第139話 文化祭、最終日
朝だ。
いつものように、朝がやってきた。
いつもはこの朝日に包まれる時間が好きだった。だと言うのに、今日は全く心が踊らない。
「……もう、朝か」
カーテン越しに、外の光を見つめる。眩い光が、わずかに室内に差し込む。
この輝かしい光が、今日はどこか燻んで見える。それは別に、身体に異常があるわけではない。
ただ俺の心が、そう感じることができないだけだ。
文化祭、最終日。
みんなとの文化祭も、これで最後の日だ。また来年、文化祭は行われる。だがこの瞬間に行う文化祭はこれで最後なのだ。だから、俺は心から楽しみたいと……昨日のあの瞬間までは思っていた。
「……」
ベッドから出ていき、朝の準備を開始する。今日はメイド喫茶で午前中はキッチンに入り、午後からはリリィーとして活動する。
文化祭最後の夜である今日は、後夜祭が待っている。
全ての準備は万端。生徒会の手伝いの運営も、俺はしっかりとやるつもりだ。
「ふぅ……」
鏡に映る自分の姿を見る。
そこにはいつも通りの、俺の姿が写っている。
そっと鏡に手を当てる。
俺は、俺たちは真実を知った。その全てを知ってしまった。
心を殺すのは慣れている。自分を殺し、我慢することは慣れ切っている。
だが、やはりどうしても……感情というものが残ってしまう。
自分を押さえつけることはできても、その感情が反発する。
「どうして俺はまた……」
こんな選択しかできないのだろうか。
俺は上手くやれるのか。
俺はしっかりとできるのか。
俺は、レベッカ先輩を
それは使命。今回の件で俺に課された使命だ。
先輩を助けたいと、そう願っていた。だが、状況は俺が考えているよりも、遥か上をいくものだった。
ブルーノ=ブラッドリィ。
エヴァン=ベルンシュタイン。
その二人と話をすることで、俺は自分の役割を知った。
先輩を助けるためにも、俺は……自分の使命を果たす。それだけだ。
「レイ、どうした? ボーッとしてよ」
じっと鏡に映る自分を見つめていると、エヴィが怪訝そうな表情をしていた。
「いや。何でもない。エヴィ、最終日だ。頑張っていこう」
「おう! もちろんだぜ!」
そして、ついに文化祭最終日が幕を上げた。
◇
「ククク……今日こそ、絶対にやってやるわ」
教室内で不適に微笑む一人の少女。
今日もいつものように、金色の髪を左右の高い位置でまとめている。しかしそれはどこか、いつもよりもキマッている感じだ。
金髪ツインテールがトレードマークであるクラリスは、今日のこの日を心待ちにしていたのだ。
「ねぇエリサ」
「どうしたのクラリスちゃん」
これはクラリスが、エリサを自分のクラスに誘ったときの話である。
「うちのクラスはね。お化け屋敷をやるの」
「えっと……その、私はお化けとか怖いけど……いいと思うよ? うん」
「すっごい、いい出来なの」
「う、うん……」
エリサは、鬼気迫る表情で話しかけてくるクラリスが怖かった。いつもと違って、ぐいぐいとくるので流石のエリサも戸惑っている。
「だからね、エリサにも楽しんで欲しいなぁって」
「え、でも……そのやっぱり怖いし……」
「大丈夫よ。エリサ」
「え、あんまり怖くないの?」
「レイを連れてきてもいいから」
「レイくんと?」
ポカンとするエリサ。
しかしこれは、クラリスの作戦。すでに、レイに話はつけてあるのだ。エリサと一緒に、最終日にお化け屋敷に来て欲しいと。
本当は、いつものメンバーで来て欲しかったが、シフトの関係でレイにしか頼むことができなかったのだ。
と言っても、レイもかなり多忙なのだがクラリスの頼みを無碍に断る彼ではない。すぐに了承した。
「うん。レイと一緒なら、怖くないでしょ? 私はね、エリサ」
ギュッとエリサの両手を包み込む、クラリス。
そして聖母のような、慈愛に満ちた表情を浮かべる。
「あなたにクラスの出し物を楽しんで欲しいの。だって私たちは、友達でしょう?」
「クラリスちゃん……」
瞳が潤むエリサ。だがそれは、大女優クラリスの演技である。
全てはエリサへの復讐を果たすための。
──ククク……これでやっと復讐が果たせるわっ! ククク……。
そしてついにやってきたこの日。
エリサとレイは休憩時間を使って、クラリスの教室にやってきた。
二人とも、すでに噂では聞いている。
このクラスのお化け屋敷はレベルが違う、と。
例年、お化け屋敷はよくある出し物なのだが、クラリスたちは魔術をメインで構成し、その雰囲気をかなり高めている。
青い火の玉や、動く骸骨、口裂け女、などなどあらゆるギミックの全てが高水準。
ここもまた、レイたちのクラスに匹敵するほどの客入りを果たしている。
その客足は、最終日でも衰えることはない。
「エリサ。大丈夫だろうか?」
「う……うんっ! 何とかっ!」
行列に並んでいる二人。エリサはもうすでに怖がっているようで、レイの制服の端をギュッと掴んでいる。脚も微かに震えて、怯えているのがよく分かる。
レイは、クラリスの野望を知っている。それに全面的に協力するわけではないが、エリサとクラリスが楽しむことができればそれでいいと思っている。
しかし、エリサは楽しみよりも恐怖が優っている気がする。
これは流石に、無理ではないか……と思って、レイはエリサに声をかける。
