【浮かぶ星は月】

第85話

【浮かぶ星は月】


 リリはロドの横に寝転び、夜に散りばめられた星空を眺めていた。その先に、楕円に欠けた月が輝いている。静かな夜だった。星たちの瞬きの音まで聞こえてきそうなほどに、静かな、とても静かな、夜だった。

「私ね、月とか星とかって、空に穴が空いているものだとばかり思ってたの」リリはポツリと呟いた。

「あーわかるよ」ロドは相槌を打つ。「小さい時とかはよく、逃げても逃げてもお月さまが追っかけてくるよーとか思ったよね」

「そうそう。なんだ、ロドも同じこと考えていたのね。ジェイクたちも昔、同じことを言っていたわ」

「子どもの時ってみんな感性が似てるのかなぁ?」

「知識がない分、発想の幅が限られるんじゃないかしら?」

「だったら今だって僕らはそうそう違わないんじゃないかなぁ」

「あら、どういう意味?」リリは首を横にして、ロドへ声を向ける。その声の大きさの変質で、この暗闇の中、彼女のことが見えなくとも、リリの微妙な動作は認識できた。

「どうもこうも、そういう意味だよ」ロドは優しく口にした。口元が緩む。

「私とロドが馬鹿だってこと?」

「ううん。僕とリリは似てるってこと」

「知識がないところとか?」

「そうそう」

「それって馬鹿ってことにならない?」

「あ、やっぱりそうなるかぁ」ロドは声を出して笑う。その振動が、身体に響く。「でも、自分たちが馬鹿であると、そう自覚しているくらいには頭がいいと思うんだよね、僕たちは」

「もう」リリが頬を膨らますのがわかった。「全く全然これぽっちだって似てないわ、私とあなた。頭がいい人は、こんなところで寝そべってたりなんてしないもの」

「あ、そういうこと言っちゃうの?」

「ええ、思ったことは包み隠さず言うことにしたの。だって、仮に私とロドが似ていたとしても、私とロドは違うんだもの。似ているということは、つまり、違う、ということでしょ?」

「まぁ、そうなるけど、似ているということは、幸せな気持ちとか、楽しい気持ち、悲しい気持ちだって、沢山のことを分かち合えるってことだよ」

「だったら、尚更思ったことを正直に話すわ。だって、ロドとなら分かち合えるのでしょ?私たち、似ているのだもの」

「認めるのか、否定するのか、どっちかにしてくれよ」ロドは苦笑する。

「ええ、私も今、そう思っていたところよ。ということは、やっぱり、私たちは似ているのね」

「似ているのさ」きっと、似ているからこそ、僕らは惹かれあったんだ。

 暗闇で、彼女の顔はハッキリと見えない。しかし、ロドには彼女の顔が見える気がした。長年見続けてきた、彼女なのだから。

 ロドは「そういえばさ」、と思い出したかのように「どうして星の中で、月だけがあんなに奇麗なんだろうね」と空に浮かぶ月を見詰めた。眩しく感じる。

 それは…と考えてからリリは、頭上に豆電球を浮かべたように、そうだわ、と声を発した。「そうだわ、あんなに大きいんだもの。星だって奇麗でしょ? 月はそれの何倍も大きいから、正比例するように美しさも増えているのよ」

「なるほどね」それは違うとわかっていても、彼女の考えに素直に感心した。ロドは続けて問う。「じゃあさ、どうしてあんなに鮮やかなんだろ? 星はみんな同じ色じゃない?」

「小さいから色の区別が付かないだけじゃないかしら? もしかしたら、虹色の星とか、真っ赤な星とかだってあるのかもしれないわ」

「ああそうか。ならさ、真っ黒な星とかもあるのかもしれないね。もし真っ黒な星があったら、夜の闇に紛れちゃって、僕たちからは見えないよね」

「本当。真っ黒色に輝いていたら見えないね。でも、真っ黒な星だってきっとあると思うわ。多分、とっても食いしん坊のお星さまよ」

 意気揚々と話す彼女は見た目以上に幼く、そして、可愛らしく思えた。

「どうしてそう思うの?」ロドがそう尋ねると、彼女は、だって、と得意げに答えた。「だって、黒いってことは、光を反射もしないし、発しもしないってことでしょ? 明かりとか、周りで輝いている他の星さまたちを食べちゃってるのよ、きっと」


