第59話 適任者

 そうこうしているうちに、アリサは自分の住んでいる家にたどり着いたようだ。


「どうでした?」


 こちらにやって来た二人にアリサが不安顔で尋ねた。


「駄目ね。あなたの近くに不審な人物は見当たらなかったわ」

「そうですか……私も、今日は嫌な視線を全く感じませんでした」

「そっか。もしかしたら私達の事がばれていたのかも知れないわね」


 何とも言えない重苦しい空気が流れる。その空気を吹き飛ばすように、アリサが二人に笑顔を向けた。


「心配おかけしてすみません! もしかしたら本当に勘違いだったのかもしれません!」

「勘違いって……あの気持ち悪い手紙は?」

「そ、それは……!!」


 アリサは左右に目を泳がせる。せっかく助けてくれると言ってくれたのに、何事もなく家までついてしまった。これ以上迷惑をかけられない、というのが彼女の本音だった。


「大丈夫です! 何かあったら騎士団にでも相談してみるので!」

「何かあってからじゃ……!!」


 前のめりになりかけていたエステルをグレイスが手で制す。咄嗟にエステルが顔を向けると、彼女は小さく首を横に振った。


「力になれなくてごめんなさいね」

「いえ! こちらこそ、お騒がせして申し訳ありません!」

「何かあったらすぐに言って欲しいわ」

「はい! また相談させていただきます! それではおやすみなさい!」


 茶目っ気たっぷりに敬礼すると、アリサは自分の家に入っていく。無理をしているのは見え見えだったが、今はどうすることもできない。


「……このままでいいの?」


 アリサがいなくなったのを見計らってエステルがぽつりと呟いた。


「いいわけないわ」

「だったらっ!!」

「でも、ここのところ毎日感じていた視線が今日に限ってなかったというのはタイミングが良すぎる。恐らく、標的は冒険者ギルドにいた」

「えっ!?」

「別に驚くことでもないでしょ? いつ何時も相手の行動を知っておきたい、というのがストーカーなんだから」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているエステルにグレイスがさらりと言ってのける。


「それが冒険者なのか、職員なのかは定かではないけど……一つ言えることは、私達がアリサに近づいたら警戒して姿を現さないでしょうね」

「そんな……」


 エステルはいつもニコニコと自分達に接してくれるアリサが好きだった。そんな彼女が苦しんでいるというのに、力を貸すこともできない自分に静かな怒りを感じる。だが、それはグレイスも同じだった。


「何とかしたい……したいけど」

「難しいわね。騎士団に相談して護衛をお願いしても、何日かついて何事もなければそれで終わり。多分、騎士団がいる時は今日みたいに何もしてこないと思うから」

「誰かにアリサの恋人役をお願いしたらどうかな?」

「そんなことを頼める男なんて……」


 いない、と言い切る前にグレイスの口が止まる。アリサに恋人がいるという事実を知ってストーカーがとる行動は二つ。大人しく身を引くか、逆上して襲い掛かってくるか。ほぼ間違いなく後者であろう。つまり、必然的に恋人役を演じる男にはかなりの危険が伴う。ということは、どんな状況にも臨機応変に対応することができて、尚且つ武に精通している男でなければならない。

 だが、強いだけではダメだ。見るからに強者のオーラを纏っていたら今日のように手を出してこないだろう。理想としては自分達の話をしっかり聞いてくれて、悪漢ごときに後れを取らず、それでいて一見強そうには見えない人物。果たしてそんな男が存在するのだろうか。


「……その案、悪くないわね」


 いるではないか、適任の男が。


「早速、明日話してみましょう」

「え? ちょ、ちょっとグレイス!?」


 軽く笑って歩き出したグレイスを、訳も分からないままエステルは追いかけて行った。



「はぁ……」


 今日もギルドの看板娘の表情は晴れない。せっかく仲の良い冒険者の二人が協力してくれたというのに、昨日は結局空振り。申し訳なくなって大丈夫だと言い張ったけど、正直不安でいっぱいだった。

