【返り血は浴びない】

第100話

【返り血は浴びない】


 じっと瞳が私を見つめていた。その瞳の奥に映る私まで、見えるような気がする。その自分が今にも私を殺してしまうのではないか、そんなことを一瞬で考えていた。いや、考えたわけじゃない。実際にそう見えたのだから。想像よりも鮮明に、けれど錯覚よりは曖昧に。

 他人の眼をこんなに集中して見つめているなんて、多分初めての体験だ。鏡で自分の眼をまじまじと観察したのはいつだったか。確か小学校低学年のころだ。学校で飼っていたインコやシャモ。毎日その世話を見ていた。私が当番じゃなくとも、それは文字通り、他人が世話をしていたのを見ていた。ある時私は気が付いた。鳥たちは眼球を動かさない。その分を首の動きでカバーしているのだ、と。

 しかし、先生にそのことを話しても、そもそも鳥は動かなくたって三六〇度見渡せるのだ、と教えられ、さらに草食動物と肉食動物の目の付きかたを説明された。なら私たちは肉食動物なのか、と質問した。あの時先生は、何と答えたのだろう。忘れてしまった。

 でも、確かそれからだ、私が自身を肉食動物、捕食者なのだと自覚するようになったのは。いや、自覚ではないかもしれない、そう心掛けたのだ、捕食者であろうと。

 その結果なのか、ただ単に堕落しただけのことなのかはわからないし、どうでもいいことなのだが、私は始末屋になった。仕事の内容は、ヤクザや企業のお偉いさんが、仕事や私事の過程でご生産なされた遺体の後始末。それから、依頼があれば、私自身が遺体を生産した。けれど、生産と言うには正しくないかもしれない。生きていた者を、死んだ者へ変えるのだから、加工の方が正しい表現だろう。

 月に一度は人を殺した。つまり、加工だ。依頼された人物以外は決して加工しないのが、私の小さなポリシー。というよりも、加工することはあくまで仕事であり、趣味ではないのだから、当たり前だ。缶詰工場の従業員が、休みの日まで缶詰を造り、汗水垂らしていることは稀だろう。

 それでも初めて人を加工してから、およそ十年。殺した人数も百では済まない。最初から数えてなどいないから、本当は何人かなんてわからないし、そんなことはどうでもいい。今まで何個のハンバーガーを食べて、それが通算何匹の牛を殺したことになるのか、と考えることに等しいことだ。相当暇にならなければ誰だって、調べようなどと行動を起こさないだろう。そして私はそれほど暇ではない。

 今月の仕事は、大手電気機器企業の会社員だった。普通のサラリーマンだ。何が普通なのか、と言われればそれは、依頼主と私を結びつける者、つまり私の上司とも本当の雇い主とも呼べる組織から送られて来る書類に記されていた、加工すべき者の情報だ。

 名前は鈴木義鷹、年齢二十六歳。私よりも、四歳年上だ。同封されていた写真(隠し撮りされたような)の人物はすらっとした長身で、中々にいい男に見えた。言うまでもなく、写真を見た感想なのだから、″いい男″とは外見のことであるし、その外見を何と比較しているかと言えば、TVなどで見掛ける俳優たちで、あくまで客観的な評価だ。

 他にも身長体重、血液型、アレルギー性疾患の有無と有ればアレルゲン、身体障害の有無、持病が有ればその詳細、家族構成が四親等までと、学歴、会社での地位、などが書かれていた。だがそんなものはどうでもいい。これから死ぬだけの相手のことなど、知る必要も趣味も私には、ない。それらの資料に書かれていることで、重要視すべき事項を強いて上げるとすれば、彼の行動パターンだけだ。私と同ように探偵などが雇われているのか、依頼があった後に送られてくる標的の情報は、毎回とても線密で正確なものだった。


 今までに請負った仕事の加工した者たちと、鈴木義鷹は、明らかに違った。普通すぎる。仕事は残業がなければ、定時から二時間ほど過ぎた十九時には上がっているし、その後に夜遊びをすることなく真直ぐ帰宅。

 夕食を済ました後、PCで趣味の星と量子力学のサイトを閲覧し、寝る。五時には起きて朝食を採りつつ仕事を軽く済ませてから出勤。妻帯者ではない。扶養家族もいない。人望があり、友好関係は広いものの、希薄であるようだ。

 確かに、妙な気もしないではない。

 この仕事以外、私は仕事をしたことがない。だからサラリーマンがどんな仕事をするのか知らない。そもそも、サラリーマンという業種がどんな職を指すものなのかすら、説明できない。だが、それでも、この鈴木義鷹が、そこらの社会人よりは真面目な男、否、糞真面目な男だとは、私にもわかる。そんな男が暗殺を依頼されるわけだから、きっと、理不尽な理由なのだろう。私にとって理不尽という意味ではない。鈴木義鷹にとって、だ。まぁそんなこと、加工するに当たっては、どうでもいいこと、であるが。

