【魔女の兆し】(19500文字)

第302話

【魔女の兆し】(19500文字)


 ガラスに浮かんだ結露が、すぅー、と筋を伸ばして垂れるように、魔女は、地面へと落ちていった。

 落下地点へといそぐ。

 饐えた臭いの立ちのぼるアスファルトのうえだ。少女はうつ伏せに倒れていた。死んではいないだろう。綺麗なものだ。傷ひとつついていない。だが、瞠目するには及ばない。魔女とはそういった存在だ。高所から落下した程度の衝撃ではとうてい致命傷にはなりえない。とはいうものの、どうやら魔女は意識を失っているようだ。〝羽音〟が聴こえなくなっている。

「案外に余裕だったねー。『東の魔女』だなんて呼ばれてるから、もっとボス的なのを期待してたんだけど」

 軽口を叩きながら、シスコ・レックン=スタープがその場にかがんだ。こいつはおれの相棒だ。チョンマゲに結われた髪束には、なぜかいつも可愛らしいリボンがくくられている。妹からもらったのだそうだ。断るまでもないが、こいつは根っからのシスコンだ。そのうえヘンタイでもある。それなのに眉目秀麗なのが鼻につく。

 なにをするつもりだろうか、と眺めていると、シスコは魔女の背中に膝をつけて固定した。首でもへし折りそうな態勢だ。

「殺すなよ」おれは呼びとめる。「貴重な情報源だ。本部へ運ぶ予定だったろ」

「いやでもね」シスコはこちらを見上げ、にへら、と笑った。「手足くらい、もいどいたほうがよくない?」

 なるほど、と納得しかけたがやはり気乗りしない。ネクタイを緩めながら指摘した。「昏睡状態じゃ、再生しない。もし死なれでもしたら、いい笑い種(ぐさ)だ」

「そうだった。不死身ってわけじゃないんだっけ」でもまあ、だいじょうぶでしょ、とシスコは少女の手足に刃を当てた。ぐるり、と刃を滑らせる。ブレスレットをはめたみたいに少女の手足に切創が刻まれた。骨までは切断できなかったようだ。シスコは殊勝にも手足を一本ずつ、ぶちぶち、ともぎとった。さながらトウモロコシの葉を毟り取るがごとくだ。

 意識が飛んでいるからか、魔女は、わずかに表情を歪ませただけで悲鳴をあげることもなかった。じゅくじゅく、と体液が噴きだしたものの、すぐにとまる。やがて滲んだ体液が、切断面に皮膜然として凝固した。魔女に意識があれば、ものの数秒でその皮膜から手足が再生する。再生した分、魔女の身体は縮まる。だから魔女は基本的に、幼い容姿をしていることが多い。体躯の幼い魔女ほど老獪である傾向が高いのは、そのためだ。もっとも、この魔女はただ単に幼いだけのようだ。

「この手足、棄ててもいいかな?」シスコはもいだ手足をぞんざいに掲げた。さながら大根を売りさばく青果店の店主だ。「どうせすぐに分離して消えるっしょ? いらないよね」

「いらないな」同意してから、でも、と教えてやる。「バイヤーに流せば、金になる」

 魔女の血肉は、美食家たちに人気がある。加えて、希少価値が高い。

「へえ、そうなの? じゃあ、そうしよっかな。おれ、今月、妹の誕生日でさ。奮発してやりたいんだよ」

 その話題には敢えて触れずに、「凍結させないとすぐに腐るぞ」とだけ助言した。

「さすが、イナちゃん。物知りだね」

 その台詞には、好事家だね、との揶揄も含まれて聞こえた。「無駄が嫌いなだけだ」とみじかく抗議する。「これ以上解体したいのなら、魔女を起こしてからやれ。死なれたら困る」

「死なせはしないさ。めずらしく生け捕りにできたってのに」言いながらシスコは紐を取りだした。もぎとった手足を縛ってまとめている。「にしてもイナちゃんと組むと効率がよくって助かるよ。魔女狩りを一週間で済ましたって、これっ、けっこうすごくない?」

 それには応えず、眼光するどくシスコを射ぬく。

「今日が最後の忠告だ」冷たく見下ろしながら、「二度と『ちゃん付け』で呼ぶな」

 てめぇも狩るぞ、と嘯いた。

「いやいや……でもねイナちゃん、」やつが言いきるまえに、さらにどぎつく睨んで威圧した。シスコはすかさず口を閉じた。肩をすくめている。もぎとった魔女の手足をこちらへ放ると、「りょうかい。約束しましょ」と不承不承の体で譲歩した。「そんかし、その手足、換金しといてよ。それくらいの対価はもらわないとね」

 舌を打ちつつも、おれはしぶしぶ引き受けた。

      ***

 基本的に狩り(カリュー)は二人ひと組で行われる。単独のほうが気楽で狩りを展開しやすいが、そう規定されているのだから致し方ない。気に入った者どうし、ずっと組んでいる者たちもあれば、おれのように、こうしてランダムに相棒をあてがわれる者も多い。そうした場合、毎回組む相手は異なる。機関のほうで勝手に見繕うからだ。孤独を好む、自分勝手な個人どうし。基本的には、二人そろったとしても、個人競技にsかならない。どちらがさきに狩るか。どちらがさきにとどめを刺すか。その狂わしくも騒がしい競争に変貌する。

 機関が欲しているものをおれたちは狩る。そしておれたちの希求しているものを機関は配給してくれる――この単純なまでのシステム。それが崩れさえしなければ、あとは瑣末な問題にすぎない。

 奇しくも、なぜかおれは、このシスコと組むことが多かった。どんな場合でも他人を信用しないこの男ではあるが、なぜかどんな相手に対しても鷹揚に接する。油断を誘っているとすれば、なかなか狡猾なやつだ。もっとも、シスコには弱点がある。妹だ。どんな相手でも信用しないシスコではあるが、妹だけは例外らしい。どんなことがあっても、妹だけは信じていると見える。妹へ情を注ぎすぎているからこそのこの軽薄な人格なのかもしれない。

 車の運転は基本的にシスコがしてくれる。ハンドルを相手に握らせるのが厭らしい。こちらとしては大助かりだ。下僕をもつ、ちょっとした主人気分だ。だからでもないが、シスコと組むのはそれほど嫌いではない。

