第134話 私の心はどこに


 文化祭二日目がやってきた。


 初日は何の問題も起きることはなく、無事に終了。


 しかし二日目は、フィジークコンテストにミスコンが控えている。それは午後から講堂で行われる予定だが、すでに客の入り具合は昨日よりも多い。


 エヴィはフィジークに出るために今日は午前中から筋肉の調整に入っているらしい。「打倒、部長だぜ!」と豪語していたのだが……果たして、あの圧倒的な巨躯を有する部長に勝てるかどうか。


 一方で俺は、昨日と同じように午前中はキッチンで調理をしている。


 アメリアの予想通り噂が噂を呼んだのか、明らかに昨日よりも客の入りが多い。午前中だと言うのに、この数は少し予想外だ。


「レイ。オムライス三つね!」

「了解したっ!」


 アメリアから注文が入り、俺は手際良くオムライスを準備する。すでにかなり慣れてきたようで、あっという間に準備をしてオムライスを三つ渡す。


 今は俺とアルバート、それに二人の男子生徒を加えて四人で回している。この人数でも割と余裕がないので、今の状況は本当にかなり大変だ。


 果たして、俺がリリィーとして出ていく時にはどうなっているのだろうか。


 そして時刻が十一時二十分になったところで、俺は昨日と同じ教室に向かい、女装をする準備を始めた。


 教室から出て行き、颯爽と走っていくと……ちょうどばったりとレベッカ先輩と出会う。


「あ……レイさん。どうも」

「レベッカ先輩。おはようございます。見回りの最中ですか?」

「は、はい……そうですね」


 歯切れが悪い。俺の顔を見た瞬間、スッと視線を逸らしたのは見間違いではないだろう。


 その瞬間、俺は思い出していた。


 今朝、見た夢のことを。


 しかし、いや……まさか、そんなことがあるわけがない。


 云うならば意識の共有。そんな現象は現代魔術では確認されていない。師匠にも、そんな話は聞いていない。


 だがどうして、先輩はそんな態度をするのか……。


 そう思って俺は尋ねようとしてみるが──


「で、では私はこれで失礼しますね」


 ペコリと頭を下げると、颯爽と先輩はこの場から逃げるように去っていく。


 その後ろ姿を俺は、ただ呆然と見送るしかなかった。


 俺もまた、触れていい話題なのか最後まで分からなかったからだ。



 ◇



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 逃げる。


 できるだけ、レイさんから離れようとして私はその場から駆け出していた。


 彼の顔を見た瞬間に、思い出してしまった。


 朝方見た、夢のことを。


 でもそれは、夢と云うにはあまりにも生々しいものだった。


 葬儀。あまりにも大きな悲しみに包まれたそれは、その場の雰囲気だけで感じ取れた。


 レイさんはまだ幼く、その中にはキャロライン先生や学院長もいた。それに一人だけ、よく目立つ綺麗な金色の髪に碧色あおいろの綺麗な瞳をした女性が、レイさんと話していた。


