第257話 手合わせ

 

 夜が明けた。


 本格的に実地訓練が開始されることになった。訓練内容としてはすぐに実戦形式で魔術戦をするわけではなく、目の前に広がる広大な森の中での立ち回り方を学ぶことになる。


「よっしゃー! 今日もやるぜっ!」


 早朝。リディアは入念に柔軟体操をする。


 その後は軽く腕立て伏せなどをして、体を動きやすくするために調整していく。


 続々と部隊のメンバーが集まってくるのだが、その中でもキャロルだけは訓練開始時間のギリギリまで準備をしていた。


「おーい、キャロル。そろそろ時間だ。大丈夫なのか?」


 アビーが声をかけにいく。するとそこでは、入念に鏡を見て化粧をしている彼女がいた。


 気合を入れて化粧をしているわけではないのだが、すっぴんでいることは何よりも嫌がるということで彼女はこの訓練であっても化粧を欠かすことはない。


「よし! 今終わったよ〜☆ すぐに行くねっ!」


 キャロルも無事にやってきて、全員がその場に揃うことになった。


「全員揃ったようだね」


 ヘンリックがその場にやってくると、少しだけ緊張感が漂う。いつもは穏やかな性格をしているが、彼は苛烈さも兼ね備えている人間だ。伊達に若い内に、佐官になったわけではない。


「まずは、デルクに先導してもらって森の中を20キロほど走ってもらおうかな。僕たち魔術師は魔術に頼りがちになるけど、基本的な身体能力はいざという時に必要だからね。基礎体力は基本中の基本だ。それと返事はレンジャーだ。別にレンジャー訓練ではないけど、その方が雰囲気が出るだろう?」

『レンジャー!!』


 と、全員で声を揃える。その中でフロールだけは少しだけ辟易したような表情をしていたが、彼の思いつきの発言は今更なので特に何もいうことはなかった。


 そもそもこの訓練ではリディアたちがメインでやる予定なのだが、デルクとフロールも指導という形で参加することになっている。


「では、僕はテントの中で事務作業をしているからあとはよろしく頼むよ。デルク、フロール」


 そう言って彼はテントの中へと消えて行く。そして、三人の前にはその二人が立つのだった。


「軍曹。あなたが先頭で、私が最後尾につきます。ペース配分は考えてくださいね」

「了解であります」


 ビシッと敬礼をして、フロールは最後尾についてデルクが先導して森の中へと進んで行くことになった。



 もともとこの森はカフカの森よりもさらに深い位置にある森だ。軍事教練ではたびたび使用されており、士官候補生や訓練生であった者は大体がこの場での訓練をすることになる。