 おれは後部座席に乗りこんだ。運転席と対角の位置だ。おれのよこには今しがた狩ったばかりの荷物(魔女)が置かれている。なにか不測の事態に陥ったとき、瞬時に対応するだめだ。車内では通例のごとく、シスコが口上を捲し立てはじめた。おれは車窓に映る自分の像と睨めっこをしながらシスコの弁舌を、窓の自分と同じように、ただぼんやりと聞いていた。

「――んでな、妹がそこで怒ったんだ。『どうして手を洗わないの! 今、トイレから出てきたでしょ、お兄ちゃん!』って。その様があまりにかわいくってさ。だから正直に答えちゃうよね。『ボクの手に付着した体液を、愛しのマイ・リトル・シスターに擦りつける機会が減っちゃうからだよ』って。そうしたらさあ、あのコったら、ますます怒っちゃってね。いやー、もうホントっ! かっわいいなー、こんちくしょー」とシスコがご機嫌で語ってくる。

 こちらとしては、相も変わらずにドン引きだ。何度聞かされても、こいつのシスコンぶりに慣れることはない。こいつがおれの親類でなく、ほんとうによかった。

「かわいそうだ。大切なんだろ。だったらあまり過激なジョークは避けてやれ」

「はっは。りょうかい。でも、大丈夫だよ」シスコは陽気に手を振った。「だって、ジョークじゃないもんね」

「…………あ、そう」久しぶりに顔も知らない他人へおれは同情した。やめてやれ、と言っても無駄だろうから、「ほどほどにな」とだけ口を添えてやる。

「大丈夫。ボクは見た目通りに紳士だからね」

「そのジョークは笑える」一切の表情筋を動かさずにおれは言った。おまえが紳士ならこの世界、どこを見渡しても紳士だよ、とさらに揶揄してやりたかったが我慢した。代わりに、「たしかにおまえは紳士だよ」と太鼓判を押してやった。

      ***

 七日ぶりに本社へ戻った。「捕獲完了」の一報はすでにいれてある。

 威圧的に大きなビルディング。その入り口には、「カリュー・ド・コーポレーション」と尊大に掲げられた看板が、無愛想な警備員のごとくに出迎えてくれる。そのまま車は地下駐車場へとおりていく。シスコは指定の場所に駐車した。ここは盗難防止壁で囲われたボックス・スペースだ。外と内が区切られている。マジック・ウォールとなっているから、内側から外を視認することができる。車内にある指紋認証器機。シスコがそれに触れて、さらにパスワードを口にした。そうすることで音声認証も同時に行う。

 わずかな重力の減退を感じながらおれは、駐車場の風景が上昇していくその様を眺めていた。地下駐車場のさらに地下。車ごとおれたちは、狩人(カリュード)本部へと降りていく。

 このビルは、表向き、大手人材派遣会社のビルディングとして社会に認知されている。もっとも、この機関の本業は、こうして仰々しいセキュリティを設置しなくてはならないほどに、如何わしいものでしかない。

 今回の「狩り場」は都心だった。本社からもそう遠くはないことから、特例として長期援助が許可されていた。この一週間、おれとシスコは、世界屈指の大金持ち&権力者となれていた。

 獲物を仕留めるにはそれなりの「経費」と「悪事」が必要だ。それらはすべて、機関持ちである。いくら金を使おうと、いくら罪を犯そうとも、おれたち個人へは、処罰も負担もなんら課せられることがない。もちろん私的流用は厳罰の対象だ。通常、機関からの援助は、狩りの数時間だけに限定される。

 だが今回は、本社のテリトリィ内での狩りであるために、数日間の援助が認可された。

 援助期間内であれば、たとえおれが人を殺そうとも、おれは社会法に罰せられない。ただし、利己的な殺傷を犯してしまえば、機関のほうで処罰されてしまうだろう。

 けっきょく人は、どんな階層に身を置くにしても、その環境に見合った束縛を強いられるものなのだろう。 

 生きているかぎり、自由なんて、どこにもない。死んでしまえば、不自由すらもない。

 スキャナ・セキュリティルームへ到達する。そこで車から降りた。縦横無尽にスキャナの光線が交錯しはじめる。そうして立体的かつ断面的に、車ごとおれたちや“荷物“を穿鑿しているのだろう。

 緑色に染まっていた室内が、パッ、と白色に反転した。にごった視界が洗われるみたいに感じられる。どうやらスキャナが完了されたらしい。問題はないようだ。

 こちらをその場に残し、車は“荷物”を乗せたままで、さらに地下へと沈んでいった。

「さてと」シスコがため息を吐きながらこちらを向いた。「無事、任務完了ってことで、一杯どうよ?」

 こいつはおれよりも背が高い。自然、見下ろされたようになる。しょうじき、不快だ。数歩退き、距離をあけることで目線の高さを調節した。「やめとく。七日もいっしょだったんだ」

 これ以上いっしょにいたいとは思わん――。そう続けるまでもなく、「つれないねー」とシスコは相好をくずした。「まあ、しゃーないか。ボクもはやく妹に逢いたいし」

 その話題には敢えて触れずにおれは、「ああ」とだけ口にした。

「じゃあなー」またの機会に、とシスコはこの白色の部屋から颯爽と出ていった。

 見届けるとおれは、そっと、やさしくつぶやいた。「……しあわせなやつ」

      ***

 翌日の午後。本社、地下十六階。大小さまざまな食堂が混在するフロア。

 食堂でカレーを口に運んでいると、「昨日はお疲れさまでした」とよこから女が覗きこんできた。「聞きましたよ。あの“魔女”を仕留めたらしいじゃないですか。すごいですよ。東の魔女ですよ? ほんとうにイナメさんはすごいです。稲(いな)芽(め)ナオンさまさまですよ。イチカ、さらに惚れなおしちゃいました」

 またこいつか、と一瞥しただけで、おれはカレーへと視線を戻す。

 彼女は須堂イチカ。いったいどんな人物であるのかを一言で形容するとすればこうなるだろう――彼女はおれのストーカーだ。

 こいつは、ほんとうに情報がはやい。毎度毎度、いったいどこから仕入れてくるのやら、と呆れる以前に感心してしまうほどだ。“魔女狩り”に関する情報閲覧は、規制されている。機関から洩れたとは考えにくい。もしかしたら、シスコのやろうが情報を売っているのかもしれない。きっとそれだな、と当たりをつけた。つぎに会ったら殺しとこう、と頭の隅にメモをする。