 紙面を眺めたままテーブルへ手を伸ばす。カップを取り、口に付けた、が液体は唇へ伝ってこなかった。もう飲み干していたらしい。新たにコーヒーを入れ直しに、立ち上がった。靴底からも、この部屋のコンクリートの冷たさが染み込んでくるようだ。

 この仕事が終わったら絨毯でも買いに行こうか。そうだな、赤と青が混ざった幾何学模様のがいい。そうだ、あの絨毯がいい。この間呼ばれて伺った、この業界の元締め的なお偉いさんの家に敷いてあった、絨毯。あれは、良かった。どこで売っているのかを、聞いておけばよかった。

 錆びついたヤカンからは、沸騰しかけの水蒸気が、蜘蛛の糸のように伸びていた。


 資料の詳細な行動パターンに間違いがないかを確認するために、三日ほど対象者を観察する。つまり、鈴木義鷹を、だ。後は、この行動パターンに支障を来すような予定が決まっていないかを確認し、決行するだけである。

 加工後の処理は、依頼主の意向によって変わる。大抵加工後は、死んだことすら確認できないように処理するのだが、加工さえ完了すれば、いつどこで誰に見つかってもいい、と任されることもある。その時は、加工の際に人目があっても、なくても構わない。ないに越したことはないが、元々事故や自殺に見せかける必要もないし、むしろ、誰かへの見せしめの目的が、私の仕事には含まれているのだろう。その為、通り魔殺人のように世間から見られることもある。

 なぜか、私は捕まらない。それもそうなのかもしれない。加工された者たちが死んだことにすら、世間は気が付いていないのだから。気がついたケースがあったとしても、それらの者たちと、私の接点はほぼ皆無だ。あるとすれば、依頼主と私の関係だろう。しかも、私と彼ら(彼女らかもしれないが)の間には、緩衝材のように始末請負会社(と表しては語弊があるかもしれないが)が存在している。そもそも、その依頼主たちが、私との接点をひた隠しにしようと努力しているのだから、私がすることは何もない。

 何よりも、加工に要する作業時間は実質一分もかからない。死亡を確認する時間の方が長い位かもしれない。その後の処理は、その加工場所がそのまま処理場になる様工夫している為に、埋めたり、焼いたり、沈めたりするだけだ。けれど大抵は、十五個のパーツにバラして、マンホールの中に放り込むだけで、済む。しばらく放置したのちに、関節を境に切断すると、中華包丁くらいの刃物で案外に容易く切断することができる。既に死亡し、時間も経っているので、胴体以外の部位では血液が半ば固形化し、ドロリ、と溶けたチョコレートのように、垂れる程度にしかでない。

 不思議なことに、今までそれが公に出た試しがない。もしかしたら人目には付いているのかもしれないが、私が間接的に目にする表層まではどうしてだか、出てこないのだ。しかしこれも実際には出てきているのかもしれないが、まぁ、私はTVや新聞などのメディアから、自ら進んで情報を得ようという努力をしない方なので、仕方がないことなのかもしれない。

 どうやら今回の依頼には、処理に対しての要望がないようなので、加工後はほったらかしでも良いということだろう。こういう時は、場所を誘導するという面倒臭いことをしないで済む為、使用する道具は拳銃に決めた。場所を誘導するときは、ナイフを使うことが多い。拳銃では現実味が沸かない輩が多いのだ。モデルガンと勘違いされることもある。そういう場合は手のひらを打ち抜いてやるといいのだが、叫び声を挙げられたり、痛さで歩けなくなったりして、あまり効率が良くない。その点ナイフを使うと、皆一ように物分かりが良くなって助かる。

 サンドイッチだって、ただジャムを塗るだけなら簡単なのだ。それを、耳を切ったり、焼いたり、具材を選んで、卵サンド、カツサンド、ハンバーガー、などにするから面倒になる。私は、ピーナッツバターさえ塗ってあれば、十分なのに。

 加工対象者である鈴木義鷹の帰路途中にある、ビルの一室。そこは今現在使われていない。今回はその無人のビル内で、加工を行う。

 テナントとしてビルを見に来た、ということにし、鈴木義高に道を尋ね、ビルの部屋内まで連れてってもらい、ズドン。実際には、冬に頬を引っ叩かれたような音だし、そもそも消音装置を付けているので、音はしない。鈴木義鷹と接触してから十分もかからないだろう。彼の性質からして、道案内を断られる確率はかなり低い。たとえ拒まれたとしても、その場で加工してしまえば、済む話だ。人目はそれほど重要ではない。

 加工後はビル内にしろ道中にしろ、遺体はそのままにし、退場。イチゴジャムのサンドイッチ。簡単だ。そう、簡単なはずだった。それが、どうだろう。鈴木義鷹、彼と会話をして、状況が変わった。状況というよりは、予定が狂った。予定だけじゃない、きっと、私まで……。


