【荒野の前日】

第76話

【荒野の前日】


 斉木千春は五十二階建てビルの一室にある窓から暗視スコープの付いた双眼鏡を覗き込んでいる。

「なんかこっちじゃなくてあそこにやつら集まってるみたいだよ」指を斜め下、山の方角へ向けた後、下を覗きこんだ。「風がもう少し吹かないと、いくらここからでもそう遠くまで飛べないよ。あれ? 皆は?」

「下の階は警戒態勢がまだ解けてないんだ。グライダーの準備は終えていたから手伝いに行ったんだろう。やつらがここに来ないと分かればすぐ戻ってくる」

 多賀城真琴は壁に寄りかかり座っていた。銃の手入れでもしているのだろうか。千春の方を見向きもせずに答えていた。もっとも今は夜で、このビルには電灯という類の明かりは一切灯っていない。部屋の中は暗くて手元がやっと見えるくらいである。ただ、このビルを中心に広がる街全体も暗闇のおかげで月の明かりが眩しいと感じられるほどだった。千春はその月明かりの差し込む窓辺に立っているため真琴からは千春の姿は見えたかもしれない。

「ああそりゃジン兄たちは大変だねぇ、ご苦労さん。でもさ、一時はどうなるものかと本気で焦ったよね」

「いつもは手加減して焦っていたのか?」

「違うよ、戦うときは命がけで多賀城さんの後ろに隠れてるから全然焦ってないよ」

「隠れるなら、黙って隠れなさい。うるさくて集中できないよ、いつも」

「いいじゃん、強いんだから。そういえばあそこ、あの建物・・・って言うかドームって何なんだろうね?」もう一度千春は双眼鏡を覗く。

 真琴は千春のいる窓辺からの風景を思い浮かべながら答えた。

「うん、あの地点には人はいないはずだから、やつらは餌場として集まったわけではないようだね。それならここにも来るだろうし」

「そっか、餌場を探してるならここにも来るよね。でもあいつらって人を食べてるのかなぁ?」

「どうだろうね?生物だというのは確実だから襲うのは食のためだと考えるのが一般的だ。それにしても上層部は何をしているのだろうな。あいつらが何者なのかぐらい分っていても良さそうなものだ」

「あ、それねこの間タカシから聞いたよ。何でも、世界中に現れて僕たちを片っ端から殺しているらしいよ……って、それって何もわかってないってことか!」美晴が大げさに動いたのが音で真琴にも分かった。

「それくらいこの状態になれば誰だって理解できるよ」

「ええ~。それって僕が頭弱い子みたいじゃないか」

「違うの?」

「あれ~。なんかそこまで素直に聞き返されると僕って本当に頭の弱い子な気がしてきたよ。あ、でもでも、やつら確か研究者達からはロムって呼ばれているって! ほぉら、ちゃんと新しい情報だってあるんだから」

「ロム?」

「そう、Love of Manking.略してLOM」

「やつらがそう呼ばれているのか?」

「うん、らしいよ」

 会話が途切れ、真琴の気配が消えた。

「ねぇ、どうしたの?」千春は怖々と真琴がいた方向へ声をかけた。この暗闇の中、突然の無言は千春にとって、多少なりとも不気味なものであった。

「……考えている」

「はぁ。どうせまた関係ない話を唐突に話し出すんでしょ? 対処に困るんだよなぁ僕」千春は抑揚を取り戻した声で言った。

 しばらく会話がとまり、その間千春は窓の外から上がってくる風の音がどこから鳴っているのかを考えていた。

「こんな話を知っている?」真琴は急に話を切り出した。

「ほらきた。僕知らないよ」

「まだ私は何も話してないよ」

「ふふ、どうせまた難しい話なんでしょ? いいよ話して」

「まぁ細かい説明は省くとしよう。二〇〇六年にガラタニヤの学者達がA.Iを使いある実験をしたらしい。A.Iには簡単なプログラミングを施した後はそのA.Iを放置して経過を記録したんだ」

「十分細かいよぉ」口を尖らしたような声。抗議のつもりだろう。

 それを聞いて真琴は先月のことを思い出していた。

 ビンの影に指を近づけていくと、ビンの影と指の影がくっつく直前で陰が伸びるという現象を千春が発見し、興奮していた際に、この現象が光の干渉によって引き起こることを真琴は千春に説明したのだ。「解らない」を連呼していた千春は終始泣きそうな顔をしていた。できるだけ解り易く、抽象的なことと具体的なことの配分を考慮して話そうと真琴は先月決めたばかりだった。基本的に真琴は説明が下手なのである。

