【震える声は、ずれる。】

第80話

【震える声は、ずれる。】


「ヤヨイが美男子だったら、私は惚れていたかもね」

 涼ちゃんはそんな意地悪なことを言った。僕がどんなに格好良くたって、涼ちゃんは僕を異性として見るつもりはないのだ。そんなこと、僕にだってわかる。

「人は顔じゃないよ」僕はなんとか反論する。油断すれば、すぐにでも涙が零れ落ちてしまいそうだ。いやむしろ、意識し続けなければ止めどなく、情けなく、溢れてしまいそうだった。


 僕は昨日決意した。というよりも、気が付いたのだ。この数カ月間ずっと抱いていた違和感、その原因が彼女、出雲涼妃≪いずも・りょうひ≫であることを。

 出雲涼妃と僕は六つ違いだ。所謂ご近所さんで、幼馴染と呼ぶのが一般的とは思えないが、彼女を紹介する時に僕は、僕と彼女との関係をいつもそのように形容する。僕は彼女を「涼ちゃん」と呼び、彼女は僕を「ヤヨイ」と呼んだ。ちなみに僕の名前のどこにも「ヤヨイ」の文字は組み込まれていないし、そう読める文字も無かった。あだ名と言うにはまるで脈略の無い、出鱈目な愛称で彼女は僕を呼ぶのだった。

「うん、顔じゃない。でもさ、ヤヨイだって私の見た目が美人だったら、もっと早く好きになっていたでしょ? 器量がいいと、恋にハマる速度が速いんだね。人間は奇麗なものが好きだから。それが目に映るものほど好む習性がある。他人に見せびらかせるからだし、美しさを分かち合いたいからだね、きっと」

「涼ちゃんは美人だよ」僕はまたも反論する。油断すれば、すぐにでも鼻水を垂らしてしゃくりあげてしまう。涙はこの際もう、溢してしまっても致し方がない。僕はそう妥協して、涙腺に集中させていた力を抜いた。

 途端。

 滞ることのない涙が溢れ出た。

「ありがとう」涼ちゃんはそう言って、ハンカチを僕へ差し出した。

 彼女は優しいのだ。

 だから僕は、好きになった。

 だから僕は、今まで甘えていた。

 でも、僕はもう、彼女に甘えたくはない。

 これからは僕が、涼ちゃんを守る側になりたかったんだ。

 僕がハンカチを受け取らないから、涼ちゃんは無理くり僕の涙を拭った。その後で、鼻水も拭いてくれた。せっかく堪えていたのに、鼻水の奴は我慢し切れずひょっこりと出てきていた。

 格好悪い。

 なんて格好悪いのだろうか僕は。

 逃げ出したかった。でも、逃げ出さなかった。

 それだけが今の僕に残された、最大級の格好付けだったから。

 涼ちゃんはハンカチを僕の顔の上でばいばい、と手を振るように優しくスライドさせながら、でも、と口にした。「でも、私はヤヨイの彼女にはなれない。だってヤヨイは、私の大切な人だから。ヤヨイはまだ付き合ったことが無いから解らないかもしれないけれど、男女の仲になるとね、大切な人が、大切な人じゃなくなる時が来るんだよ。元に戻れなくなってしまう日が来るの」絶対にね、と言って涼ちゃんは儚そうに眉を顰めた。「付き合うっていうのはね、そういう期限をつくるってことなの。ヤヨイは私とずっと仲良くしていたいでしょ?」

 僕はなんとか頷く。どうして彼女がこんな悲しいことを言うのか、そのことの方が男女の仲よりも、僕には解らなかった。

「ありがとう」ハンカチを仕舞うと涼ちゃんは、僕の頭の上に手を置いてゆっくりと撫でてくれた。彼女の温もりの重さが感じられた。「私はヤヨイとはずっと仲良く、今のままでいたいんだ。それはさ、私がさ、ヤヨイのこと、大好きだからなんだよ? ごめんね、ヤヨイの気持ちはすっごく嬉しい。本当に嬉しいよ。でも、だからこそ私もさ、本気でヤヨイの想いに答えたんだ」

 解ってるよ。そんなことは解っている。涼ちゃんはいつだって本気だった。本気で僕を庇ってくれたし、本気で僕の味方でい続けてくれた。でも、それが僕には辛くなった。とても耐えられなくなった。

 僕は。

 僕は、涼ちゃんを守りたいんだ。

 僕が、君を守りたいんだよ。

 強く叫んだ僕のこの真っ直ぐな想いは、酷く無様な嗚咽によって歪まされ、言葉にはならなかった。

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