【犬「お前の話は胡散臭い宗教家みたいだな」】

第109話

【犬「お前の話は胡散臭い宗教家みたいだな」】


 誰も自分を見てくれない、と嘆いているのは誰?

 誰も自分を正当に評価してくれない、とぼやくのは誰?


 もしあなたを全ての人が見ていたとしたなら、あなたはその視線の束に耐えられますか?

 その視線は期待と愛情と卑屈と憎悪が入り混じった、黒色の触感、白色の光


 もしあなたを正当に評価し、その結果が精確に明示されたとしたなら、あなたはその結果を受け入れられますか?

 その評価は人類においてのあなたの価値を表しているに等しく、特定の個によってあなたの必要性、存在意義の過多を決められること


 そんなものに意味はないのでは?

 誰にとっての意味かといえば、それはあなた以外には、いないのです


 誰一人として、自分以外を見つめ続けることなど、できはしない

 誰一人として、自分以外の他者に、普遍的な意味を付加することなど、できはしない


 それと同じくして人は、自分を見つめ続けることも、意味を求め続けることも放棄する

 他者にそれを代わってもらうことを、望み、求める


 なぜでしょうか?


 それは自分を見つめ続け、自分を求め続けることを、社会が許さないからであり、他者が許さないから

 他者を見つめて上げなさい、他者の存在意義を己の中で、高く評価し、付加しなさい

 そう社会はあなたに、幼い頃から囁き続けている

 そうしてあなたは、そうすることが、自分の生きる意味であり、人が生きる意味なのだと錯覚する、いや、させられている


 そして、社会の人々が、そうすることが生きがいである、と認識し、行動してるために、あなたもその循環に身を任せるようになっている

 そうすることが、楽だから

 流れに抗うことは、辛いことだから


 社会の中に存在する以上、"それ"は「正しいこと」であり、「幸福なこと」です

 ですが、人生という名の"あなた"にとって、それは「正しいこと」であり「幸福なこと」ですか?

 正しいことだと、幸福なのだと思い込めるのなら

 それが真実なのでしょう

 あなたにとっては、ですが


「お前の話は、胡散臭い宗教家みたいだな」

 犬さん、あなたに語りかけてはいません、小屋にでも引っ込んでいてください

「ああ、わかっているともさ。だがな、鏡に向かって話しかけているお前を見ていると、不気味だよ」

 い、いいじゃないですか、私の勝手です

「ナルシストにも程があるぞ」

 そういう目的で見ているのではありません

「じゃあなんだ、本当に宗教でもやってんのか?」

 やっていません、鏡の自分に話しかけることがそんなに変なことですか?いいんです、私の勝手です、放っておいてください。それに何だか宗教が悪いみたいな言い方ですね、犬さん

「ならほっとくが。ああそうだな、俺は宗教が嫌いだね。だが勘違いすんなよ、俺は信仰が嫌いなわけじゃない」

 同じじゃないですか

「同じじゃねーよ、全然ちげーよ、チョコパンとアンパンくらいちげーよ」

 その喩えだと、見た目はかなり類似していますよ

「なんでルイージが出てくんだよ、兄ちゃん差し置いてでしゃばるなよ」

 マリオではありません、面倒臭い方ですね、犬さんあなたは。それで、どう違うのですか?

「ああえっとだな、何の話だっけか?」

 宗教と信仰の違いです、脳みそ腐ってないか一度、病院で診ていただいた方がよろしいですよ

「そうそう、そうだった。まず信仰ってのはだな、何かを信じるってことなのさ」

 病院のくだりはスルーですか、そうですか・・・。それにしても、当たり前のことを偉そうに言わないでくれませんか

「お前だって十分偉そうじゃねーか。まぁ聞けって。いいか、存在を確認できないものだったなら、どんなものを信じても、それは信仰と言えるんだ。例えばだ、お前らが大好きな、幸福だの愛だのも、そういったものが存在すると信じているんだろ?それも信仰だし、クリスマスにはサンタさんがプレゼント持ってやってくる、ってのも信仰だ。科学だってある意味信仰と言えるしな。信じることで人は心の安定をはかり、人生においての自分の存在意義を見出だそうとする、或いは目を瞑るんだ。そうすることで安心できるんだな、人間って奴は。だが宗教は違う。そのことを利用しているのさ」

 誰がです?

「欲深い奴がさ。特定の誰かじゃない。ある時、いつの間にか利用しているんだ、信仰をな。もしくは、信仰の意味を忘れて、自分が信じていることが正しいと認めさせることが目的となってしまっている。それが宗教と呼ばれるものさ」

 何か違くないですか?

「俺の主観に基づく考察だからな、確かに一般の解釈ではないな」

 それが何で宗教が悪いということになるのですか、犬さん

「誰も悪いなんて言っていない。嫌いだと言ったんだ」

 ふうん。では、なぜ嫌いなのです?

「信仰ってのはだな、各人が自分で信じるものだろ?それを強制すべきじゃないからだ。確かに、優れているものや、自分が好きなものは他人に知ってもらいたいし、知らせてあげたい。結果、薦めるという行為に繋がるわけだが、当人達はそれを、他者の為だと勘違いしてやがる」

 違うのですか?

「建て前ではそう言っているが、本質的な動機はだな、自分の仲間を増やしたいだけだ。自分の正しさや、自分が属しているグループが優れている、と他者に解らせたいだけだ。当人たちはそれに気が付いていないだろうがな。気が付いていたとしたら、ずいぶんと自己中心的な自信家だな、相当の」

 う~ん、つまり何が言いたいのですか?

「つまりな、自分の信仰を他者へ強制することが宗教であり、その本質的な動機が、自分は正しい、自分は偉い、と他者へ示したいというエゴイズムに過ぎない、ということだ。それを解らずに、世界平和だの、世界の真理だのを理由にして、他者へ強制するのはおかしいだろ。その結果何がおこっている?歴史を見てみろよ、世界の争いを見てみろよ。まったくもって本末転倒だ、だから俺は宗教が嫌いだ」

 でも犬さんの解釈で言えば、一般的に宗教と言われている宗教でも、宗教ではないものもあるのでは?

「というと?」

 他人へ強制しない信仰です

「そんな宗教聞いたことがない。第一信仰ってのはだな、心の安定を保ちたいだけの精神的な自己防衛なんだ。それを集団でやろうとすること自体ナンセンスなんだよ」

 何がなんでも宗教が嫌いなんですね

「おうよ、それが俺の信仰だ」

 変な信仰ですね

「そんなもんだよ、所詮、信仰なんて」

 私はそうは思いませんけどね

「だが、それも信仰だ」

 いいえ、これは思想です

「いいや、それが思想だと信じているってことは、信仰だ」

 屁理屈です

「それも信k」

 もういいです、堂々巡りです、正に水掛け論です、いい例になりますよ

「礼はビーフジャーキーでいいぜ」

 うわっ、犬さん、あなた臭いですよ、身体洗っていますか?

「えっと・・・それはだな・・・俺は・・・・・・水が、嫌いだ」

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