第8話 芸術論

 静まり返る街。住民が外を出歩くには遅すぎる時間帯。そんな人っ子一人見当たらない王都の居住区を、黒ローブの男は迷いなく進んでいく。


「どこへ行くつもりかしら」


 エステルが声を潜めて後ろにいるグレイスに問いかける。当のグレイスは彼女にしては珍しく困ったような表情を浮かべて、エステルの後についてきていた。


「エステル……今からでも遅くないわ。騎士団に知らせましょう」


「そんな事をしていたらどこかに逃げちゃうわよ! そしたらなにか被害が出るかもしれない!」


 その表情は正義感に満ち溢れている。確かにエステルの言うことには一理あるが、それでも危険度が未知数な得体の知れない男を追うのは気が進まなかった。だが、彼女の顔を見る限りもう何を言っても止まりそうにない。それならば、とグレイスは出来る限り彼女の安全を確保するように頭を切り替えた。


「ここは居住区よね? こんな所に来てなにか目的でもあるのかしら?」

「わからない……泥棒するにも、この区域は一般の人しか住んでないからね」


 エステルが眉をひそめながら答える。彼女の言う通り、王都の居住区は一般階級の人しか住んでいない。王都の周りにあるアルトロワ王国の領土である街や村に比べれば裕福な家庭が多いとはいえ、ここより城に近い場所には有り余るお金を遊ばせている貴族が住む貴族区がある。金銭が目当てであれば、そちらを狙う方が効率的なのは間違いない。


「この辺が住処すみかなのかな?」

「犯罪者が居住区に? それこそありえないでしょ」


 ヒソヒソと二人で相談している間にも、ローブの男は構わずに歩を進めていた。その足取りには一切の迷いがない。恐らく目的の場所があるのだろうが、二人には測りかねていた。

 と、それまでメインストリートを歩いていたローブの男が不意に路地裏へと入っていく。少し距離をあけて尾行していた二人は慌ててその後を追っていった。だが、路地裏に入っても男の姿は見えない。


「き、消えた!?」

「そんな……あり得ないわ」


 グレイスの顔に一瞬焦りの色が浮かんだ。彼女は自分の実力を過信することはないが、確かな自信は持っている。一日かけて魔物の追跡を行なったこともあるし、高ランクの魔物に気づかれないように隠密行動も数多くこなしているのだ。そんな自分が魔物よりも身体能力が劣る人間を見失うなど考えられなかった。


「まだ近くにいるはずよ。追いかけましょう」

「う、うん!」


 僅かに冷静さを欠いたグレイスが路地裏を早足で歩いていく。そんな彼女に戸惑いながらも、エステルはその後に続いた。

 路地裏を抜けると裏通りに出る。そこはメインに比べ、街灯の数が圧倒的に少なく、かなり薄暗くなっていた。しかし、夜の森で行動することもあるグレイスにとってそれは大した問題ではない。必死に目を凝らし、自分達の前から忽然と姿を消した男を探す。エステルも周囲に警戒しながらキョロキョロと辺りを見回した。