「A.Iって人工知能のことでしょ? あんな昔にそんな技術があったの?」先ほどの声よりも丸い千春の声。真琴は安心して話し始めた。

「そうだよ。簡単な思考プロセスのプログラミング技術はもっと以前から既にあったみたいだ。でもそれがA.Iと呼べるかは、はなはだ疑問だけれどね」

「だったら二〇〇六年のA.Iだって高が知れているんじゃないの?」

「あの時代は既にインターネットによる情報社会だった。そしてその膨大な情報を制御する側の国家が、最先端の技術を市場に流すと思っているのかい?」

「ああ。言われてみればそれもそうだね。で、それがどうしたのさ? コンピュータを使って何の実験をしたの?」

「うん、それなんだ。そのプログラミングした内容っていうのが簡単に言えば、『必ず二つのA.Iと関係を結ぶ』ということと、『関係を結んだ他のA.Iを必ず助けること』だった。この関係を結んだ三体一組のA.Iを初めに三千三百三十三組用意して、そこに一体の『他のA.Iを攻撃しろ』というプログラムされたA.Iを投入した。全部で一万個のA.Iだ。このA.I達がどういう行動をし、最終的に全体がどのような関係に流動していくのかを記録するのが目的。つまりこの実験は、争いの起こりから戦争へ、そして終結までの流れをシミュレーションしたものだったんだ」

「う~ん、戦争ってそんなに簡単な仕組みじゃないように思うけど」

「戦争なんて単純さ。個人が個人と争うように、国や宗教といった機構やシステムが争いあうだけなのさ。そのとき人間はただの道具に過ぎない。しかしそこに人間の権利や尊厳という概念が絡むことによって複雑に見えるだけさ。そういう意味では確かに簡単ではないね。けれどこの結果がわかることで、他のより複雑な関係の流動性を考えることができるようになる。君はこの実験の結果はどうなったと思う?」

 しかめっ面をしていそうな声で相槌を打っていた千春は、待っていましたというかのように声を弾ませた。

「それ自信あるよ、三つの勢力に分かれたんでしょ?」

「うん、当初の予測は二つあった」

「僕の答え当たった?」

「まぁ、聞きなさい。一つは関係性が敵対し合うA.Iが二極化し、さらに片方に固定されずに敵と味方を循環するという仮説」

「人間の静脈と動脈みたいなもの?」

「まぁそんなもの。一方通行ではないけれどね」

「へぇ。じゃあもう片方の仮説は?」

「もう一つは完全に二極化したA.いの中間に中立的な第三のA.I群ができるという仮説。君の予測は二つ目だね」

「結果は違うの?」

「うん結果から言えばどちらも違った。関係性が消えたんだ。最初は君の予測のとおり三極化していったんだ。でも、それぞれ三つの群の中でも三極化をし始めて、ついには無秩序になっていった。つまりは最初に投入した最初の一つのA.Iに全てが成りかわってしまったと思ってもいいよ」

「ふ~ん。でもそれがなんで関係がなくなることになるの?」

「それが面白いことに、他のA.Iを助けるというプログラムは消えずに残っているために、どうすればこの無秩序を正せるのかをA.I達は考えていたのだろうね。その結果とった行動が全員の消滅だった。自己の防衛プログラムはもちろん組み込まれていたにもかかわらずにだ」

「別に面白くはないよ」そう言いながらも千春の声は笑っている。「それってかなり賢いんじゃないの?生物としては未熟だけど」

「A.I達を人間に置き換えて考えた場合、三極化し終わったのを戦争開始として、終焉までにかかった年月はたったの十六万年だ」

「それって、えっと十分長いと思うけど……」

「最初の人類、アウストラロピテクスが誕生してから十六万年なんて我々はまだ石器すら作り出せていないよ」

「なるほどねえ。えっと、結局それが言いたかったことなの?だったら僕らはとは関係ないよね。だってさ、僕らが戦っている相手は人間じゃないんだから」

「言ってなかったけれど、この実験はある計画に必要な情報を得るためのシミュレーションなんだよ。その計画の目的はね、生物を制御するためにDNAやRNAに人間の都合のいい情報をプログラムするという計画だ。所謂、遺伝子操作だ。しかしそのプログラムとは先ほど説明した実験の情報に始まり、さまざまな実験の結果を統合して創られる新たなゲノム、つまり遺伝子情報と言える。これは遺伝子操作の域を完全に出ている。要するに一から新たな人工生命体を作り出そうとしていたんだ。そして最初の実験に使われたA.I達の名がLove of Manking.なんだ」

