【狩人の魔女】(19000文字)

第301話

【狩人の魔女】(19000文字)


・プロローグ・『溺愛に沈む少女』

 少女は魔女を捜しあてた。「ほんとうですか……悩みを消してもらえるってお話?」

 魔女はうなずき否定した。「悩みを消すのはあなたです。私は悩みの種を除くだけ」

「無償で……なにもいらないって、そう聞いています。それも、ほんとうですか?」

「いらないわ。報酬も代償もなにもいらない」意地を張ったみたいにつぶやくと魔女は、のどを伸ばして夜空を仰いだ。やがて、星のまたたきへ応えるように、凛、と澄んだ声をひびかせた。「これは贖罪なの。私たちが生きていくうえでの」

 生きていることへの贖罪なの――と魔女は、ふわり、と破顔した。

・エピローグ・『悲しみを糧に生きる少女』

 どうしよう。あのコのあとを追ってきたまではよかったのだけれど。途中であのコを見失ってしまって。こっちかな、あっちかな、と適当に、おろおろ、とおっかなびっくり歩んでいたら。この裏路地へと迷いこんでしまった。たださえいかがわしい噂の絶えない裏街なのに。そのさらに奥。こんな廃れた場所まで来てしまった。

 ――魔女に出くわしてしまったらどうしよう。

 凄惨な現実が我が身に訪れるかもしれない、と実感したこの瞬間。わたしのうちにあった期待や殺意や怨恨はまたたくまに蒸散し、その代わりに単純な死への怖れがわたしの内側へ、こんこん、と積もっていった。そのわた雪じみた畏怖を、ぎゅう、と圧しつぶせば、まだまだ満たされる心配はないのかもしれないけれど、いちど圧しつぶし固めてしまった畏怖は、永久凍土や氷河みたいに、延々とわたしの底へと残ってしまいそうで、だからわたしはその畏怖をとり除こうとすらせずに、はなからそんなものなかったのだ、と自分へ言い聞かせながら、見て見ぬ振りをすることすらせずに看過した。

 ――わたしは死ぬことなんて怖くない。

 ――魔女を葬るためになら、死なんて。

 ぶーん、と虫の羽音じみた空調機の雑音が、しずかなこの通路を満たしている。そう、ふしぎなことにわたしはなぜか、しずかだな、と思っていた。これほどまでにせわしなく音を立てていたヤツの存在に。わたしはこのとき、気づかなかった。

   ぴちゃ。ふちゃ。 ずずっ。ごきィ。

 その異質な音に気づいたのは、視界のさきでうごめく影を目にしてからだった。ぶーん、と唸る静寂にまじってずっと聞こえていたその音は。あまりにも自然な不協和音で。この薄汚れた裏路地にぴったりの異質な音で。だからその影をこの視界に捉えるまでわたしは気づくことができなかった。

 最初は、かすれた音でしかなかった。

 歩を進めるにつれて、いくつもの、卑猥然とした音が重なっているのだと知れた。

 腹をすかせた犬が、餌にかぶりついているかのような荒い息づかいと。手際よく慣れた風に、ちぎられ、解体されていく乱暴な効果音。

 肉を貪る音がする。

   むしゃむしゃ、と。 ぐちゃぐちゃ、と。

 血を啜る音が鳴る。

   ぴちゃずずっ、と。 ぢゅるぢゅる、と。

 骨の砕ける破裂音。

   がぎ、ごきっ、と。 ばりっ、がり、と。

 どれほど飢えていたのだろう。ヤツの、無心にむしゃぶりつくその様は。

 嫌悪からの吐き気を催すまえにわたしへ、哀れだな、と冷たく思わせた。

 雲から月があらわれて。辺りを、ふわり、と照らしてくれた。

 視線のさきには、うごめく影。その足元には色彩が宿り、どすグロい血肉が、ばらばら、ぼろぼろ、べちゃべちゃ、と地面に散らばっていた。それを貪る影もまた、輪郭を明瞭にさせていく。あたかも、泥に埋もれたドールハウスが清泉の水面を通って現れるみたいに。闇に塗れた風景が清光に洗われ浮上した。しだいに、ヤツが身にまとっている服飾にも、うっすら、と色彩が宿っていく。

 影は、その全貌を、あらわにさせた。

 髪を団子に結った――少女であった。

「あっ……」

 声をあげてしまう。すぐさま両手で口元を覆う。

 ――どうして……どうして、あなたが。

 賢明に言葉を呑みこもうとするものの、もう、遅かった。気づかれてはならない状況でわたしは声を漏らしてしまったのだ。

 案の定、

 ぴたり、と影がうごきを止めた。

 すくり、と立ちあがり。ゆっくり、と振りかえる。

 視線が合う。彼女の顔(かんばせ)は、つらつら、と鮮やかに化粧されていた。 

 わたしを見るなり、その赤黒く染まった顔を、彼女はひどくゆがませた。それから、ゆっくり、とわたしの真似をするみたいに口元を覆った。

 わたしは両手で。でも、彼女は片手だけで。

 もういっぽうの彼女の手へと視線を向ける。

 そこには足が握られていた。人間のものだ。

 ふくらはぎの部位がおおきく欠損している。きっと彼女が齧ったのだ。リンゴを頬張るようにして。彼女が齧ったのだ。

 どごり、とにぶい音を立ててその足が地面に落ちた。無造作に彼女が手放したからだ。

 こんどはきちんと両手で覆って、マスクみたいに口元を隠し彼女は。そのうえから覗いている目元をさらにゆがめた。まるで笑っているみたいに。彼女はわたしの真似をして。ふかいしわを眉根に寄せた。

 うくっ、うくっ、と横隔膜をけいれんさせながら。肩で息をして。彼女はその場にしゃがみこんだ。

 ――人を喰らう、魔女。

「あなたが……ころした、の?」知れずわたしは口にしていた。ぽつり、とわたしは泣いていた。「お父さんとお母さんを、」弟を、わたしの家族を、「あんたがッ」

 ぐわん、ぐわん、と反響したわたしの声に重なって、ごめんなさい、と彼女の声が聞こえた気がした。ひどく、くぐもった声だった。

 ぶーん、とまた静寂が満ちていく。

 やがて彼女が両手をおろした。そのまま血に濡れた裾を、くしゃり、と握る。いじけた子どもみたいにうつむいて、下唇をかみしめていた。

「なんでッ」とわたしは叫んだ。どうしてそんな惨いことを、とのどが裂けんばかりに、「なんでッ!」と悲鳴する。

 びくり、と彼女がみじろいだ。あごを引いたままで、こちらに視線を向けてくる。すぐにまた目を伏せると彼女はつぶやいた。

「ごめんなさい」

 こんどは、はっきり、と聞こえた。のどにつかえていたリンゴが吐きだされたみたいな、張り詰めていた空気を抜いたような、ずっと以前からあって、すっかり風化してしまった釘みたいだった。ボロボロで。ザラザラで。すでに原形なんてなくっていて。吐きだすことですべてが元通りになってしまうかのような。儚さと切なさと虚しさが入り混じった――そんなどこか薄っぺらな言葉に映った。

