【崩壊は解放の誤解】

第171話

【崩壊は解放の誤解】


 壊れていることを自覚できていたあの頃の私は正常だった

 なのに近頃は

 壊れていく己を自覚できていないことを、ふとした瞬間に思い出して

 なんとか正気を保てている状況

 予断を許さない日々が続いている


 もしかしたら私はとっくに壊れているのではないか?

 とっくの昔に私は崩れ去っているのではないか?

 と

 不意に不安が訪れる昼間ほど恐ろしいことはない


 だが不安を片手に訪れるのはそれこそ正気でいる私なのだから

 むしろそれは喜ばしいことなのだと誰かが囁いてくれる


 不安を抱かずに現状が正常だと認識しだしたその瞬間

 私は私ではなく

 壊れ、崩れ去った瓦礫の上に佇む残骸と言う名の幻影

 それは私のなのか他人なのか

 何が私で私は誰で、いつから私がいつまで私なのか


 小学校の時の私、赤ん坊の時の私、成人の私、未熟な私

 壊れる前の私、壊れかけている私、壊れ切った私、崩れ去った私

 それらが同一の現在という座標へ同時に存在したならば

 やはりそれらは別人ではないだろうか?


 こうやって何かをただ闇雲に思考して、不安を言葉に還元し

 私と言う存在の証明を

 目に見える形にしている、他人に表明できる形にしている

 けれど、けれど、あれ?

 でも、他人に表明って誰に見せようとしていたのだろうか私は?

 と

 思いだそうとするといつもそこには彼らがいる


 何が問題かと言えば

「あなたは誰なの?」と彼らに訊いているようで

 実は問われているという誤りに気がついたのが

 最近だという事実それ


 言葉が向かう先にいる他人は「彼ら」なのだけれど

「彼ら」が示す主語はいつも「私」だと理解したのも最近


 私以外に私がいることを知ったのは生まれて間もない頃で

 その他人たちが私の内以外にいることを知ったのは小学校へ入学してからで

 その他人たちの内には私がいないことも、その他人の内に私が介入できないことも

 身体が大人になってから知ったことだった

 そして何よりも重大なことは

 実は私が外にいるのではなく、私以外の私の内にいる私が私だと知ったのが最近だったことそれ


 壊れていると思っていた

 壊されているからだと思っていた

 でも本当は

 私が壊していたのだと知った

 なら壊れればいいと思った


 それから始まった崩壊を私は

 黙って見届けるしかないのだろうか

 誰かが片手に安心を持って、訪れてくれはしないだろうか?

 と

 何とも儚く無垢な願望を抱いて、今日も私は片手に不安を抱いて、お出かけをする


 いざ、どこへ?

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