【メアリーちゃんと僕】

第115話

【メアリーちゃんと僕】


「君らは花が美しいと言う。だが君らは植物を美しいとは思っていない。植物が時折みせるその一瞬の変化、それを褒めているだけに過ぎない。植物が花を咲かす行為を動物で例えれば、発情したオスがメスの好奇心を揺さぶる為に尽くす、あらゆる無駄な労力、それなのだよ。自分を着飾り、自分を偽り、自分を仰々しく装う。――君たちは花を飾る時、根っこはどうする? 活け花などという不肖な文化をみれば考えるまでもない、君たちは植物の根を切り落とし、花のみを際立たせようとする。根という醜さを排斥し、個という生命維持には何の役割も機能も持たない花弁を特別視しているのだ。――僕は敢えて言おう。それは我々人間という種の持つ根源的な欠陥だと。美や正義や善などという自分にとって安定を齎す事柄についてのみを崇め、それ以外のものを卑猥なものだと位置づけて、自身の崇めているものを相対的に高めようとする。その根源的人類の欠陥という思想は、そのまま現代の資本経済へと反映されている。いいかい、貨幣の価値は国により異なり、物資の価値もまた異なり、その異なった物資の微細な変化によりまた貨幣の付加価値という忌々しい虚構が陽炎のように揺らめくのだ。そこに本質は何一つ含まれてはいない。――人間の心も同じだ。妬み、恨み、猜疑、敵愾、独占、陶酔、矜持、それらを疎ましいものだと位置づけることで、隣人愛、許容、信頼、友情、共有、謙虚、妥協、といった共同社会を築く上で必要なものを尊ぶべきものとして、生まれ来る新たな人類へ、情操教育と言う名の矯正を行使し、刷り込んできた。だが、それは便宜上に創り出した虚構にすぎない。悪も善も、美も醜も、そこに境は無い。どちらも尊ぶべき代物であり、人類という種の持つ特化した性質であると同時に、その両者は疎むべき存在であり、人類の持つ忌々しい欠点でもあるのだ」

 僕は一気に言いきった。

 ――完璧だ。

 僕は内心で自分を褒めてやった。優しく抱きしめ、頭を撫でて、いい子いい子してあげた。こうしていつも僕は、自分を慰めている。

 僕は、ソファに腰掛けている少女、メアリーちゃんへ視線を向けた。

 メアリーちゃんは読んでいた本をぱたん、と閉じて、如何にも煩わしそうに眼光鋭く僕を睨んだ。「だからなに?」

「だから、だからね……」一瞬で滲んできた冷や汗を手のひらで握りつつ僕は答える。「僕の醜さも、僕の存在意義も、全ては同等の無価値であり、全てが平等だということなんだよ」

「だからつまり?」とメアリーちゃんは更に目付きを剣呑にして言及する。僕は彼女のその威圧的な雰囲気だけですっかり怖気づいてしまった。先ほどの演説さながらの勢いは既にない。

「僕が……僕が役立たずの人間だということを、どうか責めないで下さい」縮こまりながらも僕は口にした。熱くなった目頭に堪えながら、やっとのことで口にした。


 ***

 つい先ほどのことだ。僕はいつものように彼女、メアリーちゃんの子守りという役割を担って、彼女と一緒にお留守番をしていた。

 そんな中、僕は、今日こそ彼女と打ち解けて見せよう、と張りきり、結果……見事に張り倒された。

「うるさいですよ」

 メアリーちゃんはそう言いつつ、僕を蹴り飛ばしたのだ。

 僕が彼女へ、一生懸命にヌイグルミやら少女漫画やら、流行りのファッション雑誌などを片手に、「これは凄く人気のあるテディ・ベアでね」とTVショッピングさながらにプレゼントの紹介をしていた最中に、唐突にだ。