 謝ってすむことかよ。わたしはようやく右手の袖で目元を拭った。

 顔を伏せたままで彼女は、ふるふる、と息を吐いた。その身体は、凍えたみたいに震えていた。足元へこぼすように、「でも、だって、」と彼女は口にした。

「でも、だって……まだ…………死にたくないよ」 

   第一話『東の魔女』

 ちゅんちゅん、とスズメが鬼ごっこをするさわやかなさえずりが意識のすみに聞こえはじめた。今日もわたしは昨日を引き継ぎ、きっとどこかは新しくなっているはずの、けれどなんの変哲もない今を意識した。やあおはよう、わたし。さよなら、昨日のわたし。

 蜜戸萌(みつど・もえ)十七才ことわたしの朝は、こうした夢想から、しずかにはじまる。

 三年前に、弟からもらった誕生日プレゼント。その目覚まし時計が、「ねえねえ、はやく起きようよ。時間がもったいないよ」と拙い口調で起こしてくれる。かわいらしい子犬のかたちを模している置き時計。それが、アラームの代わりに十六パターンもの台詞をささやいてくれるのだ。ひと肌恋しい朝には、鳴りっぱなしにさせておくと、まるで慰めてくれているかのような錯覚に陥れるのでたいへんに重宝している。その名も、ワン太、という。

 本日はそれほどひと肌恋しくはないので、「おなかすいたよー。ごはん、まだかニャー?」と猫語を話しだすまえに頭のスイッチを、ちょん、と撫でてやった。ワン太は満足したみたいに大人しくなった。明日の朝まではずっと大人しいままだ。なんて名犬。

 そうだとも。ワン太はいつだって正しいのだ。

 こうして寝ているだけで、刻一刻と死へと近づいているのだもの。時間がもったいない。わたしにはやらなくてはらないことがあるのだから。なおさらだ。

 寝ぼけ眼を、ごしごし、とこする。身体を起こして、「ふぁーあ」と欠伸といっしょに背伸びをした。すぐに脱力。ぱすん、と手をおろす。

 ところで、わたしの枕はモグラのかたちを模している。ヌイグルミとしても機能してくれるのでたいへんに重宝している。その名も、モグ太、という。

「おはようモグ太」とつぶやき、「モエ、おはよう」と声音を変えてわたしはモグ太と挨拶を交わす。実はこれが日課だということは友人たちにもないしょなのだ。

 ちなみに自慢ではないけれど、わたしのネイミングセンスはずば抜けてわるい。もっともワン太やモグ太たちが抗議してこないのだから、変える必要はないのだよ。文句があるなら言ってみたまえ、とモグ太を、ぽん、と叩いて「モグラ叩き」をした気分になってみる。うむ、と唸って無意味に気合いを入れてみた。

 そうしてようやく、もそもそ、とベッドから這いでるのだ。洗顔をしに、とことこ、と部屋をでる。

 三年前のあの日から、わたしは二度寝をしなくなった。最初は不眠症だった。けれど今はちがう。一分一秒でも時間が惜しい。そういった脅迫観念じみた自制が働いている。

 睡眠なんて三時間もあれば生きていける。多少の支障は致し方あるまい、と割り切っているわたしだ。二十代で肌が荒れようが、三十路すぎで小ジワが増えようが、そのくらいの代償は覚悟している。

 とはいえ、備えあれば憂いなし。こうして、洗顔のあとには保湿クリームと化粧水が欠かせない。わたしはスキンケアに余念がない。ちなみに、ミルフィーユには目がない。モグラにも目がない。だのになぜかモグ太には目がある。「さすがはモグ太。マクラ兼ヌイグルミなだけはある」と至極つまらないことを考えてわたしは、うへへ、とほころびた。かがみに映るわたしはとても不気味である。

 洗顔を完了させてから、自室へと戻り、制服に着替える。そのときにはきちんと、ネックレスを装着する。チェーンには指輪が通してある。ネックレスも指輪も、どちらも母の形見だ。ちなみにモグ太は、お父さんからもらったお土産だ。ワン太もモグ太も、わたしの宝物のひとつ。

 この家には叔母と二人暮らしだ。とはいうものの、宿主である叔母は日がな一日、街のほうの事務所に入り浸っている。引きこもり体質の叔母に代わって、助手のアキさんが、事務所を切り盛りしようと右往左往、奔走している。ふたりともわたしにとても親切にしてくれる。こうしてそっとしておいてくれるのも、そのやさしさの片鱗だ。

 高校へは一年遅れで入学した。私立の女子高だ。あの時期、わたしは受験どころではなかった。つらかったのだ。だから、浪人くらいしかたがないよね、とわたしは自分に言い聞かせている。ただし、わたしの身体的発育具合が芳しくないせいで、こちらから暴露しなければ、同級生たちに年上であることを見抜かれることはない。むしろ、高校二年生となった現在で、あたらしく交流をもつようになったクラスメイトたちからは、「えっ!? 後輩じゃなかったの」と目を剥かれるのが常なくらいだ。たいへんに失礼な驚嘆ではあるけれど、彼女たちに悪気があるわけではないのでわたしは、「いじめないでください。かなしいのは苦手です」と謙虚にお願いしてみた。彼女たちはなにをかんちがいしたのやら、「きゃー、かわいい!」と抱きしめてきた。まるでマスコットである。ぷんぷん、なにさもう、と思いだし笑いならぬ「思いだし業腹」にわたしは余念がない。

 もっとも、すべて、わたしのこの小柄な体躯がいけないのだ。

 やいやい、どうしてくれよう。わたしは人目をはばからず、この一向に膨らむことを覚えない謙虚な小ムネを、もみもみ、と揉みつつ学校へ向かっている。なあなあ、小ムネちゃんよ。大器晩成とは言っても、ものには適正期というものがあるのだよ。しわくちゃのおばあさんになってからではおそいのだよ、と心のなかで話しかけながらさらに、もみもみ、と揉んでみた。おおきくなーれ、と念じつつ。

「あ、モエ発見! おっはよー」と聞き慣れた声がうしろから近づいてくる。首だけひねって振り向くと、「元気ねえなあ、どうしたよー」と我が親友こと鷹野津(たかのつ・)盟(めい)が、こちらの首にうでをまわして絡んできた。おんぶをせがむ子どもみたいに、ぐむぐむ、と身体を押しつけてくる。メイのきれいな長髪がわたしの頬をかすってこしょぐったかった。

 おやこれは、とわたしは目をつむる。背中にあたる彼女のおムネの感触と、我が右手に伝わるこのささやかな小ムネの弾力。そのふたつを鑑みるまでもなくわたしは、うむ、と再認識した。――メイは大人だ!