「まだガキだった。それだけだ」と簡素に述べてやった。他人の挨拶を無視するほど礼儀知らずではない。おれはこう見えて礼儀というものを重んじている。相手にそれを押しつることはしないが、おれはそれを順守したい。

 ガキだって油断は禁物ですよ、と彼女が心配そうに、ぷんぷん、と宣巻く。「ガキのほうが分別つかないんですから。イナメさんがそんな風だから、この一週間、イチカ、夜も眠れませんでした。これはもう、イナメさんのせいですよ。責任とってください」

「なにをすれば気が済む」

「そうですねえ、」と彼女は視線を宙に彷徨わせた。あごにゆびを当てている。おれはその、いかにもかわいらしい仕草が好きではない。思いついたように彼女は、あっ、と声を張った。「イチカ、今日のよる、ヒマなんですよ。いっしょにお食事なんていかがですか?」

「おれはヒマじゃない」と冷たくあしらう。

「ええぇ。そんなのウソですよー」と彼女は駄々をこねた。ともすればそれは、こちらの予定を知りつくしているからこその抗議なのかもしれない。実際、今宵はヒマだった。だが彼女といっしょに過ごそうとは思えない。おれはうんざりしながらカレーを頬張った。今日はいつになく食欲がある。未だ立ち去らない彼女を睥睨した。「話はそれだけか?」

「……ええ、まあ」そうですけど、と彼女は不貞腐れた。

 それからおれは、もくもく、とカレーを食すことのみに専念した。礼儀は尽くした。もはや彼女に構ってやる義理はない。

 ほどなくすると、

「……イチカ、もう戻ります」おじゃましました、とこぼして須堂イチカは去っていった。スプーンに映った像で、彼女のうしろすがたを確認する。案の定、過剰にうなだれていた。彼女が向こうの席に着くと、「また振られてやんの」「こりないねえ、イチカちゃんも」「おまえは真正のドМだな」「今夜ヒマなら、俺らとどうよ?」などと周囲から、冷やかす声があがった。須堂イチカは息巻いた。「うるせぇぞ、グズども! はなしかけんなッ」

「イチカあ、もっと言ってやれえ」とかしましく女どもが囃したてた。ひゃはは、もっと詰ってー、と男どもがはしゃいだ。なんて気色わるい。

 あれでイチカは男受けがいい。男だけでなく、女からも慕われている。いっぽう、おれはみんなから敬遠されている。なぜかは知らん。それでも構わん。

 全員まとめて喰われてしまえ――。心にもないことをおれは思った。今日は機嫌がいいな、と自覚した。腹が、ぐー、とちいさく鳴った。

      ***

 狩りを終えた者は、その狩った獲物の情報を、機関から得ることができる。むろん、報酬とは別にだ。おれたちの狩った獲物(メフィスト)は、いったん機関の、分析班に回され、そのあとに解析班へと渡される。分析班の抽出した情報は、比較的、自由に閲覧可能だ。いっぽうで、解析班の抽出する情報は、厳しく規制されている。機関の総括部か、解析屋以外に、その仔細を知ることはできない。もっとも、例外的に、その獲物を狩った捕縛者のみ、その情報を知ることができる。

 情報は武器以上におれたちの身を守る術を齎してくれる。

 だからこそおれたち狩人(カリュード)は、自分の手で狩りをし、情報を得ようとする。この世界を認識し、この社会で生きていくには、そうするほかに術がないからだ。赤子が誰に習うまでもなく、手探りで世界を認識しようと抗うように。

 陽が沈むまえに、白黒アオイから連絡があった。彼女はおれの上司だ。どうやら、分析結果が出揃ったらしい。いずれ一般開示される情報ではあるが、さきに知っておくこともまた捕縛者の特権でもある。

 部屋へと赴くと、彼女、白黒アオイは、デスクに頬杖をつきながらディスプレイを眺めていた。おれに気づくと、「おう、来たか」と背を起こし、「まあ、座れ」と促してくれた。

 失礼します、とソファに腰をしずめる。

 緩慢な動作で眼鏡を外すと彼女は、「単刀直入に述べる」とこちらへ視軸を合わせた。「あの魔女のことは内ないで処理することに決定した。なぜかと言えば、アレが登録外メフィスト――幻獣保有者だと判明したからだ。それゆえに、捕縛者のきみにも仔細を開示することはできない。久々の箝口令だ。分析結果もまた、規制される。今回の報告は、これで以上だ」

 納得がいかない。あまりにも一方的な言い分だ。

「厳重保有者とはなんだ」と詰問する。「保護するということか?」

「はて」と彼女は首を傾げた。合点したように、「ああいや」と指摘してきた。「そういう意味の『ゲンジュウ』ではない。幻のケモノ――そういう意味だ」

 幻のケモノ? ドラゴンだとかユニコーンだとか、そういった幻獣のことだろうか。アホらしい。そんな夢物語を信じろとでもいうのか。おれは苛立った。

「登録外ということは、機関にも認知されていなかった存在ってことだろ」責める口調で投げかけた。

「質問の意図がわからん。迂遠な物言いはよせ。掻い摘んで話せ」

 ならば、とばかりに遠慮なく弾劾してやった。「くっだらない与太を理由に、情報を開示しないなど――そんな言い分が通るとでも? 横暴にもほどがある」

 きょとん、としてから白黒アオイは、やれやれ、とあからさまに呆れやがった。「……おまえはほんとうに変わらんな。ひとの言葉をまっすぐに捉えすぎだぞ。すこしは私の配慮に気づいてほしいものだがな」

 もしや、とおれは視線をそらす。もしかして、また彼女は気を遣ってくれていたとでもいうのだろうか。少し考えてから、はた、と思い至る。箝口令が敷かれているというのが事実だとすれば、あの魔女が登録外であることも、幻獣保有者というその聞き慣れない存在であることも、きっと本来であれば口外できない情報だったのだろう。それを白黒アオイ、彼女はわざと教えてくれたのだ。

