第88話 キャロルの日常
「んにゃ!」
奇妙な声を上げて、起床するキャロル。
どちらかと言えば朝型なので、起床するのが億劫だと思ったことはない。だが彼女の場合は普通の人間よりも早起きしなければならない理由がある。
「ふんふんふ〜ん☆」
現在は朝の六時。
キャロルは起きた後は絶対にシャワーを浴びる。その後、彼女に待ち受けているのはメイクとヘアセットの時間だ。それは両方ともに合わせて、一時間は超えてくる。
それをほぼ毎日続けるキャロルだが、美とは我慢も必要だと理解している彼女は、その儀式とも呼ぶべき行動を毎日行う。
全ては、美しい自分であるために。
鏡を見て入念に自分の顔を確認する。下地を作ってから、その上にまるでキャンバスに絵の具をのせていくように化粧を重ねていく。
レイと出会う前は濃い化粧がふつうだったのだが、最近は割と抑えめである。路線としては可愛さも取り入れつつの清楚系。キャロルはレイの言動からそれがいいと判断したのだ。
別にそれは、彼が清楚系の女性が好きと言ったわけでは無いが……。
「レイちゃん、気に入ってくれるかな……」
それは心機一転したいという気持ちもあった。
今までは、
でもそれは、不安の裏返しだった。
本気でアプローチをかけて、拒否されてしまったらどうしよう。
そんな思考が、キャロルの誠実な行動を妨げていた。
ずっと負い目があった。極東戦役の最後の戦い。そこで、自分が作戦を失敗させてしまったから、レイは今も魔術師として不自由な生活を送っている。
本当は彼は、もっと羨望を浴びるべき存在だと言うのに。
キャロルもまた認めていた。レイこそが現在の世界では、最高峰の魔術師であると。
そんな彼を苦しめているのは、他でも無い自分自身であると……キャロルはそう考えていた。
「うん! こんなものかな☆」
そして、キャロルは一時間以上の時間を費やしてレイとのデートに備える。既に今日の服装も決めており、それに袖を通す。
後は、覚悟を決めて進むだけだ。
今日こそは、罪滅ぼしの意味も込めて彼の
それはなんと形容すべきなのか。
強いて言うとすれば、それは母性と呼ぶべきものなのかもしれない。
キャロルは昔からレイのことが愛おしかった。
壮絶な過去を持ち、誰も信じることができない空虚な姿をしていた時からレイを知っているキャロルからすれば、今のレイはとても魅力的だった。
だからこそ、絶対にその
キャロルはそう考えていた。
「ふふっ☆」
今日のレイはどんな姿なのだろうか。
──あぁ、早くレイちゃんに会いたいなぁ。
そんなことを考えながら、キャロルは家を出ていくのだった。
◇
待ち合わせ場所にいたレイ。
その佇まいは、昔と違ってもう大人そのものだった。シャツにパンツとシンプルなスタイルだが、それが逆によく似合っていた。
キャロルは絶対に、彼は将来はカッコよくなると、良い男になると確信していたが、まさかここまでとは思っていなかった。
服装もそうだが、髪の毛もいつもとは違ってセットをしているようで前髪がわずかに上がって爽やかな印象だった。
それが全て自分のためにしているのだとわかると、胸がきゅうと締め付けられるような感覚に陥る。
そんな彼の様子に胸を打たれながら、キャロルはいつものように話しかける。
そしてレイはどこか太々しい感じだが、じっとキャロルのことを見つめてこう口にした。
「その……」
「え? どうかしたの、レイちゃん」
「いや……よく似合っている、と思う」
「レイちゃん……」
──レイちゃんが褒めてくれた! 嬉しいっ! とっても嬉しいっ!
