第86話 クイーン

 いきなり横槍を入れてきた明らかに只者ではない男を見て、三人の顔色が一瞬にして変わる。ファラも僕の手を離し、目の前に立つ男に警戒心を露わにしていた。


「ま、ままま、まさか……ジャックさん!?」


 三人組の一人が裏返った声で問いかける。そう、この男はジャック。自由区の一角を取り仕切る組織の幹部で、僕をノックスの部屋へと案内してくれた男だ。


「……俺の名前を知ってるってことはうちの連中か?」


 ジャックが底冷えするような声で尋ねると、三人組はガダガタ震えながら必死に首を左右に振った。こんな悪ガキの延長みたいな奴らでも彼の名前を知っているのか。


「なら、そこいらのチンピラか。うちの連中だったらきっちり躾けてやろうと思ったが……まぁ、いい。まだお天道様を拝みたいってんならさっさとこの場から消えろ」

「は、はいぃぃぃ!!」


 情けないほどに大きな声で返事するや否や、三人組は腰を抜かしながら階段を駆け上がっていく。その背中を見ながらジャックは大きくため息を吐いた。


「たくっ、今日日のガキは肝っ玉が小さくていけねぇな。……怖いもの知らずではあるようだが」

「あんたの顔を見たら誰だってあぁなるんじゃない?」

「そいつは心外ですぜ。見ず知らずのバカ共の命を救ってやるくらいには優しいんですよ、俺は」


 そう言いながらジャックが顔をこちらに向けてくる。自由区で見かけたときはかなりラフな服装をしていたが、今の彼はしっかり黒い背広を着こんでいた。ただ、人相的にぴっちりした格好をしたところで堅気には全く見えない。


「……知り合い?」

「まぁね」


 ジャックを知らないファラが『トレス』のまま尋ねてきたので、僕は短く答えた。そんなファラを見て、ジャックは意外そうな表情を浮かべる。


「ゼロさんは一匹狼だと思っていたから仲間がいるなんて驚きですね」

「一匹狼なんて柄じゃないよ。そういう男は知ってるけどさ。というか、よく僕の名前を知ってたね? 前に名乗ったっけ?」

「ノックスの奴に聞きましてね。あいつも名前くらいはタダで教えてくれますよ」


 あの銭ゲバ情報屋がタダで教えるとはね。まぁ、あの場所を借りている家賃みたいなものか。


「そういえばノックスはバカンスから帰ってきたの?」

「いや、まだですぜ。あの焦りようじゃ、相当長い休暇を楽しむことになるんじゃないですか? 休みすぎてお星様になっちまうかも」

「……そうなんだ」


 これは本格的に他の情報屋を探した方がいいかもしれない。なんだかんだあの男を当てにしていたからこれは痛手だ。


「あのバカが姿をくらませたせいで、こんなど素人が開く闇オークションにまでわざわざ足を運ぶことになっちまったが……あんたがいるってことは大当たりってことですかい?」

「大当たり? 何の話を」

「ジャック!」


 いまいちジャックの言いたい事がわからなかった僕が詳しく聞こうと思ったら、突然階段の上から彼を呼ぶ声が聞こえた。そちらに目を向けると、スラッとした長髪の美女がゆっくり階段を降りてきている姿が目に入る。


「半ベソかいた三人組が死に物狂いで階段を上ってきたが、お前の仕業だろ! ガキを怖がらせるなっていつも言ってるだろうが!」

「クイーンの姉御……俺は別に怖がらせては……」

「言い訳など聞きたくない! ……ん?」


 ジャックに怒声を上げていた美女が僕達に気づき、訝しげな表情を浮かべた。ジャックはクイーンと呼んでいた。つまり、この人は同じ組織の幹部である可能性が高い。


「……なんだこいつらは?」


 クイーンの目がナイフのように鋭くなる。恐らく僕達が彼女を見て思ったように、彼女も僕達を見てただの市民ではないことに気がついたんだろう。まぁ、こんな所に来ている時点で一般人じゃありえないだろうけど。


「俺の知り合いですよ」

「ほぉ……お前の、ねぇ……」


 ジャックの言葉を聞いた彼女は値踏みをするような目をこちらに向けてくる。見た目は女豹のようなのに、その身体からあふれるオーラは猛虎のように荒々しい。まぁ、虎でも豹でもこういう手合いは刺激しないに限る。


「見た感じ……いや、実際の年齢も若そうだ。だが、相当修羅場をくぐってきているようだな」

「……それはどうだろうね?」

「今日は面白い連中に会えるかもしれない、とジョーカーが言っていてな。こんなお遊戯会みたいな催しにそんな奴らは現れないと思っていたが……」


 途中で言葉を切ったクイーンが急に地面を蹴り、一瞬にして眼前へと移動してきた。そして、躊躇なく僕の顔目掛けて拳を繰り出す。僕はそれを無表情のまま見つめていた。顔に触れるか触れないかの位置で彼女の拳がピタリと止まる。