 いざあやからん、とばかりにわたしはさらに自分の小ムネを、もみもみ、と揉んだ。おーきくなーれ。でないとハサミでちょんぎるぞ、とかわいらしく脅しつつ。

 こちらの挙動不審な秘儀「小ムネ・もみもみ」に気づいたメイは心配そうにこう言った。「なに? 肋骨でもイタいの?」

「ろッこ……つ……ッ!?」そのお門違いな気遣いは鋭利だった。心臓を貫くまえに引っこめてほしい。わたしは閉口した。

「肋骨って、ほら、包帯まけないじゃん? 痛めると厄介なんだよねー」とメイはいらない解説をまじえながらさらに、「モエはほら、ガードがゆるいし、気をつけなきゃいけないよ。さながら着古したダウンジャケットって感じなんだからさ」

 どうやら、ぺしゃんこ、と言いたいらしい。その分析もまた鋭利だった。凶器になりかねない鋭さを秘めている。さながら残鉄剣だな、うむうむ、と意味もなく彼女の比喩に対抗してみた。やたらと虚しいだけだった。

「いいよなあ、モエは」とメイが心底うらやむようにまだぼやいている。「今の時代、高いステータスを持つらしいよ。貧乳ってだけで」

 そんなステータス、いらんわい。

「しかも貧乳ってさ、肩こらないんでしょ? いいよねー。将来、垂れる心配もないだろうし」

 ええい、だからそのお門違いな羨望の眼差しをこちらに向けてくれるな。

 ムネがでかくて肩コリ? 体験してみたいわボケえ!

 垂れる心配もない? こちとら未だにブラジャーいらずじゃ!

 わたしは、むすり、として顔をそらす。そらしつつ小声で抗議した。「……ひんにゅう言うな」

「なーに怒ってんだよお」とメイがうしろからわき腹をこしょぐってくる。

「やはは」とみじろいでから、「やめんかい!」と悲鳴した。

「おっ」メイがうれしそうに手を止めた。よこに並び直ると、「なんだよモエ」と声を張った。「大きくなったんじゃない、ムネ?」

 なんだと! 「ほ、ほんとかねっ!?」

「たぶん」言って彼女は至極真面目に、「もっかい確認さして」といっぽ退いた。ふたたびうしろからわき腹に両手を忍ばせてくると、わたしの小ムネ・ザ・シスターズを、むんず、と両手で鷲づかみにするまでもなく、その手のひらに収めた。「うん、ごめん。やっぱ変わってなかった」

「ひどいっ!」

 上げて落すだなんて、なんて非道。わたしはさらに息巻いた。「メイのおっぱい星人!」

 ぶほっ、と彼女は噴きだした。「なんだよそれ。褒め言葉?」それとも、と周囲を見渡すそぶりをして、「高等な自虐か?」とさらに笑った。

 気づけば、登校中の生徒やら、出勤途中のサラリーマンの方々が奇異なものを見つけたみたいに、わんさか、とこちらへ視線を注いでいた。

 わたしはうつむくほかなかった。お耳が熱い。

 衆人環視のまっただなかで、「おっぱい星人!」と叫ぶ、ちっさい女子高生。こっち見ないで、と言うほうに無理があった。そんなのが街中にいたらわたしだって見てみたい。

 口にしたほうが辱めを受けるだなんて――なんて罪深い言葉なの、おっぱい星人。

 目を伏せ、足ばやにすすみながら下唇をかみしめた。お顔が熱い。

「おーい。あぶないぞ」とメイの声がうしろに聞こえた。「ちゃんとまえ向けって」

 もう、だれのせいで、と毒づくまでもなく自業自得であることを認めつつもわたしは敢えて、ぷんすか、毒づいた。「もう。だれのせいで!」

「お、おい。モエっ」まえ、まえ、とメイが喚きはじめた。

 おっぱい星人がわたしになに用か、と振り向くと同時に、ひだりの側頭部に衝撃が走った。ごつん――アタっ!?  看板に衝突した。火花が散って見えた。

 あっはっは、と快活に哄笑しながらメイが、「ほーら、みろ」言わんこっちゃない、と駆け寄ってくる。こちらを慮るように身体を支えてくれると、「きみは、ほんとにドジっ子だなー」と高純度の揶揄を、しみじみ、と吐いてくれた。「マンガかよー」

 くしゃり、とわたしは顔をゆがめて捲し立てた。「メイのばか、いじわる、もうきらい」

 いっしっし、と破顔しながらメイが抱きついてくる。なぜかとてもうれしそうだった。「うそヘタだなー。モエは」

 お昼休み――。中庭では、女子たちが優雅に、お弁当を広げている。互いの弁当をついばみつつ、井戸端会議に花をさかせているのだ。メイも昼食のときはその輪に加わっている。わたしはというと、その輪にはいることもなく、はじっこのほうにあるベンチに座って購買のかつ丼を、ちまちま、とゆっくり味わいながら口へ運んでいた。うへへ。ここのカツ丼はおいしいのだよ。

 モエちゃんもいっしょに食べようよ、と毎回みんなが誘ってくれるのはうれしいのだけれど、独りに慣れているわたしには、あの賑やかな社交界が、煮えたぎった熱湯に感じられてしまうのだ。ねこ舌なわたしは触れないのが賢明だ。ともすれば、未だに孤独になれていないからこその、回避なのかもしれない。

 ベンチの背もたれに体重をあずけ、のどを伸ばす。そらを仰いだ。中庭を縁どっている校舎が、絵画の額縁みたいだった。うそみたいに白い雲が、これまた偽物みたいにすきとおった青空に、立体感を与えている。

