【両の手を包むもの、両の手で包むもの】

第88話

【両の手を包むもの、両の手で包むもの】


 最初に買ってもらったのは手袋だった。本当に最初なのかは確かめようがないが、それが一番古く残っている、私の記憶、そして思い出。

 指先が親指だけ離れているミトンの手袋で、ピンクの毛糸の下地に、右手用には「熊さん」、左手用には「うさぎさん」が、黄色の毛糸で刺繍されていた。とても可愛かったように思う。外へ出かけていく時はもちろん、家にいる間も手に嵌めていた。なのに、いつから身につけなくなったのだろう。

 母は私が生まれたと同時に、天国へ旅立った。

 父に母のことを尋ねると、「神様の所にチヨが幸せになるようにってお願いに行ったんだよ」といつも優しく囁いてくれた。それから、母と出会った時のこと、母が作ってくれるアップルパイが世界で一番美味しかったこと、母が恥ずかしがり屋の甘えん坊で、けれど私を身ごもってからは、「チヨを守るんだ」と小さな身体で母親らしくなろうと頑張っていたこと。その母がやっぱり甘えん坊で、たまに抱っこをせがんで来たこと。

「それが幼い子どもみたいでね、綺麗な女性が可愛い女性にもなるなんて、お得なお嬢様だなぁって思っていたんだよ。でもそのことを言うと睨みつけるんだ、お父さんの膝の上でね。それがまた、可愛かったなぁ。チヨと同じくらい可愛かった」と父は照れ臭そうに言うのだ。そして、「抱きしめたお母さんの身体がね、チヨみたいに、とても暖かくって気持ちが落ち着くんだよ」と私を抱きしめてくれる。そうやって父は、私にたくさんお話をしてくれた。絵本を読んでいるときのように、楽しそうに、母のことを優しく語って聞かせてくれた。

 それでも、最後はいつも微笑みのしわが刻まれた頬に、涙が伝っていたのを、幼い私は父のひざの上で見上げながら、不思議に思っていた。涙というのは怒ったとき、悲しいときに流れるものだと思っていたからだ。なのに、母のことを話している父はとても幸せそうだった。だから、なぜ悲しいときに流す涙を流すのだろうか、とわからなかった。

 

 手袋は茶色の紙の包装紙にぴったりと包まれて、赤いリボンで結ばれていた。それをいつだったか、父から貰ったのだ。お店で見つけた私が欲しかった手袋ではなかったけれど、とても気に入ったことを覚えている。私の手にぴったりだった。とても嬉しかった。ただただ嬉しかった。なにをそんなに嬉しかったのか、なぜそんなに手袋が欲しかったのかはわからない。友達が皆していたから、私も欲しくなったのだろうか。そのころの記憶はあやふやで、思い出せない。

 けれど、父に抱き寄せられたときのような温もりを感じられた、それを着けている間は。そのことだけはいまでも鮮明に思い出せる。そのことだけが、唯一色褪せない、幼い私から引き継いだ想いだった。


 先日、父の一回忌が終わった。四十三歳での他界だった。

 葬式の時も、通夜の時も、若すぎる、と親戚の方たちは悲しんでくれた。友人の方たちも、見送りに来てくださった。父はこんなにも慕われていた。そのことに私はちっとも気がつかなかった。

 いつも家には父がいてくれた。仕事が遅くなることなんて滅多になかった。けれど、私が寝付いてからも、家で仕事をしていたことは知っていたし、作業場所の融通が利くような仕事を選ぶために、いくつも仕事場を転々としていたことも、私を寂しがらせないようにと自由な時間をすべて私のために使ってくれていたことも、小学校へ入学したころには理解していた。父の笑顔が見たくて、精一杯甘えた。純粋な子どもでいようと、良い子でいようと。その都度父は、頭を撫でてくれた。褒めてくれた。

 けれど、家計は貧しかったようだ。私を保育所へ入れるために、お金を使い、収入が少なくとも残業のない仕事を選んでいた父には、その頃、お金がなかったという。父が死んでから、私は親戚の方たちからそう聞いた。

 母の妹である、私にとっての叔母さんはその頃に、「お金を貸しましょうか?」と申し出て下さったそうだが、「やれる所まで、自分でやってみます、そうでないと、あいつに顔向けできません」と言って断られたという。

「『でも、もしも本当に困ったときには、是非貸していただければと』そう言って頭を下げられたよ、頑張り屋さんなんだよねぇ本当に……姉が選んだ人なだけはあるよ」と叔母さんは瞳を滲ませながら口元を緩めて話してくれた。

 そうなのだ、父はそういった人間だった。貧しいなんてこれまでこれっぽっちも思わなかった。決して広いとはいえない家も、父の存在を身近に感じられる素敵な家だと思っていたし、父が作ってくれる料理も、美味しかった。だから外食なんて滅多に行かなかったけれど、そんなのよりも、父のシチューや鯖の味噌煮、グラタンや、焼きたてのパンのほうがご馳走だった。