「……回りくどいほうがわるい」と目を伏せたままでおれはぼやく。

 ふふ、と彼女が陽だまりじみた笑みを漏らした。「それもそうだな。わるかったよ」

 まるでおれがガキみたいだった。これだからこの女は、とおれは席を立つ。

「なんだ。もう行くのか。ゆっくりしていけ」

「うるさい。だまれ。失礼します」と乱暴にその部屋を後にした。

 白黒アオイ、おれはこの上司がとても苦手だ。

      ***

 本社の外に出る。昼間の街は落ち着かない。喧騒がこだまする空虚、それが溢れているからだ。人で賑わってはいるものの、ここには無関心が結晶化している。その結晶化した無関心が、さらに底のない器を形成している。その器に溜まるものなど、なにもない。けれど、その底のない器の一部であるかぎり、そこから落ちていくこともない。

 どこを見渡しても、人人人……。種種雑多な人間が蔓延っている。それでもここには集団などはない。弧絶を纏った個が、いくつも嵩んでいるだけだ。

 集団に紛れるといった擬態。擬態をする個の集合体。

 複数ではなく、不特定多数。そうやって、雑踏が形成されている。

 結びついた集団など、昼のこの街にありはしない。いつどこで途切れようとも構わないような、静電気じみた希薄な関係性だけが、この雑踏をぼんやりと維持している。

 もっとも、この雑踏のそとに身を置き、不特定多数が形成するこの混沌――それを監視する集団というのは存在している。

 それもまた、静電気より希薄な関係性で結びついている組織ではあるものの、空気のようにどこまでも延々と繋がっている――そんな、この社会全体を覆うような集団だ。人の歩む大地の表層が社会だというのなら、大気がその集団にあたるだろう。そして、個人と個人がぶつかり合い、こすれ、摩耗することで生じる静電気が、この街に溢れる雑踏と呼べるのかもしれない。

 ならば、海とは、人間の営みの及ばない領域に息衝くヤツら、メフィストどものことかもしれない。それはおれにも解らない。

 ともあれ、おれの属する集団というのは、この、目のまえにひろがる漠然とした“雑踏”が瓦解しないように――底のない器に、異物が紛れこまないように――するための「お掃除屋さん」といったところだ。

 ――メフィスト。

 そう呼ばれる異形の衆。人の肉を食さねば四年も生きていられない。そんな忌むべき化物だ。

 ヤツらには、異能が宿っている。個体によって、その異能の性質はちがっている。大まかには、〈上〉〈中〉〈下〉の三つに分類できる。

 〈上〉は物理干渉。念力じみた能力は主にこれに当たる。

 〈中〉は自己強化。細胞の活性化など、肉体再生や筋力強化が著しい。

 〈下〉は物質流動。物質を操るのではなく、物質の性質を変化させる。水を氷に変えたり、空気を水素と酸素に分解させ、燃焼させたりできる。

 殺傷威力はどれも同じ。個人差による。

 とはいえ、異能を持たぬ人類からすれば、あまねく脅威以外のなにものでもない。メフィストは人類を餌とすることでしか生きられない、そんな憐れな化物だ。

 ヤツらは、覚醒している(腹を空かせている)あいだ、「羽音」と呼ばれる気配を発する。それらがおれたちには虫が飛んでいるような、不快な音として知覚される。「腹の虫がおさまらない」といった慣用句の語源は、まさにこの「羽音」だと言われている。ふしぎなことに、常人には聞こえないらしい。それを知覚できる者のみが、狩人(カリュード)となれる。

 また、メフィストのなかには、人間を食さずに生き永らえられる者もいる。それが、「魔女」だ。もっとも、喰わなくとも死なないというだけのことで、腹はへるらしい。逆にいえば、魔女は常に空腹。極度の空腹に耐えきれずに“暴食”するメフィストの大概が、魔女だ。いちど暴食をはじめた魔女が断食することはまずない。そういった統計まである。事実、一匹の魔女が複数の街を壊滅させたなんて話も珍しくはない。

 魔女はその名の通り、女しかいない。極々稀に、「男の魔女」も出るようだが、あいにくとおれは出遭ったことはないし、今のところ出遭う予定もない。

 また、ほかのメフィストどもにはない特性が魔女にはある。異能を、〈上〉〈中〉〈下〉すべて遣うことができる。そのうえ、ほかのメフィストの“羽音”を聞き分けることができるようだ。どのメフィスト(誰)がどこで、なにをしているのか。おおよそを把握できるのだという。そういった特殊な意味合いで、魔女は、メフィストの女王と呼ばれている。

 ヤツら(メフィスト)は魔女を中心として、組織を形成している。腹を空かせて死にそうなっている仲間へ、定期的に人肉を配給するためだ。この街で起きている失踪者の大半は、ヤツらの餌食になったと考えてもなんら差し支えない。

 メフィストが人類へ危害を加えてくる存在である以上、野放しにしてはおけないだろう。ヤツらを狩る者が必要となる。それがつまり――おれたち(カリュード)だ。

 そとを歩んでいて気がついた。今日はやけにメフィストどもが、うごうご、と蔓延っている。これだけ遠いというのに“羽音”がここまで聴こえていた。機関はなにをしているのだろう、とおれは憤る。二人ひと組でないと狩りの許可はおりない。それがもどかしかった。だがいつものことだ、と気を揉むことはしない。

 横断歩道のまえで立ち止まる。赤信号だった。だのになぜかお婆さんが歩きだしていた。危ないなあ、と暢気に眺めていると、視界の隅に、十トン・トラックが映った。満杯に鉄骨を積んでいる。それがこちらへ猛進してきているではないか。速度は変わらない。お婆さんに気づいていないのかもしれない。逆に、お婆さんのほうはトラックに気づき、足早に渡ろうとしていた。赤信号だったことにも今さらのように気付いたようで、「あら、赤信号だったのね。うっかりだわ」みたいな顔をしたあとで猛烈に、おろおろ、とその場で立ち往生してしまった。危ないなあ! トラックは目前まで迫っていた。――轢かれる。周囲の通行人たちもみなそう思っただろう。おれは飛びだし、トラックのまえに立ちはだかった。右手を突きだし、トラックを止める。衝撃はない。おれにも。トラックのほうにも。はなからそこに止まっていたかのごとく停車した。荷台の鉄骨は軋みもしない。

 トラックを止めた右手が、むずむず、とする。だがせっかくだから、その衝撃はストックしておくことにした。つぎの狩りのときにでも遣わせてもらおう。

 お婆さんが腰を抜かしていた。抱きかかえて、歩道の隅にあるベンチまで移動する。そこに座らせた。死にそうな目に直面しておきながらお婆さんは、「ありがとう。たすかったわ」と余裕綽々と礼を述べた。

