第48話 零れ落ちる蝶


「はぁ……はぁ……はぁ……!!」


 現在の時刻は正午ぴったり。


 ちょうどあれから六時間ほど、つまりは半分ほど経過したことになるが、私の残っている薔薇はすでに4個になっていた。


 レイの作戦はシンプル故に強力だった。


 それはヒットアンドアウェイを主軸とし、狙える時は接近してその剣によって私の薔薇を散らす。だが決して無理はしない。薔薇を散らせば欲を出して攻撃は重ねずに、すぐに逃げて行ってしまう。


 この戦闘に劇的なものなどない。ただ淡々と、私の心を少しずつ削るように、レイは同じ作業を続けるだけ。一方で私は、それに耐えなければならない。その圧倒的な存在感を前に逃げることも許されず、たった一人で立ち向かい続けなければならなかった。


 思えば、この試験はよく出来ている。彼は私の薔薇を散らせば、そこで終わり。制限時間内に終わることもあるだろう。でも私のクリア条件は十二時間の耐久が必須となっている。十二時間、耐え切ることができなければ……そこで終わりだ。


 おそらく、十二時間程度であればレイの集中力は切れることはないだろう。すでにこの森は熟知しているのか、彼にとってはもはや自分の庭に過ぎないのだろう。私は、木々や至る所に遅延魔術ディレイを仕掛けていたが、当たることはなかった。


 レイは傷一つついていない。でも今の私は、もうボロボロだった。何度投げ飛ばされ、何度この地面に叩きつけられたのか覚えていない。


 ただ無我夢中に薔薇を守りつつ、彼を撃退することを考えていた。


 だがきっと、レイとの訓練を受ける前ならばもう終わっていただろう。基本的な体力、それに魔術を行使できる時間。その基礎的な部分の底上げ。それがなければ、私はきっとすでに全ての薔薇を散らされていたに違いない。


 自分の成長……とも考えられるが、私は決してそこで満足はしていなかった。



「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 もうどれほど、彼と接敵したか覚えてない。


 レイがいなくなって、ホッとして薔薇の残っている数を数える暇もないほどに……私は追い詰められていた。


 冷静に、冷静にならないと……そう思うたびに、うまく自分の身体が動かない。まるで鎖で縛られたかのように、私の動きは鈍ってしまう。


「……」

「……ぐッ!!」


 レイはただ淡々と毎回の戦闘をこなしていく。その双眸にはなんの光も宿ってはいない。いつものような明るさも、破天荒なことをしている際の笑顔も、全て消え失せている。


 これこそが、冰剣の魔術師としての彼の片鱗なのだと、私は改めて知った。


「う……わっ!!」


 思わずそんな声が漏れてしまう。


 レイは剣で薔薇を散らすと思いきや、一気に距離を詰めて来てそのまま私の腕をとって一本背負い。私は彼に教えてもらっていたおかげで、なんとか受け身を取るも次の瞬間、レイのその手が私の薔薇へと伸びていた。


 けど……ッ!!


「やらせないッ!!」


 声ををあげる。


 もう形振なりふり構っていられなかった。ただ今はこの薔薇を、この残っている薔薇を死守するのだ。そんな想いからなんとかレイの腕を弾き飛ばすと、今度は私が彼に体術を仕掛けようと試みる。


 この距離なら、魔術を使うよりもこっちの方が早いッ!!


 レイとの訓練がなければ、こんなことはしなかっただろう。きっと私は魔術に頼っていたに違いない。でも、この肉体さえも武器になるのだ。それは彼が教えてくれたから、できることだった。


 だから私は、なんだって、やれることは全てやるんだッ!!


 そして彼を設置した遅延魔術ディレイの位置におびき寄せるも……レイはそれを視界で知覚することなく、難なく躱してしまう。遅延魔術ディレイは魔術の中でも、トップクラスにコード構築が細かくなる。


 そのため、私は今まで敬遠してたのだが、レイによってこの技術もまた徹底的に鍛えられた。でもやはり、私のことをよく知っている彼にはどうやら通用しないようだった。


 私は自分の周囲にはすでに幾重にも重なるようにして、遅延魔術ディレイによる結界のようなものを構築している。だというのに、レイはそれを全て知覚しているだろう。難なく躱しながら私と相対する彼は、まさに化け物だった。


 これが、これこそが、七大魔術師の片鱗なのだと知る。


「……」


 そして彼は再びこの場から去っていく。


「はぁ……はぁ……はぁ……やった……」


 初めて。初めてなんの被害もなく終わった。私の胸には、まだ4個の薔薇が残っている。残り時間はあと、五時間半。前半のペースでいけば、私はきっとこの試験をクリアできない。


 でも……私は最後まで諦めない。私だって、やればできるのだと。そう証明したかった。他の誰のためでもない、自分自身のために。


 今までは、レベッカ先輩やアリアーヌの後を追いかけるだけだった。


 そしてその二人を模倣して貴族らしく振舞っていた。でも、私はどこかそんな自分に見切りをつけていた。


 どうせ、自分はあの二人には劣るのだと。

 どうせ、自分は何もできないのだと。

 どうせ、自分は偽物でしかないと。

 

 そう勝手に決めてつけて、その可能性を狭めていた。人の努力や苦しみを見ることなく、その上澄みの綺麗な部分だけを理解した気になって、自分に絶望している。


 それがアメリア=ローズの本質だった。


 でも……きっと違うんだと思う。


 二人とも自由に生きている。貴族の重圧を受け止めた上で、それを驕りにするのではなく、誇りにして、その道を進んでいる。


 去年はレベッカ先輩の魔術剣技競技大会マギクス・シュバリエでの決勝戦を実際に見て、そして勝利した姿を見て、これこそがあるべき三大貴族の姿なのだと……そう思っていた。


 でも、後から調べてみるとレベッカ先輩は新人戦では二回戦負けをしているようだった。


 きっと努力したんだと思う。自分に見切りをつけないで、まだ先に進めると信じて、一年後にそのいただきを勝ち取ったのだ。


 また、私はアリアーヌとは同い年だった。だから、魔術剣技競技大会マギクス・シュバリエでは敗北するしかないと思い込んでいた。彼女にはずっと劣等感を覚えていたから。


 昔は仲が良かった。親友だった。でも、違和感を覚え始めた私は距離を取るようになった。アリアーヌのその姿に、嫉妬してしまうから。


 自分は貴族としての在り方も、魔術師としての在り方も、アリアーヌよりも劣っていると分かっていたから。


 あの自信を持った姿に憧れた。自分も彼女のようになりたいと、そう焦がれた時もあった。だが私は決して彼女になることはできなかった。


 そして次はレイになりたいと願った。


 でも……私は私でしかなく、何者になることもできない。


 今の私ならば……それがどうしてか、よくわかった。


 そして……私もやれるのだと、あのレイ=ホワイトの攻撃を防いだのだと、その自信が私の中に目覚めつつあった。


 残り時間は五時間半。


 やれる。私は、やれる。


 そう思って、ぐちゃぐちゃになった髪を再び適当にヘアゴムで結びつけて、顔に付着した泥を軽く払う。


 ここまで来てしまえば、自分の体裁などどうでもいい。ただこの薔薇を守りきる。それだけだ。それだけが、今の私の成すことだ。


 そして私は再びこの森の中でレイと相対し続ける。


 制限時間が終わりを迎える、その時まで──。



 ◇



「はぁ……はぁ……はぁ……!! う……ぐ……はぁ……はぁ!」


 どれだけの魔術を使ったのだろう。どれだけの気力を振り絞ったのだろう。


 もうすでに日は暮れつつあり、黄昏時たそがれどきの光が私たちを支配する。


 もう汗で体はぐちゃぐちゃだ。髪の毛も泥だらけで、この身体中は傷だらけ。出血をなんとか抑えるも、この痛みが止まることはない。それにレイに投げ飛ばされた時の痛みも、まだ鈍痛のように残っている。おそらく内出血をしているのだろう。レイは容赦などしなかった。全身全霊を持って、私たちは相対している。


 そして彼は……ただ淡々と、私の心を削るように行動を繰り返す。


 分かっているのだろう、私のその心の弱さを。


 見抜いているからこその戦い方だ。


 でも私はなんとか食らいついて行く。今では無事に戦闘を終えることも多くなっていた。おそらく問答無用な殺し合いならば、一瞬で終わっている。でも私はこの薔薇を守りさえすればいい。徹底して守りに徹すればいい。


 攻撃もするが、それは牽制。私がすべきことは、無事に制限時間を迎えることなのだから。


 そしてレイの目に焦りがあるのも、少しだけ分かってきた。


 でもそんな私は……満身創痍だった。もう諦めても誰も文句は言わないだろう。ここでおとなしく残りの薔薇を散らされても、私は満足していただろう。


 ここまでやったのだから、もう十分だ。今までの私なら……そう、思っていただろう。



「……」

「はぁ……はぁ……諦めない……絶対に諦めないッ!!」


 ──振るい立たせろッ!


 ──己を鼓舞しろッ!


 肉体は限界じゃない。私はまだ動ける。でも、この心が負けを認めればそこで終わってしまう。だから私は振り絞る。自分の心を奮い立たせる。


 もう時間はどれだけ残っているのか分からない。最後の一時間を切った瞬間から、レイの攻撃が止むことはなかった。


 私に残っている薔薇は2つ。これを守り抜けば、私は無事にこの訓練を終えることができる。


 ここまで来て諦める?


 そんなバカなこと、できるわけがなかった。


 もう……もう、自分に見切りはつけたくない。


 変わりたいと願った。


 この学院に来て私は掛け替えのない友人と出会い、そして本物になりたいと願った。


 だから私はそれになる。いつかこれからではなく、今のこの瞬間に私は生きているのだから。



「────ッ!」

「……終わりだ」



 瞬間、彼の手が私の胸に伸びてくる。本当に最後の最後の攻防。惚けていたわけではない。でもこの時間帯になっても、レイのスピードは依然として変わることはなかった。確実に仕留めるために、その右手で私の薔薇をもぎ取ろうとしてくる。


 どうする? どうすればいい? 高速魔術クイック? いや、間に合うわけがない。それにもう魔術を使うだけの気力もほとんど残っていない。


 体術? いやそれもこの距離まで来てしまえば……無理だ。


 どうすれば、私はどうしたいい……負けるのか? ここで私はいつものように……自分に屈してしまうのだろうか。


 そんな思考が過ぎるも、その刹那……不思議なことが起きた。


「む……」

「え……」


 ふと見ると、蝶が……1匹の蝶がふわふわと浮いていた。でもそんな存在は今までなかった。でも私とレイの間には、間違いなく赤く燃えるような一匹の蝶がいた。唐突に、意識の間を縫うようして現れた存在。


 まるで時が止まったような感覚。


 私とレイはただ止まった時間の中で、それを見つめていた。

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