第五章 追憶の空
第246話 紅蓮の空
暗闇。
俺はただ、暗闇の中にいた。
ずっとそうだった。別に変哲もない村に生まれて、家族と一緒に過ごしていたはずだった。当時はまだ四歳で、家族との記憶がしっかりと残っているわけではない。
そんな中、後に極東戦役と呼ばれる戦争に巻き込まれることになった。
明確に覚えているのは──怒号と悲鳴。そして、見渡す限りの真っ赤な世界。
人々が逃げる中、俺もただ無心に逃げることにした。最後に両親は俺を助けて目の前で死んでいった気がする。
その記憶も、もはや曖昧だった。
いやそれはきっと、俺の深層心理がそうさせているのだ。あの時の記憶は決して思い出してはならないと。
そこから先、一人になった。村の人間はどこに行ったのかも、誰が生き残っているのかも、分からなかった。
ただ一人、生きることに懸命になっていた。幼いながらにも生存本能はあるのか、我武者羅に生きていた気がする。
呆然と歩き続ける日々。そして、至る所が戦場となる。当時はまだ理解していなかった。一体何が起きているのか。
それは魔術を使用した初めての大規模な戦争だったのだ。今までのように、ただ剣などで戦う戦争とは比べものにはならない。
無慈悲に人の命が散っていくのは、当たり前だった。
目の前で人が消えていくのも、当たり前だった。
その時思ったのだ。
この世界はあまりにも醜いと。そして俺は生きるために心を閉ざすしかなかった。そうしなければ、自分が自分でなくなってしまう気がしたから。
「あ……うぅ……あぁ……」
周囲は紅蓮に染まりきっていた。それに、そこにはたくさんの人だったものがあった。酷い場所。
あまりにも酷く、凄惨な場所にたどり着いた。
やっと辿り着いた果てが、こんな場所なのか。
当時はなんとなくそう思った。その時は五歳になっているかどうか、そんな時期だった気がする。
まだ自我も明確でない頃に、人の死を経験し過ぎた俺は全てに疲れ切っていた。
ただ一人、空を見上げるようにして大地に寝転ぶ。
隣にいる人はすでに息をしてない。いや、隣だけではない。この場にいる人間は、俺を除いて全員が息を引き取っていた。
どうして自分が生き残っているのか。そんなことも分からなかった。
思うのは、疲れた……ということだった。
空を見上げると広がっているのは紅蓮の空。真っ赤な空の光が照らしつけてくる。地面もまた、真紅に染まっている。
あぁ。そうか。世界はこんなにも、赤く染まっているのか。
まるで世界の全てが深紅に染まっているかと勘違いするほどに、凄惨な場所しか見てこなかったのだ。
もう、楽になりたい。生きていても、仕方がない。
生存本能でただ進むしかなかった俺は、ついに諦めるということを学んだ。もう体がどうなっているのかも分からない。
熱いのか、冷たいのか、痛いのか、痛くないのか、そんな感覚すらも消失していた。
「あぁ……うぅ……う……」
呻き声を漏らすことで精一杯だった。それだけが今の自分に許されたことだった。
この空の果てに何があるのか。
当時の俺は、まだ知る由もなかった。
──冰剣の魔術師が世界を統べる 第五章 追憶の空──
「あ〜あ。またお前たちと同じとはなぁ……」
不満を言うように声を漏らすのはリディア=エインズワースその人だった。
腰まである長い金色の髪を後ろに流しながら、彼女はそう口にする。またその隣には、あの二人もいた。
「ま、腐れ縁ってやつか」
「キャロキャロは嬉しいよぉ〜☆ みんなまた一緒だねっ!」
アビー=ガーネット。
キャロル=キャロライン。
アビーはこの日のために髪を短く切りそろえ、長さは肩に届くか届かない程度。一方のキャロルは、桃色の髪を高い位置でツインテールにまとめていた。
三人ともに年齢はまだ十五歳。飛び級で入学したアーノルド魔術学院を卒業したばかりだった。
