第158話 乙女の戦い
「レイさん。おはようございます」
「おはようございます、レベッカ先輩。本日もありがとうございます」
「いえ。私なりのお礼なので」
早朝。
最近は時折こうして、レベッカ先輩と朝食を共にすることが多い。
俺が一学期に作った花壇の水やり当番は、レベッカ先輩と同じになることが多い。というよりも同じではない日はほとんどないのだが。
例の件を経て、レベッカ先輩は俺に対して何かお礼がしたい……ということで、当番の日にはこうして先輩手作りの朝食をいただくことになっている。
俺は別に構わない、と言ったのだが先輩がどうしても……と潤む瞳で懇願してくるので断ることはできなかった。
年下の女性と同様に、俺は女性の涙には弱いのだ。
「今日もいい天気ですね」
「はい。清々しい秋晴れです」
二人で花壇の植えられている花に水をやる。
秋。それもかなり深まってきている。
朝は微かに肌寒いほどだ。冬がもうすぐやってくるのは、間違いないだろう。
「では、朝食にしましょうか」
「いつもありがとうございます」
「いえいえ。私が勝手にしていることなので」
ニコリと微笑むその表情は、もう陰りなどはない。
むしろレベッカ先輩は最近はとても明るいし、何よりももっと綺麗になった気がする。
きっとあのことがよほどのストレスだったのだろう。
しかし、今はこうして笑ってくれるのだから俺としては本当に安心している。
「じゃーん! 今日はこの前の、レイさんのサイドイッチを参考にして、たまごサンドを作ってみました」
「おぉ! 美味しそうですね!」
バスケットから取り出すのは、たまごサンドだった。
まだ作り立てのようで、微かに温かさを感じる。それに、パンの表面もこんがりと焼かれていて、食欲をそそる。
わずかに見える色鮮やかなスクランブルエッグも、とてもいい感じだ。
「では、失礼して」
「はい。どうぞ」
パクリと一口。
サクっとするパンの表面、それにもちっとするパンそのもの、それに合わさる少しだけ塩気のあるスクランブルエッグ。
その全てが調和して、口内に広がるハーモニー。
間違いない。これは、美味いッ!
「ん! 美味しいですね!」
「……本当ですか?」
「えぇ! 自分が作ったものとは、比べ物になりません!」
「そ、それはちょっと言い過ぎというか……でもその、嬉しいです。ありがとうございます」
顔を俯かせてると、少しだけ赤くなっているレベッカ先輩。
そして俺たちは、この秋晴れの元でサンドイッチを楽しむ。
「そういえば、先輩」
「はい。何でしょうか?」
「体調のほうは、いかがでしょうか」
「そうですね。魔術はまだちょっとうまく使えないですけれど、そこまで支障はありません。数ヶ月もすれば、治ると聞きました」
「そうですか……よかったです」
先輩の一部の魔術領域は、俺が
俺のものは、それなりに良くなっているが先輩はまだ
まだ何が起こるか分からない為、先輩にはこうして時折、異変がないか聞くようにしている。
「レイさんのおかげで、延命できているとなると……本当に頭が上がりませんね」
「いえ。当然のことをしたまでです」
「……その」
「はい。何でしょうか?」
サンドイッチを食べ終わると、先輩はズイっと体をさらに寄せてくる。
近い。
というか、近すぎる。その柔らかい身体がピタリと触れる。
ほぼ俺の体に密着して、先輩はこう尋ねてきた。
「レイさんが私を助けてれたのは……その──」
その柔らかい部分を、敢えて意識しないようにしていると、遠くから大きな声が耳に入る。
「ちょっとーっ! 二人で何やってるのーっ!」
それは幾度となく聞いた、アメリアの声だった。
紅蓮の髪を靡かせながら、彼女は懸命にこちらに向かって走ってくる。
「……チッ」
隣で先輩が舌打ちをしたような気がしたので、改めてレベッカ先輩の方に顔を向ける。
「? どうかしましたか、レイさん」
