第74話 ソフィアの望み

 騎士団がセントガルゴ学院にやって来たのは、レイがダンジョンに入ってから程なくしてであった。昨日、特別講師として学院に訪れたシアン・バルセロナが部下を引き連れ、群がる生徒達をかき分けてダンジョンの入口まで進む。それまで混乱の絶頂にあった教師陣は藍色のラインが入った銀の鎧を着ている集団が来たのを見て、心底ほっとしたような表情を浮かべた。


「状況の説明をお願いできますか?」

「は、はい!」


 シアンが丁寧な口調で問いかけると、一番近くにいた教師が緊張した面持ちで背筋を伸ばす。


「まず事の始まりはあそこにいる生徒達でして……昼休みの終わり頃、突然ダンジョンの前にやって来たのです! そして、我々の制止も聞かずにそのままダンジョンへ」

「一人の生徒がダンジョンに取り残されて、その子を助けるためにもう一人がダンジョンに入っていったわ」


 教師の男の話を遮るように、背後から声が聞こえた。シアンが振り返ると、呆れたような顔で教師の男を見る美少女がそこにいた。この逼迫ひっぱくした状況において無駄な情報はかえって命取りになる。冒険者の経験からその事をよく理解しているグレイスの端的な言葉にシアンは内心で感謝した。


「取り残されたのは?」

「ビスマルク家のお嬢さん」


 それを聞いた彼の眉がぴくりと動く。よりにもよって御三家の子だとは……仮に命を落とそうものなら、かなり厄介な事になるのは明白だ。シアンは舌打ちしそうになるのを必死に堪えながら、部下に向き直った。


「事態は想像以上に深刻だ。可及的速やかにダンジョンへと入り、ビスマルク家のご令嬢を救出……」

「副団長さん」


 シアンが指示を飛ばしている途中でグレイスが声をかける。彼が言葉を切り顔を向けると、グレイスは意味ありげな視線を向けてきた。


「助けに行ったのは目立たないただの平民の生徒よ?」


 その言葉を聞いた他の団員は怪訝な表情を浮かべる。その情報がシアンの言葉を遮ってまで伝えるべき事なのか甚だ疑問であったからだ。だが、シアンだけは彼女の顔をじっと眺め、ゆっくり息を吐き出す。


「……あのドブガラスが仲間以外に心を開くとは驚いた」

「あら? 心を開いてくれているのかしら? そうだとしたら嬉しいわね」

「少なくとも信頼されているのは確かだな。……驚嘆に値する」


 シアンは面白い玩具を見つけたかのようにニヤリと笑った。先ほどまでは緊迫感のある空気を纏っていた彼であったが、今はそんなもの微塵も感じさせない。


「エドガー」

「はい」


 シアンの声に反応し、小太りの男がスッと前に出る。


「私は詰所に戻る。ベアトリスに仕事を押し付けて来てしまったのでな」

「……どういうことですかい?」


 エドガーが眉をひそめた。御三家の令嬢がダンジョンに取り残されているという、下手をすれば国を取り巻く大問題になりかねない状況を前にして城に戻るなどと言い出せば、こんな反応になるのも無理はない。

 そんな部下の態度を気にもとめずに、シアンはその整った顔を不機嫌そうにしかめる。


「ビスマルク家の娘を救助に行ったのは薄汚い野良カラスだ」

「……はー、なるほど」


 吐き捨てるように言ったシアンの言葉に、エドガーは納得したように頷いた。


「後は任せたぞ。……言いつけを守らずダンジョンに入ったをこってり絞っておいてくれ」

「了解しましたっと」


 エドガーが戯けた調子で敬礼すると、シアンはさっさと校門へと向かって歩き出す。せっかく来たというのに早々と帰ってしまったシアンに目を白黒させている教師達を尻目にエドガーは淡々と指示を出していった。


「五人の生徒……」


 そんな彼の背中を見つめながらグレイスはぽつりと呟く。ダンジョンに入ったのはソフィアを含めて四人のはず。それなのにシアンが五人とはっきり言い切ったということは残りの一人は恐らく……。


「帰ってきてからの方が大変かもしれないわね」


 ダンジョンを見ながら小声でそう言うと、グレイスはクスッと楽しそうに笑った。



 ダンジョンの中に存在する魔物部屋。空間一帯が瘴気に満たされており、無尽蔵に魔物が生み出される冒険者にとって忌避すべきトラップ。そんな死の臭気が充満した場所で一人の少女が必死に戦っていた。


