第146話 あの日の夜に
「おらあああああああッ!!」
「……」
屋上で戦闘を繰り広げる。
俺は両手に冰剣を握り、相手は素手でそれに対抗してくる。
微かな月明かりの元で戦う。
しかし今は、光に頼って戦闘はしていない。
すでに、現在は
「オラオラ、どうしたああああああッ!! あぁ!?」
「────ッ」
還元領域は、まずは【減速】で物質または現象を低下させ、そこから【固定】して一気に
完全に全ての物質と現象を還元する領域だ。
しかしそれは、全ての魔術に適用できるわけではない。
特にこの、
「……
ボソリと声を漏らす。
そう。俺の還元領域が通用しない理由。
それは、相手の
それは人間に対して薄い膜が覆うようにして存在するもので、上位の魔術師になれば、それを自由自在に操ることができる。
そもそも、
だが、あくまで還元できるのは、表層のみ。たとえ全力であっても、俺はおそらくこの
「こんなもんか!? 冰剣よぉおおおおおおおおおおッ!!」
シンプルな徒手格闘戦。
相手は情報通り、百戦錬磨なのは間違いない。
その練度は、所属していた部隊の中でも類を見ないほどだ。それこそ、師匠に匹敵するほどの技術。
さらに圧倒的なのは、この巨躯から繰り出される圧倒的な速度を兼ね備えた重量のある攻撃。
それに加えて、身体強化によるスピードは、すでに目では追いきれないほどになっている。
それに対抗するために、
「脆い、脆い、脆いぜええええええええッ!!」
すでに冰剣は両手だけではなく、空中にも展開してその全てを相手に向けている。しかしそれは、着弾する直前に破壊されてしまう。
三百六十度、その全てに死角がないような動き。
おそらく俺と同様に、視覚だけに頼って戦闘していないのは明白。
パラパラと舞う氷の欠けら。
それを媒介して、さらなる冰剣を生み出し続ける。現在は重要なのは、物量ではない。質だ。
改めて、冰剣の構成をコードで再定義する。
《
《
《
《エンボディメント=
「──
両手に持つ冰剣だけは、特にその強度を上げる。今までは、拳と脚に当たるたびに砕けていた冰剣。
だがついに、冰剣は砕けることなく相手の攻撃を弾く程度にはなってきていた。
「ハハハハハハ!! ここにきて、再調整できるのかよッ!! 流石だなぁッ!!」
相手の動きを見据える。
フェイントを織り交ぜながら、繰り出される拳。
その拳を防いだ瞬間には、右側から脚が飛んでくる。おそらく視界に頼っていれば、見えないであろう攻撃。
一撃一撃が、必殺であり、この境地にたどり着いている魔術師がいることに俺は恐怖する。
魔術を殺人の技術として高めた魔術師の頂点、とでもいうべきか。
極東戦役でもこの手の輩と戦ったことがあったが、ここまで質の高い魔術師に出会ったことは数回しかない。
それも、その時は全て師匠が相手をしていた。
俺はただ見た、という経験しかない。
だがそれでも……俺は相手の戦力を、彼女から聞いていた。
そして、思い出す。あの夜のことを。
◇
彼女とは、【虚構の魔術師】である──リーゼロッテ=エーデンだ。
俺は虚構と出会うのは初めてだった。
一方で、師匠、アビーさん、キャロルはあの夜、その姿を虚構に戻した彼女とは面識があったらしい。だが、三人ともにその表情は曇っていた。
まるで、出会いたくはない人間と出会ったしまったかのような。
そこで俺は、全てを聞いた。
今回の件は、【虚構の魔術師】が用意したシナリオだと。
そしてそれは、ブルーノ=ブラッドリィが彼女に依頼したことから始まったという。娘であるレベッカ先輩を救うために、彼は【虚構の魔術師】に依頼。
【虚構の魔術師】である彼女は、俺たちの動きも含めて、この舞台を用意したのだという。
「冰剣。君にしかできない仕事がある」
「……なんでしょうか」
その姿を、女性のものに変貌させたリーゼロッテ=エーデン。
そもそも、ベルンシュタイン氏は彼女が有している【
本物こそは、この王国の裏で【モルス】という名前で暗躍していると聞いた。
真っ黒なロングコートを羽織り、同じように漆黒のロングブーツを履き、マリアと同じかそれ以上に純白の肌。また腰まで伸びる、雪のように白い髪。
それを右手でサラリと流すと、彼女は立ち上がってコツコツと靴の音を鳴らしながら、俺の正面にやってくる。
身長はちょうど同じ程度。
そして、互いの視線が交差する。
「君には、レベッカ=ブラッドリィを
「……どういう意味でしょうか?」
怒りを込めて、俺は視線を向ける。だが、相手の中に悪意がないことをすぐにわかる。
ただ純粋に、その言葉通りに受け取るべきなのか……?
