【残り一ヶ月半の死闘。】

第78話

【残り一ヶ月半の死闘。】


 生き延びる為に必要なことは何だろう、と僕は考えていた。

 ただ生き残る為にだけ「今」を生きていた僕の導き出した結論は、至極単純でとても当たり前のことだった。

 死なないこと、それだった。

 ――死なない。

 不死が存在しない限り、それは壊れないということであり、壊されないということであり、外界からの干渉を受け付けないことである。しかしそれだけでは成り立たない現象でもある。なぜなら、老化という時限式の、生命を強制終了させる機構が、我々の身体には元々組み込まれているからだ。

 生命維持活動の停止。

 完全な停止。

 肉体の停止。

 思考の停止。

「死」とはなにか? という死の定義を最小に限定した上でも、やはりそれらの停止が「死」であることを認めざるを得ないほどに完全な、抗うことのできない自己外からの手続き。――寿命。

 ――不死。

 ――死なない。

 そんなことは無理な話である。荒唐無稽もいいところだ。しかし、それでも、自分が十秒後に死ぬという事態を避けることは可能だろう。つまり、十一秒後に今と同じように息を吸い、同じ景色を感受することは可能だと僕は思うのだ。十秒後が可能であれば、一分後に死なず、生きているということも可能だろう。更に言えば、一時間後に死なない様に過ごすことも不可能ではないはずなのだ。とはいえ、この理屈を延長していったところで、二百年後も今と同じように生を感受しているなんてことは不可能に近いだろう。しかし、それでも、後一カ月半、日数にして四十三日の間くらいは、生の存続を確固たるものにすることは可能ではないだろうか?

 たとえ、人類の滅亡が近付いていたとしても、この世で最も自由な存在に、命を狙われていたとしても……。


 先日の、雷を回避した際に負った怪我は、化膿しそうな気配も無く、順当に完治へ向かっていた。

 その日僕は、異常気象とも呼べる豪雨による土石流を回避した後、雨宿りを兼ねて高い木の下に身を顰めていた。その瞬間、本当に見計らっていたかのようなタイミングで、雷が大木を直撃した。雷は大木を切り裂きながら下まで伝っていき、木よりも電気誘導性の高い人体である僕へ、その道筋を変えた。そう、意思を持っているかの如く、矛先を僕へと変えたのだった。

 間一髪。

 僕は雷の直撃を免れた。

 木から離れるのではなく、逆に僕は木に抱きついていた。咄嗟の判断だった。いや、もしかしたら意図して行ったわけではないのかもしれない。足が竦んで、倒れ込んだだけだったのかもしれない。けれど僕はその結果、雷と入れ換わるように木へ飛び退いた形となり、感電死することを回避した。

 その際に、やはり全ての雷から解放されたわけではなかった。木へ触れたことで、軽い火傷を負った。が、それも命を保つ為に支払われた対価として考えれば、雀の涙ほどの微々たる代償なのだろう。


 僕は、既に殲滅させられた村に身を顰めていた。一瞬の出来事だったらしく、家屋は案外に奇麗に残っていた。人間の白骨した遺体だけが無残に、そして不自然に転がっている。この町の住人全員分の遺骨があるとは思えないほど、少ない数ではあった。

 その遺骨たちの一部は、例外なく消しゴムで消えたかのように、跡かたも無く消滅していた。その周囲には、大量の血糊の跡。ここに遺骨として残っている者達はきっと、一瞬で死ぬことができず、そして消滅することができず、苦しんで死んでいったのだろう。少しでも長く生抜くことと、死んだことにすら気付かずに消滅することと、一体どちらが幸せなのだろうか。僕はふと、そんな不謹慎なことを考えてしまった。