「はぁ……はぁ……キリがありませんわ……!!」


 一向に減る気配のない魔物を前にして、ソフィアはギュッと唇を噛みしめる。そんな彼女に向かって一匹の魔物が飛び出してきた。


「っ!? "風の刃ウインドカッター"!!」


 ソフィアは咄嗟に手を前に出すとすかさず魔法を詠唱する。彼女の手から発生した風刃がその魔物を容赦なく切り刻んだ。

 ダンジョンに入りたての頃は魔物を見たことすらないど素人だったが、命の危機に瀕し、無我夢中で自分の身を守っているうちに驚くべき速度で成長していた。その大きな要因として、彼女が稀有な存在であるレベルⅤの魔法師という事実がある。

 今では効率よく魔力を充填、構築、放出することができているが、最初は充填した魔力を半分も放出することができていなかった。それでも彼女がまだ生きていられるのは偏に尋常ならざる魔力量のおかげである。


 だが、これまで奇跡的に善戦していた彼女の精神はもはや限界に達しようとしていた。


「こ、このままでは持ちませんわね……!!」


 この場にいる魔物を駆逐するつもりなど、彼女の頭には毛頭ない。隙をついて逃げ出そうとしているのだが、無数の魔物がそれを許さなかった。ダンジョンの入り口に続く道には魔物が犇いている。

 なんとかここから抜け出そうとソフィアが頭を悩ませている最中に、魔物の群れの方で魔力の波動を感じた。反射的にそちらへと顔を向けると、自分に向かって複数の火の玉が飛んできているのが目に入る。


「くっ!! 魔物の分際で……!!」


 ソフィアは顔を歪めながら転がるように移動した。今まで彼女がいた場所に魔法が着弾し、その地面を黒く焦がす。魔法を使う魔物が存在することは知識にはある。だが、それは高レベルの魔物に限っての事であり、それが複数この場にいることは彼女にとって悪夢でしかなかった。


「……落ち着くのです、ソフィア・ビスマルク。あなたは御三家の一角を担う者なのですよ?」


 ソフィアは自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる。ここで取り乱すことは死を意味することを彼女は本能的に理解していた。間髪おかずに自分へと放たれる魔法を彼女はまっすぐに見据える。


「そんなのどうってことありませんわ! "荒ぶる水流ハイドロキャノン"!!」


 ソフィアの上級魔法と迫りくる魔法が空中でぶつかり合った。その瞬間、凄まじい衝撃が巻き起こる。


「こ、んなところで……!!」


 しっかりと地面を踏みしめ、顔を風圧から手で守りながらソフィアは声を上げた。


「こんなところで死ぬわけにはまいりませんわ!! わたくしは……わたくしは……!!」


 ビスマルク家を再興してお父様を──。




 ソフィア・ビスマルクは生まれた時から孤独だった。


 貴族中でも高名な家に生まれ、何不自由なく幸せに暮らしてきたように思われるが、実際にはそうではない。何不自由なく、という部分に関しては間違いではなかった。ソフィアを縛るものは誰もいない。と言うのも彼女が何かしたところで咎める者も、諌める者も、ましてや褒める者すらもいなかった。

 物心ついたときに周りにいたのは給仕の者達。彼女達はソフィアが問題を起こしても、何も言わずに淡々とフォローをするだけ。それが給仕としての仕事なのだ。仕えている家の娘の機嫌を損ねて職を失うわけにはいかない。


 子供がいけない事をした時、それを諭すのは親の役目。しかし、彼女にはその親がいなかった。


 物心つく前に死んでしまった母親。魂が抜け落ち、死人同然な父親。彼女に優しく、時には厳しく、深い愛情を持って接する人は誰もいない。

 とはいえ、年端も行かない子供は本能的に愛情を欲するものだ。それは、もうこの世にはいない母親ではなく、父親に向けられた。だが、世間に目を向けようとせず、それどころか娘にすら背を向け、日がな一日椅子に座り、ぼーっと景色を眺めるだけの人形と化してしまった彼には無理な話だった。

