60. 告発先をお間違いのようです
星祭りは講堂に全校生徒が集まり、午前中は観劇と音楽鑑賞会だ。午後は自由行動になる。展示室に様変わりした体育館で絵画の鑑賞もよし、もしくはガーデンテラスでのお茶会もよし、講堂で鑑賞会第二部を楽しむもよし。
イザベルはジェシカに誘われて、ガーデンテラスに足を運んでいた。
全校生徒のおもてなしのために、この日ばかりは各家の使用人が集まり、給仕や準備を任されている。
実行委員は、星祭りが滞りなく進んでいるかのチェック、トラブルの対応に追われているらしい。校内ではあらゆる場所で、緑の腕章をつけた委員たちが忙しくなく動き回っていた。
その中に桃色の髪を見つけたが、クラウドと何か険しい顔で悩んでいるようだったので、そっと見守るだけにした。
「イザベルは何にする? この季節限定メニューっていうのも気になるわね」
「秋はマロン系も捨てがたいわね……」
メニュー表を見ながら真剣に悩んでいると、第三者の声が割って入った。
「それでしたら、三人でシェアするというのはいかがですか?」
背中越しに聞こえてきた男の声を見やれば、ルーウェンが笑顔でたたずんでいた。白いジャケットに濃い紫のシャツを合わせ、胸ポケットにはピンクのハンカチがのぞいている。
「ルーウェン様」
「……なぜ、あなたが。この空間にいるの」
地の底から這い出たような声はジェシカのもの。イザベルは前もって来ることを知っていたが、ジェシカは来ないものと思っていたのだろう。苦虫をかみつぶしたような顔になっている。
「実は私もここの卒業生でしてね。招待状を受け取ったものですから」
「……へえ。つまり、紫薔薇の伯爵は、暇を持て余しているというわけですね」
「率直に言えば、そうなりますかね」
イザベルの目の前で、見えない火花が飛び散っている。
「えーと。ちょうど三人席ですし、せっかくですから美味しいものでも食べて、気分を変えましょう! ね?」
今日は星を愛でる祭りだ。余計な諍いは避けるが吉だ。
ジェシカはイザベルの提案に渋々頷き、空いていた席を手のひらで示す。
「仕方ないわね。ここは可愛い親友に免じて我慢してあげるわ」
「ありがとうございます。イザベル嬢のおかげで、素敵なお茶会になりそうです」
「……あはは……」
渇いた笑いしか出てこない。毒舌の親友と、笑顔で受け流す伯爵に挟まれたお茶会なんて、波乱の予感しかない。
メイドが持ってきたデザートを見つめながら、イザベルは心を無にして空気に徹することを決意した。
平和を守るためには、時に石像になりきることも必要なのだ。
*
秋の夕暮れは短い。夏より早く日が落ち、すでに薄紫の空には月と星が淡く照らされている。
ほのかに光るランタンが各自に配られ、学年別に分かれたテラス席に座る。
卵形の白いランタンに橙の明かりが揺れている。上にある取っ手をつかみ、自分が座った席に置く。
ガーデンテラスは、いつもはない長机が芝生に並べられ、白いテーブルクロスの上には季節の花が飾られていた。
特Aクラスは左端に設置された特別席になる。その一番後ろが卒業生用の来賓席だ。ちらりと後方を見やると、来賓席の真ん中に座ったルーウェンが手を振ってきた。めざとい。
ジェシカは頬杖をつき、疲れ切った顔をしていた。
「なんだって、伯爵なんかとお茶をしなくてはならないの……」
「ま、まあまあ。もう終わったことだし、お茶会の後は解散したじゃない」
「私は精神的苦痛でもう帰りたい……」
「だ、だけど。半分ずつシェアしたおかげで、ちょっとずついろんな味が楽しめたのは事実でしょ。おかげで体重増加を気にせずに食べられたし」
「……それはまぁ、そうだけどね」
不本意ながらといった風に同意され、イザベルは苦笑いを浮かべた。
やがて前菜が運ばれてきて、晩餐会が始まった。夜色に染まっていく空の下、テーブルに並んだランタンが等間隔に光り、幻想的な空間を作り出す。
後方にはオーケストラが移動してきて、バイオリンが静かな曲調を奏でだす。それを合図に違う楽器が寄り添うように音を重ねていく。
メインディッシュは子牛肉のロースト。香味ソースと副菜の付け合わせに舌鼓を打っていると、真横の関係者席に座ったフローリアが嬉しそうに頬に手を当てていた。