 *

 さて。ここで、仕様もないことを一つ確認をしておこう。

 小学生の女児と打ち解ける為に僕の選んだ手段――プレゼント。

 少し表現を変え、少々荒っぽい言葉に言い換えるとなれば、小学生の女児を振り向かせる為に僕の選んだ手段――物で釣る。

 別名:買収。

 ……ぐむ。

 いやいや、やましい動機からの行動ではないのだから、僕は決して恥じたりはしない。

 しかしながら、けれど……………ぐむ。

 ここまでしても僕は結局、メアリーちゃんと打ち解けること以前に、近付くことすらできなかった。文字通りの意味でも、メンタルの意味でも、親睦の意味でも。

 日本海溝よりも深い距離が僕とメアリーちゃんとの間には依然として、深海の暗さのように漂っている。もしかするとそれは、天の川に匹敵するほどの距離なのかもしれない。だとすれば、それはそれで、それなりに、中々に、ロマンチックではなかろうか。とか勝手に誇張した妄想で僕はいつも自分を慰めていたりするわけで、少なからず僕はこうして自分を慰めなくてはいけないくらいには傷ついているのである、メアリーちゃんからの対応に。まぁ、ただの言い掛りに過ぎないのだろうけれど。

 *

「うるさいですよ」沈黙し続けていたメアリーちゃんは僕の言葉を遮って、抱えていた両膝を勢いよく伸ばし、僕を蹴り飛ばした。それこそ、天の川の向こう岸まで飛ばされる勢いで。喋りかけながらプレゼントを盾にじりじりとメアリーちゃんへ近付いていた僕なのだが、やはりと言うべきか、当然というべきか、メアリーちゃんのテリトリーへ足を踏み入れた瞬間に、彼女の両足が僕の顔面を捕え、次の瞬間には運動エネルギィの全てを余すことなく注ぎこみつつ突き放した。

 ある程度予想していた事態ではあったが、防御を取る間もなく僕は彼女のしなやかに伸び迫る白い足をスローモーションで視界へいれつつ、メアリーちゃんの瞬発力に感心していた。

 その後、メアリーちゃんの運動エネルギィを顔面に充填された僕はと言うと、

 ――ぶっ飛び、転がり、反対側の壁に激突し、卒倒した。

 顔面と後頭部および脊髄に鈍痛を感じる。それら全てをこの二本の手ではさすれないことに、人間の限界を感じつつ僕が起き上ると、同時にメアリーちゃんの罵倒とも叱咤とも言える声が届いた。冷たく、抑揚のない、感情の抑えられた声だ。

「あなたは醜いは。蔑みたくなる以前に、まずは同情したくなるほどに、あなたは無様だわ。同じ空気を吸いたくはないというよりも、同じ時間を生きたくはないわね」

 本当に酷い言われ様だった。久々に聞いた彼女の本心のように思え、僕はがくりと項垂れる。項垂れつつ僕は、「またまたメアリーちゃんってば、冗談が過ぎるなぁ」と動揺でひくつく顔に笑みを浮かべた。冗談ではないと分かってはいるが、冗句よ、と彼女が言ってくれるのではないか、と今日も僕は一縷の望みを抱いていた。とても健気だ。

「それこそなんの冗談ですか? 笑えませんよ」

 僕こそ笑えなかった。

 そこからの僕は、もはや自尊心をズタズタにされた漫画の悪役キャラクタのように、そして思春期の子ども同然に、自分の不肖さと愚鈍さと不甲斐なさを正当化しようと、大人気の面影もなく、必死に理屈をこねくり言い放った。熱弁、力説、舌鋒鋭く言いきった。けれど、言いきった清々しさに感嘆する間もなく、メアリーちゃんは、「だからなに?」と勝ち誇った僕の緩みきった情けない表情を、瞬時に引き戻した。それこそ、引き伸ばすが如く。太鼓の牛皮が如く、皮の面を引き戻した。

 あっという間に僕は、なぜ自分がこんな年端もいかない遥か年下の少女相手に、本気で説き伏せにかかっていたのか、と自分の動機を探り、そして行き当り、またしても項垂れた。

 自己防衛。

 矜持の確保。

 いわゆる――虚栄心。

 それだった。僕はますます惨めになった。

 ***

「僕が……僕が役立たずの人間だということを、どうか責めないで下さい」僕だって好きで役立たずなわけではないのです、と僕は感情に任せて訴える。すでに自尊心などは崩壊している。泣き脅しに近い悲痛な叫びだった。日頃から抑圧されていた、僕の恥辱に塗れた本心だった。

