第61話 前兆

 

 俺は一人で円形闘技場コロッセオの内部を調査をしていた。一応は腕に運営委員の腕章を巻いているので違和感はないはず。それに念のためにセラ先輩には見回りをしたいと言ってある。


 その理由は治安維持だが、話を聞くと……セラ先輩はこう言うのだった。


「変な視線?」

「はい。少し怪しいと思いまして。考え過ぎかもしれませんが」

「うーん……」

「信じられませんか?」

「いや、実は毎年ね……この大会は色々とあるのよ」

「色々、と言うと?」

「確か数年前は、生徒の勝利を賭博にしていて……その勝者を調整するために、相手の選手を傷つけて不戦勝を狙ったり……とかね。流石に裏ですぐに処理されたけど、世界的にも注目度の高い大会だからねぇ。まぁ流石に魔術協会から、そのための人員はすでに派遣されているけど……一応、上にも話を通しておくわ」

「はい。ありがとうございます」

「で、レイはどうするの?」

「もう少し見回りをしようかと」

「別にいいけど。危ないときは逃げなさいよ? ちゃんと戦闘に特化した魔術師は派遣されているから、荒事はその人たちに任せておきなさい。腕章もつけているから、きっとすぐに分かるはずよ」

「了解しました。ご忠告、感謝します」

「うん。じゃあ、気をつけてね」


 俺はセラ先輩にそう報告して、今に至る。もちろん上に話を通してもらっているので、俺としては別にすることはないのだが……念のため、できる限りの事はしておきたかった。


 この大会は、みんなの想いが詰まっている大会だ。


 レベッカ先輩も、アルバートも、アリアーヌも、それに……アメリアにとっても、今回の大会への意気込みはかなりのものだ。でもそれもそうだろう。世界最高峰の魔術学院からたった三十二人が選抜され、戦うのだ。それもかなりの注目を浴びる中で。


 それは自分の強さを証明するための戦いでもある。


 きっとこの戦いの中で、何かを見出す者もいるのかもしれない。


 だからこそ、俺はこの大会を無事に終了させるためにもできる限りの事を尽くす。別に今日はそれほど疲れてはいない。時間も今は二十時近くで完全に陽は暮れているが、活動自体はまだまだ余裕だ。


「……戻るか」


 そうボソッと呟く。


 今は地下一階にある倉庫から、円形闘技場の一階にある控え室に行こうと、通路を進んでいる最中だ。左右にある明かりが、わずかにこの暗闇を照らしつけている。しかしこの時間になると明かりがあるとはいえ、少しだけ不気味な雰囲気が漂っていた。


 今日の試合も無事に終了し、今は運営委員の人たちが明日の日程を確認しているところだろう。


 きっと、セラ先輩も、それに部長も確かそっちの業務に運営委員として携わっているはずだ。と言うことで、最後に先輩方に挨拶をしていつも通り宿舎に戻ろうとするが……俺はその刹那、後ろから殺気を感じ取った。


「──ッ!」


 躱す。


 その攻撃は短刀による一閃。しかしその先端には紫色の液体が滴っている。確実にそれは毒物であるのは自明。


 相手の容貌は全身に黒いローブのようなものを羽織っており、顔も仮面によってほぼ完全に隠れている。目元がわずかに見える程度しか相手の素顔は見えない。真っ白な仮面の左右には、赤黒い模様が走っており、それは妙に不気味なものだった。


 また、その両手には毒を塗った短刀がしっかりと握られている。おそらく麻痺系のものだろうか。しかし死に直結する類の可能性もある。今回は距離感をしっかりと保つ必要があると、俺は認識した。


 それに短刀を振るった際に、飛び散った液体が付着するケースも考えられる。流石に皮膚に触れたら死に至る……というものでは無いと思うが、警戒度は最大限にまで引き上げる。