 理由は想像することしかできない。ただ一つはっきりしている事は、自分の父親はどうしようもないほどに心が壊れてしまったという事だけだった。


 そうやってソフィアが割り切ることが出来たのは十二の頃の話。


 それまでは父親の気を引こうと躍起になっていた。子供が親の気を引こうとするのは自然の摂理。ましてやら、母親からの愛情を受けられない彼女は父親からの愛情に飢えていた。


 わざと皿を割ってみたり、花壇に植えられた花を抜いてみたり、屋敷に拾ってきた動物を放ったりもした。だが、そんな事をしても給仕達が後始末に追われるだけで父親が自分を見ることはなかった。

 悪事をしても無駄だと考え、夜遅くまで魔法の練習をしてみたりもした。ビスマルク家は魔法に秀でた家系。子供なのに上級魔法が使えれば、きっと父親も自分を褒めてくれるはず。


 だが、そんな淡い希望が届くことはなかった。


 無理矢理中庭に引きずり出し、懸命に練習をした魔法を披露しても父親は大した反応を見せなかった。相変わらず虚な目で広がる炎を見つめていただけだった。


 その日から彼女の認識は変わる。自分の父親はちょっとやそっとの事では昔のようには戻らない。自分の知らない父親……魔法の担い手と言われ、たくさんの人から憧憬を向けられていた輝かしい男には戻れないのだ。

 ならば、どうすれば戻ってくれるのか。弱まったビスマルク家の力を取り戻し、再び尊敬の眼差しを向けられれば、父親も前のような精強な姿を見せてくれるのではないか。


 なんの根拠も確証もない幼稚な考えだ。だが、彼女はそれに縋るしかなかった。元の父親に戻ってもらうために……そして、自分の事を見てもらうために。


「だから、わたくしはこんなところで……!!」


 折れそうな心を必死に繋ぎ止める。ここから生きて出る事を固く決意し、ソフィアは力強く顔を上げた。


 だが、彼女の目に映ったのは絶望だった。


 大半の魔物というのは考えなしに獲物へと襲いかかるものである。そこに戦略など存在しない。自分の持てる力をフルに活用し、生き残るために相手を仕留める。

 しかし、ここにいる魔物は違った。それは溢れんばかりに魔物から漏れ出している魔力が雄弁に物語っていた。

 明らかに今まで感じていたものとは違う圧力。驚くべき事に魔物達はソフィアの力を見定めるために、全力を出していなかったのだ。様子見の時間も終わり、彼女の実力を把握した魔物達は全力をもって彼女を排除しようとしている。


「嘘……ですわ……」


 ソフィアの口から言葉が漏れる。脳を介していないものであったが、彼女の内心を如実に表した言葉であった。そんな彼女のことなどお構いなしに、魔物達は魔法を放つ。燃え盛る火炎、吹き荒れる疾風、狙いを定める岩槍、噴き出す激流。全てが上級クラスの魔法がこちらに向かってきていた。


「あっ……あっ……」


 最早言葉を発することもできない。大きく見開かれた二つの目にはこちらに向かってくる魔法がしっかりと見えている。だが、理解することは出来なかった。


 ただ一つ、はっきりしていることがある。自分の力ではどうすることもできないという事。


 そう思った瞬間、誰かの言葉が脳裏に浮かんだ。


 ──なんの力も持たないただのわがままな子供だってことさ


 それはとるに足らない平民の言葉だった。御三家である自分に対してする発言としては有り得ない類のもの。その時は侮蔑されたと憤慨しただけであったが、この状況を見ればそう言われても仕方がない気がする。なぜなら、実際に魔物を前にして自分は何もできないのだから。


 もしかしたらこういう事にならないよう、自分を戒めてくれたのかもしれない。……いや、そんなわけないか。

 どちらにせよ、説教じみた言葉をかけてくれたのは今まで生きてきて彼だけだった。お礼を言いたいけど、それも叶いそうにない。


 迫りくる脅威をぼーっと見つめながら、ソフィアはそんな事を考えていた。








「──"削減リデュース"」


 聞き慣れない言葉が鼓膜を震わせた瞬間、目の前まで来ていた魔法が煙のように消える。突然の出来事に頭が真っ白になったソフィアの前に何者かが立った。


「ギリギリセーフってところかな?」


 灰色の髪に、よく見れば端正な顔立ちをしている男。それは彼女が死の間際に思い出していた平民の姿であった。

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