「……ここには武器の持ち込みが禁じられていたはずだが?」


 クイーンが僕の隣にいるファラを睨みながら静かな声で言った。そんな彼女の喉元には細長い剣が当てられている。


「……少しでも動けば、首と頭がお別れすることになる」


 クイーンから片時も目を離さずに冷たい声でファラが言い放った。


「……脅しじゃない」

「そんなのは目を見ればわかる。それはちゃんと人が殺せる目だ」


 自分の命を握られているというのにクイーンは冷たい笑みを浮かべた。まったく……裏世界の人っていうのはどうにもネジが外れていて苦手だよ。


「剣を下ろして」


 僕が命じると、ファラは渋々といった様子で剣をクイーンの首から離した。それを見た彼女も、静かに拳を下ろす。


「うちの者が失礼をしたね。申し訳ない」

「……なぜ身じろぎひとつしなかった?」


 素直に謝る僕に、クイーンは刺すような視線を向けてきた。


「なぜって当てるつもりもない攻撃を避ける必要もないでしょ?」

「私が寸止めする、と?」

「ここまでギリギリだとは思わなかったけどね」


 僕があっけらかんとした口調で言うと、しばらくこちらを見つめていた彼女が僅かに口角を上げる。


「なるほど……確かに面白い」

「……気は済みましたかい? 姉御」

「あぁ、非常に満足だ」

「はぁ……すいませんねぇ、ゼロさん」


 気疲れしたようにため息を吐きつつ、ジャックが僕に頭を下げてきた。多分、彼はいつもこういう役回りなんだろう。クイーンに振り回される損な役割。なんとなく親近感を覚える。


「お前ら、どこの組織の者だ?」

「組織?」

「別にそれぐらい教えてくれても構わないだろ? 警戒をしておかなければならない競合他社の名前ぐらい把握しておきたいんだよ」


 競合他社って……この人は盛大に勘違いしているね。


「姉御……この人達は裏の住人じゃないですよ?」

「はぁ? お前は何を言っているんだ? こんな物騒な匂いを漂わせた連中が堅気なわけないだろ」


 この人、相当失礼なんですけど。いつの間にやら先程の剣をどこかにしまったファラが僅かに眉を潜める。


「度々すいませんねぇ」

「別に気にしていないよ。こんな所にいる僕達も悪いし……ところで、一つ聞いていいかな?」

「なんですか?」

「大当たりっていうのはどういう事?」

「…………」


 その問いかけにジャックはすぐに答えず、真意を探るような目で僕を見た。真意も何も言葉通りなんだけどね。


「……今日ここに来た理由はある商品を入手するためではない、と?」

「ある商品がなんなのかはわからないけど、違うと断言できる」


 僕の目を真っ直ぐ見ていたジャックは視線を横に向けると、うんざりした顔で自分の頭をガシガシとかく。そんな彼に僕はニコニコと笑いかけた。


「というわけで、その商品っていうのを聞かせてもらえるかな?」

「……口は災いのもとってよく言うが、自分のあほさ加減に頭が痛くなるぜ。まぁ、そんなに秘密にしなきゃいけないって話でもないんですがね。裏の奴らは大体知っているだろうし」

「ふーん。なら、是非とも知りたいね」


 僕の顔を見ながらジャックはしばらく逡巡していたが、諦めたようにため息を吐く。


「別にゼロさんが興味を持つようなもんじゃないですよ……命の石って知ってます?」

「……聞いたことないね」


 随分と大それた名前を持つ石だね。僕は隣にいるファラに視線を向けたが、首を小さく左右に振ったところを見ると、彼女も知らないようだ。


「正式名称は俺も知らないんですがね、なんでも人の命を蘇らせる石とかいう眉唾な品物ですよ」

「それは……なんとも……メルヘンチックだね」


 僕が顔を引きつらせて笑うと、ジャックもクイーンも苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。仮にも名の知れた組織の幹部が、そんなおとぎ話の中に出てくるような魔法の石を追っているとは……顔を見る限り好きでやっているようではなさそうだけど。


「私はそんなくだらん石は放っておけと言った」

「俺だって反対しましたよ。でも、トップが興味を持っちまったんだからどうしようもないでしょうが」


 クイーンは吐き捨てるように言うと、不機嫌そうにそっぽを向いた。そういう空想の世界とかファンタジーとか彼女は嫌いそうだね。


「まぁ、ならず者達が恐れるあんた達が夢いっぱいの石を追っているのはわかったよ」


 僕の言葉を聞いたクイーンが顔を歪めて盛大に舌打ちをしたが、とりあえず無視しておく。


「その石が今日の闇オークションに出るってこと?」

「いや、今日出るかはわかりませんねぇ」

「どういう事?」

「裏世界で出回っている噂は『近々その石が闇オークションで出品されるらしい』ってことだけなんですよね」

「……つまり、いつ出るか、どこで出るかは詳しくわかっていないって事か」


 僕が自分の口に手を添えながら言うと、ジャックはゆっくりと頷いた。これはよくある手法と言ってもいい。物の価値とは需要と供給のバランスだ。どんなに価値が高いものでも欲しがる人がいなければ、安い値段で売られてしまう。命の石に関してもそうだろう。誰にも興味を持ってもらえなければ、それは路傍の石ころと何ら変わりない。だから、その品物を出す前に場を温めておくのは大事なことだ。温まれば温まるほど、命の石をめぐる競りは白熱することだろう。


「なるほどね……それで、僕達を見て大当たりって言ったんだね」

「えぇ。御上が動いてりゃ、もしかしてって思うじゃないですか。俺はその石をさっさと入手して、こんな仕事早く終わらせたいんですよ」

「御上? ってことはこいつらは国の番犬か何かか?」

「番犬なんかじゃない。僕は犬などではない。訂正してもらえるかな?」

「あ、いや……すまない」


 僕が至極冷たい声で言うと、クイーンは戸惑いながら謝ってきた。いけないいけない、思わず感情的になってしまった。だけど、犬呼ばわりされたら誰だってそうなる。

 さて、色々と興味深い話も聞けたことだし、そろそろ会場へと向かおうかな。彼らは悪党で僕達は騎士団っていう一応敵同士の間柄ではあるし、なれ合うのもおかしな話だ。


「色々と教えてくれてありがとう。助かったよ」

「いえいえ、気にしないでください。……あんたとは敵対するよりもいい距離感で付き合った方が得しそうですからねぇ」


 それはお互い様かもしれないね。この二人が所属している組織だと迂闊に手を出そうもんなら、火傷程度ではすまないだろう。出来る限り穏便な関係を築きたいというのが本音だ。


「そういえば、僕達がここへ来た理由……まだ話してないよね?」

「……そいつは気になりますね? 教えていただけるんですかい?」


 意外そうな顔でこちらを見るジャックと、探るような目で見ているクイーンに僕は軽く笑いかけた。


「今日、闇オークションは開かれない……ここで行われるのはゴミ掃除だけだよ」


 軽い口調で言った僕を見る二人の目がスッと細まる。この人達と揉めるのは面倒そうだ。あらかじめ僕達の任務を教えておけば、さっさとこの場を離れてくれるかもしれない。


「……そういう事ですかい」

「もう少し場所を考えた方がよかったね。そうすれば、女王様も見落としていたかもしれないのに」


 だから、悪だくみをする時は場所と加減を考えてね、という思いを込めて二人に告げた。ジャックには伝わったようだけど、クイーンの方はどうかな?ジッと僕の顔を見つめている。言うべきことは言ったんだ、後は彼らの判断に委ねるほかはない。


「…………おい」


 僕はファラに視線で合図し、二人に背を向けて歩き出した。そんな僕の背中にクイーンが静かに声をかけてくる。


「お前の話を聞いてもなお、私達がオークションに参加したらどうする?」


 ピタッと僕の足が止まった。そのまま緩慢な動きで首だけ捻って後ろに振り返る。そして、隠す気もない殺気を身体中から滾らせながら獰猛な笑みを浮かべているクイーンを無表情で見つめた。


「どうもしないよ。何も変わらない」


 感情をのせずにそれだけ告げると、僕はさっさと会場に向かって動き出す。誰が参加しようと関係ない。僕は与えられた任務をこなすだけだ。



 離れていく背中を二人の悪党が無言で見つめていた。


「……アレのどこが堅気だって言うんだ?」

「それに関しては姉御に賛同しますね」


 仮面で顔を隠しているので正確な年齢はわからないが、若いのは間違いない。恐らくは二十歳前後。だが、その身体から醸し出される空気はとてもその年齢で出せるものではなかった。


「俺達が参加しても関係なくゴミ掃除を決行するって事は、俺達二人を相手に勝てる自信があるって事ですかね?」

「バカか、お前は……そういうレベルの話ではない」


 ジャックが顔を向けると、クイーンが額からツーっと汗を垂らしながら半笑いを浮かべていた。


「勝てる勝てないじゃない、命ぜられたからそれを果たすだけだ。このオークションに参加するのが貴族や王族、ましてや神だったとしてもあの男は関係なく消すだろうな。……そういう男だよ、アレは」

「姉御がそこまで言うなんて珍しいですね」

「背中に冷たいものが流れたのはジョーカー以来だ。強さはわからん……恐らく、相当な手練れだと思うが、それ以上にあの忠誠心は異常だ。……お前が敵に回したくない、と思う気持ちもわからんでもない」

「……ってことは、今日は引き揚げますか?」


 ジャックの問いかけに、こくりと首を縦に振ってクイーンが答える。


「あれとやり合うにはいささか準備不足だ。あんな楽しそうな獲物、万全の状態で相手しないともったいない」

「……なるべくなら相手したくないんですけどねぇ」


 目をギラつかせ舌なめずりをしている同僚を見て、ジャックは盛大にため息を吐いた。

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