「あーっ」とやかましい声がこちらにひびいて聞こえた。見なくとも判った。

「またカツ丼かよー」とすでにお弁当を食べ終わったらしいメイが、けれど、サンドイッチ片手に寄ってくる。最近のメイはとくに食欲旺盛だ。太ったって知らないぞ。断りもなく、おいしょ、ととなりに座って彼女は、「モエ、聞いたー?」と今しがた耳にしてきたらしい噂話をよこ流ししてくれる。この瞬間いつもわたしの脳裡には、「ほっほっほ。そちもワルのよう」とささめくなぞのおじさんが浮かんでくるのだ。

「ねえねえ、聞いた? 知ってる?」とあかたも、なあに教えて、と言ってほしそうな調子でメイが迫ってくる。わたしはつめたくあしらった。「知らないし聞いてない」

「んだよ。まだ怒ってんの?」と唇をとがらして、えい、とほっぺたをつねってくる。

 いじけていると思われるのは癪なので、「なにかあったの?」としかたなく促した。

「昨日も魔女が出たんだってよ」

 その言葉を聞いて、ぽとり、とわたしはカツを落した。さいごのひときれだったのに、と悔しがる余裕は、もうなかった。スカートに落したそれをよこからメイが、ひょい、とつまんで口へ放った。「お。うまいね、これ」

「まってまって」と襟をただしてわたしは訊きかえす。「昨日もってどういうこと? これまでにも出てたの? 魔女が?」

 それらしい事件なんて、ニュースでは流れていなかった。

「そうみたいだよ。なんかね、ヤマちゃんのお父さんがマスコミのひとなんだって。そんで、例の『魔女狩り』あったでしょ? それ関係の情報が、えっと、なんだっけ。報道規制? それなんだってさ」

 へえ、と愛想のない相槌を打ちつつもわたしは、ぐぐぐっ、と拳を握った。割り箸が、ぱしり、と力なく折れた。

 報道規制が敷かれていたということはつまり警察だとかそういった行政が、“魔女”の存在を半ば認めているということではないのか。あれほど信じてもらえなかったわたしの証言はいったいなんだったというのか。無性に腹がたった。そしてやはり虚しかった。

 十二年前から突如としてはじまった連続殺人事件。

 ――通称、『魔女狩り』。

 表向き、それは連続失踪事件として扱われている。肝心の死体が出てこないからだ。

 もっとも、この大都会で失踪者なんて珍しくはない。なんの接点もない失踪者どうしなら、なおのこと有り触れている。日常茶飯事とも言ってよいかもしれないし、また、そう言ってしまうべきではないのかもしれない。日常的に人が消えることが、当りまえだ、なんてこと。

 いずれにせよ、十二年ほど前からだ。突如として、多くの者たちが、失踪したあとに、共通点を生じさせるようになったのは。

 失踪者たちの共通点、それは――。行方不明になってから数日後、彼らの衣服だけが発見されるようになった。どの衣服も、余すとこなくまっくろに染まっていた。まるで魔女のマントのように。血に染まって。

 すべてこの街だけで集中的に多発している。

 やがてこの街では、「東の魔女」と呼ばれる巷説が膾炙しはじめた。「魔女が人間を狩っているのだ」といった根も葉もない噂話。多くの者はそうしてぞんざいに、「与太話にすぎない」と認識していたはずだ。当時からマセガキだったわたしもご多聞に漏れず、そんなのは幼稚な怪談にすぎない、と一蹴するまでもなく気にもとめていなかった。

 また、警察の公式見解では毎回、「行方不明者方々が、なんらかの事件に巻き込まれた“可能性は“高いでしょう」とそういった発表しかされてこなかった。

 それがあの日。三年前の秋。

 わたしは目のまえで、父と母と弟を――家族を失くした。

 ヤツらは人間を襲う化物だ。

 どうしてわたしだけが助かったのかは分からない。なぜわたしたち家族があの場にいたのかすら、あまりよく覚えていないのだ。ただ、気が付いたときはすでにわたしは、病院のベッドに寝かされていた。凄惨な光景を目に焼きつけたままで。

 警察のひとがきて、いろいろ質問をされた。何度も何度もおなじことを説明させられた。狂いそうだった。どうしてあんなひどい光景を、何度も何度も話させるのか。きっとわたしはいちどそこで狂ってしまったのだ。だからいまもなおわたしは、人として大切ななにかを失ったままで、狂っていることを実感できずに、ぬくぬく、と生きている。

 わたしが倒れていた場所には、家族分の衣服が落ちていたらしい。証拠物件として未だに返してもらえていない。ただ、ほんとうに家族のものかを確認するために、わたしはそれを見せられた。――魔女のマント。

 言い得て妙だった。引き裂かれた衣服は、一枚のボロ切れみたいになっていた。まっくろに変色していて、ぱりぱり、と絵の具が渇いたみたいに凝固していた。その様は、固まっているにも拘わらず、風になびいているみたいにも見えた。

 わたしの証言は、精神の一時的錯乱による記憶障害として処理された。その日以降、わたしが二度寝をすることはなくなった。

 不安定な過去を回顧していたわたしのよこで、それでね、とメイが話を結んだ。

「――それでね。だからあの周辺には近づかないほうがいいらしいんだって」

 どうやら魔女のマントがまた発見されたらしい。その情報を仕入れたマスコミ関係者が、自分の娘に忠告をして、その娘がこうして学校で注意を喚起している。噂とは元来、そういった性質を有しているものなのかもしれない。真実から滲んでくる本質を内包しているものなのだ、きっと。

「そっか。わかった」ありがとう、と口早に述べた。「あの周辺には近づかないようにしなきゃね」

 うんうん、とメイは腕を組んでふかく首肯した。やけに渋い顔をして、「なにごとも、近寄らねば、奇禍もない」とダジャレじみた川柳を披露してくれた。

「避けても向こうからやってくるんだよ」とわたしは真面目に指摘する。「災いは向こうからやってくるの。だからこその奇禍なんだよ」

「……そっか」メイは口元だけをゆるめた。「そうだね」

 きーん、こーん、おっぱーい、と予鈴がちょうど鳴った。

 おっこいしょ、とメイが立ちあがる。こちらへ手を差しのべて、「ほら、いそぐ。遅刻しちゃうぞ」と強引に掴んで立たせてくれた。「つぎは倫理のクマっちだ。締め出されるまえに行かなくっちゃ」

