10. 人気のない場所に呼び出されました
週明けの日常はたんたんと過ぎていく。
イザベルがナレーションをつけるなら、そう締めくくっていただろう。正午の鐘が鳴って談話室に向かう途中、後ろから呼び止められるまでは。
「……クラウド。人気がないところでしかできないお話は何かしら」
「うん。こんなところに呼び出してごめんね」
辺りは静寂に包まれている。部活動に励む生徒の声すら聞こえない。
場所は、旧校舎近くにある体育倉庫の前。古びた倉庫は、予備の用具が押し込まれている関係からか、南京錠で施錠されている。だいぶサビが目立つが、ほぼ使われることはないから問題ないだろう。
(問題は……どうして呼び出されたのかってことよね)
これが恋愛イベントなら、告白という展開もあり得るだろうが、目の前のクラウドの顔を見るに、そんな雰囲気でもない。
思いつめたような沈鬱とした表情は、いったい何があったのだろう。思い返せば、朝も様子がおかしかった気がする。
「……イザベル」
「は、はいっ!」
ただならぬ空気を感じ、イザベルは背筋を伸ばした。
「フローリアは俺の昔なじみなんだ。だから、彼女が困っているなら助けたいと思ってる」
非常に回りくどい表現だが、フローリアというキーワードで、イザベルは彼の言わんとすることに察しがついた。
要するに、これは牽制だ。自分の立ち位置と、どうしたいかを前もって明示することで、相手の出方を窺っている。
だが、状況を理解すると同時に困惑してしまう。
(どうしよう……。クラウドから敵認定されたら、完全に悪役令嬢に仕立て上げられる……。それに、せっかく獲得した友人枠が悪役枠に……)
乙女ゲームでいう分岐ルートだ。ここは慎重にならなければならない。ゲーム画面の下に出てくるであろう選択肢を考える。
一、身の潔白を訴える
二、フローリアに同情する
三、困っている内容を聞く
この場合、彼の中で悪役令嬢フラグを取り消すには、どの選択肢が正解だろう。
イザベルは熟慮の末、良心に従うことにした。
「……信じてもらえないかもしれないけど、フローリア様に嫌がらせをしているのはわたくしではないわ」
犯人探しは難航している。実行犯は複数犯とみているが、誰が主導かまではつかめていない。証拠はないが、イザベルは無実だ。
しかし、ただ「信じて」と言葉を重ねただけでは、すぐには信じてもらえないだろう。それに、無実の主張を繰り返す行為は、かえって怪しさ倍増になる恐れがある。
(これは……詰んだかもしれない)
口を噤んでいると、先に沈黙を破ったのはクラウドだった。
「実は、こないだフローリアから報告を受けたんだ」
「……報告?」
「この学園で、初めての友達ができたって」
どこかで聞いたことがあるようなフレーズだ。
「それって……」
「うん。イザベルと友達になったって、本当にうれしそうだったよ。でも立場とか周りの目とかあるから、学園では話すことも難しいけどね、とも言ってた」
ハンカチ事件を思い出し、イザベルは顔をしかめた。
悪役令嬢とヒロインでは、ただの挨拶ですら、宣戦布告と受け取られる。いつ誰が見ているかわからない学園内では、確かに会話すらままならない。
(本当は、もっと仲良くなれたらいいのに)
イザベルの心の声を拾ったように、クラウドが静かに確認する。
「君は何もしていないんだね?」
「もちろんよ!」
即答すると、クラウドの硬かった雰囲気が緩んで、いつもの優しい表情に戻った。
「俺はイザベルを信じるよ。一緒に真犯人を暴こう」
なんとか、今回の危機は脱したらしい。ホッとしたイザベルは、差し出された手を握りしめた。
*
クラウドとの間に締結された「イザベルの名誉回復同盟」は、当面は各自で調査することで話がまとまった。お互い、何かわかったら報告をすることになっている。
本日のイザベルの活動内容は、フローリアの下駄箱に異常がないかを確認することだった。周囲に人気がないのを念入りに確認したうえで、彼女の名前が書かれたプレートのドアを開けたが、特に異常はなかった。
(……そういえば、ジェシカが言っていたっけ。バケツ落下事件から、過激な嫌がらせはなくなったみたいって)
誰かの圧力か、天の配剤か。どちらかはわからないが、フローリアが無事ならそれでいい。そう納得したイザベルは、まっすぐに帰宅することにした。
玄関で靴を脱いでいると、リビングから楽しげな声が聞こえてくる。
(来客なら応接室を使うだろうし……ひょっとして)
リビングのドアをそっと開けると、予想どおりの人物がいた。
「ルドガーお兄様、お戻りだったのですか」
長身の青年がソファ越しに振り返る。
背中につくアッシュブロンドの髪はブルーのリボンで束ねられ、その瞳はイザベルと同じ若葉色。年齢は今年二十六歳になる。記憶が正しければ、第一王子の同い年のはずだ。
ルドガーは無言のまま、部屋の入り口にいたイザベルの元に早歩きで近づく。その距離が縮まったかと思ったときには、イザベルの小さい体は、彼の腕の中に閉じ込められていた。
「嗚呼、愛しいイザベル。会いたかったよ!」
「く……苦しいです……」
思わず呻くと、拘束していた腕の力が緩まった。脱出するなら今だと、イザベルは暑苦しい抱擁から抜け出す。一人分のスペースの距離を取り、改めて兄であるルドガーを見上げる。