 そういえば、小学校に上がって、パンや麺は買うものだ、と私はそのときに初めて知った。いつも父が小麦粉を捏ねて作ってくれていたから。私も、粘土遊びのように、形を一緒に作ったりしていた。楽しかった。だからTVゲームなんてなくたって、一向に構わなかったし、欲しいとも思わなかった。けれど父は、私が遠慮しているのではないか、と心配をして、「今の子どもたちの間ではどんなゲームが流行っているか教えてくれ」と友人である高橋さんに聞いていたようだ。そのことも、父の通夜の際に、高橋さん本人から聞いた。

 皆、お酒を飲みながら笑っていた。寂しそうに笑っていた。父との思い出話をいくつも聞いた。その話には必ず私が出てきた。

「チヨちゃんの話ばかりで、正直嫉妬したなあ」同じ仕事場だった岬さんが、天井を仰ぎ見て呟いていた。私も天井を見上げた。そこには父が私のためにと貼り付けてくれた、夜になると光る星形のワッペンがいくつも、くっついたままだった。未だに、微かな光を放って。

 涙が流れた。父が死んでから初めてだった。今まで、泣けなかった。今も生きているように思うのだ、父が。死んでいるなんて思えなかった。それは眠っているように、箱の中に納まっている父を見ても変わらなかった。なのに、皆が話す、私の知らない父の話を聞いているだけで、涙が溢れてくる。私の顔は微笑んでいるのに、涙が、止まらない。頬を伝うのを、止めてくれない。笑顔で見送りたかったのに……。


 近々、私の新しい家族が引っ越してくるので、家を片づけていた。この家にはすでに、私以外の人間が私と共に住んでいる。まだ会えぬ愛しい人。そこに、その愛おしい人を授けてくれた人が引っ越してくる。これからは一緒に過ごすのだ、三人一緒に。父にはまだ、紹介していなかった。この子だって、もう……見せることができない。それだけが、心残り。

 父の部屋はきっと、生まれてくるこの子の部屋になる。だから、そのままにしておいた父の遺品も良い機会だったので、すべて整理しようと思い立った。父が仕舞っていた幾つかのダンボールの中に、子どものイタズラ描きのされているダンボールがあった。私はそれを押入れから引き出して、開けてみた。大事そうに包装された紙包みが入っていた。

 紙に包まれていたのは、私が書いた父の似顔絵や、誕生日のときに渡した手紙など、懐かしいものばかり。「チヨが結婚したときに残りは使うんだ」と一度しか使ってくれなかった父の日にあげた肩たたき券も、それらは綺麗にフィルムへ挟まれていた。全部が全部、当時のままだった。なのに、フィルムだけがよれて、汚れている。何度も取り出して眺めていたのだろうか。自然に笑みがこぼれる。

 その中に一つだけ、厚みのある紙包みがあった。

 手にとって中身をあけてみる。

 小さな、小さな手袋。

 あの手袋だ。

 けれどこれは、記憶にあるのとは少し違っている。

 売り物になんて決してなりそうもない、歪な形の手袋だった。表面の動物らしき刺繍も、言われなければ、それがなんであるかはわからないような造形で、使い古されて所々ほつれていたが、それとは関係なく、歪な手袋だった。

 そうだ、思いだした。これは買ってもらったわけじゃ、ない。

 当時、幼稚園では皆がお母さんから手袋や帽子、セーターを編んでもらっていた。それが羨ましかった。純粋に、いいなぁと思っただけだった。もちろんそれを私は父に話した。幼稚園での出来事や、思ったことを話すと、優しい顔をしてくれるからだ。

 でも、父はきっと悩んだだろう。母のいない私が寂しがっている、そう思ったかもしれない。けれど私はそんなことを考えもしていなかった。皆が持っている、というだけの理由で欲しかったのだ。それがたとえ、車に轢かれて潰れて干からびたカエルのミイラであっても、私はいいなぁと思っただろう。その程度の願望だったに違いない。

 だが、今なら想像できる。父の困っている表情が、思い悩んでいる様子が。母のいない私がそのことで、他の子と同じような体験ができないことを酷く恐れていたようだ。そんな節が今までにも見受けられた。

 お弁当に、お友達と交換するように、と手作りのコロッケと、キャラクターの形に焼いた甘い卵焼きを必ず入れてくれた父。

 夜中に、寝ている私の頭を撫でていた父。そのときたまに、「ごめんね」と呟いていた父。

 授業参観には必ず来てくれた父。

 運動会ではいつも私たち生徒よりも意気込んで、応援してくれていた父。それは、少し恥ずかしかったなぁ。その時のお弁当はいつも張り切りすぎて、余るから、隣のお母さんたちへおすそ分けしていたっけ。いま考えれば、それも父なりの配慮だったのかもしれない。

 煩わしかったこともなかったわけではないが、そんな父が私は大好きだった。今だってこれからも大好きなことは変わらない。変えることなど、もうできはしないのだ。

 その大好きな父が、不器用ながらにも、編んでくれた、手袋。 

 仕事と家事と育児の合間で、精一杯編んでくれた手袋。

 当時の私は気が付いていただろうか。

 その愛情に応えてあげられていただろうか。

 気が付いたら、手袋に染み込んでいた。

 ――滴り落ちた雫。

 歪なクマが泣いていた。

 隣でうさぎが微笑んでいる。

 両手でそっと握り、お腹へ静かに抱き寄せた。

 あの頃の温もりがまだ、手袋には、残っている。

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