【漂白アウトロー】

第84話

【漂白アウトロー】


 街中の商店街前にある十字路。今日もここで僕は、道を行き交う人々や車を遠巻きに眺めている。人や車だけじゃなく、空を舞う小鳥や、街路樹の草むらに身を隠す猫、鼻を地面に擦りつけながらリードを引っ張る散歩中の犬。それらを不規則かつ不定期にぼんやりと視界に入れつつ僕は、信号機から少し離れたベンチに腰かけていた。

 最初の頃は、人間観察と称して、真剣に視線を人込みへ向けていた。洒落ているような気がしたんだ、人間観察が。けれど、それもすぐに飽きた。だって、どれもこれも同じ人間ばかりだ。いや、幾つか種類があるのだけれど、僕が把握できるくらいには同じ、ということ。

 大体三種類だ。

 他人に理想の自分を見せようと一生懸命になっている者。

 それから、現実を歩いていながら、頭の中の空想世界に浸っている者。

 最後に、この世界は最悪だ、と頑なに信じて、周囲を蔑んでいる者。

 この三種類。だが、いずれにも共通していることは、皆必死になっているということだ。必死に着飾り、必死に目を逸らし、必死に嘆いている。虚栄に盲目に悲観だ。それ以外の人間を未だ僕は見たことがない。きっと、人込みに身を置くと、どんな人間も、こうなってしまうのだ。そのことが解ってから僕は、人間観察には興味が無くなってしまった。

 僕は、すぐ目の前の歩道に視線を落とし俯いていた。僕へ目を留めずに過ぎ去っていく足たちを眺めていたんだ。

「ちょっとそこのあなた」

 ぼやけた視界に意識を集めると、誰かの足が僕の前で止まっていた。僕は顔を上げる。制服を着た女子高生が立っていた。どこの学校の制服かは判別できないが、街中では割とよく見かけるものだった。

 僕の意識が外へ向き終わる前に、彼女は言った。

「私と勝負しない?」

 随分と不躾な提案だな。それに、唐突でもある。そんな彼女の相手にさせられる可哀想な人間は誰だ、と興味本位で僕は後ろを振り向いた。が、そこには街灯の柱、そのすぐ後ろには店の外壁が続いているだけで、誰もいなかった。とどのつまり、可哀想なのは僕だった。

 彼女は僕に話しかけていたのだ。もう一度彼女に視線を向ける。今度は観察するように。一見すれば彼女はどこにでもいる、一般的な女子高生に見えた。一般的とは、要するに模範的ということだ。髪は肩に掛かる位長く、墨のように黒い。背は一六〇センチないだろう。制服もスカートは短めだが、着崩してはいない。清楚な少女、と形容するのが妥当に思える。が、口ぶりや、常識はずれな言動、そして僕の様なものに声を掛けている時点で、清楚でも、一般的でもない。

 彼女は未だ僕を鋭く見据えている。いや、見下ろしている。仕方なく僕は答えた。

「どこで?」彼女の為に場所を移動する気は、さらさらなかった。

「どこでですって?」彼女は、自分の方が幾分怪しいくせして、僕の返答を訝しがった。「おかしなことを言うのねあなた。こういう場合は、どうして?または、なにで?と聞くのが普通よ」

 普通でいることに、一体どんな意味がある。僕はそう思ったけれど、口にはしなかった。代わりに「どこで勝負をするのか、そのことが勝負を受けるか否か、の判断基準だからさ、僕にとってはね」と答えた。

「ああ、なるほどね」彼女は納得を示した。それから、そうねぇ、と考えて「ならここでいいわ。ここで勝負しましょう」と、さも自分が仕方なく妥協したように肩を竦めた。無駄に偉そうな女だ、と僕は彼女を評価する。

 彼女の後ろの人込みに視線を向けた。幾人かの者は、僕らを奇怪なものを見る様に通り過ぎていく。いや、「僕ら」ではなく「彼女を」だ。僕のようなものに話しかけている彼女を、心配しているのだろう。だが彼女は、そんな周囲の視線を気に留めることはなかった。もちろん、彼女は僕と向かい合っているので、周囲の怪訝な雰囲気を直接的に視認することはないけれど、背中にその視線たちを感じることはできるだろう。そのくらい、顕著に視線を向けられていたのだ。だが、彼女は一向に気にする素振りはみせなかった。

「ところで僕らはどうして勝負するんだ? なぜ?」僕は当然の疑問を呟く。

「負けた方が相手の言うことをなんでも聞くこと。それが勝負の条件だからよ」彼女は淡々と答えた。

「何でも?」というより、質問の答えになっていない。が、話が進まなそうなので、指摘しなかった。

「ええ、何でもよ。例えば、あなたが私に『死ね』と言えば、私は死ぬし、あなたが『君の全てが欲しい』と言えば、『死んだ方がましだ』位の嫌悪と屈辱感を抱きながらも、私はあなたのものになるわ」正し、と彼女は強調し念を入れて続けた。「正し、あなたが私との勝負に勝ったらの話ですけど」