 これだから年寄りは、と呆気にとられつつ敬意を抱く。

 騒然とする観衆を尻目に、おれはその場を後にした。

 視界に、カレー専門店の看板が見えてきた。ゆきつけの店だ。ここのカレーは絶品だ。昼間に大盛りを食べたというのに、腹の虫が、きゅるる、と鳴った。

 席に着き、どれにしようかな、とメニュー表とにらめっこをしながらおれは頭の隅で一抹の懸念を抱いていた。

 どういうわけか、今日はやたらと腹がへる。

      ~~CM~~

 メディア端末が曲を奏でだした。ひとむかしまえに流行ったアニメのEDに使われていた曲だ。着信音をそれに設定してある。そのアニメは、悪魔が少女に恋をして魂の契約を迫る、といった内容だった。最終回では、悪魔が自分の魂と引き換えに少女をただの人間へと戻してあげていた。雰囲気的にはハッピーエンドだったが、無駄を嫌悪しているおれのなかではバッドエンドでしかない。そのエンディングには激しく悶々とさせられた。だったら最初っから契約なんてするなよ、悪魔のバッキャロー。そんな感じだ。

 スプーンを置かずに、食をすすめながらディスプレイを窺う。「カリュード」と表示されていた。連絡は機関からだった。二皿目のカレーを頬張りつつ応答した。

「なんだ」

「イナメ・ナオンか?」

「誰だと思って連絡してきたんだ」

 こちらの揶揄は無視された。知らない声だった。普段、機関からの連絡はたいてい白黒アオイからだった。この声の主がだれなのか、顔を思い浮かべることはできなかった。

「……今、どこにいる」

その質問はおかしい。こちらの位置情報は、メディア端末から探知できているはずだ。なにやらきなくさい。おれは警戒しつつも素直に答えた。

「すぷ・すぷ・すぷーん…………えっと……カレー屋さんだ」

「店の名前を言われたところでこちらは解らん。番地で言え」

 居丈高なやろうだ、いけすかない。「歌舞伎町だ。番地は知らない。西武新宿に近い」

「わかった。そこで待機していろ」

「なんでだ。指令じゃないのか」機関からの連絡は十割、狩りの指令だ。もしかしたら相方とここで合流しろ、とそういうことかもしれない。だったら現場でいいだろ、と思った。だからそう主張した。「狩りをするなら、現場でいいだろ」

「いいからそこで待機していろ」その声はどこか、駄々をこねた子どもを言い聞かせるみたいだった。おれが不満げに閉口していたからか、声は最後にこう告げた。「――そこが現場なんだよ」

 通話終了。待ち受け画面にもどったメディア端末。それを睨みつけた。しょうじき、腹がたった。きっとだからだ。おれはさらに腹がへった。

      ***

 五皿目のカレーを味わっていると、またしてもメディア端末が曲を奏でた。大食い自己新記録を更新中だったおれは水を差されてやや不機嫌になる。見遣れば、今度は非通知の番号だ。いったい誰だ、と乱暴に掴みあげて、「なんだ」と応答する。

「ナオか?」白黒アオイだった。声を聞き分ける以前に、おれのことを「ナオ」と呼ぶのは彼女だけだ。彼女は焦燥感を滲ませた口調で要点だけを端的に述べた。「今すぐにそこを離れろ。端末はそこに捨てていけ。あの場所で待ってろ。向かいに行く」

 なんのはなしだ、とこちらが尋ねるまえに白黒アオイは切りやがった。

「なんだってんだよ」どいつもこいつも、とおれは舌を打つ。

 勝手なことばっか言いやがってアオイのやつ、と毒づきつつもおれはすぐにメディア端末のメモリを取り外し、かたく握ってその場で粉砕した。端末本体は店のゴミ箱へ投げ捨てる。勘定を待つのは面倒だったので、「釣りはいらん」と財布のなかにあった札束を置いて席を立った。電子マネーが主流の昨今。こうしたときくらいでないと、お札をつかう機会がない。

 裏口から出る。おれはカレー屋さんを後にした。

 ***

 はじめて白黒アオイに会ったのは、おれがまだ七つのころだった。すでに覚束なくなった記憶ではあるが、おれはそのとき、血溜まりのなかに突っ立っていた。周囲には、べちゃべちゃ、とフォークでイチゴをつぶしたような血肉が散らばっていた。おれの家族の残骸だった。たった一匹のメフィストに襲われた。あとになって知らされたことだが、狩人たちから未だに蛇蝎視されている魔女だったらしい。

 通称、「西の魔女」。そう呼ばれている、特一級の暴食者だ。

 そいつは今もなお、狩られることもなくこの世界のどこかで暴食の限りを尽くしている。各地での被害情報が、たびたび、機関に入ってくるからそうと判る。

 そんな魔女に襲われていながら、なぜおれだけが生き残ったのか――ただ運が良かっただけにすぎない。

 白黒アオイ。

 彼女がおれを救ってくれた。魔女に喰われる寸前だったという。さながらおれは食後のデザートだったようだ。おれさえ生き残っていなければきっと、白黒アオイ、彼女は「西の魔女」を狩っていたことだろう。それを彼女はおれの命を優先してくれた。そのせいで当時、彼女は懲戒に処されてしまったらしい。暴食化した魔女を逃がしたということは、これから先、その魔女に喰われる人間を見殺しにしたのと同じこと。餓鬼一匹を助けたことで、その何千倍もの人間が魔女に喰われる。そういった罪悪をあのとき、白黒アオイは犯してしまった。だがそれのおかげでおれはこうして生きていられる。おれは彼女に感謝している。そのいっぽうでは、こうしておれが生きてしまったことで、代わりに喰われてしまった者たちへの謝罪の念が、しんしん、と胸のうちにいつだって積もりつづけている。あの西の魔女を――暴食するメフィストどもを――殲滅しない限り。おれの“生”は、日々日々、その重さを増していく。

 本来、メフィストの存在を知った一般人たちは、一部の地域で保護される。たいていの人間は、目のまえで家族を喰われた者たちだ。精神に深い傷を負う者も少なくはない。その傷はけっして治ることはないだろう。だが、治らずとも、癒えることはあるだろう。傷を共有できる者同士、寄り添いあうことができたならば。