 ビルまでの道中。その間に交わした会話を思い出す。

「生物が死ななければ、今ごろ地球上の炭素と水は枯渇しているでしょうね」人はなぜ死ぬのだと思いますか、という彼の問いに、私はそう答えた。

 道を尋ね、並列して歩き出した十数秒後、街頭の明かりが薄らと張った闇と沈黙を押し退けて、義鷹が唐突に発言したのだ。ああ、こいつは痛い人間なのだな、と思った。深く関わりたくはない人種だ、と瞬時に彼を私の中で分類した。その分類が意味のなさない無駄な労力であることは理解しているが、得てして無駄と贅沢は比例しているものだ。これも、生きることに飽きないように、と人生を彩る為の小さな装飾なのだろう。

「僕は、死ぬことが生きることの目的だと思うんです」真っ直ぐ道の先を見据えたまま、義鷹は先ほどの会話を続けた。彼の背中がスピーカーの様だった。その背中へ向かって、よかったね、今から目的は果たされるよ、と教えてあげたかったが、我慢した。こういった地道な我慢は、仕事をする際には必需品なのだ。

 代わりに「なら、なぜ死なないのですか?」、と自殺しない理由を聞き返した。多少失礼な質問ではあるが、初対面の者に対して、いきなり「死」について話し始めるような男よりは増しだろう。それに、その不躾な話に対しての、一般的な嫌悪を滲ませることもできた。まずまずの返答だろう、と表情には出さずに満足する。

「死にますよ、いずれね」口元を上げて彼は、私に視線を向けた。いいえ、すぐですよ、とまたも教えてあげたがったが、今は仕事中である。我慢した。

 人通りは少ない、というよりは皆無であり、出だしは好調だ。これは人込みであっても加工には、別段何の支障もないが、言わば朝にTVなどでやっているニュースの合間の占いといったようなものである。小学校の時に良く見ていた。現在でもまだやっているのだろうか?

 そのまま目的地の空き部屋のあるビルまで、無言で来た。声をかけてから、約三分程度である。

「あ、ここですね」義鷹は上の看板を見あげる。テナント募集中の看板。「えっと、ここの三階のようですよ」持っている鞄をわざわざ持ちかえて、彼は右手でビルを指差した。

「あの、まだお時間ありますでしょうか? あの、恥ずかしながら暗闇がその、怖いと言いますか、その……もし御迷惑でなかったら、その…………」こういう場合、言葉を濁しても意味が伝わるのだから、便利だ。むしろ、濁した方が、率直に伝わりやすい。

「ええ、大丈夫ですよ、上までお付き合い致しましょう。男でもこのビルは気味が悪そうです」

 ありがとうございます、と一礼し、先にビル内へ足を踏み入れる。ビルの入り口は狭く、左側に階段、右の壁にエレベータが備わっていた。一階には他に部屋らしきものもなく、ただの入り口としての機能しかないようだった。エレベータで上がる途中で見えた二階も、物置部屋としてでしか使われていないような雰囲気だった。人気はない。

 三階は閑散としていて、やはりここも使われていない、無人の空き部屋。廊下で、孤独に闇と闘っている年紀の入った蛍光灯以外、光源はなかった。部屋の中は空っぽで、二本の柱が部屋を四等分しているように、錯覚させる。入り口の反対側の壁には窓が並んでおり、そこから差し込む外のネオンの残骸が、窓ガラスに張られた「テナント募集中」の文字を、床へ逆さに、そして仄かに、浮かび上がらせていた。

「電気、点かないんですか?」義鷹は部屋へ踏み込み、壁伝いをなぞるように進む。

 視線は彼を捕えたまま、バックから静かに拳銃を取り出し「仕事なんだ、すまない」、と私は彼の背中へ投げ掛けた。一言だけそう断ることが、私の中でのルールであり、決められたルーチンであり、相手に対して与える最初で最後の敬意だった。その後は、ズドン。もしくは、サクっ。それで終わり。

 けれど、振り向いて、銃口を構えた私を見ても彼は、表情一つ変えず「ああ、あなたが」、とだけ呟いて、じっとその場に佇んだ。もちろん彼が佇んでいられたのは、私が引き金を未だ引いていないから。その不自然な状況を自分で作っておきながら、私は戸惑っていた。


「オモチャだとでも?」銃を傾け、強調した。彼の反応が不可解だった。銃を向けられたのに、微動だにしない。動けないのではない、動かないのだ、この男は。そのことは、今まで加工してきた者たちと比べれば、一目瞭然だったし、その不可解な行動が私を不安定にさせている要因であることは、自覚できた。だからこそ、理解しようとしてこう聞いたのだ。だが、この問いがお門違いであることは、間違いない。分かってはいるが、聞かずには居られなかった。