 土砂降りだった。


 曇天。そして、降り注ぐ雨。


 冷たさは感じなかった。その時、私はこれが夢だと理解した。


 明晰夢めいせきむ……というものかもしれない。


 そして、その葬儀を遠くから見守っていた。


 レイさんはまだ幼い。身長も今の半分くらい。


 そんな彼は今とは違って、陰鬱な雰囲気を纏っていた。その双眸には闇しか映っていないような姿。私の知る彼とは、大きくかけ離れていた。


 それと同時に私は思い出していた。


 今まで見てきた夢の数々を。


 彼は戦場で戦い続けていた。最前線で、仲間と共に、戦場を駆け抜けていた。相手の血に塗れ、自分の血に塗れ、悲鳴と怒号の支配する凄惨な戦場で戦っていた。


 極東戦役だと分かったのは、その夢を見てしばらく後だった。


 でもどうして、私はこんな夢を見るのか。それが不思議でたまらなかった。


 だってそれは、夢にしてはあまりにも現実味を帯びていたから。


 私は思ってしまう。これが、レイさんの過去なのだとしたら、彼の今の言動も理解できてしまうと。彼の全ての行動に辻褄が合うと。



「レベッカ先輩。これからよろしく願いします」



 頭を下げる彼を見て、初めは丁寧な人なんだと思った。


 でも、どこか毅然としていて硬い雰囲気というか……そうだ。


 彼は知り合いの軍人の方に似ている。


 その時は、そう感じ取った。父の付き合いで、軍の方が家に来ることは何度かあった。その時に話した人の雰囲気と、酷似しているのだ。


 でもそんなわけがない。


 彼はまだ、一年生だ。ということは、それよりも前に軍にいたなどありえない。


 この夢を見る時まではずっとそう思っていた。


 そして、今朝見た夢でそれは確信に至った。



「レイさん……?」



 思わず声をかけてしまった。すると彼の姿は幼いものではなく、今と同じものへと瞬く間に変わる。


「レベッカ、先輩? どうしてここに? いやこれは夢……なはずだ」

「レイさん。あなたは……一体何者なのですか?」

「……」


 尋ねる。


 彼の出自が一般人オーディナリーの家庭ということは知っている。けれど、それだけではない。レイさんには、何か秘密があるのだと分かった。



「先輩。俺は──」



 言葉を続ける。


 雨に打たれながら、私たちは互いの視線を交差させる。


 そこから先、なんて言ったのか聞こえることはなかった。


 悲しそうに、そして淡々と口を動かすレイさんの姿を心に焼き付けながら、私は目を覚ましたのだ。




「はぁ……はぁ……どうして逃げたんだろ」


 ボソリと呟く。


 先ほどばったりと出会ったレイさんから逃げ出してしまった。それはやはり、彼の過去があの夢と同じだと思ってしまうからだろう。


 極東戦役を最前線で経験し、そしてあの金髪の麗しい女性に出会い、彼は成長していった。人として、魔術師として、大きく育っていく。


 ふと思い出すと、あの女性はどこかで会ったことがあるような気がする……そう思いながら歩いていると、私はちょうど曲がり角で人とぶつかりそうになる。


 ボーッと考え事をしていたせいだ。


 すぐに頭を下げる。


「申し訳ありませんっ! その、私の不注意でして……」

「いや構わないさ。こちらには何も被害はないからな」

「あ……」

「どうした? ん……もしかして、レベッカ=ブラッドリィか?」


 きっとこれは運命の悪戯だ。


 だって目の前にいるのは、その夢の中で見た女性その人だったから。


 いや、この人のことは貴族のパーティー、それに魔術協会のパーティーで何度か見たことがある。


 稀代の天才魔術師。リディア=エインズワース。


 研究者としての実績も尋常ではないが、彼女は確か……【冰剣の魔術師】だったはずだ。


 つまり、そんな彼女の元で育ったレイさんは……彼女の子ども? いやそれにしては、年が近い。それに、彼は一般人オーディナリーだ。辻褄が合わない。


 脳内で、様々な考えが巡る。


「大丈夫か? 顔色が悪そうだが……」

「あ、いえ。その……申し訳ありません。えっと、お話しするのは初めてですが、リディア=エインズワース様ですよね」

「その通りだ。それにしても、大きくなったな。私が見た時は、まだもう少し幼かったが」


 硬い口調だが、優しい声音で話す。


 しかし、過去と違うところが一点だけある。


 それは、彼女が車椅子に座っているということだ。


 悟る。


 レイさんの記憶の、あの戦いの最後を……私は知っているのだから。


 全ての疑問が、夢で知った断片的な記憶が繋がる。それと同時に、私のある考えは有機的な意味を有する。


 そして、私は好奇心でつい、尋ねてしまった──。




「レイさんは……極東戦役で戦っていたのですか?」




 そう言った瞬間、彼女の表情が強張り、鋭い目つきに変化する。


「レイに聞いたのか?」

「いえ……」

「では、どうして知っている?」


 それは恐怖と呼ぶべき感情だ。私はその雰囲気の変貌に、足が震えていた。


 怖い。怖いけれど、合っていたのだ。


 私が夢で見て、彼が駆け抜けていた戦場は、本物。


 レイさんは……あの極東戦役を本当に経験していたのだ。あらゆる悲しみを、悲劇を背負って彼は……この学院にやってきた。


 私はついに、知ってしまった。


「ゆ、夢で……見たのです。レイさんが戦場を駆け抜け、そしていつも隣にはあなたがいました」

「続けろ」

「そ、それで……最後にレイさんが、魔術領域暴走オーバーヒートを引き起こしました。そこから先は、知りません。でも! 夢で見たのですっ!」



 信じて欲しい。そう思って私は語りかけてしまった。


 本当はこんなことをすべきではないと、分かっているのに。私は求めてしまった。


 レイさんの本当の姿が、知りたいと。


 彼のことを理解したいと、なぜか思ってしまった。




「夢……意識の混濁か? それにしては的確すぎる……何か魔術的な要因が絡んでいる? まさかあの件と……そうか。いや、そう考えれば話はつながる。なるほど……これは思ったよりも根が深い話のようだ……」


 独り言をぶつぶつと言っているが、私にはその内容が意味するところはわからない。


「レベッカ=ブラッドリィ」

「は……はい」

「この文化祭が終了した後、私の家に来い」

「えっとその……」

「詳しくはレイに伝えておこう」

「は、はい」

「では失礼する。それと、くれぐれもその夢の話。他の誰にも言うなよ。絶対にだ」

「……わ、分かりました」


 彼女は一人で車椅子を押していくと、私の視界から消え去ってしまう。


 私は、壁に体を預けてズルズルとその場に座り込む。


 呆然と、天を仰ぐ。


 一体私は、そして彼は、何者なんだろう……。



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