「つまり、僕が負ければ、逆もあり得る、ということか?」

「ええ、そうね。ただ安心して。私があなたに、『死ね』なんて下らない命令や、『あなたが欲しい』なんて珍妙奇天烈なお願いをすることは、まずないでしょうから」

 ああ、そうですか。ご忠告ありがとうございます。僕は頭を掻く。「そうすると話は別だ。さっき僕は勝負を受けるかどうかの判断基準を『どこで勝負を行うか』、で決めると言ったが、この勝負がそんな大きな賭けになるのだとしたら、判断基準も大きく変わる」

「なら勝負を受けないということかしら? 仮に勝負を断るというのなら、あなたは私に代償を、払わなければならなくなるわね」

「なぜ? ていうか何をだ」

「理由は既に言ったわ、勝負を断るからよ。代償はそうね、私の言うことを何でもきく、って言うのはどうかしら? もちろん、きくというのは、叶えるということ、つまり、私の命令に従うということよ。ものすごく頭の悪そうな誰かさんに配慮して、誤解のないように説明してあげたわ」

 なんだそれは。僕は眉を顰める。まるで、理不尽極まりない、の見本ではないか。

 けれど僕は、彼女の偉そうな説明に対して、「ありがとう」とぶっきらぼうに礼を言った。飽くまで僕は紳士的に、謙虚に接する。謙虚に接しながらも、「でもそれって、要するに、勝負を受けるのと同じことじゃないか」と彼女の言動が理不尽であることを、指摘した。

「全然違うわよ」何を言っているの、この脳なしは、と彼女は僕を見下したような目をした。「勝負を断ったら、無条件で私の命に従うのよ?勝負をすれば、あなたにも私を従わせるチャンスができる。地上と深海ほどの環境差があるわ」彼女は飄々と言った。しかし、どちらにしても、理不尽な提案であることに、変わりはない。またもや、返答になっていない返答を、彼女はした。

 退屈凌ぎに調度いいな、と僕は彼女の理不尽な提案もとより勝負を、受け入れることにした。

「そうそう、なにで勝負をするんだ?」僕は思いついたように尋ねた。

「やっぱり聞くんじゃない。だったら最初に言いなさいよ、私があなたと過ごしたこの無駄な数分を返してほしいわね。現金で返してくれてもいいわ、お金に換算したら、数億は下らないけれど。下らない時間なだけにね」彼女は顔色一つ変えずに、つまらないことを言った。紳士的な僕は、鼻で笑ってあげた。

「まぁ、いいわ。勝負と言っても、場所がここなのだから、ここでできることよね。何ができるかしら?」

 だから僕はそれを聞いているのだ。

「わかった、なら単純に、ステゴロなんてどうかしら?」

「はぁ?」僕は呆れる。

「あら、知らないの、ステゴロ?二人が向かい合って、相手を殴ったり、蹴ったり、または投げ飛ばしたり、とにかく武器を使わずに、相手に死を体感させた方が勝ち、というゲームよ。もちろん殺さずにね」

 違うだろ。百歩譲って、ゲームではない。

「言い換えれば、喧嘩だろ?」言い換えなくても喧嘩であるが、彼女は何か勘違いをしていると思った。ステゴロは、漢字で書けば、「素手喧嘩」だ。

 にも拘らず、「そんな、邪見なものではないわ」と彼女は否定した。「ただ、まぁ、そうね、そう表しても、大きな祖語はなさそう。脳みそのないあなたのような方には適切な表現かもしれないわ」

「もしかしてもしかすると、君は僕を馬鹿にしているのか?」彼女は僕をからかっているのか、本気で彼女が話しているのかの区別を付ける自信が無くなってきた。

「あらそんな……あなたのような脳みそのない方に、私の意図が読まれるなんて、もしかしてあなた、馬鹿と天才の境界線を、紙一重プラス六の二十二乗で超えていない希少な存在なのでは?」

「それってつまりただの馬鹿じゃん」むしろ、究極の馬鹿に近いかもしれない。

「あら、本当だわ。あなた、ただの馬鹿だったのね」

 完璧におちょくられていたようだ。

 あぁ、こいつは偉そうなのではない、人を見下しているのだ、と僕は彼女を理解した。「偉そう」と「見下す」の違いは、自分を大きく見せるか、相手を小さく見せるかの違いだが、彼女は、自分が偉いのは当然で、なおかつ僕を不当に低く評価しているようなのだ。意図的であることに、悪意を感じる。彼女をこのように分析しただけで、僕は彼女の八割を理解できた気持ちになった。もう充分です、御引き取りください、という気分に。何事も、腹八分目がベストだ。