「撃ってもらえれば、わかります。本物のことを考えて、できれば、心臓を」義鷹は、右の掌で左胸を、ゆっくりと撫でるように叩く。

 普通は逆ではないのか? この銃が本物で、それを心臓に撃たれれば死ぬ。こいつは死にたいのか?彼と外で交わした会話が脳裏に浮かぶ。

「知っていたのか?」彼は自分が殺されることを知っていた、そう考えれば何とか納得することもできそうだった。だから、彼はこうも落ち着いていられる、と。早く加工しなくては、という焦りが、この妥協を生み出していた。

「いいえ。けれど、今になってはその理由に心当たりがないわけではりません。でも、そんなことはどうでもいいんです。僕はあなたに殺される、今。それが全てです。さぁ、どうぞ、気兼ねなく」義鷹は真っ直ぐに私を見つめる。今までの人間は、この状況に遭遇すれば一ように銃口へ視線が向かっていた。釘付けもいいところだ。しかし、彼は違った。瞳の奥を覗くかのように、私へ視線を注いでくる。この部屋が薄暗いのは、彼の瞳が光を全て捕えてしまったからだ、とそんな妄想をした。その位、彼の瞳が鮮明だった。この暗闇の中で。

 これから自身へ訪れる現象が、命の消失であることを、この男は理解しているのだろうか。そう思わずにはいられないほどに義鷹は、落ち着き払い、そして、恍惚とした表情だった。

 眼球すら動かさず、首も身体も、全ての運動機能を停止したかのような静止。既に死んでいるのではないか、と錯覚してもおかしくはない。事実私はそれを疑った。だが、彼の表情は微笑みを維持し、瞳は獲物を狩る捕食者のように、澄んでいた。その鮮明な瞳の奥に映る私だけが、今にも動き出しそうなほどに緊張している。そのことだけが、伝わってくる一切の情報だった。


 そろそろ、指が疲れて来た。

 終わりにしよう。

 引き金を引いた。

 久々に意識して。

 指に、力を入れた。

 初心者に戻ったかのようだった。

 腕が鞭のようにしなる感覚。

 その余震が、全身を駆け巡る。

 とほぼ同時に、空気の膨張が伝わる。

 それらが融合されたかのように、いつも私は錯覚する。

 顔面の皮膚が揺れる。

 鼓膜が揺れる。

 頭の中に、効果音が響く。

 徒競走が始まる、と習慣的にまた思ったが、いつものように駆け出している者はいない。いつもは逆なのだ。拳銃の合図があると、駆けていた者たちは皆一ように停止する。しかし、今日は違う。合図が鳴る前から、そして鳴ったあとも、相手は微動だにしない。鈴木義鷹は、動かない。瞬きすら。そう、この瞬間も、まだ。

 閑散殺伐とした部屋のお陰で、音はしばらく、反射を繰り返した。耳鳴りと、反射をするごとに欠けていく音との区別がつかなくなった頃、ようやく、新たな音が部屋に響いた。

「なぜ……外したのですか」目の前の人型の口元が動いた。どうやら、生きている。マネキンでもないようだ。それを少し前まで本気で疑っていた自分に、相手に気がつかれない程度に、小さく噴出した。

 質問には答えず、私も問う。「なんで抵抗しない、死にたいのか」穏やかな口調が自分でも不思議だ。

「変なことを言うのですね。あなたは僕を殺したいのでしょう? 第一、誰だっていつか死にます。そしてそのことを知っているのは人間だけです。それを知っていることが、人間である条件とも言える、とまで僕は思うくらいです」妙に演技がかった、俳優のような喋り方だ。それでも、鈴木義鷹この男には分相応なたしなみに思えた。似合うのだ、このドラマのような状況が。素振りが。

「なら私も、人間としての一次試験は突破できていることになるな」だが、次があるならきっと不合格だろう。銃口は向けたままだ。次は外すことはないだろう。元々外すことなんて有り得ない。さっきだって、狙った通り、柱のヒビに当たったのだから。

「一次試験どころか、それが人間であることの最終関門ですよ」子どもに、それは桜という花だよ、と教えているような穏やかさだった。

「そうか、そりゃよかった」私も釣られて頬が緩んだ。が、すぐに引き締める。「こういうことは珍しいんだ。特別、と言い換えてもいい。最後に何か言っておきたいことはあるか?」

「どういう意味です?」

「これからお前は死ぬ。その前に、言っておきたいことはあるのか、てことだ」

 ああ、と鈴木義鷹は納得を示した。それから、そうだ、と言って聞いてきた。「これが初めてではないのでしょう?」

 人を殺すことが、ということだと理解するのに、数秒要した。「そうだな、信号機で立ち止まることよりは多いかもしれない」あまり洒落た返答ではなかったな、とすぐに反省した。

「なら、聞かせてくれませんか。人は死ぬとき、どうなります?」

「これから死ぬんだ、自分で確かめればいい」これは中々に洒落ているな、と多少は満足した。

「ええ、それはそうなんですが、客観的な情報が欲しかったんです。そうですね、ケチャップがのったホットドッグにマスタードを足せればいいな、その程度の願望ですので」義鷹は肩を竦める。

