第233話 前に進む、その瞬間
早朝。
リディアは朝が弱い上に、特に冬はベッドから出たくはない。
この温もりを絶対に手放したくないと思い、昼前にならないと起きてこないのが普通だった。
カーラもまた、そんな彼女を起こすのに苦労しているのだが……今日のリディアは違う。
「……」
パチリと目を開ける。覚醒。
この寒い早朝だというのに、彼女はすぐにベッドから出ようとする。すでに隣にはカーラが控えていたので、車椅子へと座る。
リビングへと車椅子を押してもらうとすでに朝食が用意されていた。普段は朝食などは取らないが、今日は違う。彼女には、確かな目的があるのだから。
「レイたちは何時に集合予定なんだ?」
「十時です。余裕で間に合うと思います」
「そうか」
そして、朝食を取ると洗面所に向かって顔を洗い、歯を磨く。
その後は、私服に着替える。今日はパンツスタイルであり、その上に真っ黒なコートを羽織る。
「よし。行くか」
「はい」
車椅子を押して、出発した二人。
雪が少し積もっているので進みにくいが、そこはリディアが魔術によって路面を軽く溶かしていく。
彼女もまた、レイと同様に最近は魔術に関してはあまり不自由を感じなくなっていた。
「ここらへんにするか」
「もう少し離れた方がいいかと」
「そうか?」
「はい。レイ様の姿を見たいのも分かりますが、気がつかれては意味がありません」
「そうだな」
その言葉を素直に受け止めると、少しだけ後方へと下がっていく。
この二人が何をしているのか。
──それはもちろん、ストーキングである。
とある筋の情報によると、今日はレイは友人たちと遊びに行くらしい。
もっとも、ただ遊びにいくだけならば今回は見逃していただろう。
リディアの懸念はレイの周囲にいる女性陣だった。
その中でも、アメリア=ローズ。レベッカ=ブラッドリィ。アリアーヌ=オルグレンの三人をかなり警戒しているのだ。
すでに、アメリアとレベッカがレイのことを好きなのは把握していた。それに加えて、あの大会を経てアリアーヌの様子がわずかに変化しているのも、リディアは知っている。
そのようなこともあり、今回はわざわざこの寒い中、外に出てきたというところなのだが……。
「ふむ。カーラはどう思う? レイの交友関係について」
「とても素晴らしい友情を育んでいると思います。ただ、最近はアメリア=ローズ嬢とレベッカ=ブラッドリィ嬢のアプローチが激しくなっているかと」
「ほぅ……やはり、あの二人は要注意のようだな」
「……」
カーラは思う。わざわざこんなことをしなくても、レイ本人に聞けばいいのではないかと。あの二人をどう思っているのか、と軽く尋ねればいい。
しかし、そのことをリディアに聞くと……「ばっか! そんなことできるわけがないだろうっ! その……恥ずかしいし……」と言うのだ。
年甲斐もなく照れている姿は、確かに可愛いものではあるのだが、調査をするカーラも罪悪感が生まれていた。
早くこんなことは終わってくれないだろうか、そう思っているのが最近の彼女であった。
そうして二人でじっと待っていると、ちょうどキャロルとばったりと出くわすのだった。
「あー! リディアちゃんとカーラちゃん! こんなところで何しているの〜☆ って、あぁ……そっか。いつものやつなんだね」
ペコリと頭を下げるカーラだが、キャロルの登場はありがたいと思っていた。このままずっと、リディアのレイに対する談義を聞くのも億劫だと考えていたからだ。
「あぁ? なんだ、文句でもあるのか?」
ギロっと殺意を込めて睨みつけるが、もちろんキャロルはそんなものには屈しない。
「いーや☆ でも、レイちゃんのことを付け回すのはどうかと思うな〜☆」
「ま、まだレイとは分からないだろうがっ!」
苦しい言い訳をするが、それは全くの無意味だった。
「え。じゃあ、違うの?」
「う……うぐ。ぐぬぬ……」
半眼で睨みつけるが、全く威圧感がない。今回に関しては完全にキャロルに軍配が上がっていた。
「もう、ダメだよリディアちゃん。レイちゃんはお友達と遊びに行くんでしょ? 親が同伴するものじゃないよ」
その声音はいつになく真剣なものだった。
彼女は人差し指をピッと立てると、リディアに対して説教を開始する。
「そもそも、レイちゃんが独り立ちするのはリディアちゃんが願ってのことでしょ? まぁ入学当初は分かるけど、もう冬だし今年も終わるんだよ? そろそろレイちゃんもかわいそうだよ。そんな信じられないの……?」
