第124話 兼業

 グレイスと別れた僕は、特に用事もなかったのでそのまま真っ直ぐに零騎士の詰所へと向かった。だが、その足取りは重い。

 まさか彼女があんな事を求めてくるとは。予想の斜め上を飛翔していった感じだよ。やれやれ、本当に困った。


 ――無理なら全然構わないわ。ケーキをご馳走してくれただけで見返りには十分だから。


 彼女はそう言っていた。だが、その言葉に甘えるわけにはいかない。これまでだって何度も彼女に甘えてきた。可能な限り、彼女の要望には応えたい。


「……とはいえ、冒険者か」


 城の裏門から詰所に向かう道の途中で僕の口から無意識に言葉が漏れた。冒険者になる事自体は容易だ。ギルドで申請を出せばそれでおしまい。お堅い職業ではないため、その人物のバックグラウンドも詮索したりしない。人には言えないような過去を持つ僕みたいな男でも軽く冒険者にはなれるはずだ。

 だが、問題はそこではない。女王直轄の騎士団に所属しておきながら冒険者という副業をこなすのは、果たしていいのだろうか。……やはり、女王に話をしないわけにはいかないだろうか。


 そんな事を考えていたら、いつの間にか詰所の玄関にたどり着いていた。僕は小さくため息をつきつつ扉を開く。


「おかえりなさい、レイ様」


 そこにはいつもの通り柔和な笑みを浮かべた初老の男が立っていた。燕尾服を完璧に着こなしているこの男の名はノーチェ。第零騎士団の一員でもあり、僕の師匠でもある。


「ただいま戻りました。……僕以外は誰もいないようですね」

「いえ、ファラ様とファル様はお帰りなっています」


 玄関からリビングの方をチラリと見ながら僕が言うと、ノーチェが首を左右に振った。なんだ、ファルもファラも帰って来てるのか。という事は、二人とも自分の部屋にいるのかな? 珍しい。


「お二人は裏庭で手合わせをしておりますよ」


 僕の考えを読み取ったかのようにノーチェが教えてくれた。それはもっと珍しいね。あの二人が自分から鍛錬に励むなんて。


「何かお飲み物でも用意しましょうか?」

「それなら温かいお茶をもらえますか? すぐに着替えてきますので」

「かしこまりました」


 優雅にお辞儀をすると、ノーチェは台所へと歩いていった。僕は自分の部屋に行き、ささっと着替えを済ませ、リビングに戻ってくる。僕がソファに腰を下ろすのと同時に、ノーチェがお茶を持って台所からやって来た。


「それにしても珍しいですね」

「そうですね。あの二人が自発的に体を鍛えるなんて」

「あぁ、いえ。そちらではありません」

「え?」


 そっちじゃない? じゃあ他に珍しい事があるって事?


「今は女王様から特別な任務を言いつかっていないと記憶しています。ですが、レイ様は姫様の護衛をファラ様とファル様に任せたと伺いました」


 あー……その事か。自分の事だから全然ピンとこなかった。


「あのお二人を信頼しての事だとは思いますが、やはり珍しいという思いは拭いきれませんでした。よほど大事な用がお有りになったのかと」

「そんな大層な事じゃありませんよ。ヴォルフの件でグレイスに協力を仰いだのでそのお礼をしただけです」

「……その事をファラ様とファル様には?」

「クロエ王女の帰りの護衛を頼む時に話しました」

「なるほど……」


 ノーチェが何かを思案するように手を顎に添える。残念ながら、この人の思考を読み取れるほど僕は経験豊富ではない。


「ファラ様が帰宅すると共にファル様を引きずって裏庭に行かれた理由がわかりました」

「ファラがファルを連れていったんですか? やっぱり一人置いて行かれてフラストレーションが溜まったのでしょうか」

「レイ様がそう思うのであれば、そういう事にしておきましょう」


 ノーチェが朗らかに笑った。彼はありとあらゆる事に精通しており、物事の本質を見抜く事にずば抜けているが、それを中々教えてはくれない。だから、今みたいにモヤモヤする事がこれまでも数多くあった。だが、こういう時は詮索しても華麗に受け流されてしまうのは経験上明らかなので、僕はこれ以上追求する事はしない。


「だー! まじできっちぃ!!」


 僕がノーチェの入れてくれたお茶を飲んでいると、バタンと玄関が開かれ、そこから金髪の男が倒れ込んできた。その両手に掃除用具がある事を見るに、どうやらしっかりと罰をこなしているらしい。


