【親友、それはダウト(2)】

第107話

【親友、それはダウト(2)】


 ぼくの友達は正直者です。

 失敗しても言い訳なんかしないし、知らないこともきちんと知らないと言う。彼が自分で考えたことと、みんなが本当だと信じていることとを彼はちゃんと区別して話すから、聞いていてとても勉強になる。彼と話していると「なぜ?」がいっぱい出てきて頭の中の巨大迷路をどんどん複雑にしていく。しかも行き止まりばかりの崖ばかり。教えてもらっているのに解らないことばかりが増えてしまっている。勉強するほど頭が悪くなっていくんじゃないか、とぼくは心配になる。

「みんなが本当のことだと信じていること」とは、例えばリンゴは木から外れたら地面に落ちるとか、物は完全に無くなったり、無いところから現れたりしないとか、地球は丸いとかそういったことだ。万有引力や質量保存の法則とか言うみたい。大人はそれらを事実と呼んでいるけれど、本当にそうなのかはわからないと僕は思う。

 この間テレビで偉そうなおじさんが、「漫画は空想や夢物語すぎて現実離れしすぎている。これでは子どもたちが現実を正しく認識できなくなるし、現実から目を背け続けてしまう」と漫画を悪く言っていた。時々大人たちは、漫画を目の敵にしているように思うことがある。目の敵ってなんだろうね?目薬だろうか?

 大人は夢を見ろ、とか言っておきながらずるい。これは無責任という意味だ。

 けれど、さっきの万有引力や質量保存の法則とかいう難しそうな、用語も意味もぼくは漫画から知った。

 最初は他の漫画の特殊能力や特殊な世界設定のように考えていたのに、先生にその話をしたら「それは本当のことだよ」と教えられた。「事実なの?」と聞いたら「事実だよ」と先生は言った。それでもぼくにはそれらが本当のことだとは思えなかった。

 万有引力や、質量保存の法則なんて見えないし触れない、確認の仕様もない、そんな不思議な現象が本当にあるのかなんて、どうして大人たちは信じているのだろうか。

 空気は見えないけど、水の中とかで呼吸をしないと苦しくなるし、冬は息が白くなるから、見えない何かがぼくの周りにあることをぼくは知っていたけど、そういうことなのだろうか。何か違うような気がする。理屈はどうあれそうなのだから仕方がない、といった諦めに近いのかもしれない。だとしたら、万有引力や質量保存の法則ってのは、事実ではなくて、出来事をうまく説明するために考えた推測なんだ。だからたとえその推測が間違っていても結果はかわらないから、困らないというだけのことなのかもしれない。出来事があっての理屈だから、漫画のような理屈あっての現象は納得できないんだ。それでも現実の出来事に不思議を見つけ出して読者も納得する作者の推論もある。現象という先にある答えを元に、その答えにたどり着くような推論なんて無数にあると思う。その中で、一番実験をしてそれっぽいのを選び出して採用する、そして一番納得できる推論を事実だと思っているんだ。だから「本当」というのは個人が一番納得できる推論のことで、一つだけではないと思う。

 それでも無数にある「本当」から大体みんな同じ「本当」を信じているのは、その「本当」が「唯一無二の本当」なのだからかもしれないとも思う。もしかしたら大人になると子どもには見えないオーラとかエネルギーが見えるのかもしれない。

 ぼくの周りには、見えないし触れなくて、確認の使用もないものだらけだ。特に大人が信じていて、僕らに教えることはそんなのばっかりに思う。ぼくがよく身近で聞くのが「愛」とか「幸せ」とか「正義」だ。そんなもの人によって違うんじゃないのかな?人によって違う色々なものをどうして、たった一つの大切な物の様に扱うのだろう。これって人によって食べるものは違うけれど、何か食べないと死んでしまうから、食べ物は大切だ、ってことと同じなのだろうか?そんなの教えられなくたって食べるのに。

 でも無くなる危険があるなら大切だから大事にしましょうってことかも。でもそれって生きるために大切だってことであって、大人の言う「愛」とか「幸せ」とかとは違うんだよね。

 だって生きるためには生き物を殺さなくちゃいけないし、そのためには人を殺すこともあるかもしれない。けれど命を奪うことは「愛」でも「幸せ」でもないという。特に人の命を奪うことに関してはひどく敏感だ。でもそれはきっと自分たちが人だから。それを許してしまうと自分が殺される可能性も高くなる。それは「私はあなたを殺さないから、あなたも私を殺さないでね」ってことだ。命を失う危険のある生活はしたくないと誰もがみんな考えていて、できるだけみんなに助けてほしいと望んでいるんだ。そういう人たちがいっぱいいて、いまの社会ができたんだ。けれど自分が助けられないのはいやだし、自分だけが助けっぱなしと言うのはもっといやなんだ。人より損をしたくない、人より富みを蓄えたいと考えるのはなぜだろう?とりあえず、それは今度考えるとして。

 だから、「私はあなたを助けるから、あなたも私を助けてね」という約束をみんながしている。この考えに合意しているんだ。これが協力という言葉の意味なのかもしれない。

 そして、そうじゃない人たちを取り締まっている。なにで取り締まっているかといえば、警察とか法律とか核とか、そういった罰や権力でだ。それって暴力とどう違うのだろう?個人に向けられるものか集団に向けられるものかの違いだろうか?これも今度考えてみよう。

 自分が効率よく、安全に生き延びるにはどうしたらいいかを考えた結果、多くの人がみんなとの共存が適していると考えた。これって利己的な思索の追求の結果で、とても打算的な考えだと思う。違うという人は自分の利益を一切求めず、他人の命に尽くすような、隷属的な人なのだろう。個人の尊厳は全くなくなっていると思う。「私は殺されてもいいから私は人を殺す」と考える人間とある意味で同じである。

 種の保存を本能としている生物としては正常だけれど、人としては壊れているとも言えそうだ。けれど全員がこういう考えであるならば、今まで個人の求める尊厳がその個人が優先的であったものが、全員の尊厳でありとどのつまり種の尊厳、つまりは種が個人たり得る存在になるとでも言えよう。まさに細胞が肉体のために活動するように、種が一つの生命体として確立することでもあるということ。


 しかし現在は未だ個人の求めるものは個人の尊厳であり、こういう利己的な打算を中心とした社会が形成されているのである。「利己的な打算」これを人は「アゴ」じゃなくて「囲碁」じゃなくて、「エゴ」と呼ぶ。

 このエゴを追求した結果、みんなの生活の安定の保護に自分も協力して向かうのが、結局一番安定した個人の生命活動ができると判断するか、しないかの違いでしかない。問題なのは、判断した結果伴う、合意による義務を担うことにある。この義務はなされなければ、社会的恩恵が施されないということが多々あり、そういう意味で強制的である。

 この義務をこなした結果、自身の求める生命維持と生命活動がなされなかった場合は、この判断は間違いであると結論づけることは至って合理的である。

 こういう合理的決断を鈍らせるために「愛」とか「幸せ」などという、社会の構成と存続に優位な概念の刷り込みを、社会に適応した人間は無意識にしているのである。


「これは本当のことだから信じなさい。絶対なんだから」と言われているように感じてしまう。けれどこれらが大人の言う事に多いわけじゃなくて、きっとこの世界には確認できることのほうが圧倒的に少ないんだ。言い換えるなら、漫画みたいな不思議なことでいっぱいなんだ。だとしたら漫画が好きで漫画に夢中になれるぼくら子どもが、現実から目を背けるなんてことはしないと思うんだけれどなぁ。


 こんなことをぼくが考えるようになったのも正直者の彼の影響だ。いい影響だから、彼のおかげだとも言う。

 そして彼はどんなに自分の不利になることや、やましいことでも嘘はつかないのだけれど、何が偉いと言えば、ぼくは彼がやましいことをしているところを見たことがないという点だ。

点というのは


 そんな彼を皆は正直者だ、と言って褒めていたし、彼を信頼している。ぼくも彼の言うことは全部本当だと思う。


 いつでも彼は笑顔の正直者で,

 ぼくは彼の友達だった。




 そんな彼と公園でキャッチボールをしていたある日


 彼がトイレに行っている間に

 彼の大切にしていた手鏡を

 幼児が壊してしまった。


 彼はすぐに戻ってきた。


 無残に壊れた鏡を見た

 彼からはいつもの笑顔はきいていた。



 ぼくは本心から謝った。


 彼の大切なモノから目を離し,

 それを守れなかったばかりか,

 その間ぼくは1人で遊んでいた。


 ぼくの心からの謝罪を聞いた後,

 さらに彼の顔は豹変した。



 ぼくは初めて見た彼の笑顔以外の

 暗く重い雰囲気と激しい感情が

 刻まれた表情によって自分の

 したことの重罪差を痛感していた。



 彼は静かに裂くような目で

 ぼくを睨み,そして言い放った。



『うそつきのぶんざいで・・・』



 この瞬間ぼくは世界で

 たった1人の理解者を失った。


 いや,失ったわけじゃない。

 元から理解者なんていなかった。



 彼がぼくの言っている事を否定しなかったのは理解していたからじゃない。

 哀れんでいたからだ。



 彼がいつも1人だったぼくに構ってくれていたのは友達だからじゃない。

 ただ同情していたからだ。



 彼を勝手に理解者だと思い込み,

 勝手に友達だと思い込み,

 勝手に信じていただけなんだ…ぼくだけが…ぼく1人だけが。



『ぼくは嘘つきじゃない』


 誰に言うわけでもなく呟いていた。




 ぼく達はしばらくそこに佇んでいた。


 しばらくして彼がぼくの手を引き歩きだした。


 村の中心にある県営アパートの屋上へ着くまでぼく達は無言だった。



 ぼくは彼に背を向け,

 屋上から見える夕日を眺め考えていた。



(それでも彼はぼくの友達だ。

もう一度謝ろう。)



 そう決心しぼくは振り返った。

 と同時に


 何かがぼくにぶつかった。


 その瞬間ぼくの視界には順番に,

 白色に濁った深い紺色の空,

 赤く染まった空,

 眩しく僕を照らす夕日

 おもちゃの模型のような建物

 遠く壁とかしているコンクリート

 それらがフィルムのように断片的に見えていった。



 頭上遥か上に地面が見えた頃

 足元の方から冷たい声が聞こえた。

 なぜかとても懐かしく、ほほ笑みたくなるような。


『僕は嘘つきだ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます