第81話 第一学年の廊下
午前の授業を終え昼休みを迎えた。僕はノーチェが作ってくれたお弁当箱を持ち、いつものメンツのもとへと移動する。そのメンツとはアルトロワ王国の王女クロエ・アルトロワ、上級貴族であるエステル・ノルトハイム、類まれなる商才により平民から貴族に成り上がったマルク商店の麒麟児ジェラール・マルク。そして、セントガルゴ学院に通う平民の中でも高い戦闘能力を有するCランク冒険者のニックであった。学院の中でも錚々たるメンツといえる中に、なぜ僕がいるのかは甚だ疑問だが、もはや気にしてはいない。
「…………」
僕達に席を占領されたガルダン・ドルーが恨みがましくこちらを見てから教室を出て行った。なんとなく申し訳ない気持ちになる。彼はエステルと幼馴染の上級貴族で、クラスの番長的な立ち位置にいたのだが、ソフィア・ビスマルクの一件から僕にほとんど関わらなくなった。彼にいちゃもんをつけられると色々と面倒なので、それは嬉しい誤算だ。ただ、彼女絡みでよかったことといえばそれくらいだろう。
僕はお弁当の包みを解きながらクラスに目をやる。流石に、最初の頃に比べれば視線の数もグッと減ったね。ちらほら嫉妬の眼差しを感じるけど、それでも大分ましになったよ。それにしてもグレイスの姿が見えない。いつも昼休みになると彼女はすぐにどこかへと姿をくらませる。一体、何をやっているんだろうか。
「……おぉ、レイ氏。随分とまぁ可愛らしいお弁当箱を使っているのだな」
「え?」
ジェラールの声で僕は初めて自分のお弁当箱に視線を向けた。そこには可愛らしい犬の絵が描かれているお弁当箱が……これは、やってしまったね。
「へー! 意外とかわいいとこあるじゃない!」
「くすくす、レイ君らしくないね」
「……どういう反応したらいいかわからねぇぞ?」
からかうような口調で話しかけてくるエステルの隣でクロエが楽しげに笑っている。ニックは微妙な表情を浮かべて僕の事を恐々見ていた。そんな目で見られるのは中々に堪えるものがあるね。僕は肩を竦めつつ、ため息を吐いた。
「これはファラのだね。間違えて持ってきちゃったよ」
「なに!? ファラちゃんの!?」
「間違えて? あっ、そっか。三人は同じ孤児院に住んでいるんだもんね」
一瞬ぽかんとした表情を浮かべたエステルだったが、すぐに納得した顔になる。第零騎士団に所属していることを言うわけにはいかないから、僕とファラ達は孤児院で暮らしている設定にしているんだよね。
「今度行ってみたいね!」
「レイの住んでいるところか……それいいな!」
「ニックはファラ嬢のプライベートな姿を見たいだけではないのかな?」
「なっ……バ、バカ! ちげーって!!」
ニックは髪の色と同じくらい顔を赤くした。そういえばニックはファラが好きだったんだね。というか話がまずい方向に進んでいる気がする。孤児院に遊びに来る? いやいやいや、それは本当に困るよ。
「……とりあえず僕はファラの所に行ってくるね」
「いってらっしゃーい」
さっさと席を立った僕はエステルに見送られながら教室を後にした。
ファラのお弁当を持って僕は一階の廊下を歩く。最高学年である僕達第三学年は三階、ファラやファルの第一学年は一階に教室があった。……って、あれ? あの二人って何組だっけ? まだクラス対抗戦をやっていない第一学年はクラスに数字が割り振られているんだけど、それがどうにも慣れなくてね。早くキング組とかクイーン組とかになって欲しいよ。
キョロキョロと周りを見回しながら歩いていると、中々に顔立ちの整った少年がこちらに近づいてきた。なんとなく見覚えがあるんだけど、誰だったかな?
「誰かを探しているようだが、お困りごとか?」
「え? あぁ、ちょっと人を探していてね」
やっぱり見たことある。あと少しで思い出せそうなんだけど……なんとなくもどかしい。
「見慣れない顔だな……もしかして先輩か?」
「君が第一学年だとしたらそうだね。僕は第三学年のレイだよ」
「これは失礼した。俺は第一学年、クリス・ラウザーだ……って、レイ?」
僕の名前を聞いたクリスが訝しげな表情を浮かべる。どうやら僕の名前に聞き覚えがあるようだ。でも、それはこちらも同じことである。やっと思い出した、彼はファラ達と同じクラスの男の子だ。あの魔物を改造していたサリバン・ウィンザーの研究施設にいた。
それにしても驚いたのは家名だ。ラウザー……もし、僕の考えが間違っていなければ第一騎士団の副団長であるフリード・ラウザーの弟ということになる。そんな話を双子から聞いていないけど、あの二人は家名に疎いからね。ラウザーと聞いてもピンッとこなかったんだろう。
「何となく聞いたことのある名前だが、まぁいい。人を探しているなら力になろう」
ふむ……僕が平民とわかっても侮蔑したりしないんだね。それどころか手助けしてくれようとするとは、中々好感が持てる少年だ。
「それは助かるよ。僕が探しているのはね」
「あれ? ボスじゃないですか?」
さっそく尋ねてみようとしたところで声をかけられ、僕とクリスは同時に声のした方へと顔を向ける。そこには少し驚いた様子のファラとあか抜けていない少女が一緒にいた。
「丁度探していた人が見つかったよ。ありがとう」
「……貴様はファラの知り合いか?」
僕が笑いかけるとそれまで友好的に話していたクリスの表情が一変する。一体どうなっているんだ? なんで彼はこんなにも敵意むき出しで僕を睨んでいるんだろう。
「彼女とどういう関係か話してもらおうか?」
「え、えっと……」
「クリスさん」
取り調べのようなクリスの口ぶりに狼狽えてしまった僕の隣でファラが冷たい声を上げた。
「この人は私の大切な人です。失礼に当たることを言ったらタダじゃおきませんよ?」
「た、大切だと!? それは」
「タダじゃおきませんよ?」
決して大きくはないが、どすの利いた声色。クリスは薄く笑みを浮かべるファラを見てその場でたじろぐ。いやいや、素人相手に放つ威圧じゃないでしょ、それ。
「ファラちゃん、
「くっ……覚えていろよ!」
ファラと一緒にいた女の子がその顔を見て若干引いていた。クリスの方は最後に僕を一睨みすると、物語のやられ役のようなセリフを吐いて教室へと入っていく。なんか力関係が垣間見えた気がする。まぁ、上手く回っているみたいだから彼がフリードの弟かもしれない事実は言わない方がいいかな。
「ご迷惑おかけしました」
「いや、全然かまわないよ」
「そう言っていただけると助かります」
「……ファルの姿が見えないようだけど?」
「あー……」
僕が問いかけると、ファラは気まずそうに目をそらした。
「ファルは教室で一人ぼーっとしています。ここのところずっと」
「そっか……」
まぁ、予想はしていたけどね。僕達と一緒にいる時ですらそんな感じなんだから学校なら尚更だね。
「……それよりボスはなんでこんな所にいるんですか?」
「ん? あぁ、その事なんだけど……」
僕はちらりとファラの横にいる女の子に視線を向けた。すると、ファラはハッとした表情を浮かべ、少女を手で示す。
「気が付かなくてすいません。彼女は私達と仲良くしていただいているフランさんです」
「フ、フランって言いますだ。よろすくお願いすます!」
少しだけ訛っているようだが、とても素朴でいい子のようだ。そう言えば前に二人からその名前を聞いたことがある。
「初めまして、僕の名前はレイ。フランさんの二つ上だよ」
本当は四つくらい上だけど、そうなるとセントガルゴ学院に通っているのは無理があるから勘弁してほしい。
「フランさんだなんて! 年上なんだがら呼びなげでいいす!!」
ブンブンと身体の前で手を振る彼女を見て、なんともほっこりした気持ちになった。
「そう? じゃあフランって呼ばせてもらうね」
「はい!」
僕が笑顔でそう言うと、フランは屈託のない笑みで返す。そして、何かを思い出しかのようにポンッと手を打った。
「もしかしてファラちゃんにめんごい蝶のブローチを上げだのはレイさんですか?」
「蝶のブローチ?」
「っ!?」
蝶のブローチってあれかな? ファラとファルの二人が城に来たての時に僕があげた奴かな?
「うん、そうだよ」
「ほほう……?」
なぜか顔を赤くしているファラを横目で見ながら僕が答えると、フランは手を顎に当て目をキラリと光らせる。なんだかこの顔はよく見たことがあるな。クロエとファラとファルの三人がこそこそと話しているときにする顔と同じだ。
「ちなみにレイさんとファラちゃんの関係は?」
「僕とファラの関係?」
予想外の質問が飛んできて一瞬戸惑っちゃったけど、自分の友達が得体のしれない奴と親しげに話していたら疑問に思うよね。全然似てないから兄妹には見えないだろうし、かといって馬鹿正直に零騎士の仲間です、なんて言えるわけもないし。さて、何と答えたもんだろうか……いつも通り孤児院仲間です、って言うのが無難かな?少しの間考えを巡らせた僕は微笑みながら口を開いた。
「ファラもファルも僕と同じ孤児院で暮らしているのさ。だから、血のつながりとかはないよ。でも、僕は二人を本当の妹のように思っている」
「妹……」
僕の答えを聞いたフランが何とも言えない顔でファラに視線を向ける。あれ? なんでそんな顔になるんだろう。もしかして、ファラが彼女に話している設定と違ったかな?
「……ボス、あまり時間がないので用件をお願いします」
ファラの口調は普段通りのもの。だというのに、先程クリスに向けられた時よりもすさまじい圧を感じる。
「ま、間違えてファラの弁当箱を持っていってしまってね」
その迫力に僕は思わず怯んでしまった。
「……わかりました。少々お待ちください」
無表情のままそう言うと、ファラは目にもとまらぬ速さで教室に入り、すぐさま出てきた。その手には僕と同じような包みに入ったお弁当が持たれている。
「これで用事はすみましたね。それでは私達はこれで……フランさん、行きましょう」
「ま、待っでよーファラちゃん! し、失礼します!」
スタスタと歩いて行ってしまったファラを呼んだフランは僕にお辞儀をすると慌ててその後を追って行った。どうやら僕は地雷を踏んでしまったようだ。だが、その原因は皆目見当がつかない。
「あら? そこにいるのはレイさんではなくて?」
悩んでいた僕を後ろから呼ぶ声が聞こえた。振り返ると相変わらず立派な縦ロールを携えたソフィアがこちらに向かって走ってきている。
「まさかこんな所でお会いできるとは思いませんでしたわ! もしかして
「あっ、いやそういうわけじゃ」
「照れなくてもいいんですわ! 久しくあなたの教室に赴いていませんでしたもの! 寂しくなって当然の事ですわ!」
なにやら嬉しそうに話しているソフィアを見て思った。うん、第一学年の廊下には極力来ないようにしよう。
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