「そりゃ、相当な願望だな」

 義鷹は僅かに首を傾けた。伝わらなかったようだ。

「ホットドッグにマスタードは必需品だ。マスタードのかかってないホットドッグなんて、麺の入ってないラーメンと同じだ」私は補足する。サービスで、比喩もしてやった。そのおかげでどうやら義鷹は理解できたようだ。また先ほどと同じ微笑みを浮かべ、視線を向けてきた。私が話すのを待っているようだ。このまま釈然としないような状況で殺してしまうのは、なんだか気持が悪い。桃の缶詰に桃汁を入れ忘れて加工してしまったような、ホットケーキに牛乳じゃなくて、水を使って焼いた時のような物足りなさ、が残るような気がした。

「で、死んだ奴の何が知りたい」この状況に、徐々にではあるが、慣れてきた。

「教えてくれるんですか?」

 白々しいな、と思ったが、口にはしない。代わりに「教えなくても殺してやるけどな」と答えた。

「それは良かった」ありがとうございます、と義鷹は破顔した。満面の笑み、とはこのことを言うのだろうな、と彼の笑顔を見て、私は素直に思った。子どものように、無垢な表情だった。「そうですね、では」と義鷹は宙に浮かぶ目には見えない星屑を探すように、視線を漂わせ、「死ぬとき人は死を受け入れますか?」と再び私を見据えた。

「さぁな。死を受け入れるときは、死んでいるのだから、私にはどいつも血にまみれた背中か、苦しそうな表情しか見えない」

「けれど、銃で撃たれたとしても、染みるように死は訪れるモノなのでは?」義鷹は唇をいじるように右手を顎にあて、首を傾げ、考えるように聞いた。

「というと?」私は少し、興味が沸いた。

「即死、という言葉を耳にしますが、その意味が、スイッチをオンからオフへ切り替えるように、瞬時に死へ移行するものだと捉えた場合、そんなものは存在しない、と僕は考えています。何度か意識を失ったことがありますが、気絶するとき、表面的な意識が途切れたとしても、睡眠時の夢のように、意識下では途切れることはありませんでした。それは死であっても、同じである、と僕は考えています」

 それは違うぞ、と私は嬉しくなる。なるだけ簡素に説明してやった。「えっとだな、お前は寝ているときに、夢を見ていないときのことを覚えているか? 覚えていないだろ? 夢にはな、レム睡眠とノンレム睡眠ってのがあってだな、レム睡眠時に人は夢を見る。んで、レム睡眠時は脳が半覚醒している状態だから、夢を見ることができるわけだが、ノンレム睡眠時は脳が完全に休止しているらしい。だから、その時は夢を見ることもない。つまりだ、脳が働いてないわけだから、夢を見ていない間を認識することはできないんだよ。言い換えれば、無を認識することに等しいな。無いものをどうやって認識するって言うんだ? まぁ、そういうことだな」

「はい、それは解っています。けれど睡眠の際、最初に訪れるのはノンレム睡眠ですし、最近ではノンレム睡眠時でも夢を見ることが確認されていますよ。それにもちろん、意識障害と睡眠が違うことも、認識しています。無の認識については、あなたのおっしゃられた通りですが、脳は休止しているだけであり、無くなっているわけではありません。あくまで、休止であり、停止ではありませんよね? きちんと生命維持機関として、働いています」意気揚々と話しただけに、この反応は多少なりとも不愉快だった。続けて義鷹は言う。「なによりも、あなたが殺すとき、相手は大抵、起きているのでは?」

「起きているな。大体は走っている」意識して抑えたつもりだったが、大分口調はぶっきらぼうになった。

「ならば、その意識を閉じた状態のノンレム睡眠になることはない、と僕は考えます。例え、急に気絶したとしても、急に死が訪れたとしても」

「ああ、つまり死も、徐々に意識が途切れていく、ということか。夢から空白の領域へ変わるように。そういうわけか?」

「ええ、まぁ、そういうことになりますね。正し、意識が途切れるまでの時間が、究極的に短いということは、否めませんが」義鷹は直立を崩し、右足へ体重を乗せ、身体を傾けた。右手は後ろへ回し、左腕を掴んでいた。どうやらそれが、こいつの楽な姿勢らしい。

「だとすれば、寝ている間に見る夢と空白の領域の境界を普段から認識できていないと、死の瞬間なんか認識することなんて不可能だろうに。むしろ、睡眠に落ちる瞬間ぐらい認識できていないとな」私は持っていたバックを床に落とし、拳銃を構えたまま、左手で上着からタバコを取り出し、咥え、火をつけ、吸った。この動作には慣れている。加工すべき人物から聞き出す情報がある場合、似た状況になる。しかし今の場合、相手の態度が大きく違う。相手が違うのだから、当たり前か。

