第52話 普通の女の子と普通じゃない女の子
「ご学友と一緒にいたとはいえ、あのような不躾な態度を……レイ様に全てを捧げる身としてお恥ずかしい! 醜い! 情けない!!」
「おかえりなさい、レイ様。お客様がお見えになっておりますよ」
一人で劇場をやり始めたイザベルを無視して、ノーチェが普段通りにこやかに迎えてくれる。
「ただいま戻りました。お客さんに関しては承知済みです」
「そのようですね。……おや?」
僕の隣にいるグレイスを見て、ノーチェは意外そうな表情を浮かべた。
「レイ様がお客様を連れてくるとは珍しいですね。いらっしゃいませ、グレイス様」
「突然の訪問、申し訳ありません」
「いえいえ、このお屋敷は人数の割りに広いですからね。誰かにお越しいただいた方が賑やかになっていいのです」
「それでは、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます」
グレイスが柔らかく微笑む。なんというか……物怖じしない人だ。それに貴族でもない冒険者にしては礼節がきちんとしている気がする。
「あぁ、一体どうしたらこの罪を贖うことができるのか……そうだ! レイ様に命を捧げよう!! 死をもって償う以外に道はない!!」
とりあえず、足元で盛り上がっている人を何とかしなきゃいけないね。
「イザベル、別に気にする必要なんかないよ。むしろ感謝しているくらいなんだ。一般生徒と生徒会長の仲が深かったら色々と勘繰られるからね。あれくらいそっけない方が助かるんだ」
「なんと……!! 慈悲深きお言葉……!! このイザベル、感涙で明日が見えません!!」
「大丈夫。僕も見えないから」
足に縋りついているイザベルを引きずりながらリビングへと向かう。グレイスが可哀想なものを見るような目でイザベルを見ていたけど、それが普通の反応だと思う。
リビングの扉を開けると、そこにはバケツやモップを持ったヴォルフがせっせと部屋の掃除をしていた。
「あー、イザベルちゃんが血相を変えて飛び出していったと思ったら、
床を磨いていたモップの柄に顎を置き、グレイスを見て目を丸くする。
「こんにちは、ヴォルフさん」
「いやー、またグレイスちゃんに会えるなんて感激だな! 掃除中でちょっと散らかってるけど、ゆっくりしていってね」
ヴォルフが笑いながらソファを手で差した。こちらにチラッと目を向けたグレイスに僕が頷きかけると、彼女は微笑を浮かべながらソファに腰を下ろす。
「なにかお飲み物をご用意いたします」
「それでは紅茶をお願いできますか?」
「かしこまりました」
ソファに座ったのを見計らってノーチェが声をかけると、すでに机の上にあった飲みかけのティーカップを見てグレイスは言った。多分、僕の足に蜘蛛の巣の如く張りついている人が飲んでいたものだろうね。僕はグレイスの対面に座りながら、足元に目を向ける。
「イザベルもソファに座ったら?」
「は、はい! レイ様がおっしゃるならそうさせていただきます!!」
元気よく返事をすると、イザベルは僕にピタッと身体を密着させ、腕を絡めとってきた。グレイスは少し驚いているけど、いつもの事なので僕は気にしない。
「む? 貴様はグレイスではないか。なぜここにいるんだ?」
今頃気づいたのか。どれだけ僕の事しか見えてなかったんだよ。でも、彼女の凄いところはどんな時でも同級生の前では学院にいる時のイザベル・ブロワの顔になるところだ。ただし、僕の腕を抱え、その肩に頭をのせているので威厳は全くない。
「それはこっちも聞きたいところだけど……私はトレーニングの一環としてここに来たのよ」
「なるほど。確かにここにいるのは誰も彼も超一流の使い手ばかりだ。技を磨くにはもってこいの場所だろう」
「……そうね」
そんな体勢でそんな真面目なことを言われても、と思っているだろうが、グレイスは諦め顔で余計なことは言わずに頷いた。っていうかいい加減鬱陶しいんだけど。
「そろそろ離れてくれない?」
「そんなぁ!! まだ五分もくっついてないんですよ!? 学校では近づくこともままならないので、今のうちにレイ様成分で体内を満たしておきたいのです!!」
レイ様成分って何? そんなもの僕の身体から出ているの? 早速シャワーを浴びないと。
「人がせっせと働いている間に羨ましい限りだねぇ。そんな美少女とイチャイチャしちゃって」
ヴォルフがこちらにジト目を向けてくる。だが、本気で言っていないのは百も承知だ。
「何なら代わろうか?」
「いや、結構っす。イザベルちゃんの相手は
ほらね。可愛い子なら誰でもっていう異常な守備範囲をしているヴォルフですら相手にしたくないとかやばいでしょ。見た目の基準は楽々クリアしているっていうのに、だ。やっぱり、人間中身が一番大事ってことだよね。
「掃除はいつもヴォルフさんが担当しているの?」
三角巾を頭につけ、せっせと床を綺麗にするヴォルフを見てグレイスが尋ねる。すると、ヴォルフは持っていたモップを投げ出し、瞳を潤ませながらグレイスの手を両手で握りしめた。
「聞いてよ、グレイスちゃ~ん!