 僕は、適当な一軒へ入り、埃っぽいベッドを手で払って、その上に横たわった。気を張ったままではあるが、身体を休めた。休めつつ、考えていた。

 世界は今、どうなっているのだろうか。

 地球防衛軍は既に壊滅してしまっただろうか。

 何よりも、現在、世界にはまだ、どれほどの人間が生き残っているのだろうか。

 その内、僕の村以外の人間達は、本当に生き残れないのだろうか。

 僕のせいで、生き残れたはずの人間達が、この先、一体どれほど死んだのだろうか、そして、死んで行くのだろうか。

 考えたくない問題ほど、思い浮かべたくない疑問ほど、無意識に考えてしまう。考えないようにしている以上、考えてしまう。しかし、思考を滅却しようと努力しなければ、僕はいつまでも、どこまでも想像を働かせ、自分の罪を鮮明にしてしまう。例えようの無い、そして耐えがたいほどの、後悔と恐怖と自己嫌悪が、僕をすぐさま押し潰しにかかるのだ。考えたくはなかった。けれど、受け止めなくてはならなかった。

 僕は自分の為に、世界中の人々を生贄として、悪魔へ差し出したのだから。その上、その利己的な動機で、悪魔と契約したせいで、僕が守りたかった人を、守れるはずだった人を、僕は死なせてしまった。

 ――カオル君。

 ――ヤヨイちゃん。

 僕は悪魔と契約したことで、神の悪戯を買ってしまった。怒りではなく、悪戯を。暇つぶしの、矛先を。

 神は、楽しんでいる。人類が滅びることを望んでいる。いや、もしかしたらどちらでもいいのかもしれない。

 散歩の途中で見かけたタンポポの根もとに、蟻の巣があって、ちょっとした好奇心で僕らは蟻を潰す。そんな程度のことなのかもしれない。その時そばにいた悪魔へ、「お前、この蟻たちに勝てるのか?」と神が憎まれ口を叩いた結果の、喜劇なのかもしれない。僕らにとってそれは、酷過ぎる、理不尽なだけの悲劇なのだけれど……。

 僕が生き延びることで、僕の大切な人たちが、僕の知る多くの人たちの命が救われる。それと同時に、僕の知らない人間たちが、命を落としていく。だからこそ僕は今、絶対に、死ぬことができないのだ。

 けれど、その結果、僕が僕の身内を助ける為に悪魔と契約した結果、取引した結果、僕に近寄った者は、そして僕と仲良くした者は、容赦なく、そして惨たらしく死を迎える。神によって、殺される。僕への見せしめとして。

 それは要するに、僕が死を撒き散らしている、ということと同義なのだ。

 差し詰め僕は、死神と化したのだろう。

 ――死神。

 そう、死神。

 忌むべき者は、僕なのだろう。

 神でもなく、悪魔でもなく、この僕なのだろう。

 死んでしまいたい。

 消えてしまいたい。

 殺してしまいたい、この無力な僕を。

 シクシクと死苦死苦と。

 辛い、悲しい、寂しい、厳しい、惨たらしい。

 卑しい自分が忌々しい。

 嫌だ、イヤだ、いやだ。

 逃げ出してしまいたい。

 なにもない場所へ、世界へ。

 罪も、責任も、後悔も、記憶も、命すらない世界。

 なにも持たない、まっさらな僕。

 そんな僕に、なってしまいたい。

 気が付くと僕は、ホコリまみれのシーツにしがみ付くように包まって、そのカビ臭いシーツに涙の湿り気を与えていた。シーツに染み込んだ僕の涙は、ホコリとカビの胞子を取り込んで、黒く淀んでいた。

 誇りも闘志もなくした僕への当てつけのように、黒く、暗く、淀んでいた。

 その黒さと暗さが実は日の暮れた夜によって齎されていたことに僕は、窓の外に揺らめく月光を、ただぼんやりとしばらく眺めてから理解した。

 眠っている間に夜になっていた。

 いや、眠っていたかどうかなんてことはわからない。

 起きていながらに死んでいる。生きていながらに死んでいる。

 それが今の僕なのだから。

 激昂すら薄れ、悲哀すら滲まぬこの身体に、

 僕はあと一カ月半、

 宿っていなくてはならなかった。

 酷く痛い、現実だった。酷く辛い、責任だった。

 なによりも、そして、なにものよりも、

 自分のことしか考えられない自分が、なににも増して、酷く酷いと思う。

 そう思える自責が、唯一僕に残された、人間らしい感情であった。

 だからどうしても、

 使命だけは、

 忘れられなかった。

 僕は、――死なない。

 この使命だけは。

 この、贖罪だけは。

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