 そうだね、とわたしは空っぽになったカツ丼の容器を、ぽい、とゴミ箱へ投げ捨てた。

 放課後――。下校する段になって、メイが珍しく、ほかの子を連れてきた。わたしも割とよく言葉を交わす、そんな何気ない友だちのひとりだ。名を、ユッカ、という。むろんあだ名だ。

 断っておくが、わたしにも友だちはちゃんといる。大勢で、わいわいがやがや、と仲睦まじくおしゃべりをするのが苦手なだけなのだ。メイ以外の友だちとだって話たりもする。ただし、メイが近くにいるかぎり、ほかの子と話すことはないのだけれど。

 そういった、二人以上とのコミュニケートを潔しとしないわたしの短所を知っているはずのメイが、どうしてユッカを連れてくるの、と不満がつのった。責めるように睨んでやった。なさけないことに、メイがほかの子と話いているそのあいだ、わたしは透明人間に変貌してしまうのだ。さながら満月を見詰めた狼男である。ときに世間は、透明人間と化したわたしを示して、「空気みたいだね」と称揚してくれたりする。わたしがそうした空気然とした透明人間になってしまうことは友人たちにもないしょなのだ。

 こちらの炯炯とした眼光に気づいたメイが、「お。なんだこのやろー」とはしゃいだ。「上目遣いなんてしやがって。誘ってんのか?」

「これは睨んでるの!」とさらに眼光するどく射ぬいてやった。

「それちゃんと見えてる? 目、あいてんの?」

「もういいっ」

 わたしとメイの応酬を見ていたユッカが、くふふ、と肩をゆらした。呼応したみたいに彼女のかろやかにうねる長髪も、ふわふわ、とゆれた。上品に口元を片手で覆いつつ、「ほんと、仲いいね。ふたりとも」

 うらやましいな、とユッカはたおやかに口にするのだった。

「だろー?」と誇らしげに笑うメイを押しのけてわたしは、「こんなのより、ユッカのほう好きだよ」と浮気を釈明する愚かな男みたいに訴えた。

「わあ、うれしい」とユッカはほころびた。「ああどうしよう。すごくうれしい」とこちらの頭を、子ネコをあやすみたいに撫でまわしてくる。撫でまわしつつ彼女が、ぴょんぴょん、とちいさく跳ねるものだから、こちらもつられて、おおきくゆれた。

 うわーどうしよう。わたし今、店頭で頭をゆらしているペコちゃんの気持ちが分かっちゃった。首がもげそう。

「ねえユッカ。そのくらいにしといてよ」とメイが相の手を入れてくれた。さすがわたしの親友。こうしてわたしの首が折れてしまいそうになっているときも、さびしくって死んじゃいそうになっているときも、メイはいつだってわたしを助けてくれるのだ。いつもつめたく接してごめんよ、とひそかに念じた。

 ところがこちらの意に反してメイは、「そろそろ返しよ」とうでを掴んできた。「モエはあたしんのだかんね」あげないよ、と強引にユッカから引きはがされてしまう。

 うわーどうしよう。わたし今、子どもたちの争奪戦に巻きこまれて引き千切れそうになったぬいぐるみの気持ちがわかっちゃった。痛いけれど、ちょっとうれしいのが癪なのだ。うへへ。

「メーちゃん、ずるい」とあの大人しいユッカが吠えた。スカートを両手で、ぎゅう、と握りつつ、「いっつもモエちゃんを独占して。たまにはみんなにも貸してくれてもいいじゃないッ」

「モエは物じゃない!」と反駁したメイのその台詞はとてもうれしかった。だが敢えてわたしは言わせてもらおう。「おまえがいうなッ!」

 ああだ、こうだ、と三人で、わいわいがやがや、と騒がしく帰った。そうなのだ、こうして騒がしくおしゃべりするのは苦手ではない。仲睦まじくしているのが苦手なだけなのだ。

      ***

 用事があるとかで、メイとは駅前で別れた。もしかしたらメイが、ユッカを連れてきたのはそれが理由だったのかもしれない。わたしをひとりで帰らせないために。

 ――この駅の近くなのだ。魔女が出没したという、その場所は。

「モエに手ぇ出すなよ! 穢したらゆるさないからな!」きちんと送ってけよ、道草くったら腹こわすんだからな、とさんざん宣巻いてメイは去っていった。

 ばいばーい、とユッカはご機嫌で見送っていた。メイの姿が雑踏に消えるのを見届けると、「さっ。行きましょう」とわたしの手を握って歩きだした。なんか、恋人みたい。やめてほしい。照れてしまう。うわー汗がにじんだらどうしよう、などと考えていると、ユッカがほがらかに訊いてきた。「モエちゃんは、魔女が好きなの?」

 どくん、と胸が内へむかって縮こまる。じりじり、と苦しかった。ユッカを見上げる。

「ん?」どうしたの、と彼女は小首をかしげて、やさしくほほ笑んでくれていた。

 収斂した胸が、しゅるしゅる、と元通りになっていく。もう苦しくはなかった。

「魔女が好きっていうか……」なんと答えようか悩んでしまう。なかなか二の句を継げないでいると、ユッカが手を握りなおした。

 ゆびとゆびを絡める繋ぎ方になった。どうしよう。すごくはずかしい。でも不愉快ではない。お互いに緘黙した。そのまましばらく歩む。やがてユッカは、訥々、と口にした。「モエちゃんはさ……キモノの魔女のうわさ……って。知ってる?」

 ――キモノの魔女。

 もちろんわたしは知っていた。もっとも、『魔女狩り』とはまた別の巷説であったから、それほど関心を抱いてはいない。

 とはいえ、魔女とあらば、否が応でも琴線をゆるがされてしまう体質となってしまったわたしとしては、その「キモノの魔女」についても、情報を収集し、穿鑿したことがあった。掻い摘んで話してしまえば、噂、の骨子はつぎのようなものだ。

 ――代償もなにも払わずに、どんな悩みでも解決してくれる魔女がいる、というもの。

 これもまた、都市伝説にならないほどに陳腐な内容だな、とわたしはほかの多くの魔女伝説たちといっしょくたにして、「じつにくだらぬ!」とやたらとえらそうに一蹴している。そんな類の巷説なのだ。

 とはいえ、代償を必要としないにも拘わらず、その巷説は、「幸せをはこぶ青い鳥」や「魔法のランプ」などのファンタジィとは一線を画す、狂気じみた扱いをされていた。なぜだかは不明だ。あまつさえ、与太にしては設定が凝っていたりもする。