 フィルター越しに煙を吸い込むたび、暗闇に、赤い点が灯る。その赤い点を視界の端に捉えながら、彼の瞳へ視線を送り続ける。送り続けると同時に、彼から発せられる、ありとあらゆる情報を見逃しまい、とムキになっている自分に気が付き、私は驚いた。何をこんなに、なぜこんなに、と心の中で二度そう唱える。それから、早く引き金を、と強く思い、人差し指に意識を集めた。意識しなくては、身体は動かない。そんな当たり前のことを私は妄念していた。

 ですから、と義鷹は朗らかな口調で言った。「ですから、僕は毎日意識していますよ」

「は? 何を?」タイミングの良さに、多少動揺したが、すぐにさっき私が言ったことへの返答だと理解した。

「いや、ですから、現実と眠りの境。つまり、意識と無の境を認識することを、です」

「毎日か」

「毎日です」

 そんな御冗談を、と鼻で笑い飛ばしてもいい言葉であったが、それができなかった。こいつならそれをしていてもおかしくない、と思えるのだ。私のその戸惑いが、訝しがっているように見えたのだろう、義鷹は話し始めた。

「朝起きたらまず死ぬことを考えるんですよ僕は。どうやって死ぬか、とかそんな手段についてじゃないですよ? 死ぬという現象、体験についてです。そもそも僕は寝る時に、寝付く瞬間を意識しようと努力しているんです。意識が失われる瞬間を。僕にとって睡眠とは死の予行演習なのです。一日という人生を生き、そして死ぬ」彼は僅かに顎を上げ、宙を見つめた。ぼやけた夜景のように煌びやかな、幼い頃の思い出に浸っているかのような表情だった。「次の日に僕はまた生まれ出る。そういう手続きを、自分としているんです。だからこそ、僕は起きてから最初に、死ぬことを考えて、死を意識するんです。そうして毎日僕は、人間になれる。人間であることを続けることができる。僕は、そう信じ続けて、生きてきました。と、同時に死んでもきました。毎日、毎晩」

 異常だ。私はそう思ったが、口にはしなかった。夢中で妖精について話している子ども相手に、そんなものは存在しない、と言ってのけることに類似した嫌悪が、付き纏いそうだったからだ。殺人者が何を言っているのだ、と蔑まれそうだが、私は自分を、人は殺すが悪人ではない、と自己評価している。良心を、人並みには持ち得ている、と。

 むしろ、良心に反することをしなくてはいけない、それが現代社会に内包された者に課せられる、仕事の定義だ、と私は考えているくらいだ。

「だから僕が、死を体験することから逃げるわけがないじゃないですか。本当の、人生に一度の体験から僕が目を逸らすことなどするわけがないじゃないですか。僕にとって最も避けたい死に方は、眠っている間に死ぬことか、気が付くことなく瞬時に死んでしまうような、本当の意味での即死ですからね」

「即死はあり得ないんじゃないのか?」私は訝しがる。

「あり得ない、なんてあり得ない、ですよ。生と死のタイムラグが、限りなくゼロに近い、もしくは脳内の電気信号を統括し、死を認識するという思考に切り替わる前に死ぬこと、です。不意に訪れる死などは、これに該当してしまいます。いくら毎日死を意識している僕でさえ」

「ああ、なるほどな」なるほどな、などと相槌を打ってはいるが、まったく理解などできてはいない。それ以前に、彼の話に耳をそばだてているのは、私の思考の三割程度で、残りの七割のうち三割はただ困惑し、四割が別のことを考え、頭の中で議論を展開していた。

 どうすべきか、それは判りきっている。これが私の仕事なのだから、加工を済ませる外ない。しかし、どういうわけか私は、狙いを彼へ定めることができない。銃口は向けてはいるが、いざ引き金を引こうとすると、彼以外の物へ照準を定めてしまう。

 お前は捕食者だろ?無声音の声がした。響くことのない声だ、とすぐに判る。主語はどちらだろうか。数秒悩んで、意味のない問いだな、と自然に目元、口元が緩む。

「人を殺すのは楽しいものですか?」私の笑みが殺人に対する興奮である、と勘違いしたのか、彼はそう聞いてきた。外人が桜餅を前に「これは美味しいですか?」、と興味津々の様子と重なる。微笑ましい位だ。ああそうか、今気がついた。この男と出会ってから、この鈴木義鷹を前にしてから、私は笑ってばかりだ。それを、心地がいい、と感じているのだな、と。

「餅を食べて美味しいと感じる者もいれば、苦手だと感じる者もいる。食す目的が、好みの味覚を求めての者もいれば、ご飯よりも高カロリィだ、というエネルギを得る効率を求めての者もいるだろう。一概には言えないな」そうだとも、私だって、きっと、毎回違うのだから。

「あなたは?」

「前回は、そうだな……スカッと、したかな」そうだった。あれだけ屑な人間も珍しかった。企業の方が奴を煩わしいと思うのも、頷けたくらいだ。

「そうですか。私も死ぬ前に一度、そういった体験をしてみたかったですね。客観的に死を観察してみたったです。なぜ僕はしなかったんでしょうね、人殺しを。それだけが、心残りと言えば、心残りです」死ぬことに対する恐怖、拒否、逃避、それらが彼からは微塵も見受けられなかった。後悔と言うにはあまりに淡々とした物言いだった。

「なら、しばらく私の仕事に付き合うか?」いったい誰が言ったのだ?と危うく彼から目を離し、部屋を見渡すところだった。部屋に声が反響する。コウモリであれば、その声を元に、見渡すことなく状況を把握できるのに、とそこまで考えた。私が口にしたのだ、と認識するのに数秒要した。天の邪鬼になった気分だ。

「私を殺さない、ということですか?」初めて不満を含んだ口調だった。義鷹は大きく一歩前に踏み出した。あと一歩で彼の間合いに私が入ってしまう距離だ。普段ならば、これは警戒し間合いを開くか、引き金を引くかの二択しかない場面であるが、今の私は動かなかった。むしろ、彼の瞳をもっと近くで見てみたい、と奇妙な感情が、プライドや経験、警戒、不安、損得勘定、といったモノたちの隙間を縫うように、細く、くねくねと、巡っていた。その蜘蛛の糸のような感情に、私はきっと触れてしまったのだ。捕食者である私が、捕捉されていたのだ。この奇妙な感情をもたらした存在は、考えるまでもなく、目の前のこの男、鈴木義鷹である。これは自明の理。後はそれを、認めるか、認めないか、それだけだ。指に力が籠る。腕にも力を入れる。照準をずらさない為に。撃つときに力を込めるなど、もはや初心者だ。さっき一発撃った時に、今までの経験まで解き放ってしまったらしい。笑えてくる。と同時に、泣けてくる。

「いや、殺すさ」そうだとも、加工が私の仕事だ。「今すぐにではないけれどね」続いて出た言葉に自分でも驚いた。声はどう考えても、私以外の誰かが、私を使って喋らせている、としか思えない。しかし、すぐに否定しないことを考えると、満更でもないのかもしれない、私も。だが、この俯瞰的な思考は、どうしたものか。身体から意思が離れ、ドラマでも見ているような感覚だ。それもこれも、やはりこの男の影響だろう。

「それは、いつ?」不満と怪訝を半々で配合したような口調だ。いつの間にか義鷹の表情からは笑みが消えていた。

 こうなったらもう、やけくそだ。「そうだな、お前が人を殺して、死についての客観的な観察に満足できた時だな」成るようになるだろう。頭では既に、私の雇主である、始末請負会社の加工計画を構築していた。初めての、人以外の加工だ。組織を加工するのだ。面白いじゃないか。仕事を面白い、などと思うなんて、これも初めてのことだ。自分でも信じられない。

「本当ですか? 約束できますか?」義鷹は無邪気に喜ぶ。感情を隠す、という大人なら標準装備されていてもおかしくない機能が義鷹には装備されていないようだ。

 こいつ、疑問文しか口にしなくなったな、と場違いな思案が巡る。頭がトコロテンになったようだ。

「ああ、いずれ殺してやるさ」それでも出てくる言葉は洒落ている。そのことに、また俯瞰的な位置から、私は満足する。自分のつむじが見えても可笑しくない気がしてきた。

「ありがとう」義鷹は今にも握手をしてきそうな雰囲気だった。今殺されないことへの感謝なのか、いずれ殺されることへ感謝なのか、どちらだろうか、と一瞬私は悩む。が、いや愚問だな、とすぐに解決する。それからすぐに「あっ、でも」、と彼は続けた。「これも仕事ではなかったのですか?」

「まぁ、そうだな」

「なら、私が死なないことで、あなたに何か、不都合が起こるのでは?」

「まぁ、やらなきゃならないことは増えたが、このご時世、加工をしてくれ、なんて私に頼みたい輩はいくらでもいるのさ」

「加工、ですか?」微笑みを取り戻し、少年のような弾んだ声を上げて、義鷹はネクタイを緩める。

 とりあえずは、その説明からだな。私は痺れていたことを思い出した右手を、ゆっくりと、下ろした。

「お前、好きな食べ物はあるか?」それを例えて、加工についての説明をしよう。

「ハニートーストが好きです。アイスクリームの乗った」両手で箱のようなものをパントタイムして見せながら彼は、チョコアイスの、と補足した。

 なんと手間のかかりそうなトーストだろうか。ああ、通りで。私には荷が重いわけだ。納得を胸に、例え話は諦めることにした。この後にしなくてはいけない作業は、このハニートーストくらいでなくては、片づけることはできそうもない。だが、たまにはそれもいいだろう。そういった面倒臭い作業をこなしていなかったから、引き起きた、気の迷い。それが、今なのだろう。金輪際、この男以外、そんなことが無いように、用心しなくては。