「それは無理というものです」ぴしゃりとメアリーちゃんは言った。「屑は愚図らしく、黙って縮こまっていなさい。そうしたほうが社会の為なのですから。それから私のことを呼び捨てになさらないで頂けないかしら。むかっ腹が立ちます」

「そんな言い方ってないよ」とさすがに僕は下唇を出して、謙虚ながらも憤りを示す。「メアリーさん、酷いです」涙がジワリと滲みだした。

「いいえ、全然。まったくもって酷くなんて無いです。むしろあなたは私の為に息を止めてなさい」

「それはあんまりだ!」

「むしろ息の根を止めます」

「殺人だ!」

「ああもう、なんて耳障りなのかしら。ちょっとそこの腐りかけのあなた、臭いわ、黙りなさい」

「すでに死んでいる!?」

 殺される以前に僕は死んでいた。

 …………なわけあるか!

「いい?」とメアリーちゃんは僕を見据えて、「あなたが、なんて喚こうが、なんと叫ぼうが、どんなに言い張ったところで、あなたはあなたなの。ゴミクズはゴミクズ、臭いことには変わりはないのよ」

「酷いって、いくらなんでも僕はゴミクズじゃないから」

 むしろいい加減、臭いから離れて、お願いだから……。

 そろそろ僕、泣いちゃうよ?

「僕ってば臭くないからね」言い聞かせるように僕は言う。彼女に、それから自分に。

「ああもう煩いわね。あなたはあなたなの。臭くて、うるさいのよ。だから、いい加減口を開かないでください」

「言動の自由は!?」虫ですら好きなだけ鳴けるというのに……僕って一体なんなのだらう。

 僕は完全に落ち込んだ。奈落の底へと落ち込んだ。

 そんな僕へトドメを指すように、「あなたに人間の尊厳なんて高尚なものはないです」とメアリーちゃんは断言した。「だってあなた、臭いもの」

「すみません、僕は臭いです。臭くていいです、いいですからもう……もうその貶し方はやめてください。辛いです」

 僕は土下座した。

 遥か年下である少女、メアリーちゃんに向かって、深々と頭を垂れた。

 メアリーちゃんはそんな僕の必死な懇願を爽快なまでに無視して、「だからね」と説くように言葉を続けた。「あなたには、うだうだと言い訳がましく抗弁なんて垂れるはよしてほしいのよ。ねぇ、あなた、余計に矮小になりたいの? それ以上惨めになりたいの?」

「いいえ…………なりたくはありません。すみまてんれした」

 完全敗北。完全崩壊。人格崩壊。

 威厳も尊厳もあったものではない。

「ええ。それでいいわ」言うとメアリーちゃんは再び本を開いて、紙の上に視線を走らせていた。

 僕は心の中で呟いた。

 メアリーちゃん。

 ねぇ、メアリーちゃん。

 もう少し、手加減してください。

 じゃないと僕……心が挫けそうです。

 それにしても。

 と僕は、床に付けていた頭を起こしつつ、「一日三回、きちんと歯磨きしてるのに……」と鼻をくんくん、とひくつかせてみた。

 ――ねぇアール? 僕って、そんなに臭いのかなぁ。


 と、

 完全崩壊したはずの僕の精神に残されていたものは、他人の目を気にする、虚栄だけであった。

 ――ねぇ、メアリーちゃん。できることならまずは、これから打ち壊してくれないか?

 僕は試しに祈ってみた。

 ――それは本当に虚栄なのかい?

 僕は静かに自問した。

 ――思いやり、という感情を、知っているかい?

 僕は黙って首を振った。邪念と割りきり、振り払った。

 僕の精神に残っていたものが思いやりならば、それこそメアリーちゃんが思いやりの籠っている偉大な人間だ、ということになるではないか。

 いくらなんでも、――――それはないよね。

 僕は視線をメアリーちゃんへ向けた。

 黙々と読書を続けるメアリーちゃんは、部屋に飾られたお人形さんみたいに可愛くて、そしてやっぱりどこか、暗澹としていた。

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