「うん、それは面白い考えだ」ロドが感心すると、「でしょ?」とリリはにっこり微笑んだ。彼女の可愛らしい歯が一瞬、暗闇に瞬いて見えた。それを見てロドは、「もしかしたら星というのは、天使が微笑んでいるから見える、天使たちの歯ではないのだろうか」と想像した。しかしすぐに、なわけないよな、と否定した。こんなに自分がロマンチストだとは思わなかった、と自分を微笑ましく思う。この状況がそうさせているのだろう、と自己分析して、納得した。

「あ、でもでも、どうして月はあんなにも青いのかしら?」リリが月を指差す。

「緑色も混ざってるよ」

「あと白も」

「白? あれはシルバーだよ」

「それは違うわ、透き通ったブルーの下地に、ホワイトが乗っているでしょ? ほら、どう見たって純白だわ」

「そうか、あれは純白か。まぁ、シルバーでもホワイトでも、奇麗なことには変わりないよね」

 そうね、とリリは首肯した。「この星も、あれくらい奇麗だったらよかったのにね」

「昔は奇麗だったさ」そう、三年前までは。

 寂しい風が吹く。

「月くらい奇麗だったらよかったね、私たちも」

「『私たち』ってなんだよ『たち』って」

「そっか、私はもう奇麗だから、『ロドだけ』だね」

「………」

「へへ、うそうそ、ロドは可愛いよ」

「カッコいいって言ってよ。んでもって、自分は奇麗だときたもんだ」

「ええ、だって私が奇麗なのは事実でしょ?」飄々とそう口にしたリリへ、「まぁ、確かに見た目はそうだけど」と、茶化すようにロドは言った。

「ん、見た目だけ?」リリは声を太くする。「中身は?私の中身が汚いとでも言うの?」

 ほらね、からかいがいのある反応。ロドは声を殺して笑った。

「いやいや、リリの心は優しく澄みきっていて、しかも、この空よりも広い。それは、奇麗だとかそういった言葉では表せない代物なのさ」

「ロドは私のこと、なんでもわかってるのね」彼女は満足した様に声を弾ませる。「以心伝心ってやつかしら?」

 思考駄々漏れのほうがしっくりくるな。ロドは微笑みながら、声に出さず、思った。


 リリは、ロドの腕に、本日三度目の注射を施していた。明かりは、月光以外にない。手探りで注射の準備をし、慎重に血管を確かめ、そこに注射針を指す。そんな彼女の集中を乱さないようにロドは黙って、目の前にぼんやりと浮かぶ彼女の影を見守っていた。

「いつか、あの月に居住できたらいいのにね」

 緊張が解けたことを示すリリの溜息が聞こえてから、ロドは言った。がさごそ、と彼女が注射器を仕舞っている音が暗闇に響く。

「そうね、きっとできるわ。だって、あんなにも奇麗なんですもの」水でも飲んでいたのか、彼女の喉が鳴るのが聞こえた。

「うん。その時は一緒にだよ?」

「当たり前じゃない。寂しいこと言わないで」リリはまたロドの横に寝そべる。彼女の髪が風に棚引き、ロドの頬をくすぐった。

「僕が連れていってあげられれば良かったのに」

「そうね。でも、今からだって遅くはないわ。いつまでだって待ってるから、私を月へ連れてって」

 歯を噛みしめて、堪える。急に襲ってくる恐怖を、現実を。別れたくなどない。

 そんなことなど無理だってことは分かっている。彼女だってそのことは痛いほど理解している。だからこそ、彼女のその優しさが嬉しかった。

「ねぇリリ?」ロドは彼女の横顔を暗闇越しに見詰める。ぼんやりとリリの顔の輪郭が模られて見える。彼女の瞳が、月明かりに照らされて、微かに輝きを放っていた。

「なぁに、ロド?」リリも横を向き、ロドへ視線を向けた。そこへあるはずの彼の瞳を見つめ返す。

 視線を逸らすことなく、ロドは言う。

「大好きだよ」

「知ってるわ」リリは即答する。

「ええ、それだけなの?」ロドは眉を顰める。「僕には言ってくれないの?」

「だって私、ロドのこと大好きじゃないもの」表情を変えずにリリは淡々と答えた。

ロドの表情が曇る。「冗談だとしても…それは酷いよ……」彼女の瞳から、視線を外し、月へと合わせる。

 リリは悪戯に微笑み、「大好きじゃないの、だってロドのことは愛しているんだもの、ずっとずっと愛しているの。そんなこと、言わなくたってわかっているでしょ?」右手を伸ばして、ロドの手を握った。それから付け足すように「なんてったって私、思考駄々漏れなんですからね」と続けた。

