第63話 何度だって立ち上がる
「……」
控え室。
アルバートはそこで心を落ち着けていた。
ただ一人、人工的な光に照らされながら彼はじっと椅子に座っていた。ここ数試合はずっと同じことを繰り返している。いや、この
思えば彼はここまで自分と向き合ったことはなかった。
今まではただ、この血統にさえ従えばよかった。周囲にもその才能を認められ、家族や友人にもその才能を賞賛される。
その環境で彼は思った。
魔術師の世界は、この才能こそが、この血統こそが、全てなのだと。
そう幼い頃に理解した。
だからこそ世界最高峰の魔術学院であるアーノルド魔術学院に入学するのは当然だし、その学院での才能を発揮するのは当然だと……そう、思っていた。
しかし彼は知った。いや、知ってしまった。この世界には血統だけでは、才能だけでは説明できない領域があるのだと。
レイ=ホワイト。
アーノルド魔術学院に入学してきた、初めての
しかし、レイは当代の『冰剣の魔術師』であった。
彼が一生かけても届き得ないと考えていた、七大魔術師の地位に同じ年齢でたどり着いている。その事実を知って……アルバートは心が折れそうになった。
──俺の、俺の才能はなんだったのか……。
そう問い始めて、彼は……迷いながらも立ち上がることにした。
自分の立ち位置は理解した。才能に驕り、血統に溺れていた、ただの愚者であったと。
そう理解したからこそ、アルバートは進むことにした。
そこから先は、今までの友人との関係を断ち切り、ただ孤独に自分と向かい合った。
短期期間ではあるがゼロからまた始めようと、そう考えて進んできた。その途中で、エヴィやレイは力を貸してくれた。
以前はあれほど彼は最低なことをしたと言うのに、二人は進んで協力してくれた。
アルバートは、自分とは違いどれほど器の大きい人間なのだろうと……そう思わざるを得なかった。
そうして紆余曲折を経て、ついに
おそらく以前の彼だったならば、すでに敗北しているだろう。
この世界は全て才能で決まっていると思い込んでいたアルバートならば、ここまで泥臭い努力などしてこなかったのだから。
「……アルバート、いるか?」
「あぁ。レイか……と言うことは」
「そうだ。時間だ」
「分かった」
運営委員として活動しているレイがアルバートを呼びにやってくる。そしてアルバートは椅子から立ち上がると、腰に差している剣を改めて確認して、胸に固定する薔薇も入念に確認する。
「健闘を祈る」
「あぁ。では、行ってくる」
それ以上の言葉はいらなかった。
そうしてアルバートは眩い光の中に包まれていく。
◇
「ふぅ……」
息を吐き出す。
すでに
こちらの方では……アリアーヌ=オルグレンこそが順当に上がっていくだろうと、そう評されているのはアルバートも分かっている。
血統も実力も、そして努力も、何もかも足りないのは承知している。
彼が才能に驕り、努力をしない時間もアリアーヌはずっと努力を重ねてきているのは……よく分かっている。
だが戦う前から諦めると言う選択肢は、彼にはなかった。
アルバートは毅然として、アリアーヌ=オルグレンに相対する。
せめて、この心だけは負けまいとそう思って。
「アルバート。まさか、あなたがここまでくるなんて、思いませんでしたわ」
「アリアーヌ……そうだな。以前の俺だったならば、ここまでくるのは不可能だった」
「何かありましたの? 随分とその……変わった感じがしますわね」
アルバートとアリアーヌは貴族のパーティーで何度も顔を合わせ、そして会話もそれなりにする仲であった。しかし、アリアーヌは彼の血統主義に偏りすぎる思想に辟易していた。
だと言うのに今はどうだろう。
まるで憑き物が落ちたかのように、精悍な顔つきになっている。
そして真剣な双眸で、じっとアリアーヌを射抜く。
「レイに……レイ=ホワイトに出会って、俺は知った。この世界の広さをな」
「そう。また、彼なのですね。本当に何者なのでしょうね……」
アリアーヌのそれは独り言に近いものだった。
三大貴族であるアメリアを指導し、そして上流貴族であるアルバートすらも変えてしまう存在。彼がただの
今は、集中すべきだ。
そう考えて、アリアーヌは腰にある剣にそっと触れる。
アリアーヌもまたある想いを抱いてこの場にいる。だからこそ、負けるわけにはいかない。
「二人とも、準備はいいか?」
アビーがそう告げる。
そして二人ともに黙って頷くと……試合が始まった。
「では、試合開始だッ!!」
駆ける。
それはほぼ同じだった。その中でもわずかに速いのは……やはりアリアーヌだった。互いに
二人は理解していた。
お互いに剣技型。その中でも、
そうして交わされる剣戟。
「……ぐッ!!」
声を上げるのはアルバートだった。
この剣戟の最中、アリアーヌは氷を主軸とした
その中で彼女は剣を振るう。それこそ、魔術を使っている時と、使っていない時の差などないかのように。
──くそッ! やはり化け物かッ!!
