第42話 尊敬
「ほぉ……レイの正体がのぉ……」
正面で膝を組んで座っているデボラ女王が興味深げな視線をグレイスに向けた。当の本人はいつものようにキリッとした佇まいで、僕の隣に立っている。
あの後、双子のクラスメート達を全員引き連れて城に戻ってきた僕達は、早速詰所に赴き、生徒達を騎士団に預けた。疑われては困るからファルとファラも一緒に詰所に置いて、グレイスを連れて第零騎士団の屋敷に戻ったんだ。そしたら、出迎えてくれたノーチェが晴れやかな笑顔で女王様が応接室で待っている事を教えてくれたから、すぐに報告することになったわけ。
今、応接室にいるのは僕とグレイスとデボラ女王の三人だけ。ヴォルフが参加したがっていたけど、右手にワインを持っているのが見えたので丁寧にお断りした。
「申し訳ありません。完全に僕のミスです。二人を助けるため軽率な行動をとったせいで、一般人に秘密が漏れてしまいました」
深々と頭を下げる。世間に知られてはいけない陰の存在。それが女王の直轄部隊である第零騎士団のはずなのに、その筆頭である僕が掟を破るなんて情けないにもほどがある。
「どのような罰でも受ける所存でありますので、何なりとお申し付けください」
「まぁ、待て。真面目なところは美徳ではあるが、もう少し肩の力を抜いても罰は当たらんぞ?」
デボラ女王が優しく微笑んだ。僕はこの顔に弱い。これを向けられたら何も言えなくなってしまう。
「今回は大事な零騎士のメンバーが窮地に陥っていたのだ。致し方ないところもあろう」
「ですが……」
「それとも責任を取って第零騎士団を辞めるか? それこそ無責任のように妾は思えるが?」
デボラ女王の言い分に僕は思わず口ごもる。そんな僕を見て彼女は小さくため息をついた。
「そもそも、お主がいなくなったら誰が隊をまとめる?」
「それは……えーっと……」
ファルはダメだろう、考えなしに行動するような子だから。ファラはしっかり者なんだけど、まとめるっていう点じゃまだ少し幼い気がする。ヴォルフは論外として、ノーチェが適任と言えば適任なんだけど……彼は決して前に出ようとしないからなぁ。心の支えとしてはこれ以上ない存在だけど、まとめ役には不向きかもしれない。そうなると、消去法で僕ということになる。
「わかったであろう? ……今回の一件で罰を与えるとすれば、第零騎士団の筆頭としてより一層精進するということだな」
「寛大な処置、痛み入ります」
僕が再び頭を下げると、デボラ女王は気に入らなさそうに眉をしかめた。
「堅いのぉ……いつもみたいに妾に抱き着いて喜んでくれればいいものを」
「そのようなことはした記憶がございません」
ここに来てから約十年。彼女に抱きついたことは……子供の頃だけの話だ。それもここに来たばかりの時期。やはり記憶になど残っていないということでいいだろう。
「相変わらず素直じゃないのう。まぁそういうところも可愛いのだが。……それとも、美人な同級生が一緒だから緊張しておるのか?」
そう言って、デボラ女王は僕からグレイスへ視線を滑らせる。一国の王から見つめられているというのに彼女の表情は一切変わらない。やはり、この人は肝が据わっている。
「陛下のようなお美しい方にお褒めいただき光栄にございます」
そつなく返事をするグレイスに、女王は呆れたように首を左右に振った。
「かー! お主も堅そうだのう! ファルなんぞ妾に友達感覚で話しかけてくれるというのに!」
「それはファルが特殊なだけです」
「妾にはそれくらいがちょうどいいのだ」
無茶を言いなさる。ここだからいいものを、公衆の面前でファルがデボラ女王にいつもの調子で話しかけたら間違いなく不敬罪で極刑だよ。
「まぁ、それはさておき……少し真面目な話でもするか」
デボラ女王が纏う空気ががらりと変わった。先ほどまでは人をおちょくることが大好きな貴婦人のそれであったが、今は人の上に立つに相応しい威厳が満ち溢れている。
「グレイス、といったな? お主は今日見たことや知った事を誰かに言いふらすつもりはあるか?」
決して威圧するような物言いではない。にもかかわらず、逆らい難いオーラをその言葉は宿している。
「……誰かに話す理由もありませんので、言いふらすつもりはございません。ですが、万が一その理由が出来たのであらば、話さないという保証はできかねます」
こんなにもプレッシャーを感じるというのに、グレイスは真っ直ぐに女王の目を見据えたまま言ってのけた。その内容に、僕は内心で舌を巻いていた。女王が場を支配しているといっても過言ではないこの空間で、彼女は秘密をばらす可能性もあるとはっきり告げたのだ。その胆力に脱帽するほかない。
しばらく黙ってグレイスを見つめていたデボラ女王は、フッと表情を砕くとソファの背もたれに身を預ける。
「そうしてくれると助かる。第零騎士団は妾の切り札みたいなものだからな。あまり人には知られたくないのだ」
「……絶対に話さないとは言っていませんが?」
「理由がなければ話さないのだろう? それならば問題あるまい」
「ちょっとした理由で話してしまったら?」
「それは困ったことになるであろうなぁ……なんだ? 妾を困らせたいのか?」
薄く笑いながらデボラが聞くと、グレイスは少し慌てたように首を左右に振った。
「いえ、そんなことは……ただ、あまりにもあっさりしていらしたので……」
「これでも人を見る目には少しばかり自信があってな。それに、我が息子が信頼している者なら、妾を裏切ることもあるまい」
「え?」
「え?」
僕とグレイスが同時に間の抜けた声を上げる。だが、理由は恐らく違う。僕は「信頼している者」で、彼女は「我が息子」でそれぞれ引っかかっているんだと思う。その証拠に、ものすごい勢いでグレイスがこちらに振り返ったから。とりあえず早く片付けられる彼女の誤解の方を先に解いておこう。
「……養子みたいなものさ。親に捨てられていた僕をデボラ女王が拾ってくれたんだ」
「あっ……」
グレイスがその美しい顔を僅かに歪める。別に気にすることはないのに。知らないんだから疑問に思うことは当然だ。……まぁでも、僕が逆の立場だったら、同じように気にするだろうね。
なんとなく気まずい感じになった僕達を、なぜかデボラ女王は楽しそうに観察していた。
「そういうわけだからできる限りでいいので妾の秘密を守ってくれ。……良い女というのは秘密の一つや二つ、あるものであろう?」
意味ありげな視線を向けられたグレイスの肩がピクリと反応する。そんな彼女に、デボラ女王は優しげな顔で頷いた。
「妾はお主の味方だ。いつでもここへ来るがいい」
「……ありがとうございます」
恭しくお辞儀をするグレイスを見て、デボラ女王は満足そうに笑う。……なんとなく蚊帳の外って感じがするね。でも、それ以上に気になったのが、いつでもここに来られると僕が困るんですが?
