第58話 ストーカー

 百以上もの支部を持つ巨大な組織である冒険者ギルド。その本部が王都アルトロワに存在し、そこで働く受付嬢達が依頼を受けたり、冒険者にその依頼を斡旋したりしている。その中の一人、猫耳を頭から生やした獣人族の少女が暗い表情でため息を吐いていた。


「やぁ! 元気ないね。どうかした?」

「え? ザ、ザインさん! すみません、ちょっと仕事が立て込んでて疲れが出ちゃって!!」

「無理しないようにね!」

「はい! ありがとうございます!!」


 時折、気遣ってくれる常連の冒険者。その一瞬だけは元気になるも、すぐにその顔には影が差してしまう。

 彼女の名前はアリサ。見る者に元気を与える素敵な笑顔がチャームポイントであるギルドの看板娘。可愛らしい容姿に愛嬌たっぷりの性格で、誰からも好かれる人気ナンバーワン受付嬢……のはずなのだが、今はその気配を一切感じさせないほど鬱々とした空気を纏っていた。


「はぁ……どうしたらいいんだろう」


 彼女の口から心の声が漏れる。時間は夕方、怒涛のように冒険者が押し寄せる朝に比べて、今はほとんど冒険者がいない。それだけに受付嬢の仕事もないため、否が応にも自分の事を考えてしまう。


「どうしたのアリサ?」

「何か悩んでいるみたいね」


 そんな彼女に二人の冒険者が声をかけた。一人はきらめく金色の髪を左右に結っており、もう一人は深海のような藍色の髪をシニヨンにまとめている。どちらも男の目を引くほどの美少女。現に、少なからずギルドにいる冒険者達がチラチラと様子を窺っていた。


「あっ、グレイスさん! エステルさん! 依頼ですか?」


 無理やり作られた笑顔を見て、二人が顔を見合わせる。


「そのつもりだったんだけれど……」

「アリサの様子がおかしいから気になったのよ」

「そ、そんな事ないですよ! 私はいつでも元気いっぱいです!」


 ぐっと握りこぶしを作るアリサの動作がぎこちない。何かあったのは明白だが、受付嬢として冒険者に心配をかけないようにしているのだろう。グレイスは優しく笑いながらアリサに話しかける。


「私達はいつもあなたの笑顔に力をもらっているわ。そんなあなたから笑顔を奪う何かがあるのであれば、冒険者として見過ごせないわね」

「そうよ! 水臭いじゃない! アリサは私達の担当さんなんだから仲間みたいなものなの! 遠慮なんてせずに何があったのか話してちょうだい!」


 エステルも身を乗り出しながら彼女に言った。アリサは目を潤ませながら二人を見つめる。


「……今日は早帰りなので、この後少し話を聞いてもらってもいいですか?」


 恐る恐るといった様子でアリサが言うと、二人は当然とばかりに頷き返した。


「わかったわ」

「あそこで待っているわね」


 そう言うと、二人は併設されている酒場に向かっていく。アリサはそんな二人の背中を見ながら心の中で感謝を述べると、急いで残っている仕事に取り掛かった。


 グレイス達が酒場で三十分ほど時間を潰していると、私服に着替えたアリサがやって来た。息の上がり具合から、相当急いだみたいだ。


「お、待たせしました!」

「そんなに慌てなくてもよかったのに」


 エステルが苦笑しながら、水の入ったコップを渡す。アリサはお礼を言ってそれを受け取ると、一気にコップを空にした。


「落ち着いた?」

「はい!」

「じゃあ話を聞きましょうか」


 グレイスがそう言うと、アリサは猫耳をシュンっと垂らしながら、僅かに顔を俯ける。


「こんな話は冒険者の方にするべきではないんですが……」

「だから気にしなくていいって言ったでしょ? 私達とアリサの仲なんだから!」

「エステルさん……」


 一瞬、泣きそうになるのを堪える様にギュッと口を結んだアリサだったが、すぐに意を決したように口を開いた。


「最近、夜道で誰かの視線を感じるんです」

「えっ?」

「それって……」


 エステルがその先を言おうとして途中で止める。まだ決まったわけじゃないからだ。


「最初は気のせいだと思ったんですけど、それが毎日のように続くので流石に変だなって。……おまけにこんなものまで届いたんです」


 アリサが震える手で出したのは、綺麗な便せんにただ一言「いつも君を見ているよ」と書かれたものだった。それを見た二人の目が鋭くなる。


「これはもう確定ね」

「えぇ。ストーカーで間違いないわ」

「ス、ストーカー!?」


 アリサの目に恐怖の色が浮かんだ。それを拭い去るようにエステルが力強い笑みを向ける。


「大丈夫よアリサ! 今日は私とグレイスが家まで送ってあげるから、その道中でこのストーカー野郎を見つけてぼっこぼこにしてあげる!」

「本当ですか!?」

「えぇ! か弱き乙女に怖い思いをさせるバカは私達がとっちめてあげるわ!!」


 握りこぶしを作り、闘志に燃えるエステル。対するグレイスはいつも通り冷静だった。


「アリサは魅力的だものね。こういう事をしてしまうおバカさんが出てきても無理ないのかしら」

「む! グレイス! それはストーカー野郎を擁護しているの!?」

「そういうつもりじゃないわ」

「ストーカーなんて女の敵よ! あなたが男嫌いになる気持ちもわかるわ! こういうことは決まって男がするもの! きっと下着とか盗んで臭いとか嗅いでいるんだわ! 汚らわしい!!」


 興奮気味のエステルがバンッと机を叩く。だが、グレイスの頭に浮かんだのは、帰り道の間、ひたすらファルから奪ったレイの下着に顔をうずめていたイザベルの姿だった。


「……エステル。ストーカーは男だけじゃないのよ」

「え? なに?」

「いえ、なんでもないわ。……とにかく善は急げって言葉もあるし、早速行動に移りましょう」

「えぇ!!」


 やる気満々のエステルと、少し緊張した面持ちのアリサを連れて冒険者ギルドから出た。


「……少し人気のない道を選びながら家を目指してもらえるかしら?」

「わ、わかりました!」


 まだ日が沈み切っていない夕暮れ時、街は多くの人で賑わっている。ここから標的を見つけるのは困難であるため、餌を垂らす必要がある。


「私達は少し離れたところで見守っておきましょう」

「オッケー! アリサ、一人になるけど大丈夫だから! 何かあったらすぐに飛んでいくからね!」

「はい! 信用しています!」


 自分を鼓舞するように少し大きな声でそう言うと、アリサは街を歩き始めた。自分達が付いてきているのは分かっているがそれでも緊張しているのだろう。右手と右足が同時に出ている。


「さて……」


 グレイスは静かに魔力を充填すると、頭の中で構築していった。


「"冷たい密告者スノウスニッチ"」


 レイの尾行を暴いた魔法。それを唱えた瞬間、彼女の手からキラキラと光る白い粉のようなものが舞い上がる。


「うわぁ……綺麗……」


 一瞬目的を忘れて見惚れてしまったエステルは、慌ててアリサへと視線を戻した。彼女は指示通り、メインの通りから離れた道へ行くようにしているようだった。そして、完全に人の気配がない路地裏にアリサが入ったところで、エステルがグレイスの方に顔を向ける。


「どう?」

「……この近くに私達以外の人はいないわね」

「そう……」


 エステルが残念そうに目を伏せた。散りばめられた氷の触覚から逃れるすべはない。つまり、周囲に誰もいないのは間違いないのだ。当然、アリサをつけ狙う不届き者もいないということになる。

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