「……オマエ、ツヨイナ?」

「……」


 その声は、機械的なものだった。いや実際には人間の声なのだろうが、わざと認識できないように魔術でも発動しているのだろう。


 相手の力量からして、それなりの手練れと把握。それに毒物を持っている以上、俺も能力を解放せざるを得ないだろう。


 そうして俺は、コードを一気に走らせる。



第一質料プリママテリア=エンコーディング=物資マテリアルコード》


物資マテリアルコード=ディコーディング》


物質マテリアルコード=プロセシング=固定ロック=解除リリース


《エンボディメント=現象フェノメノン



「──体内時計固定クロノスロック限定解除リミテッドリリース



 刹那、俺の周囲の領域が凍りついていくが……それはすぐに収まる。代わりに俺の右手にはたった一本の冰剣ひょうけんが握られていた。


 体内時計固定クロノスロックを完全に解放はしない。今は様子見も含めて、限定解除リミテッドリリースに留めておいた。これは文字どおり、能力の一部を限定的に解放するものだ。今は、『減速』と『固定』だけを部分的に解除して冰剣を生み出した。


 俺の体もまた、何が起こるか分からない。完全開放した時から、時間はそれほど経っていないため、今回は限定解除リミテッドリリースを選択した。


「……」


 相手もまた、この隙を逃すわけがなかった。敵は一気に走り始めると、地面から壁へと進行方向を変える。だがそいつは地面に降りてくることはない。そのまま壁に対して垂直になった状態で、俺に迫ってくるのだ。


 ──重力制御。それに相対位置の座標を適宜移動させているのか。器用なやつだ。コードの処理能力、それに容量キャパはそれなり……というところか。


 まずは相手の能力を分析する。相手が何ができて、何ができないのか。それを把握するのは、最重要である。


 そして一気に壁を蹴ると、そいつは俺の首元めがけてその短刀を振るう。それを素早く屈むことによって躱すと、そのがら空きの胴体に一閃。


 握っている冰剣を容赦なく振るった。もちろん、胴体を切断するわけにもいかないので、浅めにしたが……手応えが完全になかった。


「……オマエ、ツヨイ。イマハ、ブガワルイ……」


 そいつは完全に気配を消して、闇の中へ消えていった。俺との戦いで不利だとすぐに理解したのだろう。引き際が早く、いい判断だと褒めたいが……実際のところ、こちらとしては厄介だった。


「……逃げたか」


 おそらく、幻惑系の魔術だろうか。俺もまた、ここから追いかけるのは不可能と判断して能力を元に戻す。


 あの手の輩は極東戦役時にも戦ったことがあるが、何よりも生存能力が高い。戦闘も一流だが、何よりも逃げに徹すると驚異的な能力を発揮する。


 おそらくは……どこかの暗殺部隊の所属だろうが……知らないな。


 と、一人で思案に耽っていると俺は再び後ろから気配を感じ取るが……それはよく見た顔だった。


「あなたは……」

「レイ、やりあったようだな」

「はい……」


 そう。そこにいたのは部長だった。


 しかし見られていたのか……? 


 戦闘中とはいえ、俺は視線があれば気がついていたはずだ。部長の魔術……だろうか。それにしてもその技量は感嘆すべきだ。今は戦闘中ということもあり、かなり感覚が鋭敏になっている。


 だというのに、俺は全く気がつかなかった。見られていたということを考慮すると、距離感はそれほど離れてはいないだろう。


 どうすべきだ? 説明するのか? だが、誤魔化すのも難しいだろう。それに俺は冰剣を使ってしまっている。今更何を言っても、誤魔化すことはできないと悟る。


 さて、どう話すべきか……と考えていると、さらに後ろからやってきたのはなんと師匠だった。もちろんその後ろには、車椅子を押しているカーラさんもいた。


「し、師匠……? それにカーラさんも? これは一体……」



 その闇の中からさらに現れたのは、見慣れた二人。だがどうして、部長の後ろから二人がやって来るのだろうか……。


 こうして俺は、この大会で何が起きているのか知ることになるのだった。


 

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