58. 指先が触れているのですが
「うーん。どこにも記述はないわね……」
ぱたんと閉じた本を、横にそびえたつタワーの一番上に置く。歴史書や伝承の関連書籍を積み重ねたタワーを一瞥し、ふうと息をつく。
(家の書斎にもなかったし、学園の図書室も空振りだったわね……。もしかしなくとも魔女って表舞台には出てこないものなのかしら……)
リシャールが敵に回った原因は、魔女の存在が大きい。彼女についての情報はできるだけ集めておきたい。
けれど、現状では魔女の調査は芳しくない。
(やっぱり、リシャールに直接聞くしかないかしら。だけど、あの子が簡単に教えてくれるとは思えないのよね)
攻略キャラの中で難易度が一番高かったのが「黒薔薇の執事」だった。
ひとつでも選択肢を誤ると、幽閉されたり毎日監視されたり、非常にバッドエンドよりのノーマルエンドになる。そのため、トゥルーエンドを見たければ、攻略サイトが必須だった。
したがって、リシャールに直接聞くという選択肢は、最終手段にしておきたい。
そこまで考えたところで、ふと思考の海に男の声が割って入る。
「何を探しているんだ?」
「っ……」
「おっと、図書室は静かに」
とっさに口を手で押さえられ、イザベルは声にならない悲鳴をあげた。
(唇に……手があたっ……当たって……!)
すでに彼の手は離れて、口元は解放されている。
だが、問題はそこではない。曲がりなりにも好きな人の指先が触れられ、動揺するなという方が無理だ。
むやみに、純情な乙女の心を揺さぶるような真似はやめてほしい。
「…………」
言葉がまとまらず、威嚇するように見つめる。しかし、ジークフリートは慣れたようにその視線を受け流し、イザベルの横の席に腰を下ろす。
これは居座る気満々だ。
ジークフリートは積み上げられた本の背表紙を眺め、小声でつぶやく。
「歴史に関する本か、勉強熱心なことだな」
「……ジークもお勉強ですか?」
「いや。校門で待っていたリシャールに、イザベルの場所を尋ねたら、図書室で勉強していると聞いた」
「つまり、様子を見に来ただけですか」
自然と声が刺々しくなったのは致し方ないだろう。
「何か困っているなら力になろう。もし役に立たなくても、話ぐらいは聞ける」
「ありがとうございます。お気持ちだけで充分ですわ」
「……僕では君の力になれないか?」
ダークブラウンの瞳がまっすぐに見つめてきて、息が詰まりそうになる。
(だけど、魔女が存在しているなんて話、信じてもらえないだろうし……ジークには頼れない)
眉尻を下げながら、イザベルはきっぱりとお断りをした。
「おそれながら、ジークに手伝ってもらうことはありません。これはわたくしの問題ですから、自分で探さなければならないのです」
「そうか……だが、そばで見守るだけなら構わないだろう? 邪魔はしない」
「で、ですが」
「そのぐらいは許してほしい。イザベルのことを心配をしている人は、君が思っているより、ずっと多いと思う」
そこまで言われて追い出せるほど、イザベルの心は図太くなかった。
ご自由に、と蚊の鳴くような声で言うのが精一杯だった。
「ああ、ありがとう」
許しを得たことに対する感謝だろうか、ジークフリートは無邪気な笑みを浮かべた。その喜びに満ちた顔が、不意に昔の記憶と重なって、心臓がどくんと脈打つ。
ジークフリートは新たにぶ厚い本を持ってきて、静かに読みふけっている。
自意識過剰に反応してしまう心をなだめようと、イザベルは窓の外に見えるオオデマリの木を見下ろしながら深呼吸をした。
*
夕食後に出てきたヘーゼルナッツ入りのジェラートを食べていると、ルドガーが話を振ってきた。
「そういえば、もうすぐ星祭りの時期だったよね」
「ええ、そうです。来月の予定ですわ」
ちなみに、かつて社交界の花といわれた母親は夜会に参加しているため、今夜の晩餐は二人のみだ。
「残念だ。再来月なら仕事も調整できたのだが……」
発表会ではないのだから、別に来る必要はないでしょう。
そう言いたいのをグッと堪え、イザベルは微笑みだけで応える。
鑑賞会や晩餐会は、卒業生なら自由に参加できるようになっている。多くは仕事や領地経営で忙しくて不参加だが、在学中の兄弟や親戚がいる場合などは、懐かしの学び舎に顔を出す例も珍しくない。
「お仕事も大切でしょうが、あまり根を詰めすぎないでくださいね」
「ああ、さすが僕の天使。なんて思いやりに満ちているんだろう。こんなに素晴らしい妹に恵まれて、兄様は誇らしく思うよ」