「な、なにがあったのかしら?」
若干引き気味のグレイス。抜こうにもヴォルフががっちりと手を抑えているので抜くことができない。
「昨日、双子ちゃんが他の騎士団相手に酒場で大暴れしてさ、
グレイスが困惑した顔でこちらを見てきたので、僕は床に落ちているモップでヴォルフの手を軽くはたいた。
「連帯責任と監督責任って言葉を知ってる?」
「いや~知らないっすね~」
「ならもう一日掃除をやってもらおうかな? ノーチェさんも喜ぶと思うし」
「不肖ヴォルフ! 誠心誠意、掃除をやらせていただきます!」
「わかってくれたみたいで嬉しいよ」
モップを投げると、ヴォルフはしかめっ面でそれを受け取り、掃除を再開した。
「お待たせいたしました。よろしければこちらもお召し上がりください」
台所からやって来たノーチェがグレイスの前に紅茶とシフォンケーキを置く。それを見た彼女は瞳を輝かせた。
「美味しそうですね。これはノーチェさんが?」
「お恥ずかしながらお手製です。お口にあえばよろしいのですが……甘いものはお好きで?」
「はい。ギルドの依頼をこなしに行く前には必ず食べています」
「それはよかったです」
ノーチェが朗らかな笑みを向けると、グレイスはフォークを手に取り、シフォンケーキを口に運ぶ。そして、次の瞬間には幸せそうな顔ではにかんだ。
「とても美味しいです……今まで食べたことがないくらいに」
「そう言っていただけるとこちらも嬉しくなりますね。ごゆるりとおくつろぎください」
「ありがとうございます」
軽く会釈をしてノーチェは下がっていく。その後も僅かに頬を紅潮させながらケーキを食べているグレイスを見て、僕は少し意外だった。
「……なにかしら?」
そんな僕に気づいたのか、グレイスが眉をひそめながら聞いてくる。
「いや……君も普通の女の子みたいな顔をするんだなって」
「随分な口ぶりね。私はいたって普通の女の子よ」
「いたって普通、ね……」
普通の女の子は強さを求めてこんなところに来ないって。
「普通じゃない女の子っていうのは、隣にいる彼女の事を指すんじゃないかしら?」
「それに関しては全面的に同意するね」
僕はため息を吐きつつ、隣に目を向ける。学園にいる時は猛禽類のように鋭い視線で校則違反を犯している輩を取り締まる厳格な生徒会長だっていうのに、今は心地よさそうに目を細めて、猫みたいに僕の腕に頬ずりしている。いや、本当に猫なのかもしれない。時々、「にゃんにゃん♪」みたいな声が聞こえてくるし。
「どうにかならないの、それ? 流石にこんな近くで見せつけられると、あまり気分がよくないのだけれど」
「それは本当に申し訳ないね。でも、もうしばらくの辛抱だよ」
無理やりはがしたところで、またすぐにくっついてくるのがオチだ。こういうのはプロに任せた方がいい。
ガチャ……。
丁度いいタイミングで玄関の戸があいた音がした。さーて、イザベル。天敵のご帰還だよ。
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