第27話 生命の遣い処
辰吉は手に木刀替わりの木の棒を構えたまま、辺りに睨みを利かせていた。
道端には、代官所預りの若い目明しが息絶えて横たわっている。
まだ、笑顔があどけない若者で、友の字と呼ばれていた。人の為になるのなら、と、親の跡を継いで十手持ちになったのだと言っていた。明るくて人懐っこい若者で在り、将来が楽しみな男であった。
辰吉は静かに、そして、とても激しく怒っていた。
襲いかかって来た三人の賊を、一撃で動かなくなる程、激しく打ち据え叩きのめし、更に打ち掛かって来た槍を振り回す山人を返す棍棒と化した枝で、槍柄ごと手首をへし折ると、こめかみへの一撃で昏倒させていた。
結果、足元に呻きながら倒れている賊徒が一人、うつ伏せで動かない賊徒が一人。道の向かいには三人が倒れて、都合五人を叩きのめしていた。
「いやあ、お見事なお手前で。惚れ惚れ致しますなあ」
声を掛けたのは農夫姿の霞の権蔵であった。
満面に人好きのする笑顔を浮かべている。
「下手なお侍より腕の立つ手下をこうもあっさりと片付けるとは、いやはや怖れ入ります。腕も度胸も全く申し分が無い」
権蔵の右手は懐手のまま、左手は短刀をだらりと下げて動かず、全くの隙を見せずに話しかけていた。
「老い先短いとは言え、凄いお人だ。死に急がず、どうでしょう。商いの話でも」
ニコニコとした笑顔の裏に潜む強烈な殺意に、辰吉は内側から発気してこれに当てた。
「商いとは何だね」
近所で煙草盆を囲みながらしゃべっているかの如く、軽い口調で尋ねた。
時間をどれくらい稼げるか。
辰吉の意図は其処にしかなかった。
額から大粒の汗の滴が滴り、頬を伝い顎を流れ、地に落ちるのもそのままに、神経を集中し、己の手足にゆっくりとはっきりと意志と力を込める。
背中には木挽きの小屋が在り、その小屋には動けない清七と、命を賭して清七を守ろうと、両手で石を抱えた小春が居る。
番屋までの通りすがりに怪我をしている清七を見かけ、店の姉や達が止めるのも聞かず、辰吉の諫めにも耳を貸さず、傍に居て手当をしたいと着いてきていたのだ。
「私は元々武家の出。昔は刀疵のお世話も何度かしたことが御座います。きっとお役に立ちますので、清七さんのお世話を御傍付きをお許し下さいませ」
袖引きの小春の普段とは打って変わった、恐らくこれが元々の小春であろう物言いに、清七が折れ、流石の辰吉もならば仕方ないと折れて、番屋迄共にしたのだった。
そこへの妙な遊び人の火事騒ぎで、制止する辰吉を他所に後を追った同心二人と目明しが、釣り野伏を喰らった。
辰吉は清七を庇い、大煙管を番屋の中に落したままの丸腰で、迫る山人達を躱し乍ら、何とか此処迄逃げてきたのだが、とうとう追い詰められてしまったのである。
(罠だとわかってはいたが、どうにかなると舐めていたのは俺も同じか。成程、酒井田様が手を焼く相手だな)
辰吉は今の自分たちが置かれている状況に、何を勝ちとして、どうやれば勝機を見出せるのか、頭を働かせながら対峙している。
自分が倒れてしまえば、忽ちの裡に二人には無残な結末が待っているだろう。
それだけが、申し訳なく思う。
目の前の農夫姿の男からは隙を伺うことが皆無で、指図においても手抜かりはなさそうで、逃げ処に見事に山人達を配置している。
命の助かり処は無い。
辰吉は腹を括って命の遣い処を考えていた。
そんな、辰吉を知ってか知らずか霞の権蔵が言った。
「なあに、小屋の中にいる死に掛けの手代と小娘の首を、その凄腕でちょいと捻って呉れたら、あの可愛い娘さんにお坊ちゃん、美人の女将さんにおつかわし屋とそれに連なる皆さまに金輪際手を出しません。また偶の本業にその腕貸してくれるなら、毎年決まった銭をお支払いします。駄賃稼ぎじゃあ一生拝めないような大金でさぁ。悪かぁ無いと思いますが」
嘘なのか真なのかさっぱり分からない目付きと声色に、辰吉は笑った。
半分は本気、という事だ。敵も随分と焦っている。
「そうかい。随分とこの腕高く見積もってくれたな。有難うよ」
辰吉の様相にもしや乗って来るのかと、身を乗り出した霞の権蔵に、
「その買ってくれた腕で、安兵衛兄いの仇はキッチリ取ってやるから安心しな」
と、鋭い目線を突き立てた。
「おい、爺さん。確かにあんたは腕が立つ。だが、多勢に無勢という言葉を知らねえわけでもなかろう?」
ふん、と霞の権蔵が嗤う。
辰吉は先程、離れることを嫌がるアオの尻を叩いて、おつかわし屋へと前もって書いておいた文を持たせ走らせた。
おつかわし屋の宿場には、代官所の酒井田肝入りの腕の立つの武士達が居る。
何かの際には援軍を頼む手筈を整えてもいる。
裏切り者の捕り方はもういない。
今度こそ、この頭領を含めた山人達を、一網打尽に仕留めることが出来る絶好の機会であり、此処を逃すわけには行かないのだ。
ただ、足の強いアオであっても、丸一日かかる道程は、援軍が辿り着くまで、到底持ち堪えることが出来ないだろう。
高見に伏せていた賊徒共が動いていた。最早姿を隠す気すら無い様だ。
大弓に鉄砲まで構え狙いを付けようとしている。
辰吉は苦笑した。
年寄と虫の息の男と飯盛女のたったの三人相手に何と大仰な。まるで戦支度じゃあねえか。
生かして還す気など毛頭ない事が、ひしひしと伝わってくる。
自分を信じて生命を預けてくれた二人には申し訳ないと思う。逃がしてやれそうにもない。
だが、無駄死にはならないし、させない。
死なせることになって仕舞う事は申し訳の仕様も無いが、彼岸でしっかりと詫びるとしようか。
辰吉はすうと息を吸い込み、ふーっと息を吐くと、丹田へ送り肝を据え、間合いを計りながら、木の枝を握る指に力を込めた。
その時カチンと辺りの茂みから音がする。
鉄と岩が当たる音だ。
まだ、伏兵がいるのか。
この霞の権蔵という男の周到さに辰吉は舌を巻いた。
当に油断ならない相手である。
だからこそ、危険な男を取り除けるこの千載一遇の好機を逃すわけには行かない。
鴉がカアカアと鳴いている。
此処だ。此処だと鳴いている。
墨助が居てお嬢が居れば、一日位の距離の稼ぎは、見つけること等容易い。
その後は酒井田様に二代目が宜しく始末をつけてくれるだろう。
今は時を一時でも多く稼いで、より確かな勝に繋がるよう奮闘することだけである。
ぶうんっと一降り棍棒代わりの木の枝を振ると、
「まあ、こんな処だろうさ」
と勝利と死を確信して呟き、足を踏み出し打ち掛かろうとしたその時である。
短い悲鳴と共に、大弓を構えていた山人が黒い影と共に、草叢に引き摺り込まれていくのが見えた。
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