「うん、うん」瞳に涙が滲んだ。彼女の手を強く握り返す。「知ってる、知ってたよ。もちろんさ、僕だって愛してる」きっと自分は今、情けない顔だ。それを見られたくなくて、ロドは反対の暗闇へ顔を背けた。

 リリは半身を起して、ロドの顔を覗き込み「大好きじゃなくて?」と囁く。彼女の髪が垂れる。その髪を束ねる様に彼女の首へ両手を回し、「大好き、プラス、愛してる」と、恥ずかしそうロドは答えた。

「なら私は、愛してる、カケル大好きよ、ロド」

「うん、知ってる」ロドはハニカミながら「ありがとう」のキスをした。


「ああ、本当に奇麗ね」

「でも、リリほどじゃないよ」

「ええ、知っているわ」当然でしょ?とリリは即座に返した。

「謙遜くらいしなよ」とロドが揶揄すると、彼女は「いやよ、本当のことだもの」と口元を一文字に結んだ。それを聞いてロドはまたも噴き出す。

「イテテテ……ああ、もう笑わさないでくれよ、傷口に響く。それにしてもリリは自意識過剰だなぁ、自信家とも言うけど」

「…失礼ね、笑うことないでしょ?」それからリリは小さく溜息を吐くと恥ずかしそうに、だって、と弁解し始めた。「だって、私よりも奇麗だなんてロドが言ったら、私、月にだって嫉妬してしまうもの。月と勝負したって、勝ち目がないじゃない?だから、こう思わずにはいられないの」

「そっか。ならしばらくの間、嫉妬しててもらおっかな」ロドは悪戯な歯を暗闇に浮かべた。

「どうして、酷いわ」

「だって、リリの困った顔、とっても可愛いんだもん。意地悪したくなっちゃう」

むう、とリリがむくれる。「ロドのバカ」

「うん、僕はバカだ。リリ、君と似ているからね」

「それにしては私を敬う愛情がロドには足りないわ。私からあなたへの愛はもっと深いのよ?」

 同感だ。彼女の愛はこの星空を包み込むほどに深い。「ねぇ、リリ?」ロドは呼びかける。

「なぁに?」リリは甘い声で答えた。

「ずっと一緒に、いてくれる?」あと少しの間だけでいいから。君の全てを僕に注いでほしいんだ。こんな我儘、罰が当たるかな?

「もちろんよ」何言っているの?とリリは僕に抱きつく。「でもその代わり」耳元で彼女は囁いた。そう言い淀んだっきり、リリは黙った。

「なに?何でも言って」とロドは話の続きを促した。僕も君の全てを受け入れるから。見上げた月にそう、誓った。

 風音が止むのを待っていたかのように、リリは願いを打ち明けた。無音が夜を覆った中で。

「私と一緒に、死んでくれる?」

 ロドは胸が熱くなった。込み上げる感情を抑え込もうとすると、追い込まれたその感情が涙となって零れ落ちそうになる。「ああ。死ぬ時も、僕らは一緒だ。死んだ後も、ずっとずっと、一緒さ」

