70. わたくしを信じてください

「クラウド、ちょっといい?」


 今はちょうど、午前の授業が全部終わったところだ。クラスの皆は筆記用具や教科書を片付け、教室から出て行く。

 クラウドも彼らの後ろに続こうとしていたが、イザベルの引き留めにその場に立ち止まる。廊下でジェシカが心配そうに見ているのに気づき、大丈夫の代わりに頷いておく。彼女はその合図で理解したらしく、軽く手を振って背を向けた。

 教室に残ったのは、クラウドとイザベルの二人だけだ。


「人払いしなければならない話ってことは、フローリアに関する話?」

「さすが、察しがいいわね……」


 思わず感心していると、クラウドは眼鏡をかけ直す。


「それはいい話? 悪い話?」

「……うーん。どちらとも言い切れないわね」

「まぁ、まずは話を聞いてからだよね。何を企んでいるの?」


 話の切り込み方は思ったより鋭かった。

 イザベルは両手の指先を突き合わせながら、どこから話そうかと悩む。


「企んでいるっていうか、今度ナタリア様にお見舞いに行くことになったの。それで、そのときにフローリア様にも同行してもらおうと考えているのだけど、誘って大丈夫だと思う?」

「……一ついい? どうして俺に聞いてくるの?」

「だって、フローリア様が悲しんだり苦しんだりすると、クラウドもつらいでしょう。わたくしは一緒に来てもらうのがベストだと思っているのだけど、あなたが反対するならやめた方がいいかと思って……」


 フローリアの悲しげな顔を思い出し、心にさざ波が立つ。


(今までさんざん嫌がらせもされてきたのに、フローリア様はナタリア様と歩み寄ろうとしていた。二人が手を取り合うためには、誰かが仲立ちしないといけない)


 そんな機会、そうそうない。

 ならば、ここは自分が肌を脱ぐべきではないか。ちょうど、ナタリアに会う用事もある。そこに同席することで、フローリアの願いが叶うのならば、一石二鳥と考えたのだ。

 しかし、保険はかけておきたい。

 もしかしたら仲直りどころか、一触即発の火花が飛び散るかもしれない。楽観的な見方で二人を引き合わせ、溝を深めるだけの事態になっては申し訳が立たない。

 だからこそ、クラウドの意見が聞きたかった。彼女を第一に考え、誰よりもフローリアを優先する彼が賛同するならば、きっと大事にはならない。

 クラウドは思案に暮れている間、ジッと天井を見つめていたが、やがて視線を床に落とす。


「フローリアに言ったら、たぶん喜んで来ると思う。仲直りがしたいって言っていたし」

「じゃあ……!」


 許可が下りて瞳を輝かせていると、釘を刺すようにクラウドが言葉をかぶせる。


「だけど、俺も同行させてほしい。待っているだけは不安だから」

「もちろんよ! 面会は三日後に取り付けたから。放課後、空けておいてね!」

「なんで三日後?」

「えっと、片付けやら準備に時間がかかるとかで……。早くても二日は待ってほしい、と手紙に書かれていたの」


 解毒薬を受け取ったその足で、ナタリアの家に行くこともできた。

 けれど、門前払いを受けるかもしれないし、彼女の気持ちが落ち着いてからでないと、薬を試すこともできないと思い直したのだ。

 一番戸惑っているのはナタリアのはずだから。

 彼女を慮るなら、手順はちゃんと踏むべきだと思い、まずは手紙でお見舞いに行きたい旨を伝えた。返事はその日のうちに届いたが、なぜか準備期間として二日の猶予がほしいと書かれていた。とりあえず三日後に伺うことを伝え、承諾の連絡が来たのだ。

 クラウドは曖昧に頷く。


「そうなんだ。フローリアには俺から話を通しておくよ」

「助かるわ。ありがとう」

「このぐらいお安いご用だよ」


 無事に話がまとまり、イザベルはクラウドとともにサロンに足を向けた。


      *


 三日後、校門前にはイザベル、クラウド、フローリアの三人が集合していた。リシャールが車のドアを開け、一人ずつ乗り込む。

 ナタリアの住まいは、貴族街の北側に居を構えていた。リシャールが取り次ぎ、年配のメイドがすぐに顔を出す。


「イザベル様、お待ち申し上げておりました。お嬢様がお待ちです。中へどうぞ」


 あまりぞろぞろと連れたって行くわけにもいかず、リシャールには車で待機を命じる。

 家の中に足を踏み入れると、ラベンダーの香りがふわりと漂ってきた。

 玄関ホールから廊下までの道のりは、落ち着いた色調で統一されている。ただ、調度品や床はどこも丹念に磨き上げられており、まぶしいほどだ。


(もしかして、準備ってこのことだった……? いや、まさかね)


 脳内で可能性を打ち消し、先導するメイドの背を追う。彼女は二階奥の部屋の前で立ち止まり、イザベルたちに頭を下げる。


「こちらがナタリア様の私室になります」


 ドアに目を向けると、彼女の名前が手書きで記されたプレートが取り付けられている。

 後ろについてきたクラウドとフローリアに目配せすると、緊張した面持ちで頷きが返ってくる。

 軽くノックしてからドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開く。


「失礼しますわ」


 窓際のベッドには、ナタリアが身を起こして待っていた。微笑んではいるが、少しやつれている。いつもは戦闘力のある縦ロールも心なしか元気がないように見えた。

 続いて部屋に入ってきたフローリアとクラウドの顔を見て、ナタリアがわずかに目を丸くさせる。イザベルは先に謝ることにした。


「ごめんなさい。二人ともお見舞いに行きたいと言っていたので、一緒に連れてきてしまいました」

「今回のこと、心からお見舞い申し上げます」


 フローリアが声をかけると、ナタリアは慌てたように手元にあったスケッチブックを手に取って何かを書き始めた。ペンを走らせていた手が止まると、そのページが見えるように掲げる。

 ゆっくり近づいて、右上がりの文字を確認する。そこには、どうぞお気になさらず、と書かれていた。


「ありがとうございます。……その後はお変わりありませんか?」


 声が出ないことを除けば快適に過ごせております、と言葉が書き綴られる。

 筆記での会話だと、いつもの高飛車な声が聞こえないため、どうも調子が狂う。女性にしては少し低めの声が懐かしく感じる。

 フローリアとクラウドは左右から成りゆきを見守っている。イザベルは持ってきた学生鞄から目当てのものを取り出し、不思議そうな顔のナタリアを見る。


「今日は、こちらをお渡ししたくてお伺いしましたの」


 紙に包まれた丸薬を差し出す。

 これは? という顔を向けられ、イザベルは硬い声で答える。


「声を取り戻す薬です。とある薬の詳しい方に用意していただきました」


 静寂が部屋に満ちる。沈黙が重い。三方向から疑念の目が向けられているのを、ひしひしと感じる。

 思ったとおりの反応に、薄く息を吐き出して言葉を続ける。


「もし、飲むのに抵抗があるようなら、先にわたくしが飲んで大丈夫なことを証明しましょう。どうか、わたくしを信じてください」

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