キャロルはレイに嫌われているとまではいかないまでも、距離を置かれているのは知っている。それは過去に暴走したせいなのだが、今日は真剣に向かい合ってくれている。
もうそれだけで、キャロルの心は十分に満たされていた。
そして彼女は、思い切りレイに抱きつく。その豊満な胸を押し付けることに躊躇などせず、ただただ愛おしい彼を抱きしめる。
「うお!!?」
「もう、大好き〜☆ レイちゃ〜ん、嬉しいよぉ〜☆ ありがとー! 頑張ってオシャレしてきてよかったぁ……っ!!」
「は、離れろっ!」
「もう! 師弟揃ってツンデレさんなんだからっ!」
その後、キャロルは自分の内心をレイに打ち明けた。
今日は元々、これが本題だった。
彼女には負い目があった。
極東戦役での最終戦。
そこで自分が立案した作戦が失敗してしまった。だが、誰もキャロルを責めることはなかった。アレはたとえ誰であっても、予想できない自体だったのだから。
それでも、多くの仲間……それに、リディアとレイに大きな傷跡が残ってしまった事実は残り続けている。
リディアに対しては昔馴染みということもあって、すぐに謝ることができた。といっても、病院でリディアに謝ると「は? 思い上がるなよキャロル。これは私の失態だ。お前のせいなどではない、決してな。この傷は私が未熟だったから受けたものだ」と、彼女は口にした。
リディアはそう言ってくれた。
でもレイにだけは、会う勇気を持つことができなかった。
まだ幼い彼を、あんな風にしてしまった一因は自分にもある。
そんな罪悪感から、三年。
キャロルはやっと、レイに向き合うことができたのである。
「キャロル。あれは俺の責任だ。俺が未熟だったから、
「うぅ……レイちゃんは優しいね。ずっと、そうだった……」
「キャロル。俺もお前も多くのものを失った。でも今はこうして生きている。俺はそれだけ十分だ」
「うん……うん……そうだね。ありがとう、レイちゃん」
自分の罪を、その想いを告白するとレイはそう言った。
そうだ。ずっとそうだった。
この師弟は本当によく似ている。その在り方が、美しい人としての在り方が似ているのだ。
そしてキャロルは、レイが別の意味でも受け入れてくれたのだと勘違いして次の行動に出ることにした。
「いっぱい買い物したね〜☆」
「そうだな。でも、存外悪くはなかった」
「……本当に?」
少しだけ不安そうに尋ねるキャロル。
今は荷物は全てレイが持ってくれているのだが、それは彼がそうすると言ったからだ。買い物をしている最中は、二人で他愛のない話に花を咲かせていた。
それはまるで長年の親友のように。
レイとキャロルは、実は話が合う方である。
いつもおかしな言動をとってしまうが、それは照れ隠しの側面もあった。
しかし今日は、彼が受け入れてくれたと思っているので、レイに対して普通に向き合うことができていた。
そんな矢先に、その言葉を聞けてキャロルは胸がいっぱいだった。
そしてギュッと自分の胸を押さえると、キャロルは言葉を紡ぐ。まるで、何かを確かめるようにして。
「レイちゃんは、さ。その私のこと……苦手、だよね?」
「……まぁそうだな。いや、そうだったと言うべきか。だが、今はそうでもないかもしれない。実際に今日一日を一緒に過ごしてみて、悪くなかった。むしろ俺も楽しませてもらった。ありがとう、キャロル」
「レイちゃん……」
脳裏に
これは間違い無くイケる。いや、むしろここで行かずにいつ行くのか。
レイの誠実な言動は、確実にキャロルを悪い方向へと導いていた。
彼はリディアの教育によって、誰であっても誠心誠意に向き合うことができる。それは女性だけでなく、男性であっても。
それが今回ばかりは裏目に出てしまう。
もう止まることができないキャロルは、彼をさりげなく誘導していく。
「ねぇ、レイちゃん……」
二人がいま歩いているのは、ホテル街。だがここは、ただのホテルが並んでいる場所ではない。周囲の街灯はどこか怪しいピンク色をしたもので、妖艶な雰囲気を醸し出している。
なぜこんなところにいるのか。
それはキャロルが自然とこの場所にレイを導いたからだ。
そのことに気がつかなかったレイは、ハッと悟るが……すでに時は遅かった。
「は!? いつの間にこんなところに!?」
「ねぇ……今日はいいんだよね? ね、レイちゃん……?」
「な、なんの話だ?」
互いの距離をじりじりと詰める。
レイは後方に逃げるように下がっていくが、キャロルは逆に壁に追い詰めるようにして迫っていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
完全に興奮している。呼吸は荒くなり、胸の高まりが収まることはない。レイとやっと結ばれるのだと考えると、いても立ってもいられなくなってしまうキャロル。
そして壁にバンと手を当て、レイを追い詰めるとキャロルは勢い余って
レイは自分の言動を振り返って、勘違いさせてしまったのだと理解するも……全てはもう遅かった。
「ちょ!? キャロルお前っ!」
「──
「う、うわあああああああああああ!!」
躊躇なく、キャロルは
その後、キャロルはリディアに邪魔されることで、レイとの情事に失敗してしまうのだが……彼女は満足だった。
あのレイと再び、言葉を交わせるだけでもキャロルは嬉しかったのだから。
──ねぇレイちゃん。今日は一緒にお出かけできて、とっても楽しかったよ。やっと自然に笑うことができるようになったんだね。私は嬉しいよ、レイちゃんが元気で楽しそうに生きているだけで……。でもいつか、その
アビーに気絶させられる前に、キャロルはそんなことを思った。
そんなキャロルの日常もまた、まだまだ波乱万丈なものになりそうだ。
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