第56話 その先で、待ってる
夢を見る。
それはレイとの訓練を終えた時の夢だ。
あの時の光景が、幾度となくリフレインする。
レイに抱きついて、私はただ情けなく……泣いた。
そんな私を、レイは受け止めてくれた。ただ優しく包み込むようにして、彼は私の存在を受け入れてくれた。それが堪らなく嬉しかった。
私は……私になれるのかもしれない。
まだ籠の中の鳥だけど、きっと羽ばたいてゆけるのだと。そう……思っていた。
だがやはり、私と言う人間の本質はそう簡単に変わりはしなかった。
「……」
震える。今はちょうど開会式の前だった。とうとうこの場所までやってきた。
でも、それは違う。私は自分がここにいることを当然だと思わない。
私はこうしてここに立つことができているのは、他でもないレイのおかげだ。それでもこの手の震えが止まることはない。
右手をじっと見つめる。
あぁ……どうして、どうして私はこんなにも弱いのだろう。大舞台を前に怖気付いている……そんな哀れな少女がアメリア=ローズの本性だ。
みんなが出店を出して、楽しそうにお店をやっているのを遠くから見ていた。私は初めは挨拶に行こうと……そう思っていたけど……進むことができなかった。
あの場所は私には眩しすぎた。
それに私が歩みを進めようとした瞬間、現れたのはアリアーヌだった。
アリアーヌ=オルグレン。
会うのはいつ以来だろう。いや、毎年パーティーで会っているけど、彼女はずっと成長していた。三大貴族として、アリアーヌはずっと進んでいる。その高みへとずっと進んでいる。
でも今の私はどうだ?
彼女は遥か高くまで飛び立つのに、私は籠の中にいる。
こうして
私はそんなふうに考えながら、みんなの元を去っていく。
とても可愛いエリサ、クラリスに、それに女装したレイと話をしたかった。笑い合いたかった。きっと私は三周して、それぞれのセットを全て堪能するだろう。でもそれは……出来なかった。
「レイ、次会うときは……」
「……しーっ! ティアナちゃんがいますから!」
「あ……そうですわね。というよりも、私はあなたが本物の女性にしか思えませんのですけど……」
「そうですね。今はリリィーちゃんですので」
「そ……そうですか。いつか本物のあなたに出会えることを願いますわ……」
どうしてだろう。周りの喧騒で声なんか聞こえるはずがないのに、私ははっきりとレイとアリアーヌの会話が聞こえていた。
あぁ……眩しい。
二人はお似合いだった。どこまでも輝く双眸を持つ二人。迷いなどない、惑いなどない。二人の歩みには、何の
その刹那、胸にチクリと刺さるような痛みが走る。
これは何だろう。今まではただこんな状況に辟易するだけだった。でも今は、別の感情が……心に宿っているような気がした。
だが私はそれに向き合いたくはなかった。何か嫌な予感がしたから。
そうして私はその場を去っていくのだった。
◇
「アメリア。お久しぶりですわね」
「アリアーヌ……」
開会式の直前。
各選手は入場待機していたのだが……そこでちょうどアリアーヌと出会う。こうして会話をまともに交わすのは……本当に久しぶりな気がする。
私は彼女に負い目があった。
昔は親友と言っていいほどに、仲が良かった。
でもいつからか、私は自分に違和感を覚えて、アリアーヌの眩しさに嫉妬するようになった。いやそれは本当に嫉妬なのだろうか分からないけど……ともかく、アリアーヌの近くにいることを拒んだ。
別に彼女が何かをしたわけではない。
アリアーヌが伸び伸びと成長する姿に、私は焦燥感を覚えたのだ。
だから……離れた。
彼女と比較するのは、比較されるのは、嫌だったから。
アリアーヌはそんな私の心情を察していたのか、その距離感を受け入れていた。幼い頃は日が暮れるまで遊んでいたと言うのに、私たちの道は二つに分かれた。
そんな私達が今ここで、こうして会話をしているなんて……少しばかり不思議な感じだった。
「先ほどレイに会いましたわ」
「レイに?」
「えぇ。アメリアは仕上がったと。そして、私を打ち負かし……きっと優勝するのだと」