 たとえば、キモノの魔女、というその呼称については諸説あるらしい。

「ケモノの魔女」がなまった説。

「鬼物の魔女」の音読み説。

「月夜の魔女」を記号化した説。

 そして一番有力なのが、「着物の魔女」説だ。――織物を着つけた女性が、無償で悩みを解決してくれる。想像してみると、なともはや、どこかのTV番組にでも出演していそうな胡散臭い人物像ではないか。

「知ってるよ」キモノの魔女がどうしたの、とわたしは相槌を打った。「ユッカにもあるの? 解決してほしい悩み?」

「あるよ。なやみ」

 即答だった。常に悩んでいるからこその即答なのだろう。きっと切実な悩みなのだ。

「そう……だよね」だれにだってあるよね、とわたしは突き放されたような寂しさと、仲間を見つけたような暖かさを、いちどきに抱いた。

「モエちゃんはさ」とユッカが遠くを見詰めた。縋るような口調で、「なにを犠牲にしてでも叶えたい願いって、ある?」

 地面に伸びたわたしの影。それを眺めながら声に出して反芻した。「……なにを犠牲にしてでも」

 そんな願いは、ない。

 ただ、犠牲になってほしくなかったから、叶えたい――そんな願いならある。

 だからわたしは、音の鳴らないようにちいさく息を漏らしてから、「もちろんあるよ」と地面へこぼした。

ほっ、と胸をなでおろすみたいにユッカは嬉々とした。「よかった。おなじで」

「ん? なにが?」なにがよくて、なにがおなじなのだろう、と疑問に思った。顔をあげる。ユッカはご機嫌にほころんでいた。「ううん。なんでもないの」と彼女は、ふるふる、と首を振る。ふわふわ、とやわらかな長髪もいっしょにゆれた。「気にしないで」

 言いながらこちらの頭を、なでなで、としてくる。やめてほしい。照れてしまう。

 わたしにお姉さんがいたら、きっとこんな感じだったんだろうなあ、と想像してますますお顔が熱くなった。

「メイもなあ。ユッカみたいだったらよかったのに」とわたしは照れ隠しに、ここにいない親友をダシにした。そのうえ、迂遠に虚仮にした。

「うれしい」とユッカが抱きついてきた。すこしは人目をはばかってほしいものだ。はずかしい。そのまま、むぎゅう、と顔をムネに押しつけられてしまう。わたしはたじろぎつつおどろいた。押しつけられても、肋骨に当たらないのだ。いたくない。むしろ心地いい。しょうじき、この豊満なおムネを分けてほしかった。けれどあまりにつよく抱きしめられていたために、段々と苦しくなってきた。息ができない。なんとか、ぷは、と脱出して息継ぎをする。ユッカがわたしを、ほくほく、と見下ろしていた。

「前まではね、メーちゃんになりたいと思っていたりしたの」懺悔をするみたいにユッカはささやいた。「でも、それではダメだって気づいたの。だって、私は私でしょ?」やっぱり私が私としてそばにいなきゃダメ、と遠い目をする。どうしよう。やけに色っぽい。見蕩れていると、ユッカはわたしのほっぺたを、すりすり、と撫でてきた。

「ねえ、モエちゃん」

「なぁに?」

「キス、してもいい」

「……だ」めです、と口にしかけたその途中で、ぐい、とほっぺをつままれてしまう。続いた言葉は、「ら……みぇふぇす」とつぶれてしまった。

 ふふふ、とユッカはいじわるそうに笑窪をあけた。「へんなお顔」

 負けじとわたしも、うでを伸ばす。ユッカのほっぺをつねってやった。くやしいことに、それでもユッカは美人だった。

「ユッカはずるい!」とわたしは吠える。

「ざんねん。メーちゃんほどではないわ」

 Oh,Shitッ! 「もっともだ!」

 わたしたちは意気投合した。もういちど手を繋ぐ。夕陽の鮮やかな街並みを仲良く歩んだ。メイでなくともこの通り。二人きりであれば、わたしは仲睦まじくおしゃべりできるのだ。

「ねえ。寄ってく?」

 気づくとそこはもう、ユッカの住む寮のまえだった。でも今宵は、やっておきたいことができたので遠慮せねばならなかった。心底、名残惜しい。

「ありがとう」とわたしは頬をゆるめる。いちど目を伏せてから、でも、と迂遠に断った。「でも、今日は用事があって。ごめんなさい」

 そっか、とユッカはしょんぼりとした。

 そんな表情、やめてほしい。離れたくなくなってしまう。

「また誘ってほしいな、なんて」だめかな、とわたしは小石を蹴った。チッ、チッ、とあさってのほうへ転がっていく小石。

「ううん。うれしい。ぜったいだよ」やくそく、と彼女は繋いでいた手を解いて、するり、と小ゆびを絡めてくれた。

「うん。やくそく」

 絡めた小ゆびを上下にゆする。

 ぱっ。と手を放すとユッカは、「じゃあね。また明日」と上品に手を振ってくれた。わたしも、ゆるゆる、と応じた。

 寮の玄関に入るまで、なんども振りかえって手を振るユッカは、これまでわたしが抱いていた印象よりもずっと幼くって、ぎゅう、と抱きしめてあげたくなった。

 ユッカの姿は寮へと消えた。わたしは、今きた道へ、踵を返す。

 魔女が出たという場所。駅の周辺。路地裏。そこへと向かった。

 するする、と陽は暮れる。存在の輪郭をかすめていきながら、街が、群青色に沈んでいく。そうして今日もわたしは、独りとなった。

      ~~CM~~

 ネオンが眩しい。駅前は種種雑多な人間たちでごった返している。駅から伸びる歩道橋から見下ろしていると、それらの雑踏は、きめの細かいモザイクみたいだった。

 昼間の淡然とした雑踏ではなく、粘着質に淀んだ雑踏なのだ。

 今年の春に行った修学旅行先では、もっと閑散とした、すてきな静寂に満ちていたのに、この街の夜はどうしてこうも、ぎらぎら、と脂っこいのだろう。きっと、昼に怯えた人間たちがつくりだす、仮初の昼間がこれなのだ。夜にある昼。