そんな三人は同じ服装をしていた。それは、決して私服でも学生服でもない。
そう。それは軍服だった。
三人が大学に進むことはなかった。もともと期待はされたいたのだが、なんの因果か三人ともにアーノルド王国軍に進むことになった。
もっともそれは、軍の上層部が三人の力を欲しいと思って誘った結果なのだが。この若さで軍に進むことは、あり得ないことである。しかし、その才能故にこうしてこの場に立っているのだ。
リディア=エインズワース
アビー=ガーネット
キャロル=キャロライン
この三人は魔術の歴史が始まって以来の天才だと謳われていた。それこそ、数百年に一人の逸材が同時期に現れたと評されている。
その中でもすでに頭角を表していたのは、彼女だった。
「はぁ……それにしても、もう学生じゃないのか。色々と時間が経つのは早いよなぁ」
感慨深そうに呟くのはリディアだった。
リディア=エインズワース。魔術師の中で、その存在を知らない者はいない。当時はまだ、血統主義が主流であり貴族こそが至高とされていた時代に現れた天才中の天才。
魔術理論に関して造詣が深いだけではない。その実践技術もまたすでに一級品。彼女は、現在は
アビーとキャロルであっても、今はまだその下の
もっとも、学生で
「だよね〜☆ キャロキャロも、そう思うよぉ〜」
「はぁ……アビーはともかく、このアホピンクも一緒とはな。こんなふざけた見た目に、ふざけた言動をしているのに魔術師として優秀とは世界がおかしいんじゃないか?」
「もうっ! リディアちゃんってば、相変わらずキャロキャロに厳しんだからっ! ぷんぷんがおーっだぞっ!」
猫撫で声で、人差し指を立てるとそれを頭へと持っていく。自分は怒っているということをアピールするにしても、この言動は流石に……と思うのは、もう昔のことだ。
すでにキャロルに対して慣れてしまった二人は、ただ嘆息を漏らすだけだった。
「まぁ、いいだろう。キャロルも大切な仲間だろう?」
アビーはこの二人の中間的な存在だ。リディアは大雑把であり、キャロルは言動に難あり。その中でアビーの存在は大きい。
三人の中で唯一の常識人であり、二人の間にいることでこの三人は成り立っていると言ってもいいだろう。
リディアとキャロルを放っておけば、二人はすぐに喧嘩を初めてしまうからだ。
「ま、そういうことにしてやるよ」
ニヤッと笑うリディアのその顔は、どこか人の悪い笑みを浮かべているようなものだった。
そして、三人がなぜ一緒にいるのか。それも軍服を着て。
当時は魔術による大規模な戦いが確認され始めた頃だった。そこで立ち上げられたのは特殊部隊。
王国の中でも腕の立つ魔術師を集めた精鋭部隊。その設立に際して、この三人は学生を卒業して間も無いというのに抜擢しよう、という試みがあったのだ。もちろんそれに際して、士官学校へ入校はするのだが。
今日はその説明があるということで、ある少佐の執務室に呼ばれていたのだ。
まだその少佐が来ていないということで雑談を繰り広げていた三人だが、扉がノックされると入ってきたのは秘書の女性と少しだけ歳を重ねている男性の姿だった。
「すまない。少し会議が立て込んでしまってね」
物腰柔らかい人だった。
そんな彼の名前は、ヘンリック=ファーレンハイト。真っ黒な髪を刈り込んでおり、その体躯はそれなりの厚みがある。佐官ではあるが、その肉体は依然として保たれているままだった。
「いえ。私たちも先ほど到着したところであります」
冷静に答えるのはアビーだった。
「さて。君たち三人には、改めて話がある」
これはきっと運命だったのだろう。後に三人はそう思うようになる。王国が用意した特殊部隊。そこに配属されることになる三人。
それこそが、レイとの出会いの始まりでもあったのだ──。
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