「いや、それは……」
キャロルは分かっていた。リディアがストーキングをしているのは、何も彼の恋模様だけが気になっているだけではない。
やはりその一番の根幹にあるのは──レイが心配なのだ。
独り立ちしてほしいと思って、送り出したのはリディアである。だが、過去のレイを知っているからこそ。その凄惨な過去を一緒に過ごしてきたからこそ、心配なのだ。
いつまで経っても、レイはリディアにとっては子供のようなものなのだから。
「リディアちゃん。ちょっとお茶しようよっ! キャロキャロが奢ってあげるからさ〜☆」
ニパッと快活な笑顔を浮かべるキャロルを見て、内心で思う。
──全く、キャロルには敵わないな……。
昔からそうだった。キャロルは戯けているように見えて、しっかりと周りが見えている。軍人時代も、よく仲間の相談に乗っていた。
そして、戦友が死ぬたびに一番涙を流していた。
誰よりも情に厚いのはリディアも知るところだった。
「分かった。奢られてやるさ」
そう言うと、今日はストーキングを止めて、改めてキャロルと話すことにするのだった。
注文したのはケーキセットだった。紅茶からは湯気が立ち、ケーキからは甘美な香りが鼻腔を抜ける。
「それで、リディアちゃんはまだ心配なの?」
依然としてキャロルは真面目なトーンで話しかけてくる。それには、彼女も同じように応えるのだった。
「きっと、心配なんだと思う……けれど、一番はきっと」
言い淀む。
ずっと前から分かっていた気持ちであり、感情だった。
それは決してレイを想っているわけではない。
ただの自分勝手な、矮小な想いだった。
「私はきっと、レイが成長していくのが怖いんだ。自分が捨てられるような感じがして、レイにとって私が必要ないと突きつけられているような気がして……ならないんだ」
それは言葉にすると、意外と呆気ないものだと彼女は思った。
──あぁ。そうだ。今までのそれは、私の身勝手。分かっていたさ……。
自由に飛び立ったレイを見て、思うのだ。もう……自分はいらないのではないかと。リディアが感じている焦燥感の正体はそれだった。
それを聞いたキャロルは、そっと優しくその手を包み込むのだった。
「リディアちゃん。大丈夫だよ。レイちゃんにとって、リディアちゃんはいつまでも必要な存在だよ。覚えてるでしょ? 出会った時のこと。やっぱりリディアちゃんは特別だよ」
「……そうだろうか」
「うん! 私が保証するよ。それに……リディアちゃんも、もう進んでいい時じゃないかな」
キャロルは知っていた。いや、キャロルだけではない。アビーも知っていた。
リディアが停滞していることは。敢えて前に進むことはなく、隠居するように王国の隅に住んでいるのはそのような理由もあった。
しかしもう……戦争は終わりを迎えた。
リディアにはある想いがあった。それは、数多くの仲間の死を背負って生きるべきなのは分かっているが、私にはその価値があるのか? と言うことだった。
仲間が死んでいく中で、自分だけが生き残っていく。その想いを託される。
戦争が終わった時、彼女は思った。
──私は、何かを成し遂げることができたのか? ただいたずらに、失うばかりじゃなかったか?
と。
「ねぇ。リディアちゃん、提案なんだけど……」
それは前々から考えていたことだった。それを伝えると、彼女は大きく目を見開くのだった。
「それは……」
「ね? どう、リディアちゃん」
「そうだな……」
ふと、窓越しに空を見つめる。
変わった。いつまでも変わるはずのないと思っていた世界は、大きく変化してしまった。
ずっと魔術師として生きていくものだと思っていた。このまま魔術の真髄を極めて、その真理にたどり着けると思っていた。そうすれば、自分の人生に意味を見出せると思っていたから。
だが、リディアに必要なのはそんなものではなかった。
彼女に必要だったのは──
「分かった。前向き考えよう」
「うん。応援してるよ、リディアちゃん」
互いに微笑みを浮かべる。
きっと、そうなのだろう。
世界は移りゆく。そして人もまた、変わらずにはいられない。
リディアも進む時がやってきたのだ──。
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