 けれどこの街には、昼間でも夜みたいな場所もあるのだ。

 それがここ――裏街。

 そう呼ばれている一画。駅前の、眩しいだけのネオンとは異なり、ここのネオンは毒々しく、いやらしい。

 周辺の学校ではまず大方、立ち入り禁止区域として勧告されている。

 街のギャングまがいの若者たちですら忌避しているというから、きっとほんとうにそういう“不安定”な場所なのだろう、とわたしは認識している。だからこそ近づかない。

 暴力をおそれるわたしたちは、なによりも“自由”に怯えているから。

 “何者にも”縛られまいとする者を、わたしたちは本能的に疎んじている。

 “なにもの”にも縛られまい、と抗うことはすてきなことなのに。

 ふしぎなことに、「他者を軽んじること」に抗おうとしない者ほど、自由を謳う。そんなのは束縛されているのと同じことなのに。欲望に縛られ、利己心に縛られ、そして自由に縛られる。または、良心に縛られ、常識に縛られ、法に縛られる。

 いつ、だれの、どのような自由なのか。それを、そのときどきに考えていかなければ、人は常に束縛されてしまう。また、こうして束縛されまいと抗うこと、それ自体にもまた、束縛されることになる――限定されることになる。

 そんなの、自由、ではない。

 不安定でもなく。限定でもない。そんな意思ある流動こそが、ほんとうの自由なのかもしれない。

 捻転してまた捻転。そうして世界は巡っていくのだ。

 わたしがあまりに、高尚な思索に耽っていたからだろう、「あぶないですよ」と誰かが声をかけてきた。こんな場所にひとりでいたらあぶないですよ、と。冬の夜空みたいにすきとおった声だった。そういえば、と思いだす。もうすぐ秋の終わりがやってくる。

 声のほうへ首をひねると、そこには少女が佇んでいた。

 織物を着つけた少女だった。

 本来は長いのだろうと思しき頭髪は、おおきく団子に結われている。刺さったベッコウのかんざしがすてきだった。

「あぶないのは、あなたでしょ」とわたしは諭すようにけれど、やんわり、と言った。

 その少女は、わたしからしても、ずいぶんと幼く見える体躯だった。このまま七五三に連れていってあげられるくらいにかわいらしい。

 すうー、となめらかに近寄ってくると少女は小首をかしげて、じい、と覗きこんでくる。「……どこかで」

 少女の言葉はそこで途切れた。あとに続く言葉はない。それでもわたしは彼女から、どこかであったことがありますか、と尋ねられた気がした。もちろん見覚えはない。

「お父さんや、お母さんは?」わたしはかがんで目線をそろえた。周囲を見渡しながらさらに、「迷っちゃったのかな? おうちはどこ?」

「ないです。帰る場所も。迷う場所も」どこにもありません、と少女は淡々としずかに謳った。「感じられるままの世界を基準にすることは大切です。でも、それを絶対視していては、いつか夢と現の境を見失っちゃいますよ。ここはたしかに存在しています。あなたもここにいるのです。だからといって、彼らもあなたと同じ世界にいるとは限らないの。それはたとえば、あなたにとっての現実が、彼らにとっては夢でしかないように」

 ――私にとっての現実が、あなたにとっての夢であるように。

「気をつけたほうがいいですよ」とその幼い容姿に似つかわしくもない嬌声で少女は、凛、とささめいた。

 しょうじき、面食らってしまった。わたしはたじろいだ。閉口しているあいだに少女は、すうー、とかすむみたいに遠のいていった。

 はっ、と我に返って、「まって!」とあとを追う。

 彼女の言葉はまるで、わたしのうちにしこり固まっていた懊悩を、的確につついて、「これがあなたの悩みです」と示してくれたみたいだった。そうだとも、未だにわたしは判然としない。

 夢と現と。

 今と記憶。

 それらのちがいをわたしは知らない。

 三年前に目にした光景。誰にも信じてもらえなかった。幻の過去。

 それでもわたしはたしかに見ていた。

 ぐちゃぐちゃ、と散らばっていた――父と母と弟の――凄惨な姿を。

 誰もが夢だと嘯いて、頑なに否定しつづけた、わたしだけの現実を。

 しばらくわたしは彷徨った。裏街の奥にはあまり踏みいれないようにしようと心がけていたのに、あの少女をまえにして、すっかり取り乱してしまった。すでにここは裏路地だ。饐えた臭いが地面だけでなく、路地を囲む壁にも染みこんでいるみたいに不快なのだ。とてもではないが、口をひらきたくもない。鼻で、ちいさく息をした。

 ひと気はない。そのくせ、四方八方から視線が突き刺さって感じられてしまう。不気味だとか、そんな思い込みではない。ここには、はっきり、と死臭が漂っていた。

 きっと魔女のマントはこの付近で発見されたのだろうな、と淡い期待から憶測を巡らせてみた。

 ――キモノの少女。あのコはきっと何かを、知っている。

 “魔女狩り”について。そして。ゆらがぬ真実について。

      ***

 ぴちょ、ぴちょ、と。歩くたびに音がなる。なぜだか路地は濡れていた。ここ数日、晴天だったというのに。いつまでも蒸発することのない雨が、どろどろ、と溜まっているみたいに。べちゃん、べちゃん、と卑猥な波紋を反響させた。遠く、駅前の狂騒が風の音にまじって、ちいさく聞こえている。その音色の希薄さで、ずいぶんと奥へ迷いこんでしまったのだな、と冷静に自分の状況を把握した。

 そうなのだ、わたしは道に迷いこんでしまったのだ。

 刺々しかったネオンも今はない。街灯すらどこにも。

 あるのはこの、べちゃ、べちゃ、と反響する卑猥な足音と。ぶーん、と唸る虫の羽音じみた空調機の音だけだった。

 ――魔女に出くわしてしまったらどうしよう。

 ようやくここにきてわたしは初めて、ぞっ、とした。

 父の。母の。弟の。

 あの惨たらしい姿。

 あのぐちゃぐちゃになった家族を思い起こせば、すぐにでもわたしのうちには、単純なまでの殺意と、底抜けの怨恨が、こんこん、と湧きあがったというのに。今はそれらの激情は、死への畏怖の底で、しん、と線となってしまっている。

 饐えた臭いはもうしない。鼻が慣れてしまったからだ。慣れとはつまり、麻痺にほかならない。人はこうして死臭にかこまれるだけで、周囲に蔓延している死すらも嗅ぎとることができなくなってしまうものなのだろう。

 やがてわたしは“それ”に気づいた。

 この異質な空間であるからこそ、それは極々自然な音として認識されていたのかもしれない。異質のなかでは、『異質』は異質となり得ない。どうして気づかなかったのか。自分の魯鈍さをつよく戒めた。死臭だけでなく、わたしは、わたしにある知覚の、ことごとくを麻痺させてしまっていたのかもしれない。