 白黒アオイに救われたおれもまたそこで暮らすはずであった。

 だが、期せずしておれは狩人の素質を有していた。

 あれからすでに十年が経過した。あまりにも濃厚な日々だった。それらの過剰な情報に埋もれてしまったように家族との記憶など、いまはもう、ほとんど残っていない。

 とはいえ、おれにとっては白黒アオイ、あの上司が家族のようなものかもしれない。

 口うるさくもやさしい――おれの姉。

 あいつが逃げろというのだ。それがおれにとって、最良の選択なのだろう。おれはあいつだけは疑うことをしない。ともすれば未だに信じていないだけかもしれないし、信じる必要すらないからかもしれない。どちらにせよ、たとえあいつに裏切られたとしても、おれはまったく恨まない。

 感謝こそすれど、責めるいわれなどはない。

 悲しみはすれど、否定できる立場でもない。

 おれの命は、おれのものですらないからだ。

 めずらしくおれが感傷に浸っていると、「おいおいおい」と聞き覚えのある声が路地裏にこだました。

「いったい、どこに行く気なのさー」前方に人影が立っていた。「待ってろっていわれたんじゃないの?」

 重度のシスター・コンプレックスである男――シスコ・レックン=スタープがそこにいた。

「またおまえかよ」とおれは毒づく。どうやら今回の相方もまた、この男らしい。だがあいにくと狩りには付き合えない。我が上司からの呼び出しがかかっているのだ。そのうえ、逃げろ、との忠告つきときたものだ。速度をゆるめて歩み寄る。「わるいな。ほかのやつを当たってくれ。言えばすぐにあてがわれるだろ」今日はおまえの相棒って気分じゃないんだ、とジョークを投げかけながらよこをすり抜けようとした。だができなかった。シスコが道を塞いでいた。背後にありったけの刃物を宙に浮かべて。

「なんの冗談だ。刃先がこっちを向いているぞ」

「うん。知ってる」飄々とシスコは答えた。

 やつのよこに、すー、と一(ひと)口(ふり)の日本刀が移行してくる。それのみ、鞘に納まったままだ。その刀は、シスコが本気で獲物(メフィスト)を狩るときの日本刀だった。江戸時代から伝わる、魔女狩り専用の業物――魔刀・鬼蜻蝣(おにやんま)。またの名を、「蜘蛛(魔女)喰い」。それをシスコは、むんず、と掴んだ。シスコの異能は〈上〉に該当する。薄い形状のものであれば、活殺自在に操れる。狩人のなかにも刃物遣いはいるが、そのなかでもシスコは別格だ。干渉範囲が百メートルを超えている。そこまで特化した狩人はこいつのほかにいない。

「ボクはさ、これまでたくさんのメフィストどもを狩ってきた。ザコも魔女も、例外なく、平等に狩ってきた。人間だって狩ったことがある。たいていの捕食者を狩ってきたんだ。それでもこれまでいちども狩ったことのない者がある。なあ、イナちゃん。なにか判るかい?」

 むろん判った。だが答えるにしても気乗りしなかった。理由は判然としないが、シスコはおれを殺そうとしている。シスコはああ見えても、機関の意向だけには決して逆らおうとしない、杓子定規な男だった。やつのその病的なまでの追従ぶりは、機関それ自体がおれを狩ろうとしている、という逆説が成り立ってしまうほどに徹底している。説得は無駄だろうと直感してはいるものの、避けられるならば避けて通りたい。

「おい。このあいだ言ったばっかだよな」身構えながら警告してやった。「二度とちゃん付けで呼ぶなって」

「はっは。いいねー。ボクはさ、そういったイナちゃんの生意気なところ、嫌いじゃないんだよねえ」

 にへら、と相好をくずすとシスコは、ほかの刃物をこちらへ向けて、すー、と移行しはじめた。裏路地の空間が、シスコの型をのこしながら刃物で埋まっていく。

「これまでのよしみだ。今のは見逃してやる」おれはネクタイを、くい、と締め直す。「二度とおれをちゃん付けで呼ぶな。これが最後だ。つぎはない」 

「こうやって話が噛み合わないのも、嫌いじゃなかったんだけどねぇ。それも今日で終わりなのかあ。名残惜しーなあ」

「だったら、餞別代りに答えてやる。おれもまた、“狩人”を狩るのは初めてだ」

 言って、思いきり壁を殴りつける。どん、どん、どん、と三発。壁はまったく壊れない。だがそれでいい。おれの拳にはその分の衝撃が蓄積されている。いや、おれという肉体に蓄積されている。

「たった三発でいいのかい? ずいぶんと舐められたもんだなあ」

「わるいが、」と断ってからおれは、剣山じみた通路へつっこんだ。「その“初めて”――おまえにくれてやるつもりはない」

 刃物が一斉に飛びかかってくる。さながら弾丸のごとく。だがおれは意に介しない。おれの全身は今、衝撃の鎧をまとっているからだ。刃物を弾き飛ばしつつ突進する。

「ん? んー? あっれえ。なんでよーっ!?」とすっとんきょうにシスコが瞠目した。たしかに、たった三発の打撃くらいでは、これだけの刃物を防ぐことはできない。もって五十本といったところだろう。だがあいにくと、おれには今、いっしゅんで人間を木っ端みじんに粉砕できるほどの衝撃が蓄積されている。ここにある刃物をすべて合わせたとしても、その重量は百キロを超えないだろう。こんな薄っぺらな刃物ごときでは、とうてい打破できるはずもない。なにせ、おれの衝撃は、十トン・トラックのそれだからだ。

 痺れを切らしたようにシスコが自ら仕掛けてきた。魔女狩りの日本刀を地面すれすれに下ろして、すたすた、と無防備に歩んでくる。隙がまったくない。隙がないからこそ、防備する必要がない。それゆえの無防備。

 蜘蛛(魔女)喰いの異名を誇るあの日本刀。切れ味が尋常ではない。以前に聞かされた、シスコの自慢じみた話を信じれば、あの刀は、魔女の骨だという。異能を〈上〉〈中〉〈下〉遣い熟すことで、全身を凶器と化した――古の魔女。その骨。

 仮に、そんな最強の“矛と盾”を手にした魔女が真実に存在していたとして、ならばどうやってその魔女を狩ったのかは疑問の余地があるにせよ、その昔話を信じてしまいそうなほどに、あの日本刀の切れ味は異常だった。

