【犬「半端な学び屋は黙ってろ」】

第110話

【犬「半端な学び屋は黙ってろ」】


「学ぶ」ということは自分でいくらだってできます。

 大学や専門学校といったものは確かにより精細に多方面から学ぶことができ、進行形的に学びあえますが、現在の大学で学ぶという意義は、社会的信頼のある組織から個人が付加してもらうことのできる保障を得る、といったものが大きいでしょう。

 ですから、そのまま学者になるような人以外の多勢はこの保障を得る為に高いお金を払うのです。


 なぜでしょうか?

 それは各人が対人相手の保障を求めているからです。


 近代の複雑化した社会は、より沢山の人間関係を生み出し、互いの関係をより希薄にさせています。

 今までは付き合う時間の中で相手を見極めることができました。

 けれど今ではそれが難しい。

 そのため、信頼のおける機関や組織の保障がほしいのです。なんだかお金みたいですね。

 つまりは人の付加価値を一般化した形で共通認識したいのです。

 それがなければ不安な世の中なのでしょうね。実に不思議です。


 ですが、この少子化が深刻な現代において、そのブランド的肩書きは比較的簡単にとれるようになり、相手の力(ここでは社会において、生活や仕事に必要な知識と技術のこと)を見極めるには不十分になっています。

 即ち人間関係を築く場合、相手に付加されている様々な肩書きを盲目的に信用し、評価の基準にすることは、現代社会において、もはや通用しなくなってきているのです。

 もちろんその肩書きを得るにあたって、それ相応の知識と技術も得ているはずです。

 ですから相手に対する評価の基準の一つとして目安にすることは効率的な判断に繋がりますし、必要なことです。

 しかし、現代ではその評価の基準として、肩書きが占めるウェートが大きいのです。


 それと同時に、現代の資本主義経済では、スキルを持つことのみに重点を置かれ、人間を機械のように仕事の効率、処理能力のみで判断するようになっており、そのような機械的で隷属的な人間の評価が高くなっています。

 社会に内包されている以上人は、より高い評価を求める傾向が強いのです。ですからこの先はより多くの機械的で隷属的な人間が育成されていくことでしょう。

 現代が資本主義経済である以上は、企業や個人の利益が優先されることは必然です。しかしそのことによって、自然と共存し続けることを目的とした社会を求めるために、各人がより理性的な判断をすることが妨げられ、困難になり得る、と危惧されるのです。


 即ちそれは、未来において人類の存続と繁栄をもたらす社会を形成しようとするのなら、大いなる弊害になることを示唆しています。

 けれどこれは資本主義経済が原因ではありません。

 こういう傾向を助長している国家の働きが問題なのです。

 国家とは本来、我々国民を指すはずですが、間接民主主義において、代議士が集う国民の合議体が実質的に運営しています。

 その合議体が決定し、行使する法や規制が我々国民の総意からかけ離れたものへと成りつつあるのです。言うなれば、合議体という名の君主を持つ君主政、であり、君主制と差異はないのです。

 今こそ国民一人ひとりが社会に内包されている意味と、社会(国家)の存在意義を再認識しなおす時なのです。


「それと、最初の大学の話とどう繋がっているのですか」

 えっと、それはですね、猫さん

 学ぶということは自分でだってできるのだから、学びましょうよ、ってことなのです・・・

「独学で学んだ結果がお前のような、極端で思慮浅き思想と、断続的で曖昧な知識による支離滅裂な論理を構築するという愚考をしでかすんだよ」

 ぐっ・・・あなたに言われたくはないですよ、犬さん

 猫さん助けてください、犬さんが酷いんです

「いや。犬君の言うとおりだよ、君は浅薄です。それに偉そうで不愉快です」

 ね、猫さん・・・今日は一段と毒舌でおられて・・・

 はい、ですよね・・・私もそう思います

「そういう権威主義的なところも不愉快です。少し黙っていてくれないかな」

 ご、ごめんなさい・・・猫さん

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