「──探し物は見つかったかな?」


 そんな二人を嘲笑うかのように、背後から楽しげな声がする。

 反射的に振り向いた二人の前には、口を三日月状にして笑うローブの男の姿があった。


「むさ苦しい騎士団かと思ったけど、こんなにも可憐なお嬢さん方に追われるなんて、私もまだまだ捨てたものじゃないのだな」


 粘りつくような声。瞬時に不快感が掻き立てられる。


「ん? せっかく追ってきてくれたのに、会話のサービスはなしかい?」

「……あなたは騎士団が手配している男で間違いないわね?」


 相手のペースにのせらるわけにはいかない。グレイスが感情を一切感じさせない声で問いかけると、ローブの男はわざとらしく手のひらで目を覆った。


「おぉ、なんと言うことだ……私としたことが淑女を前に名乗りもあげないとは」


 がっくりと肩を落とす男。落ち込んだような声もやけに芝居じみている。


「私の名前はバート・クレイマン。しがない研究員だった男だよ」

「クレイマン……!?」


 それまで緊張した面持ちで沈黙を貫いていたエステルが驚きの声を上げた。バートに注意を向けたまま、グレイスがちらりと彼女の方を見る。


「知ってるの?」

「貴族の中では有名な家よ。悪い意味でね」

「悪い意味?」

「元は中級貴族だったんだけど、その跡取りが国を追放されたせいで下級貴族に落ちたのよ。……名前は知らなかったけど、この男がその跡取りで間違いないわね」

「これはこれは……上級貴族であらせられるノルトハイム家のご息女に知られているとは、光栄の限りだね」


 バートの言葉にピクッと反応したエステルが、鋭い視線を向けた。


「……なんで私のことを?」

「上級貴族で冒険者などやっている少女は酒の肴にちょうどいいのでね。酒場に行けば嫌でも話を聞けるよ」


 ニヤニヤと笑みを向けるバートを見てエステルは顔をしかめる。


「でも、まぁ……こんなにも見目麗しいお嬢さんだとは思わなかったなぁ……もう少し私が若かったら愛の言葉でも囁きたいくらいだ」

「……それは勘弁願いたいわね」


 嫌悪感を露わにするエステルをよそに、バートは笑みを益々深めた。じっくりとエステルの肢体を堪能したバートは、ゆっくりと視線を隣に滑らせる。


「それで……君は'氷の女王アイスクイーン'かな?」

「……本当によくご存知で」

「研究者はデータの収集が趣味みたいなものだから」


 気味の悪い視線を向けられても、グレイスの表情は一切変わらない。


「それで? 得意のデータはこの状況をどう解釈しているのかしら?」

「そうだね……ただの研究者でしかなかった私が冒険者ギルドの、しかも噂の超新星に勝利するのは難しいだろうなぁ」


 言葉とは裏腹に随分と余裕そうな態度。グレイスもそのまま鵜呑みにするような愚行はおかさない。気づかれないように足を開き、戦闘態勢を取った。


「ただ、状況を打開するのはそう難しいことではない」


 その言葉に、じりじりと剣の柄へ伸びていたグレイスの手がピタッと止まる。バートは懐に手を入れると、そこから細長い筒のようなものを取り出した。


「私は研究者でありながら冒険者でもあるんだ。研究に必要な魔物の素材を自分で取るためにやむなく、ね。……粗悪な冒険者達には繊細な素材収集を任せるわけにはいかなかったのでね」

「その筒はなに?」

「私の芸術作品だよ」


 バートがニヤリと笑みを浮かべる。言っていることの意味はわからないが、あの筒は危険だとグレイスの本能が告げていた。


「私は広範囲の魔法を得意としていてね。研究所でもそういった魔道具に関わる研究をしていたんだ」

「なにが言いたいのかしら?」

「だけど、私の思想を理解できる高尚な脳を持つ者が周りにいなくてね。嘆かわしいことだよ、本当に。こいつの素晴らしさをわからないとは、愚か過ぎると思わないか?」

「周りくどい言い方しないで、はっきり言いなさいよ! その筒はなんなの!?」


 まどろっこしい言い回しに苛立ちを隠せないエステルが噛み付くと、バートは薄い笑みを浮かべながら、見せびらかせるように二人の前で筒を左右に振る。


「魔道具だよ。私の広範囲魔法がたっぷり詰まった最高の破壊兵器。発動すればここら一帯を巻き込む大爆発を引き起こす」

「なっ!?」


 あまりの事にエステルは言葉を失った。グレイスも隣で大きく目を見開く。そんな二人を見て、バートは愉悦の表情を浮かべた。


「おや? その表情を見る限り、この魔道具の素晴らしさを理解できたのかな?」

「広範囲魔法……!? そんなものをここで発動させたら……」


 余裕の失われた顔をするエステルを前に、バートは益々笑みを深める。


「そう! こいつの力があれば蛆虫共が巣食うこの地を更地に返すことができるのさ!」

「あ、あんた! 頭がおかしいんじゃない!?」

「おかしい? 何を言っているのかな? ……あぁ、そうか。破壊の跡を見たことがないからそう思ってしまうのか。本当に美しいんだよ? ごちゃごちゃと無能な人間共が作ったガラクタが一瞬で無に帰すところは、一種の芸術作品とも呼べる!」

「く、狂ってるわ……!」


 エステルはこめかみから汗を流しながら、その場で後ずさりをした。彼女が生きてきた中で、ここまで狂気じみた人物には会ったことがない。そんなエステルを見て、バートはつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「……やはり小娘ごときにはこいつの良さが理解できなかったか。まぁ、仕方がないことだ。実際にその目で見れば認識も変わるだろう」