 何度もおれは目にしてきた。シスコがメフィストどもを馘首していくその様を。切り刻んでいくその鬼のごとく姿を。おれは何度も見てきていた。だからこそ、おれにはシスコの太刀筋が見える。

 好敵手と対峙したとき、シスコは抜刀術を放つ。刀が鞘に納まったままなのはそのためだ。

 蜘蛛喰いの切れ味と、シスコの瞬発力。刀それ自体を能力で操つることで、その抜刀を瞬時に、極限まで加速させる。

 目視するのはほぼ不可能。あいつの間合いに入ったが最後、刃との接触は避けられない。

 だがあいつは今、大きな誤謬を抱いている。おれに蓄積されている「衝撃」が、打撃三発程度だというその誤謬を。

 いっさいの警戒を纏わずに、やつが無防備に近づいてきていることがその油断を物語っている。シスコはこう思っているにちがいない。間合いに入ってしまえばこの狩りもまた終わる、と。おれもまた、そう考えていた。

 間合いがどんどん詰められていく。シスコの刃圏まで、あと、六歩……五歩……やつが柄に手をかけた……四歩……親指を立てて……三歩……鍔に当てる……周囲に漂っていた刃物が一斉に地面へと落ちた……二歩……やつは能力を限界まで刀に収斂させている……そして…………一歩。

 ――ふわり。

 風がそよぐ。ついで、ぶわん、と分厚い風圧がひろがった。前方にシスコの姿はない。

 キン、と耳触りのよい音がひびく。

 刀が鞘に納められたと判る。見なくとも判る。何度聞いても小気味いい。

 ほぼ同時。空を裂くプロペラじみた音がうえから近づいてくる。そのまま、かしゃん、と軽い音を立てて止まった。振りかえる。地面に刃が突き刺さっていた。シスコもまた、ゆっくり、とこちらを振り向いた。地面に刺さった刃を見詰め、しずかに、もういちど刀を鞘から抜いた。

「おいおいおい。マジかよっ」

 刀は真っ二つに折れていた。それでもシスコは相も変わらずに、にへら、と相好をくずしていた。

「わるいな」ネクタイを緩めつつ言ってやった。「さきを急ぐんだ。弁償はまた今度」

「おう。そっか」まあ気にすんな、とシスコは肩をすくめた。まるで遊び終えた子どもが夕暮れどきに家へ帰るような調子で、「じゃあ、またな」と片手を掲げてくる。やっは、と哄笑してからさらにやつは付け足した。「どこへなりとも行っちまえ」

 言われるまでもない。おれはその場を後にした。

 歩を進めてから思いついた。なぜおれが狩られなくてはならないのか、その理由をシスコに聞いておくべきだった。だがここで踵を返すのはどう考えても利口ではないし、なににも増して格好がつかない。どの面さげて聞けばいいというのだろう。聞けるはずもない。

 ああだ、こうだ、と沈思黙考しつつ女子高生みたいに、うだうだ、と脳内会議を繰りひろげていると、「ああ、よかった。間に合った」とこれまた聞き覚えのある声が真上から聞こえてきた。裏路地の壁――雑貨ビルの非常階段。そこの手すりに掴まり、あの女が立っていた。須堂イチカ。おれのストーカー。彼女は、ひゅん、と飛び降りてくる。ざっと十メートルはあるだろうか。受け身も取らずに、すとん、と直立で着地した。ほかには誰もいないようだ。

「なにしに来た」

 冷たく突き放す。まったく動じずに彼女は、心配しちゃいましたよ、と慣れ慣れしく口にした。「イチカ、心配しちゃいましたよ。イナメさんを狩れ、だなんて指令が出されているんですもん。事情を聞こうと思って、スタープさんを尋ねたら、もう狩りに向かったって言うじゃないですか。イチカ、ちょー、心配したんですよ」でもよかったです、ご無事で、と彼女はモジモジと身体をくねらせた。

「その気持ちはうれしいが、今はさきを急ぐ。わるいな」そこをどいてくれ、とおれは歩を進める。すこし進んでから、いやまてよ、と思い出した。ここで聞いておくに越したことはない。おれは尋ねた。「どうして狩りの指示が?」

どうしておれが狩られなくてはならんのか、と単刀直入に質問した。彼女は小首をかしげて、あごにゆびを当てた。

「どうしてって……だって」と言葉を濁しつつ彼女は、もしかして、と声を張った。「もしかして、お気づきになられてないんですか? まだ、ご自分で?」

「なんの話だ」教えてくれ、と素直に頼む。彼女はあからさまに機嫌をよくした。満面の笑みを浮かべると、だってイナメさん、と教えてくれた。

「だってイナメさん。メフィストじゃないですか」

 聞き間違えたかと思った。つぎに、ああ、このコはついに頭がおかしくなってしまったのだな、と須堂イチカを憐れんだ。そして最後に、いや、と自分の異常な空腹加減を思いだし、まさか、と戦慄した。「まさか……メフィスト? おれがか?」

 無意識に声にでていたこちらの自問を、彼女は自分へ向けられた言葉だと勘違いしたようで、お気づきありませんか、と今度は間逆に小首をかしげた。

「どうしてでしょうね。こんなに聞こえているのに、イチカには」

 ――イナメさんの“羽音”が。

 と猫撫で声でささやいた。「ああでもでも、安心してくださいね。イチカ、イナメさんがメフィストでも――人間じゃなくっても、大好きですから」

 釈明しつつ、彼女が上着を脱ぎだした。

「なにをしている」動揺を悟られないようにきつく述べた。「脱ぐな。着ろ。相手をしている時間はない」

 そうだとも、時間がない。おれがメフィスト? 信じられるはずもない。だが同時に、否定しきれない自分もいた。須堂イチカ、彼女はこちらが誤解していると誤解したようで、「やだなあ、もう」と抗議した。さらに脱ぎすすめつつ、「べつに、エッチなこと、しようとか、そんなんじゃないですよ」

