぱっちりと開いて、まつ毛は綺麗に上を向いている。唇も血色がよく、厚さもちょうど良い。


 それに茶色い髪はまるで絹ように艶やかだ。そんな彼女を見て、百人中百人が美少女と評するだろう。


「あ……れ、レイ……だと?」

「実は次の潜入任務で、レイちゃんは女装で潜入するの! そこでキャロキャロが手伝ったけど……やっぱりレイちゃんは女装も天才だったよっ!」


 キャロルはかなり喜んでいるようだが、レイはただただ泣きたかった。いや、すでに少しだけ涙を流しているようだった。ぐすっとはなを啜る音が聞こえる。


「レイ」

「し、師匠……」


 真剣な顔つきでリディアがやってくる。それはきっと、自分を助けてる言葉をかけてくれるに違いないと……そう期待のこもった瞳で見つめる。


 だがそれは無残にも裏切られてしまう。


「まじで可愛いな! よし。その姿の時はコードネーム:リリィーを名乗るがいい。ははは! これは本当に傑作だな! やっぱお前は天才だなっ!!」

 

 リディアはぽんぽんと肩を軽く叩く。どうやら、心から楽しんでいる様子である。


「し、師匠おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 その悲痛な叫び声は、レイの人生の中でもっとも大きな声量だったという……。

 

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