「いえ……自分の気のせいのようです」
そうだ。
麗しくて、美しい先輩が舌打ちなどするわけがないじゃないか。
おそらく疲れているのだろう。
今回はそのように、納得することにした。
「はぁ……はぁ……はぁ……レベッカ先輩。何をしているのですか?」
「何って、レイさんとお食事ですけど?」
「それにしては距離が近いような……」
じっとアメリアはレベッカ先輩を睨み付ける。
何だ。
何なんだ。この邪険な雰囲気は。
しかし、この雰囲気には妙に覚えがある。
それと同時に、俺は師匠の言葉を思い出していた。
「いいか、レイ」
「はい。師匠」
「女の喧嘩には口出しをするな」
「……止めるのも、ダメなのですか?」
「そうだ」
「なんと……そうなのですか」
車椅子に座った師匠は、窓越しに空を見上げながらそう言った。
「女は大概、面倒な生き物だ。特に、喧嘩をしている最中は危険だ。その時は、沈黙して、その場の流れを見極めろ。最善なのは、その場から離脱することだ。適当な理由をつけてな」
「勉強になります」
「もし、その喧嘩に巻き込まれることがあれば……」
「あれば?」
「どちらの意見も肯定してはならない」
真剣な表情で、師匠は語る。それはいつになく、熱の入った言葉だった。まるで実体験から話をしているようだった。
「ど、どうしてなのですか?」
「どちからかに肩入れすれば、間違いなく暴発するからだ。そこは肉を切らせて骨を断つべきだ」
「つまり……?」
「曖昧に答えて、怒られておけ。それは致し方のない、犠牲だ。大人しく受け入れとけ」
「……なるほど。流石は師匠。よくご存じで」
「キャロルのやつが同じ感じだからな。さて、今日も訓練するか」
「はい!」
そのようなやりとりを過去にしたことを俺は思い出す。
師匠。あの時の助言は、この時の為だったのですね。
そんな風に感慨深いと考えながら、俺はアメリアとレベッカ先輩の口論を聞き流す。
俺は、石。いや、水。否、風である。
この風景に溶け込むことこそ、今なすべきことだろう。
そうして離脱のタイミングを伺っていると、俺の方にも話が飛んでくる。
「ねぇレイ! レイも迷惑してるよね!」
「レイさん。そんなことはありませんよね?」
選択。
ここは濁しておくべきなのが、最善。
流石は師匠の教えだ。
そして俺は、こう言葉にした。
「迷惑はしていません」
そういうと、レベッカ先輩がアメリアに対して勝ち誇ったような顔を見せる。一方のアメリアは、「ぐぬぬ……」と声に出して不満を露わにしている。
「しかし、先輩の貴重な朝の時間を奪っていると考えると、心苦しいのも事実です」
そして俺は、逆の意見も口にする。
今度はアメリアが勝ち誇った顔をして、レベッカ先輩が「ぐぬぬ……」と唸っている。
一体二人ともに、何が不満なのかいまいち理解できないが……うまく乗り切ることができたはずだ。
ありがとうございます。師匠。
「ふん! レベッカ先輩。今日はここまでにしてあげます」
「それはこちらのセリフですよ? ふふふ……」
視線が交差する。
アメリアは少し興奮しているようだが、レベッカ先輩は笑顔だった。
だがその笑顔は、今までに見たことがないような圧を放っていた。
ふと、自分の手を見つめる。
「……」
震えていた。俺は間違いなく、今のレベッカ先輩の笑顔に恐怖していた。
どうしてだ? この笑顔はいつものように美しいのに、どうして震えが止まらないんだ? この圧倒的な
「では、レイさん。本日はこれで失礼します」
「私もこれで。レイ、ちゃんと気をつけるのよ?」
そうして颯爽と去っていく二人。
その一方で、俺は未だに何かの恐怖に対して震えている……。
これはまた、師匠に相談しにいくべきだろう。
女性に対する謎は、さらに深まるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます