堕ちる綺羅星(スター)①
「死神の歌を、聴いてはいけない」
この世界に古くから伝わるという、童歌の一節。
海市淳子がその歌を初めて聴いたのは、この世界にやってきたばかりの事だった。
暗闇の中で目が開いた。
土と草の青臭さ、かすかに陽の香りがする。生命の気配がする、薄青い闇だった。
そこは森の中の、さらに奥の草むらの中。淳子は自分に何が起きたのかも分からず、倒れたまま、辺りをでたらめに手で探った。
指先に何かが触れ、淳子はそれを掴む。
「あら……どなた?」
淳子が掴んだのは、女性の脚だった。
突然、地面に倒れた女に掴まれても叫び声一つあげなかったその女性は、しゃがみこんで淳子の顔を見つめる。
「わっ、私は怪しいものでは!」
淳子はなんと話せば良いか分からず、起き上がりながらかえって怪しい発言をしてしまった。
「ふふ……戸惑いが伝わるわ」
女性は薄く開かれた目を開ける。その目は白く濁っていた。
「あの、すいません……ここ、どこですか……?」
淳子は女性の目が見えない事に気付きつつも、まずは自分の置かれた状況を確認せずにはいられなかった。
「……日本では、ないわ」
「がっ、外国!?」
「いえ。地球ですら、ないの」
目の見えない女性は、眉毛を八の字にして、淳子に微笑みかけた。
鳥の鳴き声が、遠くの方から、微かに聞こえていた。
「……なーんてことがあったのが去年の事なのよ」
淳子はケラケラと笑いながら、ジョッキ片手に語っていた。
「淳子さん……その、飲み過ぎでは」
淳子の向かいに座った青年が、眉間にしわを寄せながらため息をつく。
「えー? なーに言ってんの三船くーん。まだ5杯目だよぉ? これからこれからぁ!」
淳子はそう言ってビールを飲み干すと、店員におかわりを要求した。
「我らが異世界人陣営の姫とも呼ばれる貴女が、こんな呑んだくれなんてのを知ってるのは……私と阿房君くらいなものですよ、まったく……プロパガンダにも支障が出かねないよ……」
三船はさらに深いため息をついた。
「姫なんてガラじゃないってば! アタシはアタシ! なっはっは!」
追加されたビールをゴクゴク飲みながら、淳子は高笑いする。
「……はぁ……」
「三船君はいるか!?」
バルのドアを勢い良く開けて、便利屋の有江田が入ってきた。
「有江田さん、何かありましたか」
三船は素早く立ち上がって有江田の前に立つ。
「それが……アトレの庭園の中に、転移してきた女の人がいてさ、なんかヤバいんだよ!」
「ヤバいとは」
「なぜか彼女の周りに蓮の花が咲きまくってて、近づけないんだよ!」
有江田は大袈裟な身振り手振りで三船に事の重要性を伝える。
「……それは私だけじゃ手に負えないな。誰か……」
「アタシと、ニャン吉がいるじゃない」
海市はビールを飲み干すと、真面目な顔になって立ち上がり、2人の男の間に立つ。
彼女は男たちより頭一つ半、身長が低く、2人は淳子を見下ろして怪訝な顔をした。
「淳子ちゃんの異能って……なんだっけ?」
有江田が、真っ赤な顔の淳子を見下ろして呟く。
「……うーん……あ、なるほどたしかに。行きましょう淳子さん!」
三船が何か思いついた様な顔をし、そのまま2人はバルを飛び出した。
アキバ街は日本の秋葉原を模した様な街並みで、先ほど有江田が言っていたアトレとは、JR秋葉原駅の商業施設の事だ。
アキバ街の中にある秋葉原駅周辺はほぼ、現実の秋葉原と同じ構造をしているが、当然JRは走っていないし、アトレの中心に当たる部分にはなぜか沼が残り、住民たちがその周辺に花を植えて庭園として活用していた。
そこに、新たな異世界人が現れ、ひと騒動起こしているのだという。
「淳子さん、くじら号は?」
三船は走りながら淳子に尋ねる。
「ポケットサイズにしてある! ニャン吉も中にいる!」
「なら問題ありません……うわっ!」
三船が立ち止まる。
2人の目の前に、大量の睡蓮が立ち塞がっていた。アトレ内部から生え始めた花が、駅を埋め尽くしてもなお足りず、はみ出して街の中を侵食し始めていた。
「綺麗だけど、すんごい光景……」
淳子は本来の在り方を無視して増え続ける美しい睡蓮を手に取りながら、つぶやいた。
「淳子さん、早くニャン吉を」
「おっけー! くじら号!」
淳子がポケットから飛行船の模型を取り出して呼びかけると、その模型は一瞬で巨大化して本物の小型飛行船になり、中からブチ模様の猫が現れた。
「ニャン吉ぃ、今日も可愛いのぉ」
淳子は猫をなでる。ニャン吉はゴロゴロと鳴いて喜んでいる。
「そんな事してる場合じゃないですよ淳子さん! 早くこれを!」
三船が増え続ける睡蓮を手でちぎりながら叫ぶ。
「へいへい。よーし、ニャン吉、お前の異能を見せちゃいな!」
淳子が蓮の花を指差すと、ニャン吉はそれらを睨みつけて、小さな鳴き声と共に睡蓮にネコパンチを繰り出す。
その瞬間、パンチの当たった睡蓮の花を中心として小型の竜巻が発生し、睡蓮を巻き込みながらなぎ倒していく。
「やったぜニャン吉!」
淳子は少年の様に喜び、彼が切り開いた道を歩いていく。
「で、ご本人は……」
「あそこで寝てる女の人じゃない?」
そこには、睡蓮に囲まれ、なぜか沼に沈まずに浮いた様な状態で、ひとりの女性が横たわっていた。
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