 そのため、この森の構造はデルクもフロールもすでに頭に入っている。


 今回お訓練に際して、身体強化はしないように伝えられている。


 貴族や、その他の血統主義の魔術師は魔術さえあれば身体能力を鍛えるようなことはしなくても良い、と考えているものが多い。


 しかし、軍の中ではここ最近は特に、身体強化を重点的に行うことが多い。それは魔術戦といえど、最後に重要になってくるのは基礎体力だからだ。


 何も華やかな魔術などは必要はない。必要なのは生き残る力なのだから。


「はっ……はっ……はっ……」


 全員が呼吸を揃えるようにして、森の中を駆け抜けて行く。デルクは一切容赦などせずに、非常に早いペースで森の中を駆け抜けて行く。


 リディアとアビーはそれについて行くことができたが、キャロルはわずかに前と距離が離れるつつあった。


「キャロライン。大丈夫?」

「はっ……はっ……はっ……だ、大丈夫ですっ!!」


 後方からフロールに声をかけられる。キャロルはすぐにペースを戻すと、そのままぴったりとアビーの後ろへとついて行く。


 キャロルは確かに身体能力は高い。士官学校での訓練の際も、それなりの成績を残している。


 しかし、この部隊の中に限定してしまえば彼女が劣ってしまうのも無理はなかった。そもそも彼女は前衛で戦う魔術師ではない。


 後方支援に特化しており、また頭脳明晰なため作戦指揮なども今後の視野に入れている。


 だが、あくまでこれは訓練。士官学校を卒業するためには最低限こなすべきカリキュラムの一環である。


 化粧も崩れ始め、髪も乱れていくがキャロルはなんとか懸命について行く。


 そんな中、目の前を走ってアビーがチラッと後ろを見ると彼女に声をかける。


「キャロル。ペースを落としてもらうか?」

「はっ……はっ……だ、大丈夫……だよっ! 絶対について行くからっ!」

「分かった」


 短く返事をするとアビーはすぐに正面を向いてしまう。別に彼女はキャロルに対して冷たいわけではない。


 それは信頼の証でもあった。キャロルは自分ができると言ったことは、すべて自分でやってきた。


 今までもキャロルが辛そうな時は、アビーやリディアが心配して声をかけたりしたこともあったのだが、キャロルは自分で乗り越えてきた。


 いつもは戯けており、ふざけているような印象が強い彼女だが、実際はしっかりと確固たる自分を持っている責任感の強い人間なのだ。


 

 そして無事に森の中を20キロほど走り終わると、全員がキャンプ地へと戻ってくる。


 キャロル以外の全員はあまり疲れている様子ではなく、まだまだ体力が余ってそうであった。


「キャロライン。よくついてきたなっ!」

 

 水を差し出すのは、デルクだった。彼はペース配分を任されていたということもあって、キャロルのことは先頭から感じ取っていた。


 息の乱れが一番多いのは彼女だけだったからだ。


 その中でもペースを落とすことはなかった。


 それはリディアもアビーも、ぴったりと後ろについてきてキャロルに情をかけたりしなかったからだ。


 学生時代からずっと共にいて、友人であることは彼も知っていた。その友情はどうやら、優しさだけではないということを理解するのだった。


「はぁ……はぁ……はぁ……あ、ありがとうございます……っ!」


 肩で息をしながら、もらった水を一気に飲み干していく。ごくごくと喉を鳴らしながら、キャロルはあっという間に飲み干してしまうのだった。


「よっしゃー! 軽いランニングで体もほぐれてきたな」

「……今のが軽いランニングと思うのは、きっとお前だけだ」


 その言葉の通り、まだ体力はあると言っても他のメンバーはそれなりに疲労している。一方のリディアといえば、むしろ今のが準備運動だったと言わんばかりの発言をする。


 それにはデルクもフロールも苦笑いを浮かべるのだった。


「ははは! 流石はあのリディア=エインズワースだな!」

「えぇ。本当にどうやら規格外の存在のようですね……」


 そうして話していると、テントの中からヘンリックがやってくる。


「どうやら割と早く終わったようだね。デルクはペースを落とさなかったのかい?」

「はい。全員ついてこれると判断しましたので」

「そうか。基本的な部分は三人ともに行ける、ということか」


 冷静に状況を見極める。


 三人の扱いに関しては、ヘンリックに一任されており──半ば押し付けられたようなものではあるが──まずは基本的な部分を把握したようだ。


「よし。次は魔術戦でもしてみようか。デルク、早速エインズワースとやってみてほしい」

「レンジャー!」


 その言葉を聞いた瞬間。リディアは満面の笑みを浮かべるのだった。


「おぉ! ついにこの時が来たのか……っ! ふふふ……デルクは強そうだから期待できるなっ!」


 そして二人は対峙することになるのだった。



 ◇





 ついに本日、7月2日【冰剣の魔術師が世界を統べる】が発売となりました!! 今日からは全国の書店に並んでいると思います!


 ここまで毎日更新かつ8ヶ月で100万字も超えるほど書くことができたのは、読者の皆様のおかげです。毎日更新をする中で辛い時もありましたが、皆様の応援があったからこそ書き続けることができました。


 本当に、応援ありがとうございました。


 一巻の内容は一章に当たりますが、遥か昔のような気がしますね(笑。梱枝先生のイラストや新規描きろしエピソードなど加えておりますので、お楽しみいただけると思います。


 アメリアやレベッカのちょっとアレなシーンもありますので、ご期待いただければと(笑。


 また五章の過去編をここまで読んでいるからこそ、楽しめる書き下ろしシーンも入れております。


 改めて既読の方々も楽しんでいただけるように仕上げましたので、書籍版も何卒よろしくお願いします!!(文庫サイズでお求め安いお値段になっておりますので!)


 それでは、読者の皆様。今後とも本作をよろしくお願いいたします。

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