day -10:イイやつ
一週間と三日前。
懲りる様子も見せず、また一週間が始まった。
目覚し時計を止めて、しばらく停滞。その後起床。
制服に袖を通し、食卓に着く。母の用意した朝食は簡素なものだが、不味くはないし――何より朝食を用意してくれているというだけで、感謝に値する。感涙のあまり視界がぼやけるほどだ……なんて、眠いだけだが。
野菜ジュースを飲み干した。
食べ始めた所で、父親は会社へと出勤していった。ニュースを映すテレビで時間を確認すれば、僕もあと二十分の内には出かける必要がある。
昨夜のおかずの残りが多い。
卯生やら渡砂やら毬雲やら、他人についてばかり意見しているのも不公平なので、翻って見て自分はどうなのかと考えてみる。僕が育った家庭は良くある両親共働きの家庭で、両親ともそれなりの教養と学歴を持ち、健全な教育を僕に施し、健全な教育を受けられるだけの教育費を提供してくれている。一人っ子である僕に、しかし重荷となるほどの期待をするわけでもなく、かなり好きなように生きられるだけの自由を許してくれている。家庭内での会話も途絶えず、夫婦喧嘩を何度か見てはいるが離婚するほどでもなく、仲睦まじい良い家庭なのだ。
だから、もし僕が異常だったとしても、それは両親や家庭のせいではない。
僕が自殺したとしても、それは僕の責任であって、両親は余計な心を砕く必要などないのだ。
箸を置いた。
「ごちそーさま」
「はーい。後五分よー」
「うぃーす」
顔を洗い、口を漱ぎ、キシリトールのガムを噛み締めて、バッグに教科書を放り込み、靴を履いて、包み紙でガムを包み、ゴミ箱へ捨て、玄関のドアを開ける。
「はっしれー」
「いてきま」
「いてきな」
後少ししたら母親も家を出るはずで、慌しい毎日である。
変わり映えのない朝の空気を吸い込んだ。
* * *
のんびりと一日が過ぎてゆく。当然のように、保呂羽卯生は出席していた。昨日のメールについて聞いてみようかとも思ったが、それほどのことでもないだろうと思い直し、やめておいた。いくら幼馴染といっても、もはや他人同士。同じクラスとはいえ、席が近いわけでもないし、きっかけのない話題で盛り上がるほどの友人でもないわけだ。何より男子女子だし、活動圏が微妙に違う。
二限と三限の間。
二限の英語(会話)が早めに終わり、別段急ぐでもなく教室へ向かって歩いていた。会話の授業は別教室なのだ。と……、A組の渡砂が視界に入った。
何をするでもなく人の目を引く奴ってのはいるもので、渡砂瀬々斗も間違いなくその素質を持つ一人だろう。一般人とどこが違うのかはわからないが、こう、視界に入ると思わず視線を向けたくなってしまう。カリスマ、とは違うか……役者体質、芸能人体質? 政治家の息子だからだろうか。どれにしたって、僕には備わっていない素質である。
にしても、一人で歩いてるな。彼は友人連中に囲まれていることが多いってのに。A組の授業は終ったのか? そもそもなんで廊下をうろついて……あ、まずいぞ、こっちに気付きやがった。
二限終了のチャイムが鳴った。
「よ。卯生の幼馴染君じゃないか」
話し掛けられた。だから僕はアイツの付属品でもなんでもない。
「どーも」
「悪いな。あんな良い奴の彼氏をやらせてもらっててよ」
人懐っこい感じの笑みを浮かべてくる。
何で話題が卯生中心で、しかもそういう方面なんだ……と思ったが、よくよく考えてみれば僕はアイツに振られたばっかりだった。当の恋人である渡砂が、その出来事を知らないはずがないので……これは一種の気遣いというやつだろう。
ならつまり、こちらもそれらしい対応をするべきか。
「いや……。まぁ、確かに僕なんかじゃ釣り合わないだろうしね。取り立てて取り得のない僕より、渡砂の方がずっと保呂羽に相応しい。精々アイツを幸せにしてやってくれ」
「おい、拗ねるなよ」
渡砂はそう失笑した。しかしそれから、ちょっと考えるようにして繋げる。
「つっても……、卯生は可愛いし、優しいし、さっぱりしてるし、頭も良いし、明るいし……惚れるのもわかるな。俺が言うべきことじゃ、ないか。幼馴染君の言う通り、精々頑張らせてもらうな」
「……呼び方戻してくれないか?」
「おっと。悪いな、水梳」
周囲を生徒の集団が通過してゆく。。
しばしの、両者沈黙。人の波が途切れた所で、渡砂は言葉を続けた。
「――最近、有名人だよな」
「僕が?」
「お前がだよ。水梳軌跡君」
「……噂の的になってるだけじゃないか。恥の上塗りに次ぐ上塗り。下地の色が何色だったかなんて、もはや推測すらつかない。笑いたければ笑えば? 僕は気にしないぜ」
「だから拗ねんなって」
ぱんぱんと肩を叩かれる。馴れ馴れしいというか……僕は真似できないコミュニケーションだよな本当。……なんて考えていたら、若干顔を近づけて渡砂は言った。
斬り込むように。
「何か企んでるんだろ」
「――、いや……」
何……?