「夢を見ただろう? その中に、彼女がいたはずだ」
「……どうしてそれを?」
「私の研究テーマでもあるからね。私の専攻は、意識。厳密に言えば、クオリア。ま、そんなことはいいさ。そうだね、ここから先は彼に説明してもらおうかな」
彼女は視線を、ブルーノ氏に向けた。
すると彼もまた立ち上がり、俺の方へと向かってきた。
「レイ=ホワイトくん。久しぶりだね」
「はい」
その顔はやつれていた。心労かもしれないが、夏に会った時とは印象がかなり違う。
伸びきった無精髭に、頬は
「……ブラッドリィ家には、ある伝統がある」
彼は淡々と、話を始めた。
「それは?」
「何百年かに一人、特別な人間が生まれる。その人間は、一見すれば魔眼を有しているように思える」
「ように……とは?」
言外の意味があるのは、間違いなかった。
「しかし、実際はそうではない。魔眼は二次的なものに過ぎない。その根幹にあるのは、
「なるほど……そういうことでしたか」
俯く。
そして、師匠たちの方へと視線を向ける。
俺は極東戦役の最終戦において、自分のルーツを知った。それが今こうして、レベッカ先輩と繋がっているとは……なんという、因果なのだろうか。
そう思わざるを得ない。
まるでこれは、運命の悪戯だ。
「
「……」
分かっている。
分かっているとも。
その話を聞いて、俺はこのシナリオの全てを知ってしまった。
どうして虚構の魔術師が、俺に依頼をするのか。
そしてその依頼内容は何なのか……理解してしまった。
「
「……人為的に
背筋を伸ばし、じっとブルーノ氏を見つめる。
確かに彼は、その疲れが顔に出ている。だがその瞳には、まだ確かな力が残っていた。レベッカ先輩のことを、本当に案じているようだ。
「……そうだ。そのために、レベッカは辛い思いをしている。そしてそれは、今もなお続いている……」
「なるほど……
俺が続きを話そうとすると、虚構が会話に加わる。
「──感情の暴走、だね。エヴァンとして、私はレベッカ嬢を追い込み続けた。そして仕上げは、冰剣。君に任せたい」
視線を向ける。それは怒りを込めた視線。
そんなこと、レベッカ先輩にするなど……俺は理解はできても、感情はやはり拒んでしまう。
「……あなたは心が痛まないのか。レベッカ先輩に、そんな仕打ちをして……」
「冰剣、勘違いをしないで欲しい。私は依頼されて、最善を尽くしている。心が痛いかどうか、と問われれば痛くはない。私の共感性は著しく低い。他人がどうなろうが、どうでもいい。サイコパシーが高いの否定しない。だが、楽しんではいないさ。だから最後は、君に任せるんだ。これは私からの譲歩だ」
「……」
「君が引導を渡すといい」
虚構の魔術師である彼女はただ冷静にそう告げると、話は終わったと言わんばかりに、席に戻っていく。
一方で隣にいたブルーノ氏は俺に対して、頭を下げた。いやそれはもう、土下座だった。地面に頭をつけて、懇願した。
「……私の代で、
その様子を、俺を含めて全員が見つめる。
すると師匠が隣にやって来たが……その表情は、怒りに満ちていた。
「おい。
顔を上げる。
ブルーノ氏は目を逸らしつつ、最後には師匠の目をじっと見据える。
俺はこれが演技だとは思えなかった。
ただ娘のために、最善を尽くしている父親の姿なのだと思う。
「……もちろんだ」
「そうか。分かっていて、レイにそれを押し付けるのか」
「……そうだ」
覚悟は決まっている。
そんな表情をブルーノ氏はしていた。
そうか。俺のことも、少しは把握しているようみたいだな。
「師匠。ご心配いただきありがとうございます」
「レイ。しかし……」
「もう俺は、あの時の自分ではありません。それにきっとここで、レベッカ先輩を諦めてしまえば、俺は前に進むことはできません。やります。俺はレベッカ先輩を助けたい」
「……レイ。お前は──いや、もう何も言うまい」
そして次に、アビーさんがやってくると俺を優しく包み込んでくれる。
「レイ」
「はい」
「お前はもう、自分の意志で進めるんだな」
「はい」
「じゃあ、頑張ってこい」
そっとその体を話すと、目の前には泣きそうなキャロルがいた。
そして、次の瞬間。
ポロポロと涙を零し始める。
俺はそんな彼女を、優しく抱きしめた。
「レイちゃん……」
「大丈夫だよ、キャロル。俺はちゃんと戻ってくるから」
「でも……! あの時みたいになったら……ッ!」
キャロルは極東戦役の最終戦のことを言っているのだろう。
だが、大丈夫だ。
俺はもう、あの時のように未熟ではない。
しっかりと、仲間と共に成長してきたのだから。
だからきっと……成し遂げることが、できるはずだ。
「さて、と。では詳しい話をしようか。相手の情報も教えよう。それと、それぞれの役割もね」
こうして俺たちは、【虚構の魔術師】の元で作戦を練ることになる……これがあの夜の出来事。
改めて俺は誓う。
絶対にここで、終わらせるのだと。
レベッカ先輩のためにも──。
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