「お疲れ様」

「ん? ……あぁ、帰ってたんすねかしら叔父貴おじき! なんか冷たいもんくれ! 死んじまうよ!!」

「お水でよろしいでしょうか?」

「冗談! 尊い労働の後はビールだって相場が決まってんよ!」

「かしこまりました」


 ノーチェが苦笑い混じりの笑みを浮かべ、足早に台所へと入っていく。


「お城の掃除はどう?」


 親の仇かのように掃除用具を投げ捨て、前に座ったヴォルフに僕は軽い口調で話しかけた。


「どうもこうもねぇよ。こりゃ犯罪奴隷と似たような扱いだっての」

「それだけ城に使えている人達は苦労してるって事だね。その苦労を味わえるなんていい経験じゃないか」

「もっと楽しい経験がしたいっすね。あのお美しい女王様の夜のお世話とか」

「教育的指導が入る発言だね、それ」


 僕はヴォルフに冷ややかな視線を向ける。だご、ヴォルフには全く効いていないようだった。


「あれ? 双子ちゃんは?」

「裏庭で手合わせしてるよ」

「手合わせだぁ!? あの二人が!?」

「ヴォルフ様の一件でご迷惑をかけたグレイス様にお礼をするため、レイ様がお二人にクロエ様の護衛を頼まれたようで、帰って来てからずっと手合わせをしております」

「あー……なるほど。納得」


 いやに説明くさいノーチェの言葉に、持ってきたビールを受け取りながら、ヴォルフが呆れたように言った。


「そりゃ、体を動かしたくもなるってもんだ」

「申し訳ないけど、ノーチェさんの話を聞いてその結論に至る理由が皆目見当もつかないんだよね」

「あぁ、いいのいいの。頭はわからなくて。その方が面白れぇから」


 なんだろう、無性に腹が立つ。女王様に進言して、もう少し罰を重くしてもらった方がいいかもしれない。


「まぁでも、零騎士じゃない奴に迷惑をかけたってなったら、礼をしないわけにわいかねぇわな。……俺が言えた義理じゃねぇけど」

「本当だよ。ヴォルフが馬鹿な真似をしなきゃ、何の問題も起きなかったんだから。お陰で報酬としてとんでもない事を要求されてしまったよ」

「とんでもない要求? 会ったのは二度ほどだけど、グレイスちゃんはそんな空気の読めねぇ事はしない子だろ? つーか、頭もそう思ってたから頼ったんじゃねぇんすか?」

「それは……そうなんだけどさ」


 思わず口籠る。全くもってヴォルフの言う通りだ。そもそも彼女自身、初めは報酬なんて頭にもなかったみたいだし。それなのに何故かケーキ屋で話していたら心が変わったみたいだ。


「で? 何を要求されたのよ?」

「ん? あぁ、僕に冒険者になって欲しいらしい」


 僕の言葉を聞いたヴォルフとノーチェが顔を見合わせる。そんな反応になるよね。僕だってどうしてそんな事を要求されたかわからない。まぁ、彼女の事だから何かしら理由はあるんだろうけど。


「それはまた……」

「変わったお願いをされたものですね」


 なんとも言えない表情を浮かべる二人を見て、僕は軽く肩をすくめた。


「金品を求められた方がよっぽどわかりやすかったよ。まったく……どうしたもんか」


 零騎士の一員として安請け合いするわけにはいかないし、かといって無碍にするわけにもいかない。本当に困った。


「別に悩む必要ないっしょ。彼女が望むなら冒険者になればいいだけの話だ」

「簡単に言ってくれるね。ヴォルフは知らないのかもしれないけど、僕は第零騎士団の騎士なんだよね」

「教えてくれてありがとさん。でも、そんなの関係ないない。 俺だって冒険者だし」

「……は?」


 なにそれ。初耳なんだけど。


「あれ? 言ってなかったっけ? 冒険者って結構いい小遣い稼ぎになるんだよ」

「……なるほど。本業は手を抜いて、冒険者で小金を作っていた、と?」

「じょ、冗談! 小遣い稼ぎは冗談っす!!」


 目が据わった僕を見て、慌ててヴォルフが両手を前に突き出して否定する。


「真面目な話、冒険者って結構便利なんすよ。知らない街でもギルドに行けば情報もらえるし、身分証として使えるし、冒険者の情報網は侮れないしな」

「むっ……」


 そう言われると何も言えなくなる。現にヴォルフの情報収集能力は、この屋敷にいながら大抵の事を把握している誰かさんは抜きにしてピカイチだ。その彼が冒険者の情報網が侮れないと言うのなら確かなのだろう。


「もしかして兼業になって任務が疎かになるかもしれない、だなんて思ってるなら取り越し苦労だよ。つーか、あんたは零騎士の仕事で手を抜く事なんてないっしょ?」

「まぁ……そうだね」

「だったら考え方を変えるんだよ。本業の邪魔になるんじゃなくて、本業に役立つツールとして冒険者を利用する。裏の騎士団や一般人じゃやりにくい時も、冒険者だったら動きやすい時だってあるしな」

「なるほど」


 言ってることは理解できる。できるんだけど、なぜだろう? なんとなく違和感を感じる。なんかヴォルフは僕を冒険者にしたがっていないか?


「……どうして冒険者になるメリットばかり教えてくれるのさ?」

「そりゃ、そっちの方が面白れぇからに決まってるっしょ! 青春を知らずに二十年も過ごした男に、やっとこさそいつが顔を覗かせたんだからよ!」

「意味がわからないんだけど」


 でもまぁ、ヴォルフのおかげで冒険者になることに関して前向きになることができたのは確かだ。とはいえ、こればっかりは僕の独断で決めることができない。女王に仕える身としてやはり彼女には報告し、許可をもらう義務が僕には……。


「デボラ女王に確認する必要はありませんよ。たった今私が話しておきました。『面白そうだから冒険者になれ。これは女王としての命令だ』との事です」


 相変わらず仕事が早いですね、ノーチェさん。これで僕が冒険者を拒否することはできなくなったってわけだ。どうして僕の周りの人達は面白さを重視する人達ばかりなのだろうか。頭が痛くなりそうだよ、本当。

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