その様子を微笑ましく見ていると、関係者席に座っていたラミカが立ち上がり、臨時の壇上に立った。
デザートのミルフィーユが配られる中、何が始まるのかと皆の視線が集まる。
ざわつく雰囲気を切り裂くように、硬い声がマイク越しに響いた。
「星祭り実行委員の高等部一年、ラミカ・アムールと申します。私はこの場で、自分の罪を公表したいと思います。私はある方に命じられ、同じクラスのフローリア・ルルネさんに数々の嫌がらせをしてきました」
唐突の告白が始まり、誰もが口を閉ざして耳を傾ける。一方、ざわついているのは二年生の席だった。おそらく、一番動揺しているナタリアの派閥あたりだろう。
「ですが、彼女はどんなに悪意を向けられても泣きもせず、強い人でした。誘拐事件のときだって、彼女が自ら人質となってくれたから、私はすぐに解放されました。あれほどの勇気と優しさを持つ人を私は他に知りません」
ラミカの視線の先には、驚いた表情で固まっているフローリアがいた。
「この星祭りが無事に迎えられたのも、フローリアさんの頑張りがあってこそです。私は誤解をしていました。彼女は虐げられるべき人ではありません。身分差に関係なく、すべての人に慈しむことができる聖女のような方です。だから彼女を害する方をそのままにはできません」
その覚悟を決めたような表情を見て、イザベルは嫌な予感が当たったのを悟った。
(……これってまさか、断罪イベント……?)
だが、時期が早すぎる。ゲームでは星祭りの数ヶ月後だった。
オリヴィル公爵家主催の夜会にヒロインが招待され、そこで悪役令嬢が数々の罪をつまびらかにされて、その場で婚約破棄される――そういう流れだったはずだ。
(だけど。遠かれ早かれ、断罪されるのはわかっていたこと。予定より早くてちょっと驚いたけど……さあ、来なさい!)
意気込むイザベルと裏腹に、ラミカの視線は、フローリアから違う人物に向けられている。会場の注目を一身に集め、ラミカは右腕をまっすぐと突き出した。
「すべては、ナタリア様のご指示でした!」
「…………」
会場中がしんと静まり返る。思いもよらない告発先に、イザベルは意味もなく瞬きを繰り返す。
(台詞を……間違えたのかしら……?)
しかし、ラミカが指を突き出した先にいるのはナタリアだ。前の席に座る彼女も何を言われたのか理解できずにいるのか、硬直している。
会場に響いていたはずの演奏も今は止まっている。
静止した世界に迷い込んでしまったのように、誰もが動けずにいる。
そんな中、思考を打ち切ったのは澄んだ声。
「……お待ちください!」
視線が集中し、フローリアがわずかに怯む。けれど、次の瞬間には毅然とした態度で言葉を続けた。
「私は誰の処罰も望んでいません! 皆さんご承知のとおり、私は成り上がり男爵の娘です。周囲が私を疎ましく感じているのは、よくわかっております。確かに嫌がらせの類いはたくさん受けてきました。ですが、対話を重ねれば、誤解は解けます。ナタリア様は悪い方ではありません」
必死に弁護する声に心を打たれたように、反論の声はあがらなかった。
ナタリアも予想外の言葉だったのか、口を開けて呆けている。けれど、そのままではマズいと感じたらしく、唇を真一文字に引き結ぶ。
そして、フローリアをまっすぐと見つめた。その眼差しは、負けを認めたように常より和らいで見えた。
「……っ……っ……」
ナタリアが口をぱくぱくと開く。けれど、いくら待っても、ややハスキーな声は聞こえてこない。
音が伴わない声に、誰もが首を傾げる。
(もしかして、声が出ないの……?)
イザベルが駆け寄ると、ナタリアが喉元を押さえ、苦しげに眉を寄せた。
「ナタリア様……? 声が……」
だが彼女が口を何度開いても、その言葉は聞き取れない。
異常事態に気づいたように、周囲がざわつく。眉をきつく寄せたままのナタリアの背中をさすり、イザベルは声を張り上げた。
「誰か! お医者様を呼んで! 早く!」
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