内心でそう苦言を漏らすも、アルバートは冷静に対処していく。体に攻撃は受けるも、致命的な箇所は
肉体的な性能だけで言えば、高いのはアルバートだ。だからこそ、そのアドバンテージを活かさないわけにはいかない。幸いなことに、戦闘は
我慢比べならば、絶対に負けないと……アルバートはそう思っていた。
彼の魔術的な本領で言えば、本来は
基本的な
この二系統三種こそが、
アリアーヌのように幼い頃から謙虚にひたすら研鑽を重ねている相手には、圧倒的に不利だと言うことは試合の前からわかっていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
すでに満身創痍。
アリアーヌは傷の一つもついていない。だと言うのに、アルバートは全身が傷だらけ。流れ出ている血を拭うと、彼はさらに剣を構える。
技量は劣っている。魔術的な面でも、剣技的な面でも。
ここにこうして立っているのは、ただ我慢強く、負けるわけにはいかないと言う意志があるからこそだ。
一方のアリアーヌは剣をスッと振るうと、付着した彼の血液を地面に払う。そうして上段に剣を構え直すと、淡々と告げる。
「負け、認めませんの? これ以上は……危ないですわよ?」
「はぁ……はぁ……あぁ……分かっているさ。今までの俺ならば、とっくに諦めているだろう……でもな……心が負けを認めないんだ。これは、心を摘む戦いだ。俺は絶対に倒れないし……薔薇も散らさない。さぁ、我慢比べと……行こうぜ?」
肩で息をしながら、ニヤリと微笑むアルバート。
本領である魔術はろくに使えず、剣技でも完封されている。
観客の中にはそんなアルバートを情けないと思っている者もいた。貴族ならば、引き際くらい分からないのかと。これ以上の無様をこの
しかし二人のこの世界に、そんな無粋な思考はない。
すでに観客の声も、実況と解説の声も消えた。
見据えるのは、互いの残り誇り高き姿。
もう決着は決まっている。アルバートは数分後には、審判に試合を止められるだろう。今も流れ出る血液に、凍りついている体の節々が如実にそれを物語っている。
それに、すでに感覚はほとんどないはずだ。
だと言うのに、その双眸は燃えている。燃え上がっている。
それを見て、アリアーヌもまた理解した。
今までの攻防では決して諦めはしないのだと。
これは彼が言った通り、心を摘む戦いだ。そして互いに心は折れない。ならば……これで引導を渡そうと、アリアーヌは考えた。
「そうですか。アルバート……あなたは本当に成長したのですね。心から尊敬しますわ……でも、あなたは私には届かない。それを、教えて差し上げます」
瞬間、アリアーヌは剣を捨てた。
もちろんその馬鹿げた行動を惚けて見ているほど、アルバートは愚かではない。それを見た瞬間、彼は今までの中でも最高速を出しながら地面を駆けていく。
すでに痛覚も、触覚も限りなく無くなっている。
今彼を動かしているのは……負けたくないと言う意志だった。
もう未来は決まっている。だが、ほんの少しの可能性があるのならば……進みたかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
雄叫び。
──奮い立たせろッ!! 俺はまだ、まだ、負けていないッ!! 痛覚が、感覚が失せようが、身体は動くッ!!
その時、いつかレイに聞いた話がふと……想起される。
──俺も迷い、葛藤し、焦燥感に惑いながらも……ただ前に進むしかない時期があった。今のアルバートの気持ちがすべて分かるとは言わない。でもそれを飲み込んだ上で進んでこそ、辿り着ける場所もある
その言葉を思い出して、アルバートは思索に耽る。
──俺もまた、辿り着ける場所があるのだろうか。いやきっと、あるに違いない。
俺はだから今この瞬間も、そしてこれからも進んでいく。
だから……俺は、俺はッ!!