「お前は私が殺してやる。それは約束しよう。ただ、その代わりと言っちゃなんだが、加工の手伝いをしてくれ。お前が人を殺すにも、まずは、基本から教えなくちゃだからな」

「ですから、加工、とはなんです?」

「百聞は一見にしかずだ。まずはやってみせよう。説明もその時だ。門前の小僧も何とやら――加工の技術も環境を整えれば、自ずと身に付く。だからその為にも、これからしばらく私に付き合え」

「ええ、まぁ」と義鷹は苦笑した。「僕を殺してくれるのなら」

 じゃあ行こうか、と私は彼に背を向け、歩み出す。

 数歩で部屋から出て、廊下の健気な蛍光灯の儚げな明かりに包まれる。エレベータはなぜかまた一階まで下りているようで、「下りる」のボタンを押し、待つ。その間十数秒に満たない。振り向いたら彼は消えていた、だとか、後ろから私が撃たれる、なんてことはないだろうな、と頭に過った。そんな子ども染みた不安が何とも心地よく、振り向くことも、彼を先に歩かせることも、私はしなかった。そんなこと、勿体なくて、とてもできなかったのだ。

 エレベータは、間抜けた効果音を出し、開いた。私が乗り込むと、続くように義鷹も乗り込んで来る。安堵が私を、出迎えた。


 外はじめじめとした空気が、淀んだ夜を、さらに不快にしていた。その不快さを覆い隠そうとするように、ビルというビルから、煌びやかなネオンが色を変え、形を変え、瞬きながら、発光していた。まるで、あの中にいるみたいだ。夜空にかかるガスへ映し出す巨大な……。

「万華鏡ですね」義鷹は呟く。

「え?」驚いた。

「こうやって眺めていると、万華鏡の紋様みたいじゃないですか?」義鷹は駅前の方を指差して、何が愉快なのか、嬉しそうな声を弾ませた。

「そう見えるのか?」吹き出しそうになるのを堪えて聞いた。

「ええ。奇麗じゃないですか」

 彼と同じ方向を眺める。「…………そうだな」


 どこへ向かっているかも話さないまま、しばらく歩いた。彼は黙って後ろを着いて来ている。

 ケータイを取り出し時間を確認した時、後ろから、「そうだ、あの」と声がした。振り返り、彼を睨む。睨むことと、見つめることの違いはなんだろうか、そんなことを考えながら。

 眉を寄せ、思い出したように「あなたのお名前は? 差支えなければでいいので、教えてほしいのですが」、と義鷹は口にした。申しわけないのですが、という言葉なしで、ここまでその意向を伝えられる人間に、私は出会ったことがない。

「人へ尋ねる前に、自分が名乗るべきではないのか?」陽気な声が出た。機嫌のいいことが、自分でもわかった。睨んでいるのにおかしい。今の私の顔はきっと、もっと可笑しいだろう。だが、気にしない。口元が緩んでも、目元は崩さない。睨みを維持したまま、私は微笑んでいる。

「既に知っておられるのでは?」

「スズキ、ヨシタカ」片言になってしまった。顔が熱い。

「ええそうです。僕は、鈴木義鷹です」彼は右手を胸にあてがい、「では、あなた様は?」と今度は手のひらを上へ向け、私へ差し出す。差し出されたその手を危うく私は掴みそうになる。

 言うべきか、黙るべきか、という選択へ偽名という候補が上がる前に、私は既に名乗っていた。

「…………ミカ」鼓動の一脈一脈が、ゆっくりとした時間を刻む。

「ミカさん、ですか。覚えやすい名前ですね。いい名前は得てして皆覚えやすいです」

 私は俯いていた。彼の笑顔を見ていないということを自覚することで、ようやく自分が俯いていたことに気が付いた。

「自分の命を奪ってくれる人の名前を知っているというのは、とても幸せなことです。そう、思いませんか?」

「さぁ。どうだかな」

 小さくため息を吐く。

 回れ右。

 前を向く。

 歩き出す。

 断続的に踵を返した。

 足音は、二つ。

 私の物と。

 後ろの者。

 鳥のように視界が三六〇度だったなら。

 観察し放題だったのに。

 誰にも気が付かれず。

 好きな時に。

 いつでも。

 捕食者にない潤沢。

 これからは、捕食者を諦める。

 これからは、捕食者を眺める。

 今日から私、捕捉者。

 いつから私、捕捉者?

「どこへ向かっているのですか」

 湿った風が吹き抜ける。

 猫が道路を横切った。轢かれることなく渡りきり、私の前で一瞬立ち止まる。

「絨毯を貰いにね」青と赤の幾何学的な紋様の。

 それから、「ついでに加工しに」

 私の目の前に、猫はもう、いない。

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