「良かった」リリは安堵の口づけをする。唇を離して、にっこりほほ笑みながら囁く。「私、さっき飲んだの…お薬」

「……そっか。あと、時間はどのくらい?」

「ロド、あなたの麻酔が切れる方が先よ。血も止まらなくなるわ。後から私も行くから安心して」

「駄目だ」ロドは声を荒げる。「一緒だって誓ったばかりじゃないか、君を一人残してはいけないよ」

「ロド、本当はもう、とっくに切れているのでしょう?汗が凄いわ。これ以上、苦しめたくないの、苦しんでいるあなたを見ていたくないのよ……」

「僕はまだ大丈夫だよ。痛みなんかよりも、少しでも長く、君と一緒にいたいんだ。苦しみなんか、君の笑顔を見られれば、消え失せてしまうから。麻酔いらずなんて、君は本当に素敵だな」左手で彼女の手を握ったまま、「だからリリ、涙を拭いて」と右手を伸ばし、リリの顔に触れる。「僕にその愛おしい笑顔を見せて、いい子だから、ね?」震える手で、彼女の髪を、頬を、唇を、涙を、優しく撫でた。リリの頬に、可愛らしい笑窪が空くのを、指で感じた。

「うん」リリは覆いかぶさるように、ロドへ抱きつく。「ずっと一緒だよ」

 縋りついたロドの腹には、崩れた瓦礫が彼の身体を真っ二つに分断していた。

 ロドへ投与していた麻酔も薬も、三時間前に底をついた。薬と麻酔がなくては、ロドは怪我の痛さで苦しみもがいて、死を待つだけ。そんなこと、リリには堪えられなかった。愛する者が苦しんでいるにも拘らず、自分は見守ることしかできない。

 リリは考え抜いた挙句、一時間前に決心した。彼と共に旅立つことを。


 三日前。地表を襲った大型台風。二人の家は二人を飲み込んだままで、音を立てて崩れた。その際、ロドが身をていしてリリを庇い、彼の半身は瓦礫によって潰された。重症だった。

 助けは遂に来なかった。それもそのはず。半径百キロ圏内の地上に残っている人間は、彼女たち二人だけだったからだ。二年前にこの星を直撃した隕石の影響で、地上の気候は激変した。今回の大型台風も、その異常気象によるものだった。大半の人間は、地下へと移住していた。

 地下都市への入り口も、ここからは遥か遠く、救援のシグナルを送るはずの連絡網も、台風の被害によって断たれていた。


 この三日間、二人は一時も離れなかった。相手の全てを認め合いたかったから。

 声には出さずとも、二人は悟っていた。別れの時が、そう遠くないだろうことを。二人は示し合わせたかのように、努めて明るく振舞った。以前と変わらぬ日常を演じた。昔の思い出を語り、時に喧嘩し、未来への夢や憧れを、子どものように言いあった。そうすることで、別れが迫っていることを必死に忘れようとした。


「ねぇ、ロド? もしもあの月に人間が住むことができたら、私たちの子どものそのまた子どもたちが、空に浮かぶこの星を見て、なんて言うのかしら? 奇麗だ、と言ってくれるかしら?」

「そうだなぁ、きっとこの星はとても奇麗に輝いて見えているんじゃないかな。だから彼らも、奇麗だ、と呟くに決まっているよ。きっと、あっちからしたら、この星が月なんだから、僕たちと変わらずに、『今日も月は奇麗だな』って、皆揃って思うんだ」

「素敵ね、私たちを見上げて奇麗だ、なんて」

「別に君を見て言う訳じゃないんだよ?」ロドはからかう。

「あら、違うのかしら?」リリは真剣な声で答える。

 期待通りの彼女の反応。ロドは可笑しさを抱きながら、満足げに「いや、ごめんごめん」と謝罪してから、そうだね、と首肯した。「そうだね、君がいるからこそ、奇麗だって思うんだね、こっちを見上げている人間たちは」

「ロド、ありがとう」リリは優しくロドの顔に触れた。「この星が月と呼ばれる日が来るといいわね」

「そうだね」ロドはそのか細くガラス細工のような彼女の手をとって、壊れてしまいそうなほど強く握った。

 それから二人は寄り添うように抱き合って、共に、同じ夜空を見詰め合った。

 最後の時間。

 二人の間に言葉はなかった。

 あるのは、相手を愛おしいと思う安らぎと、新たな旅立ちへの期待だけであった。

 ただ抱き合い、ただ手を繋ぎ、ただ温もりを感じ合った。

 互いの存在を、その想いを、手探りで、刻み込むように確認し合った。

 共に旅立つ直前まで、静かに、二人は。

 それは、天使たちの囁きが聞こえてきそうなほどに、穏やかで、とても清らかな、夜だった。

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