そうしてアルバートの剣撃が上段からアリアーヌに襲いかかる。すでに剣を捨てた彼女に防御する術はない。すでに避ける段階にもない。
必中。
だが彼は、目の前で発動する魔術の気配を確かに感じ取っていた。
《
《
《
《エンボディメント=
「──
ぼそりとアリアーヌがそう呟く。
そして瞬間……アルバートの剣は受け止められていた。
「な……あ……」
もう声にならない声しか出なかった。
そう……アリアーヌはその剣を両手で挟み込むようにして掴んでいたのだ。
真剣白刃取り。
これには、観客も最高潮に沸く。実況の声もまた、さらにヒートップしていく。それほどまでに卓越した技術。いや、胆力とでも言うのだろうか。
「アルバート、覚悟しなさい。じゃないと……死にますわよ?」
彼女の四肢は、赤黒いコードが幾重にも重なるようにして走っていた。そして異常なまでに灼けるように発光する腕を使って、アルバートの持つその剣を素手で叩き折ると、そのまま容赦無く拳を彼の鳩尾へと叩き込む。
「ぐううぅうううう……アアアアアアア……ッ!!!!」
呻き声を上げながら、転がっていくアルバート。しかし諦めてはいない。とっさにした防御は間に合っている。まだ、まだ戦える。
だが無情にも、受け身をまともに取る暇もなかった彼はそのまま場外へと叩き出されてしまった。
そうして試合終了のコールが告げられる。
「勝者、アリアーヌ=オルグレン」
それと同時に、会場はさらに盛り上がりを見せる。
「し、試合終了おおおおおおおおおお!! なんと、なんと! あれはアリアーヌ選手の奥の手でしょうか!! あのアルバート選手を場外へと一気にふっ飛ばしましたっ!!」
「……あれはきっと
「なるほど。毎年本戦では、
「そうだね〜☆ しかもあれだけ物理特化したのはちょっと、すごいかもね〜☆ これは決勝が楽しみだね〜、キャピ☆」
負けた、と言う事実を受け止めると観客の大歓声も、実況と解説の声も自然と耳に入ってきた。
アルバートは、ただ地面に大の字になって……空を見上げていた。
──あぁ、そうか。今日はこんなにも綺麗な青い空だったのか。
今更、そう理解する周りの状況。完全にアルバートは試合に没頭していたからこそ、気がつくことはなかった。
悔いは……なかった。ただ全身全霊を持って、戦うことができたと思う。アルバートには彼女のような切り札がなかった。
でも敗因はそこではない。
積み重ねてきた努力の年数が違う。ここに至るまでの時間の濃度が圧倒的に違う。
その才能に驕らず、謙虚に積み重ねてきたのがアリアーヌ=オルグレンだと分かった。よく分かってしまった。
敗北の味は、いつも慣れない。レイに負けた時も、アメリアに校内予選で負けた時も、アリアーヌに準決勝で負けた今も、ただただ苦しい思いが胸中に纏わりつく。
そうして空を見上げていると、耳元で足音が聞こえてくる。それが彼のそばで止まると、声が耳に入ってくるのだった。
「わたくし、決勝まであれは使わない気でしたのよ? だから誇ってもいいですわ。このアリアーヌ=オルグレンに、本気をわずかでも出させたことに」
「……負けた、か」
「あの攻撃を受けて意識があるだけでも、賞賛に値しますわ」
「あぁ……」
「……悔しいんですの?」
「あぁ……」
「ならば、努力しなさい。決して驕ることなく、自己に向き合い、研鑽を重ねることしか、わたくし達にはできないのですから。魔術師として大成したいのなら、そうするしかありませんわ」
「あぁ……」
「だからその涙は、きっといつか……未来のあなたの力になりますわ」
「そう……そうだな……」
「えぇ。では、ご機嫌よう」
傷一つ付いていないアリアーヌは、そのまま悠然と翻り……この会場を去っていく。
一方のアルバートは涙を、ただただ無表情のまま涙を流していた。顔を歪めることもなく、ただじっと空を見つめて涙を流すだけだった。
そうして周りの救護班の人間がやってくるのを感じた。もう完全に動けないアルバートは治療魔術をすぐにかけないといけないほどには、ひどい負傷だった。
彼はただじっと、この広い空を、青く澄み渡る空を見つめる。
──あぁ。世界はこんなにも、広いのか。
アルバートは知った。
自分はレイにも、アメリアにも、アリアーヌにも届くことはないのだと。
でもそれは今の話だ。まだ自分は途上である。いつか努力を重ねた先に、自分もその領域にいるのかもしれない。
「う……ぐう……ううう……」
時間が経ったせいか、彼は改めて自分を敗北を理解する。そして右腕で自分の歪んだ顔を隠して、そのまま涙を流す。
嗚咽を漏らしながら、ただただ情けない敗北を心に刻む。
溢れる涙は、止まることはない。今までは誰かに負けても、自分の才能が届かないから、相手の方が才能があったからと、割り切っていた。だから悔しがることはなかった。
でも今は……無性に悔しかった。
──あぁ。敗北とは、こんなにも苦しいのか……苦しい、とても苦しいが……きっとこれは、俺には……必要なものなのだろう。なぁ、そうだろう……?
悔しさを覚えたアルバートはこれからも進んでいく。幾多もの敗北を、幾多もの苦しみを知りながらも、彼が歩みを止めることは……ない。
アルバートは何度だって立ち上がる意志を、もう持っているのだから──。
◇
医務室。
アルバートはそこに運ばれ、ちょうど治療されている最中だった。現在彼の意識はなく、ただベッドに横たわるのみ。そこでは医療魔術を専門としている二人の男女の魔術師が、彼の治療を担当していた。
「彼、大丈夫?」
「えぇ。大丈夫ですよ。この程度でしたら、すぐに治療できます」
「じゃ、お願いできる?」
「分かりました」
女性の魔術師に頼まれて、男性は魔術によってアルバートを治療しようと試みるが……。
瞬間、ニヤリと男性が微笑む。
それと同時に、アルバートの真下に黒い影が広がるようにして出てくると……そのままドプンとまるで水中に落ちていくかのように、彼は音もなく沈む。
「クク……ククク……」
そうしてアルバートもまた、行方不明者のリストに加わることになってしまう。
裏から忍び寄る脅威は、確実にこの
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