「そう……そうなんだ……」
どうしてだろう。
また胸に鋭い痛みが走る。でも今は少しだけ違う。ただ暖かい何かもまた、私の胸に広がっていた。
「レイは規格外ですわね。それに見ました? あの女装技術は本当に驚きで……」
「はは、まぁ。そうね……確かにあれはちょっとすごいかも」
二人でレイについて話した。その間はどうしてか、いつも通りに振る舞うことができた。いつもはアリアーヌに対して怯えるような素振りをしていたが、何故か普段通りに話すことができた。
「……アメリア、少し変わりましたの?」
「……そう、そうかな?」
「えぇ。それに、友人が……できたのでしょう」
「うん。そうね……レイだけじゃなくて、仲の良い友人ができたよ。私にも」
「そう。そうですか」
知っているとも。
アリアーヌは優しい子だ。とても、とても優しい子だ。だからずっと人と一定の距離感を保っていた私を心配していることもずっと前からわかっていた。
でも私はそんな彼女を寄せ付けずに、自分の殻に閉じこもるだけだった。
そう。今までは。
だけれども、レイに……それにみんなと会ってから私は少しだけでも変われたのかもしれない。
そんなアリアーヌはニコリと微笑んでいたが、急にスッと厳しい目つきに変わる。
「アメリア。わたくしは負けませんわ」
「……私も、負けるつもりなんて……ない」
その言葉は自然と出てきた。
怖い。震える。逃げたくなる。この大舞台を前にして、私は……圧倒されている。
でも私は、レイとの日々を、あの訓練の日々を乗り越えてきたのだ。きっと私は今、みっともなく震えているだろう。
そんな私は何とか拳を握りしめて、それに耐えている。
その一方で、言葉は自然と零れ落ちてきた。
負けたくない。
アリアーヌに負けるわけにはいかないと、私はそう思った。
「戦うとしたら……決勝ですわね」
「うん……」
「わたくし、覚えているのですよ」
「……? 何を?」
「アメリアと競争したことを、ですわ」
幼い頃、よくアリアーヌと競争をしていた。それはかけっこからお絵描きまで、二人で些細なことまでも競い合っていた。あの時は純粋に優劣など考えずに、ただアリアーヌと一緒にいることを……楽しんでいた。
「そっか……そんなこともしていたけど……」
「実はわたくしとアメリアは引き分けですの。だからここで決着をつけましょう」
「……決着、か」
「えぇ。私は逃げも隠れもしません。だからアメリアも、真正面からぶつかってきなさい。このアリアーヌ=オルグレンが全てを受け止め、そして打ち負かしてあげますわ」
そう、高らかに宣言する。
あぁ……なんて、なんて優しいのだろう。
それと同時に自分がちっぽけな存在に思えてくる。アリアーヌの本当の想いを理解できるからこそ、自分の矮小さが理解できてしまう。
今までの私ならば、ここで怖気付いて終わりだろう。そのあまりの偉大さに、美しい心の在り方に押しつぶされるだけだっただろう。
しかし今の私は……振り絞れる。この勇気を、レイに与えてもらった心が、今の私には……あるのだから──。
「アリアーヌ。決勝で会いましょう。私は絶対にこの
「ふふ……いい
そうして私たちは改めて握手を交わす。
暖かい。
アリアーヌに触れたのはいつ以来だろうか。
思い出す。あの幼き在りし日々を。
私たちは別々の道を歩んでいた。いやそれは私が勝手に逃げ出しただけだ。でもアリアーヌはずっと待っていてくれたのだ。
私がいつかきっと、戻ってくると信じて。
あぁ……本当に敵わないなぁ……と思いながら、その双眸を見据える。
互いに成長した。
もう体も大人に近い。それに心もまた、成熟しつつある。
そんな中でも変わらないものが一つだけあった。
それは、私とアリアーヌが
そうして私たちは、開会式の会場へと歩みを進める。大歓声の中、選手たちが進んでいく。
光に飲まれていく彼女のその姿は、誰よりも眩しかった。
願わくば、私もまた……その光になりたいと。
そう願った──。
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