バターンッ!!
突然、勢いよく応接室の扉が開くと、そこから意気揚々とヴォルフが入ってきた。おそらく、扉に耳をつけて話を聞いていたに違いない。タイミングが良すぎるでしょ。
「あぁ、女王陛下! いつ見ても麗しい! 王都で抱かれたい男ナンバーワンであるこのヴォルフと酒を飲みかわすというのはいかがでしょうか?」
「うむ、悪くないな」
芝居がかった口調でそう言いながら、踊るような仕草で女王の前で跪き、その手を取って口づけをする。まさに演劇の中の一幕。二人共、美男美女だからすごい絵になっているんだけど、ヴォルフの手に酒瓶が握られているから台無しだよ。
「こちらカプレーゼになります。ヴォルフ様が持ってきたワインとお合いになるかと」
「おっ、流石はノーチェの叔父貴! 気が利きくっすね!」
「これは美味しそうだ」
いつの間にやら入ってきていたノーチェが相変わらずの敏腕執事っぷりを見せる。美味しそうなつまみと酒を前にして目をキラキラと輝かしている二人。こうなったらもうどうしようもないね。僕はグレイスに目で合図をして、応接室から出て行った。
時刻は正午を回ったくらい。一限目が始まる前に学園を飛び出したからそんなもんか。さて、これからどうしよう。
「……とりあえず、学院に戻る?」
「そうね。私もあなたも無断で出てきてしまったから、担任の教師が困っているかもしれないわ」
それはどうだろうね。グレイスは時々、冒険者の依頼で学院を休む時があるし、僕は貴族でもなんでもないただの平民だと思われているし、別にそれほど気にされていないように思える。まぁでも、クロエの護衛もあることだし、戻った方がよさそうだね。
僕達は特に会話もなく、騎士団のいる中庭を越えて城の外へと出た。なんだかここに来るまでにえらく視線を感じたけど、多分僕じゃなくてグレイスを見てたと思う。なんかまた悪い噂が立ちそうだよ。第零騎士団の連中が真昼間から屋敷に美人を連れ込んだらしいぞ、とか。そこまで間違いじゃないからなお始末が悪い。
「……さっきはごめんなさいね」
胃が痛くなるような想像をしていたら、グレイスが話しかけてきた。僕が目を向けると、彼女は少しだけ寂しげな顔をしている。
「何かされたっけ?」
「成り行きとは言えあなたの過去を聞いてしまったわ。もしかしたら知られたくなかったかも、と思ってね」
「あぁ、別に構わないよ。そんな事より僕の能力を君に知られた方が大問題だ」
あの能力は知られていないからこそ力を発揮できる。知られてしまったら弱点は丸わかりだ。僕に対して魔法を使わなければいい。
僕の答えが意外だったのか、グレイスは目を丸くしながらこちらを見ると、くすりと笑った。
「そうね。それは大問題ね」
「本当だよ。敵に知られたらそれこそ命とりだね。女王陛下を守るのに支障をきたしてしまうよ」
「女王陛下、ね……」
グレイスは前を向くと、少しだけ遠い目をする。
「直接話したのは初めてだったけど、本当にすごい人だった。……私が誰かを尊敬したのは初めてかもしれないわ」
彼女は微笑みながら呟いた。なんとなくデボラ女王が褒められると、自分が褒められる以上に嬉しくてこそばゆい。僕は照れているのをごまかすために一つ咳払いをした。
「ふふっ。大好きなお母さんが褒められて嬉しいのかしら?」
そんな僕を見てグレイスがからかうような笑みを浮かべる。どうやらお見通しらしい。
「……これだから頭の回る相手はやりづらいよ」
僕はしかめっ面を浮かべながらこれ見よがしにため息をついた。隣でグレイスが楽しげに笑っている。セントガルゴ学院まではもう少しかかりそうだ。それまでに学校を離れていた理由を何かしら考えないといけないな。
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