 いいから脱ぐな、と懇願した。だが、おれの祈りは届かなかった。

「まあまあ。いいじゃないですか。せっかくのチャンスなんです。イチカ、がんばりますから」

 ひと通り脱ぎ終えると下着姿のままで彼女は、おいしょ、と地面へ手を翳した。鼻を鳴らすような嬌声で、イナメさん、と彼女はほほ笑んだ。「さあ、始めましょう」

 ――イチカのために、死んでください。

 彼女の手のひらが、地面へと触れた。

   どどっ・どどっ・ど・ど・どどどっ。

 リズムよく地面が隆起した。

 巨大な円錐の突起物が飛びだしてくる。それらを交わしつつ後退する。彼女との距離を置いた。離れるにつれて、しだいに円錐が小さくなっていく。

 目測で三十メートルといったところか。それを境に、攻撃が止んだ。

「ありゃりゃ。もう看破されちゃいました?」彼女は立ちあがり、まいったなこりゃ、と照れくさそうに頬を掻いた。

 この攻撃は〈下〉の異能に属している。物質流動。物質の形態を変化させる。より緩慢に流動させるために、身体を覆う服が邪魔となる場合が多いという。彼女が下着姿になったのもそれが理由だ。

 流動させる物質が巨大であれば、それだけ破壊力が上がる。今みたく地盤を流動させれば、地面の重量がそのまま加重される。常人であれば、一撃でつぶされる威力だ。

 だが、避けるのには、それほど苦労しない。連続的な攻撃をする場合、集中力を要するために、彼女自身がその場から動けないからだ。あまつさえ、自分で出した攻撃(円錐)が視界を覆ってしまっている。そんなお粗末な攻撃が当たるはずもない。初撃さえ、かわしてしまえば、あとは後退していけば済む。

 もっとも、おれにはまだストック(衝撃)が残っている。あと一、二発くらいなら、くらっても問題ない。そのうえ、そもそもおれに打撃は効かない。むしろその衝撃を溜めこめてしまえるくらいだ。かなり有利ですらある。端から勝負は決まっていたも同然だった。

「知ってるだろ」おれは無駄が嫌いなんだ、と投げかけつつ距離を縮めていく。「勝ち目はない。今すぐ、服を着ろ」

「ばかにしないでッ!」と彼女は吠えた。「知っててやってるんですっ! イチカ、何年イナメさんを見守ってきたと思ってるんですかッ!?」

「なら、なぜ? なんのために」こんなことを、と疑問する。勝ち目がないと判っていながらどうして。「死にたいのか?」

「勝ちたいですよ」彼女はしれっと口にした。「勝ちたいですけど、でも実際、どっちでもいいんです。イチカが狩られちゃっても、それはそれでうれしいんですよ。だって、それってイナメさんの“初めて”の相手がイチカになるってことですよね? それに、もしもイチカがイナメさんを狩ることができたら、そのときは――イナメさんは、イチカだけのもの。イチカ、毎日イナメさんを眺めて暮らすの」

 すてきでしょ、と彼女がこちらへまっすぐと歩んでくる。いつもなら、ツカツカ、と鳴るハイヒールも今は脱がれていた。

 まずいな、としょうじき焦った。彼女がおれのことを数年間見守ってきたというのなら、おれだって同じだけ彼女の生態を無理やり観察させられていたと言える。本意ではないが、おれには彼女の考えていることがなんとなく分かってしまう。それほどおれは彼女のことを知ってしまっていた。

   どどどどどっ。

 背後に円錐が立ち並んだ。通路を塞がれてしまう。

 やられた。余計な思索を巡らせている場合などではなかった。

「逃がしませんよ」 

 へへへ、と彼女がおれの胸に飛びこんできた。おれはそれを拒まなかった。胸に頬を擦りつけるみたいにして顔をうずめると須堂イチカは、うっとり、とつぶやいた。「これでずっと……いっしょですね」

   ドンッ。

 足元から突き生えてきた円錐。弾け飛ぶ岩盤。砕け散る石柱。

 吹き飛んだ、彼女の願い。

 ――無理心中。

「ごめん」胸元で呆然とこちらを見上げている彼女の頬を乱暴に撫でつけながらおれは、「いっしょには、死ねない」とそっけなく告げた。「おれが欲しいのなら、いつでも狩りに来ればいい。だが今日はもう終わりにしよう」

 愉しみはもっと最後まで取っておかないと――とおれはたいへんに格好をつけて嘯いてみた。彼女は、ぽえー、と夢心地な表情で、ぽわぽわ、としていた。

 だがひとたびおれが、「じゃあ。また。いずれ」とその場を離れようとすると、すかさず彼女は、「いーーーーーやーーーーーッ!」と全力で駄々をこねはじめた。「いっちゃ、やだ! イチカ、イナメさんと別れるなんて、ぜったいにイヤ! 死んでもイヤ! 殺されたってイヤ! いっしょに死んでくれなきゃイヤなのーッ」

 そんな無茶な……。おれが辟易としていると、知った声がこの空間にとどろいた。

「足止めご苦労。もういいぞ。あとは任せろ」白黒アオイ、おれの上司がそこにいた。「須堂イチカ、おまえは本部へ戻ってろ」

 命じられた彼女が不平を鳴らそうとするのを遮ってさらに、「案ずるな」と白黒アオイはそう述べた。「案ずるな。まだ殺しはせん。ちゃんと連れ帰ってやる」

 約束してやるから、今すぐ消えろ――と。どこまでもこちらを凍えさせる声で白黒アオイは淡々と口にする。言いながら彼女は、須堂イチカへ着替えを放った。

 名残惜しそうにしながらも、須堂イチカはこの場を去っていった。

 これまであった戦意など、おれのうちには、これっぽっちも湧かなかった。

 今しがたの無理心中。それを回避したせいで。おれにはもう、攻防を繰りひろげるだけの衝撃は残っていない。いや、仮に残っていたとしても、おれはきっと、なにもしなかっただろう。ここで白黒アオイに狩られるというのなら、それはそれで、本望だった。おれの人生は、彼女に救われ、彼女に掬われる。上出来だ。

 ツカツカ、と威圧的におれの上司が迫ってくる。おれは最後まで顔をそらさずにいようと心がけた。目を見開いていたせいか視界が、ぐねり、と無様にゆがんだ。

 白黒アオイはおれの目のまえで歩を止めた。こちらを見下ろし、コツン、と小突いてこう言った。「なに泣いてんだ、ばかもの。ぼさっとすんな。さっさとついて来い」

 ――準備はしてやったんだ、ちゃんと逃げきれよ。


   【To be continue…….】

(つづきません)

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