「え、なになに? それってどういうこと? 全然理解できないよ」

「まぁ詳しく教えたいところだけど今日は止めておくよ」真琴は、眉間の真ん中に向かって歪んでる千春の顔を思い浮かべていた。

「そういえば君、さっきあそこに何があるのかと私に聞いたね?」

「……うん」

「あの場所に建つドームはね、中性子力発電所だよ」

「もしかして、もしかするってこと? やつらが? いやでもちょっと待ってよ。あそこさ、今は動いてないよね? ビルも街も電気つかないし」

「今は停止しているようだけれど、きっと停止しているだけだ。稼動もするだろうね」

「やっぱり……爆発させるの?」

「さぁどうだろう。今までの戦闘ではやつらにその知能があるようには見えない。ただ感情や理性があるようにも見えなかったけれどね」

 数秒の間また風の音が部屋を支配しようとする。

「僕ちょっとジン兄のところに行ってくるよ。このことを上の人たちに伝えなきゃ」

「でも今上層部に掛け合っても聞き入ってはくれないよ」

「だったらタカシに伝えればいい。あいつが言えば上の人もきっと聞いてくれるよ。タカシに伝えるようジン兄に言ってくる」

 千春の階段を駆け下りる音がだんだんと遠ざかって行く。そしてまた、ビルのどこかに削られる風の音が真琴のいる部屋を浸食していく。

 もう諦めようか、と真琴は考えていた。上層部の今までの対応の愚鈍さがやっと納得いった。これ以上は無意味だ。やつらは自分たちを実験に使いやがった。世界中に現れている?誰が確かめた。きっとこの地域だけを隔離しているに違いない。いや、もしかしたらこの国ごとかもしれない。

 あんなくだらない思想をまだ持ち続けていたなんて。なぜ気がつかなかったのだろう。

 あの時全ての記録と情報は完全に、バックアップまで消去してきたと思っていた。これも全てあの時の自分のせい。

 真琴は過去の記憶の自分を銃で射殺してしまいたかった。それ以上に事実を知っても何もできない自分の無力さが悲しかった。

 けれど、どうだろう。この状況に私はずいぶんと冷静ではないか。あの子に暢気なまでの説明までして……。

 今まで気づかなかったと先ほど真琴は思った。しかしそれは嘘だ。薄々真琴自身も感じていたはずである。それを認めるのが怖かっただけなのだ。真琴はこの事からも逃げようとしている。あの時逃げ出してきたように、全てを葬り去って。

 今はもう終焉を待つしかない。そう思うことで一時の心の平穏に真琴は縋りたかっただけなのかもしれない。

「意外に着地できたりしてな」真琴は先ほど千春がいた窓辺に立ち、遠い地面を見つめている。窓枠に足を乗せ、体重を傾けて窓の縁に乗る。立ち上がって、改めて下を眺めた。

 ここから何も付けず飛び出したらさぞかし気持ちが良いだろうな、そんなことを真琴は考える。しかし、いざ空へ飛び込もうとすると先ほどの感想はいとも簡単に否定される。

「着地は無理だよなぁ」いくらなんでも。嘲笑まじりに呟く。ここから生身で飛び降りれば確実に死ぬなんてことは解りきっている。

 真琴は娘の顔を思い出したくなった。娘の記憶を頭から引き出すと、必ず思い出したくはない記憶が付属してくる。だから今まではできるだけ記憶のフォルダの奥深くに隠していた。そんな娘の記憶だった。

 成長していれば千春の三つ下。姉妹のようになっていたに違いない。そんな妄想を珍しくしている自分に気がつき苦笑する。

「よし」真琴は深く呼吸をした。

 それから呼吸を止め、そして窓から飛び降りた。

 薄く月明かりの照らす窓下のフロアに着地すると、真琴は向かった。千春がいるであろう、仁朗のいる階へと。

 もう辛い思いはしたくない。だから、させたくはない。そんな真琴らしからぬ心境を引き連れて彼女は階段を下りた。

 先ほどまで真琴たちのいた部屋には今は誰もいない。この無人の部屋に、空気はなだらかに流れ込み、優しい夜風の声を響かせている。

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