「エリサ。怖いなら、あまり無理をしなくても」
「だ、大丈夫だよっ! 怖いけど……でもやっぱり、クラリスちゃんが頑張ってるんだもん! それに、楽しんで欲しいって言われたから! が、頑張るよ!」
グッと大きな胸の前で拳を握って、大丈夫というアピールをするエリサ。
レイはそれを見て、微かに笑みを浮かべる。
「そうか。俺が側にいる。だから、安心して欲しい」
「あ、ありがと……」
俯いて顔を赤らめるエリサ。
そんな様子を、クラリスは教室の中からチラッと覗き見ていた。
「ククク……来たわね、エリサ。心底怖がらせてあげるわ……ククク……」
と、一人で不適に笑っていると、クラスメイトに話しかけられるクラリス。
「その……クリーヴランドさん? 大丈夫?」
「あ、うん。だ、大丈夫よっ! ちゃんと今日も頑張るからっ!」
「うん。よろしくね」
そしてレイとエリサの番がやってきた。
レイはいつものように毅然としているが、エリサはレイの腕にべったりとくっついている。いつもならば、エリサはきっと恥ずかしさの方が勝るが……今は恐怖心でそれどころではなかった。
「では、お二人ですね」
「あぁ。二人でよろしく頼む」
「それでは、お楽しみくださ〜いっ!」
受付を済ませて、二人は教室内へと入っていく。
すると、中に広がるのは墓地だった。温度も低く、肌は冷たさをしっかりと感じるほどだ。魔術で再現されているのは理解しているが、それでもこの空間は現実と相違がないほどに、質が高いものだった。
──なるほど。どうやら、幻術系の魔術が得意な魔術師がいるのか。キャロルが得意そうなものに似ているな。それに、質も高い。すごいな……。
と、このクラスの出し物に感心して、冷静に分析しているレイだが……一方のエリサは、もうカップルと言われても疑問を持たないほどにレイにべったりとくっついていた。
豊満な胸をギュッと押し付けて、ブルブルと震えながら歩みを進める。
レイとしては、少しは思うところはあるのだが……今回は何も言わなかった。エリサが恐怖心で一杯なのは分かっているからだ。
「う……うぅ……すごいリアルだよぉ……」
「大丈夫だ。しっかりと俺に掴まっていろ」
「う……うん……」
本来ならば、顔を赤らめるところではあるが、エリサの顔は真っ青になっていた。
「あ……誰か倒れてる。大丈夫かな?」
「む。急患だろうか。すぐに手当てを」
二人は腹部を抑えて蹲っている人間を発見。レイとエリサは心配になり、声をかける。
「あの。大丈夫ですか? どこか具合が悪いんですか?」
エリサがそう話しかけると、その女性は振り返った。すると、そこには……血で塗れ、顔の右側が白骨化した顔が映っていたのだ。
「あぁ……すみません。右目、落としてしまって。どこにいったか知りませんか?」
「申し訳ない。あなたの右目は見ていないな」
「そうですか……それでは、私はこれで……ククク……」
不適な声を漏らしながら去っていく、人をレイは見送る。
──今のはクラリスだな。化粧といい、声色といい、よくできている。クラリスは演技が上手いようだな。
レイがそう考えている一方で、エリサは……。
「エリサ?」
「──」
「大丈夫か?」
「────」
完全にフリーズしていた。あまりにも驚き過ぎて、叫ぶ余裕すらなかったのだ。
この時のエリサの表情を見た、クラリスはそれはもう……大満足な顔をしていた。
その後、意識を取り戻したエリサは度重なる恐怖にずっと足が震えていた。
ペロンと首筋にこんにゃくが触れた時は、それもう大きな悲鳴を上げた。
「きゃ──────────────っ!」
「う、うわああああああああああっ!」
「ひ、ヒィいいいいいいいいいいいいっ!」
「え。あれって、ううわあああああああああああああん!」
その度にレイはエリサのことをしっかりと支えていた。そして度重なる、恐怖を乗り越えて……エリサは教室の外へと出てくる。
レイはしっかりと背筋を伸ばして、キビキビと歩いているが……エリサは背中を丸めてまるで老婆のようにとぼとぼと歩いていた。
「お疲れ様でした〜! またのご利用をお待ちしておりま〜すっ!」
と、教室内から満足そうなクラリスの声が聞こえてきた。
そして珍しく、エリサは怒声を上げた。
「もう二度と来ないよっ! もうっ!」
クラリスの作戦は無事に成功。
エリサはそれはもう、怖がりに怖がった。
だがレイは知っていた。
クラリスは、エリサを楽しませようとしていたことを。
驚かせる時に、クラリスの影がずっとエリサのことを追っていた。
それに、前評判と聞いていたよりも、驚かす程度が下がっていることをレイは分かっていた。
エリサが楽しめる範囲で、お化け屋敷を運営していたのだ。
それはきっと、クラリスなりの贈り物なのかもしれない。
レイはそんなクラリス、そして隣で憤慨しているエリサを見て、改めてこの学院のささやかな日常を享受するのだった。
「もうっ! 絶対に後でクラリスちゃんに文句言うんだからっ!」
「ははは……ほどほどにな」
窓越しに、空を見つめる。
今日もいい天気。澄み渡っている、美しい青空だ。
しかし、ささやかな時は……もう終わりを迎えようとしていた。
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