オーバーワークが通常業務になってしまったらしく、ルドガーの溺愛ぶりが重い。これは早急に話題を変える必要があるな、とイザベルはスプーンを置いた。
「卒業生といえば、カリス様もそうですよね。ですが、お兄様がご多忙ということは同じく忙しいということですから当然、不参加ですよね。他の皆さまもお忙しいのでしょうか」
「……ああ、ルーウェンは招待状に参加で出したって言っていたな……」
いまいましそうに言う姿を見て、イザベルは首を傾げた。
「ルドガーお兄様とルーウェン様はご友人なんですか?」
「友達だなんてとんでもない。悪友だよ、悪友。あいつは昔から寂しさを紛らすために女の子をひっかけるような、ろくでもないやつなんだ。イザベルはあいつに近寄ったらダメだよ」
人差し指を立てて忠告してくる兄に、もちろんです、と答える。
だがルドガーはかえって心配が増したらしく、重ねて注意してくる。
「もし別室に連れ込もうとしていたら、遠慮なく引っぱたいてくるんだよ。あいつは節操なしだから」
「承知しております。学園にはジェシカもいますし、心配には及びません」
「そうか……ジェシカ嬢がいるなら安心だね。彼女は男を蹴散らすことには慣れているようだったから」
「ふふ、そういうことです」
ジェシカの男嫌いは有名だ。
プライドをへし折られた子息も数知れず。社交界で語り継がれていく武勇伝は増えていくばかりだ。彼女にいまだに浮いた話が出てこないのは、そのせいも大きいだろう。
共通認識に笑みを深めると、ルドガーも笑い返した。
*
門扉の前で、リシャールは来客の応対に難儀していた。
「イザベル様は体調を崩されて静養中です」
「……それは先週にも聞いたな」
「夜更かしで風邪気味なのは事実でございます」
外出禁止令は完全には解かれていない。つまり、いまだ社交界でイザベルの噂が囁かれているということだ。
週末にオペラや食事、はたまた夜会の誘いはお断り案件なのである。
主人の婚約者はマメな男で、毎週のようにイザベルに会いにやってくる。外で会うのが難しいと言えば、直接家に訪問してくるようになった。
(毎日のようにサロンで顔を合わせているはずなのに……。真面目すぎる男というのも厄介ですね……)
婚約者としての責務は充分すぎるほど果たしている。
しかし、門前払いを繰り返す執事見習いに、ジークフリートはなおも食い下がる。
「ならば、せめて一目だけでも……」
「ジークフリート様が顔を出せば、余計な労力を使わせることになります。体力を温存させるべきときに、無用な行動は控えていただけますか」
早く帰れと遠回しに言ってみるが、白薔薇の貴公子は柳眉を逆立てることはしない。このあたりは、さすがオリヴィル公爵令息だと思う。
ジークフリートは困ったように額に手を当て、リシャールを流し目で見た。
「……君は相変わらずだな。婚約者なのに、顔を見ることすら許されないのか」
「主人の体調を思えばこそです。ジークフリート様が来ていると知れば、身だしなみを整える手間も増えます。日を改めてお越しくださいますよう、お願いいたします」
イザベルは婚約者の訪問を知らない。
毎週、門前であしらっているのは完全なる独断である。
(イザベル様は読書を満喫されている時間帯だろう。……というよりも、いい加減、諦めてほしいところですが)
この二人が結婚すれば、予知夢が現実のものとなってしまう。
それだけは、何としてでも避けなくてはならない。
リシャールが折れないことを悟ったのだろう。仕方ないな、とつぶやく声がもれた。
「専属執事が断るぐらい具合が優れないのだろう。日を改めることにするよ」
「主人へのご配慮、痛み入ります」
腰を曲げ、完璧な角度で来客を見送る。オリヴィル公爵家の黒いリムジンが遠くなっていくのを見届け、リシャールはぼやくように言う。
「イザベル様に聞けば、私が妨害していることはすぐ気づくでしょうに。なかなか不器用な性格でいらっしゃる……」
ジークフリートとて、誰の言葉でも信用するような愚かな男ではない。
彼が素直に信じてくれるのは、それだけリシャールを信頼しているからだろう。イザベルを信用しているから、彼女が身近に置いている人間を疑うようなことはしない。それだけだ。
リシャールは黒ベストにつながれた懐中時計を取り出し、刻々と時を刻む秒針を見てつぶやく。
「もうじき午後のティータイムの時間ですね」
もどかしい思いに駆られながらも踵を返す。イザベルが好物のチョコレートケーキがそろそろ焼き上がる頃合いだ。
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