「ゴングはあるのかな?」拳を鳴らしながら、僕は立ちあがる。今は僕が彼女を見下ろしている。長くベンチに座っていたせいで、お尻が平らになっているような感じがした。

「ステゴロは競技ではないわ。ゴングなどという親切なものがあると本気で思っているのかしら? 親切とはつまり、お前は軟弱だ、と言われているに等しいことよ」

「どう思われようと、僕の本質が強靭であるなら、親切にされた方がいいけど」

「残念ながらあなたは軟弱よ。その証拠に、ほら、ゴングが用意してあるわ」

「どこにだ?」

 彼女はコンマ三秒で身を捩じり、槍のごとく中段蹴りを放った。それは間抜けなほど無防備な僕の横をかすって、後ろの街灯を直撃した。除夜の鐘のような、低い効果音が街中に響き渡る。一斉に人々の視線が集まった。訓練したってこうも揃って同一の方向に同時に首を捻ることはできないだろう。彼女の先制攻撃に対して、瞬きはおろか、身動き一つ取れなかった自分に冷や汗を滲ませつつも僕は、彼女と彼女を取り巻く街の人々に感心した。

「さぁ、ゴングは鳴ったわよ」彼女は僕に初めて笑顔を見せてくれた。最初にその笑顔を見せていてくれたなら、僕は彼女を、天使の付き人くらいに可愛いな、と評価したことだろう。だが今は、その彼女の微笑が恐ろしかった。案の定、三秒後の僕は、鼻を押さえ、蹲り、片手を上げて、「勘弁してください、降参です」と無言で強く念じていた。なんとも情けない姿だ。

「他愛もないわね」彼女に、僕の悲痛な叫びは伝わったようだ。彼女にも人の気持ちを理解できる素直さが備わっていてくれて、本当によかった、ありがとう、と僕は初めて他人に理不尽な感謝をした。

「さぁ、契約通り、私の言うことをなんでも聞くのよ」

「何をすればいいんだ?奴隷にでもなればいいのかい?」僕は安全を確認しながら、顔を上げる。立ち上がる気力はまだ戻っていない。

「冗談じゃないわ、なぜ私がわざわざ罰をうけるというの? あなたのようなものを奴隷にするなんて、まったく冗談じゃないわ」冗談でも言いたくないわね、と彼女は同じことを更に何回か続けて言った。僕にはまだ、言い返す気力は残っていない。けれどその間に、立ち上がる気力は戻ってきた。僕は彼女との間合いを空ける様に、立ち上がった。

「わかった、わかったからさ、僕の利用価値の無さは十分に分かったからさ、で、結局僕は何をすればいい?」

 はぁ、と彼女はわざとらしく深い溜息を吐いた。「全然まったく毛ほどもわかってないのね。あなたに無いのは利用価値じゃないわ、存在価値よ。」彼女は元々冷たかった口調の温度を氷点下まで下げて、だから、と続けた。「だから、さっさと・・・成仏なさい」

「あぁ、なんだ。知っていたのか」僕はおどける様に口にした。きっと、彼女の冷たいセリフに自己防衛が働いたのだ。凍えないように。「だったら場所を移動するべきだったな。君以外の人間には僕の姿は見えていないよ。周りの奴らから見たら、君は気の触れた変人だ」

「だから何?もしかしてあなた、私のことを心配しちゃってくれたのかしら? でもね、その心配はお門違いよ。私にとってはあなたが見えることが事実なのだから。それが他者と共有しえない現象であったとしても、なぜ私がそのことを隠すように振舞わなければならないの? そうやって、自分に理解できないことは奇異である、と思い込むことで、自己の安定を図ろうとしているのね。でもそれは、多くの者が認識していることが正しいという下賤な考えが根本にあるからだわ。きっとあなたの様な脳みその無くなった人は自覚してないでしょうけれど」

 彼女の言葉を聞いて、何も言えなくなってしまった。全てが漂白されたような、そんな干したてのシーツのような清々しさが漂っていた。どこに?きっと、彼女の言葉の中に。そして、僕の内に。

「約束だから、成仏はしよう。でも僕はやり方を知らない。どうやったら成仏できるのかを知らないんだ」本当に知らなかった。

「あら、簡単よ」

「どうすればいい」僕は大袈裟に肩を竦めてみせた。

 彼女は頬を緩め、僕の耳元に顔を寄せた。またも僕は微動だにできず、彼女の吐息を耳たぶに感じながら、彼女の唇に、耳を欹てた。

「生きている人間をね」

 彼女は優しく呟いて、教えてくれた。

「殺せばいいのよ」

 天使の付き人位に透き通った、風鈴のような涼しげな声だった。

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