「っ!? そんな事はさせない!!」


 先程買った背中に背負っている剣を掴みながら飛びかかろうとしたエステルをバートが手で制した。


「全く……可愛らしいウサギかと思ったらただのイノシシか。君が私に手を出したらこの魔道具がどうなるかわからないのかね?」

「ぐっ……!!」


 そのままの姿勢で止まったエステルが怒りに顔を歪めながらバートを睨みつける。


「こ、この卑怯者!!」

「心地よい褒め言葉だ。……さて」


 バートは何も言わずにこちらを見つめているグレイスへと視線を移した。


「せっかく来てくれた観客には芸術作品をお見せしたいのだけど、邪魔をされそうなのでね。この辺りでご退場願おうか」

「……殺すのかしら?」


 グレイスの言葉にエステルはピクッと身体を震わせる。バートはニコニコと笑いながらグレイスを見つめていた。


「そうだね。偉大な作品を前に人柱にでもなってもらおうかな?」

「そう」


 抑揚のない声でグレイスが告げる。そんな彼女にバートは感心したような視線を向けた。


「流石は'氷の女王アイスクイーン'といったところか。命の危機であっても落ち着いている」

「褒められる筋合いはないわ。さっさとやりなさい。……それとも、街は破壊できても、小娘一人を殺すこともできないくらい優しいのかしら?」


 グレイスが軽く笑みを浮かべながら挑発すると、それに呼応するかのようにバートは右手を前に突き出す。


「グ、グレイスっ!?」

「動いたらダメよ。大丈夫だから」


 慌てるエステルを安心させるようにグレイスがウインクを投げた。そして、エステルが踏みとどまったのを確認すると、バートに氷点下の視線を向ける。


「別に動いても構わないんだよ? 作品が少し早く出来るだけだから」


 世間話をする気軽さでバートが言っても、グレイスは全く反応を示さなかった。それを見てバートは馬鹿にした笑みを浮かべる。


「なるほど……見ず知らずの人であろうと守りたい、ということか。素晴らしい正義感だね……だが、正義は儚く脆いものだ。耳触りがいいだけで、結局何も守れはしない」

「あ、あんたねぇ!!」

「エステル……この男に何を言っても無駄だわ」


 怒りを露わにするエステルに、グレイスが静かな声で告げる。エステルはグッと唇を噛み締めると、これ以上見ているのは耐えられない、と言わんばかりにバートから視線を外した。


「全く嘆かわしいことだ……結局、力を持った者だけが正義を語れる。そんなハリボテの虚像に弱い者は虫のように縋りつく」

「…………」

「この国がいい証拠だ。声が大きいだけの芸術を解せない愚かな女が治める国など滅びた方が世のためというもの。こんな歴史的な瞬間に立ち会えるとは……あぁ、君達は立ち会えないんだったね。その前に死んでしまうから」

「…………」

「単発魔法は苦手でね……だけど、この魔道具を使う前は無駄な破壊をしたくないのだよ」

「御託はいいわ……さっさとやりなさい」


 グレイスが心底どうでも良さそうな口調で言うと、バートが魔力を充填し始めた。それを見てもグレイスは身じろぎ一つしない。もう既に生きる事を諦めてしまったかのように見える……表面上は。


 だが、彼女には秘策があった。


 '氷の女王アイスクイーン'グレイス。その剣技は見る者全ての目を奪うほど華麗で洗練されたものであるが、彼女の本質は魔法にあった。

 魔法の行使にはいくつかの手順を踏む必要がある。だが、グレイスは簡易的な魔法であれば、手順を飛ばして魔法を発動することができた。


 速射魔法。


 恵まれた才能を持つ者が弛まぬ努力により手にすることができる力。彼女の狙いは、それを利用して相手の意表を突き、制圧すること。相手が第一級の危険物を持っている以上、虚をつく意外に手はない。


 涼しげな顔をしながら虎視眈眈とその機会を狙っていたグレイスは、遂にその好機を見つける。バートが充填する魔力を見る限り、生身であれば一たまりもないが、瞬間的に氷の膜を自分の前に張れば耐えられない威力ではない。その魔法を撃ったと同時に速射魔法で自分を守りながら突撃すれば、あの男は反応することができないはず。

 自分が使う魔法を何度も頭の中で思い浮かべながら、それを悟られないよう表情は変えない。そんな彼女を見ながら魔法の構築を終えたバートがそれを放出する前にニヤリと笑みを浮かべた。


「そういえば私は破壊の他にもう一つ好きな趣向があるのだ」

「……趣味?」

「あぁ。……絶望に染まる顔というのもまた趣深い」


 それまでグレイスに向いていた右手が不意にその方向を変えた。グレイスが大きく目を見開く。


「"熱視線フレイムビーム"」

「っ!?」


 グレイスの頭の中から一瞬にして作戦が吹き飛んだ。バートの手から凝縮された炎の光線が親友に向かっていくのがスローモーションでその瞳に映る。当の本人は状況が把握できていないのか、自らに迫る死の光線を口をポカンとあけて見つめていた。


 考えるよりも身体が勝手に動く。


 速射魔法など使っている暇はない。とにかく自分の身を盾にしても、彼女を守らなければならない。

 すんでの差でエステルの前に立ったグレイスが両手を広げ仁王立ちをする。もう間近までバートの魔法は迫っていた。ここから速射魔法を使うには時間がなさすぎる。それならば、自分の体を盾にして親友を守るしかない。グレイスは真っ直ぐに前を見据えて覚悟を決めた。


 その瞬間、唐突に感じる浮遊感。バートの魔法がグレイスの眼下を通り過ぎ、何も壊す事なく消えていく。


「はぁ……頭が痛いよ、本当」


 頭の整理が全くつかないグレイスの耳に不満げな声が聞こえてくる。混乱したまま彼女がそちらに顔を向けると、そこには漆黒の軽鎧を身に纏う灰色の髪をした男が、鼻から上を仮面で隠し、自分と自分の親友を脇に抱えて佇んでいる姿があった。

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