 反響して。交錯して。重なって。そうしてできあがった不協和音が、この裏路地には、不安定に靡く、さざ波のように充満していた。

 月光がそそぐ。路地に淀んだ暗闇を、死臭ごと洗い去ってくれた。いちど洗われたことで、わたしにあった麻痺のことごとくも、いっしょに拭われた。これまで曖昧にぼやけていた形あるものたちは、その輪郭を鮮明にさせていく。色を宿していく。そして――彼女はそこで貪っていた。邪魔にならぬようにと、長い髪を団子に束ねて。見慣れた制服を血に染めながら。ぐちゃぐちゃになった肉に。しゃぶりついていた。

「あっ」

 思わず声を発してしまった。どうして……どうしてあなたがそこにいるの。ねえ。

 …………メイ。

    ***

 わたしの親友は、血にまみれた顔を両手で覆ってその場に、どしゃん、と膝をついた。

 ふるふる、と凍えたみたいに小さな声を戦慄かせてメイは、「まだ……死にたくない」

 ――モエといっしょに生きていたいよ。

 彼女はまるでメイじゃないみたいに、わんわん、と見苦しく泣き喚いた。

 その声を皮きりに、ずざ、ずざ、ずざ、と影がわたしたちを取り囲んだ。

「なにかと思えば。まだ終えておらぬのか。遠慮はいらん――きみの食事だ」

 影のひとつが声を発した。反響して聞こえる。どの影かは判らなかった。

 影たちの視線はわたしへ注がれている。見えなくとも如実に感じられた。

 ぞわぞわ、とした嫌悪で全身がしびれた。寒気と吐き気が同時に巡った。

「きみがいらぬというのなら」影たちがにじり寄る。「――我らが戴こう」

 瞋怒と。殺意と。絶交と。

 悲哀と。慈愛と。失望と。

 それらを籠めてメイへと叫んだ。「…………なんでッ」

 わたしはかたく目をつむる。ふわり、と風が頬を撫でた。わたしのまえに影が降りた。瞼の裏からでもそれが判った。

「退きなさい」と澄んだ声が耳に届く。目をあけると、キモノの少女がそこにいた。彼女はわたしを庇うみたいに、「退くのです」と声を張った。

 いまのうちに逃げなさい。そう言われているような気がした。呆然自失とこちらを眺めているメイがいる。少女の背中ごしに見えていた。

 目が合うまえに顔を伏せた。背を向ける。キモノの少女をその場へ残し。わたしはひとり路地を駆け抜けた。――この日、わたしのなかで、メイは死んだ。

 ***ユッカ***

 メーちゃんが行方不明になってから、はやくも一週間。モエちゃんはまだ落ちこんだまま。学校もお休み中。私はだから毎日、モエちゃんのおうちへお見舞いに通って。日に日にやつれていくモエちゃんのそばに寄り添って、ひと晩中なぐさめているの。親友を失くしてしまったモエちゃん。ほんとうにかわいそう。

 メ―ちゃんが行方不明になったつぎの日。数人分の「魔女のマント」が裏街で発見されたのだそう。そのうちの一枚がどうやらウチの制服だったみたい。そういった噂が流れているの。真偽のほどは不明。でも、メーちゃんは生きているって、私は信じているの。だってそうじゃないと、かわいそうだもの。モエちゃんがとってもかわいそう。

 でも、きっとだいじょうぶ。私にはもう悩みなんてないんだもの。悩みの種ごと。キモノの魔女さんが消しちゃってくれたから。あのコ、とっても善いひと。

 キモノの魔女さんがなにをしたのかは、私、ほんとうに知らないの。不思議だなあ。そう思うくらい。どちらかと言えば、知りたくもないものね。トモダチがどうやって消えちゃったかなんてそんなこと。知らなくてもいいことだし。モエちゃんのそばにいられれば、私、それでだけいいの。すごく無欲よね。謙虚すぎ、って自分でも思うくらい。

 これからは私がモエちゃんを支えてあげられる。消えちゃったメーちゃんの代わりに。

 私はなにも失っていないし。モエちゃんだって私のほうがいいって言ってくれたもの。

 メ―ちゃんのことは、そうよね。とても心配。無事でいてくれればよいのだけど。そう、とてもお気の毒だわ。だからね。ふふふ。願わくば、どこかで幸せでありますようにって。私はたまに、そう祈るの。

 ***狩人(カリュード)***

 “東の魔女”と思しき着物の少女を発見してから、はや三日。尾行を気取られることもなく、こうしてようやく尻尾を掴んだ。

「退きなさい」と魔女が、仲間たちへ言いつけていた。「退くのです」

 言われたヤツらは戸惑っている。それはそうだろう。なぜ自分たちの女王である彼女が、こんな場所に現れたのか。あまつさえ、食事の邪魔をするのか。解せないだろう。おれもまた解せなかった。もっとも、この三日間、“東の魔女”を観察していて判ったことがひとつだけある。あの魔女は、まだ未成熟。子どもと言ってもいい。とはいえ、見た目の話ではない。魔女は老いない。ゆえに腹を空かさない。また、基本的に人を喰らう者(メフィスト)どもは弱者を装う。そのほうが、おれたち『狩人(カリュード)』を欺くことができるからだ。

「いいのかなあ?」と相棒のシスコが米神を掻いた。ハンバーガーを頬張りつつさらに投げかけてくる。「ザコから狩っといたほうがよくない? 魔女よりもさきにさ」

「放っとけ」とおれはネクタイを締め直す。

 あの女子高生風情のメフィストがすでに食事を終えたというのなら、最低でもあと一年は人を襲わないだろう。あの旺盛な貪り方を鑑みるかぎり、餓死寸前まで人を食らっていなかったと見える。四年――それが限度だ。どれほど耐えようとも、四年以上、人を喰らわなかった場合、メフィストは餓死する。その期間内に、いくら人間の食事を摂ったところで腹は満ちない。喰わねば死ぬ。それを大義にヤツら(メフィスト)は人を喰らう。それがたとえ愛する者の肉であっても、ヤツら(メフィスト)は喰らってしまえる。そんな非情な化物だ。愛する者を喰らうくらいなら、おれは死を選ぶ。それこそが人間というものだ。

「あのコもいずれ狩る」だが、とおれはシスコへ向けて背を向けた。「まずは魔女を狩るのが先決だ」

 告げて、ビルから飛び降りた。


         【To be continue…….】

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