 今朝も、家から出る時は恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。外へ出たときに襲われたらどうしよう、ギルドに行くまでに襲われたらどうしよう。そんな事ばかり考えながら歩いていたのだ。彼女の精神はもはや限界に近かった。


 ふと、自分のデスクに置かれた手紙の山が目に入る。そのどれもが、自分に好意を抱いているといった内容のもの。可愛い顔だの、明るい笑顔だの、そんな安っぽい言葉が羅列されていた。結局、誰も自分の中身など見てくれていない。恐らく、自分を恐怖に陥れている人物もだ。そう考えると悔しさがこみ上げてきた。


「やぁ、アリサ。随分顔色が悪いけど、大丈夫かい?」


 昨日も声をかけてくれた常連冒険者のザインに弱弱しい笑みを向ける。いつもならハンサムな彼を見て目の保養などと言っているが、今はそんな余裕あるわけがない。


「昨日も言ったけど、無理したらいけないよ? アリサの素敵な笑顔を見ることができないと残念だけど、たまには休むことも必要だ」

「ありがとうございます……」


 ザインの優しさに涙腺が緩みそうになりつつも、今できる精一杯の笑顔で応えた。ザインも白い歯を見せ笑い返すと、依頼を果たしにギルドを出ていく。


 そんな彼と入れ替わりに男が一人冒険者ギルドに入ってきた。あまりにも存在感がない灰色の髪をした青年。セントガルゴ学院の制服を着ているため、目立つはずの彼なのに目を向けているものは皆無だった。


 灰色髪の青年はキョロキョロと物珍しそうにギルド内を見回している。それだけで彼が冒険者でない事が窺い知れた。そもそも冒険者にしては覇気がなさすぎる。決して貧弱というわけではないのだが、屈強な男達が蔓延るこの場所では、存在することすら不自然だった。だが、それを気にするものは誰一人としていない。それほどに彼は存在感がなかった……いや、消していた。

 しばらくギルド内を観察していた青年は目当ての人物を見つけ、真っ直ぐそちらに向かっていく。誰も彼を目に留めない。職業柄、視野が広いはずのアリサですら目の前に立たれた時に初めてその存在を認識した。


「えっ……と……?」


 見たこともない男が突然自分の前に立ち、アリサは戸惑いを隠せない。灰色の髪をしている顔立ちの整った青年というだけで、とくに変わったところはなく、およそ冒険者には見えなかった。それだけにこんな所にいることが不気味でならない。


「アリサさんですか?」

「は、はい……」

「これを読んでもらえれば理解していただけると思います」


 アリサの内心など露知らず、青年は柔らかな口調で話すと、小さな手紙を差し出す。気味の悪い手紙をもらったばかりであまり気が進まなかったが、受け取らないと動きそうもなかったので、アリサは僅かに震える手で手紙を受け取り、こわごわ中を開いた。


『 アリサへ


 昨日はあまり力になれなくてごめんなさい。二人で話した結果、私達がそばにいると犯人が警戒して姿を現さないのではないか、という事になりました。ということで、知り合いに頼み、犯人をおびき出す作戦を取りたいと思います。

 アリサも感じたと思いますが、目の前にいるレイはどう見ても屈強な男ではありません。なので、彼と恋人のフリでもしていれば、おそらく犯人が自分から出てくるはずです。

 レイにはあらかじめ事情を話しています。彼も私達と同じセントガルゴ学院の生徒なので、自衛の手段は持っているので安心してくださいね。

 今回こそは作戦を成功させましょう! 健闘を祈ります!


                        エステル&グレイス 』


 手紙を読み終えたアリサは勢いよく顔を上げ、レイに対して何か言おうとしたが、彼は朗らかに笑いながら人差し指を一本立て、自分の唇にあてた。


「ということでよろしくね。アリサさん」

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