ルドガーと、こうして直接会って話すのも久しぶりだ。
カリス第一王子の遠方視察前に、もろもろの政務を前倒しする関係で、何週間も王宮で缶詰め生活だと聞いていた。数週間ぶりに見る兄は、どこか少しやつれた印象がある。
「ごめんごめん。リシャールから園遊会では日射病で倒れ、先日は風邪で寝込んだと聞いたものだから。王宮で缶詰めにされていなかったら、この兄がすぐに駆けつけたものを……」
「お気持ちだけで結構です」
丁重にお断りを入れると、ルドガーは悲しげに言い募る。
「イザベルはぶれないね。でもそういうところも、たまらなく可愛い」
「……お兄様」
「心配には及ばない。イザベルの気持ちはわかっているつもりだ。君が恥ずかしがり屋だということは、兄様はよく知っているよ」
だめだ、話が通じない。
基本的に面倒見がよくて妹想いの兄だが、時として愛が重い日もある。
年が離れていることもあってか、鬱憤がたまると、ネジが吹き飛んだように妹への接し方が過剰になってしまうのだ。
幸か不幸か、ゲームでは攻略対象には含まれていない。
(外交官の秘書官で優秀らしいけど……正直、攻略対象にはしたくない)
ルドガー本人は視察には同行しないようだが、第一王子の側近として、存分にこき使われたのだろう。
端正な顔立ちなのに、目の下の隈がそれを物語っている。
「そんなことより、お仕事はもう大丈夫なのですか?」
「ああ。山場は通り越したからね。ここ最近はろくに寝ていないから、兄様はつらい。どうか癒やしてほしい」
さあ、と両手を広げる兄を見つめ、イザベルはすげなく断った。
「抱擁は先ほど充分いたしました。お兄様は、早く恋人を作るべきだと思います」
「心配はいらない。僕には、イザベルという天使のような妹がいるのだから」
「…………」
かけるべき言葉が見つからず、哀れむような目で見つめる。
しかし、妹の冷たい視線には気づかないフリをし、ルドガーは笑みを崩さない。秘書官で培った腹黒気質を感じ、イザベルは警戒心を強めた。
妹の警戒モードを和らげるためか、ルドガーは笑顔をキープしたまま、話題を変える。
「レオン殿下の生誕祭まで、まだ各方面の調整が残っているけど。明日にはカリス殿下も旅立たれる。しばらくは平穏な日々が戻るだろうから、王宮に寝泊まりの毎日からも解放されるよ」
「生誕祭……ああ、そういえば。招待状が来ていましたね」
「イザベルはレオン殿下とも仲がいいんだって? 同じクラスだと父上から聞いたけど」
探りを入れるような視線を感じながら、イザベルは学園内でのツンデレ王子の様子を思い出す。
「仲は悪くはないと思いますよ。ただ……一匹狼とでも呼べばいいんでしょうか。クラス内では、孤高の存在感を放っています。まあ、わたくしには皆さんが怖がる理由がよくわかりませんが」
「……レオン殿下は、まだ愛想すら取り繕えないのか……。そろそろ対人スキルも習得してほしいところだね」
ルドガーは顎に手を当て、しみじみと語る。しょうがないな、という風を装っているが、妹の目は誤魔化せない。その瞳には何かを決意したような強い意志が宿っていた。
経験則から言って、この冷たい瞳をしているときは、悪に染まる覚悟をしているときだ。
妹にデレデレの様子は、家族や親しい者だけが知る、完全なるオフの姿だ。イザベルがオンの様子を見る機会はほとんどないが、その片鱗は日常生活でも垣間見えるものだ。
一度、彼の逆鱗に触れたクラスメイトの男の子が、言葉の刃によって追い詰められたことがある。容赦がない、と子供ながらにも戦慄したものだ。
次の日、イザベルをからからっていた男の子は、イザベルを女王様のように崇めはじめた。次第に、彼の行動は周りにも波及し、イザベルの学園内での地位は盤石のものとなった。
兄にまつわる噂の内容は怖くて聞いていないが、一度やると決めたときの行動力は、甘く見てはいけない気がする。
(これはマズい、非常にマズいわ。レオン王子の個性が、この腹黒兄のせいで奪われてしまう……!)
不安が加速し、手懐けられてすっかり丸くなったレオンの姿を想像する。ヒロインの手ではなく、一従者によって性格を矯正され、生涯消えないトラウマが植えつけられた王子。想像しただけでも、胸が苦しくなる。
イザベルは、一友人として、レオンを擁護することにした。
「お兄様、王子はただツンツンしているのではありませんわ。たまにデレます。そして、そこが大変可愛らしいのです。外交では王子の仮面をかぶる必要がありますが、あの素質は、そのままにおくべきですわ!」
「……そうなの?」
「貴重なツンデレなんです!」
熱く語るイザベルを見つめ、ルドガーは困ったように苦笑した。
「……言っていることがよくわからないけど、イザベルの熱意だけは伝わってきたよ。最低限の対人スキルは必要だけど、根本的には無理に変わることはない、ということだね?」
「さすが、ルドガーお兄様ですわ。わたくしの言いたいことを的確に表現してくださり、ありがとうございます」
異世界の言語の壁すらも超えた理解力に、尊敬の眼差しを向ける。
ルドガーは気分をよくしたのか、今回はそういうことにしておくね、と妹の要望に快諾した。
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