反応に一瞬詰まる。
「上手くやってると思うぜ、水梳は。多分ほとんどの生徒が――お前が『わざと』恥の上塗りをしていることに気付いてない」
「…………」
渡砂を睨むようにする――が、無駄だ。自分の理論に自分で納得しきっている顔だ。卯生から聞いたのか……? いや、上手く行ってないといってたし……。それも嘘……ではないだろうな、あそこであの嘘をつく意味が不明だ。
なら、自分で気付いた……のか。
「誰にも言わねーよ。言ったところで俺に利益はないわけだし、信用してくれ。あ、勿論ゆすったりするつもりもないからな」
冗談めいて、そう言う。
確認――して、おくか。
「……どうして気付いた?」
「面白ぇな、サスペンスドラマみてー。俺、結構ああいうの好きなんだぜ。ま……、何となくだよ。ここでもう一回拗ねられたら、はいそうですかごめんなさいで済んでた話だ」
「何となく?」
「……お前が学校休んでないからだよ」
「――あー」
成る程。そこは気付いてしまえば、不自然に見えるところだ。
「これだけ恥かいてりゃ、不登校にもなりそうなもんだ。そうじゃなくても、休みがちになるくらいが自然だろ? 精神的に追い詰められるだけで、人間体調壊すんだから」
「体調が悪くて、精神的にも負い目があったら、簡単に登校を諦める……か。にしては、僕は健康的過ぎるってこと」
「ああ。つまり、恥をかいたとして、それを苦にしてねーんだろ」
「それは何かしら別の狙いが在るだろうから、ね。はぁん……なーる」
コイツは名探偵か。
だとしたら僕は、罪を認めて膝を折り、両手を床につかなきゃいけないのか?
「だからって他人に言うつもりも、ましてや理由を聞くつもりもねーから、安心しとけって。目に付いたから声をかけただけ。俺みたいに気付く奴もいるかも知れないから、気ぃつけとけよーって」
「どうかな……。渡砂みたいに勘が良い奴がたくさんいられるのも」
「俺を買いかぶるなよ」
遮るように。
ここで何故か、名探偵役であるはずの渡砂瀬々斗の方が――歪んだ顔を見せた。……何だろう? 卯生と上手く行っていないのに関係が……あるのだろうか。人懐っこい笑顔に、爽やかな立ち振る舞い、優れた洞察力、他人に深入りしない気遣い。勘だけじゃなく、良い奴じゃないか。
と。三限開始のチャイムが不意をつくように響いた。
「おっと」
見渡せば、歩いている生徒もほとんどいない。
「お。悪いな、引き止めちまって。じゃ――またな」
「……ああ、うん」
さっと手を振って、A組教室へ向かう渡砂。
僕もC組教室へと急ぐ。
のんびりしていたところを、横から突然轢かれた気分だ。油断ならない。
ただまー……、不登校はしづらいところがあるんだよな。両親に怪しまれる、つまりは警戒されてしまうと、選択できる自殺の幅が狭くなるからだ。方法を早いところ見つけてしまわないと、いけないってことか。そうだな……ぽろぽろ休む、くらいはし始めておいて良いかもしれない。
渡砂の助言(?)を反芻しつつ、先生の居ないざわめく教室の中、席に着いた。
次は数学か。
* * *
他に特筆することもなく、その日は終る。
卯生は放課後何処かへ行ってしまったし、部活も無かった。
そう思っていたら、メールが来ていた。卯生からだ。またもや無題。昨日のメールについて何かしらの説明でもされてるのかと思ったが、違った。しかし簡潔に、また、一言だけ。
「泣いてたよ」
……か。
誰がもどうしてかも訊く必要はない。携帯電話をベッドへ放る。
明日早速休むかどうするかを考えて、結論を出した。
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