【親愛なる我が友たちへ】

第68話

【親愛なる我が友たちへ】


季節の変わり目のつむじ風という、忌まわしくも目障りで迷惑にも感じる自然の我がままに対しても、子どもという生き物は夢を見出し、身体を晒し、包ませて遊ぶ、というなんとも摩訶不思議な能力を持っている。そんな能力を時と場合とで使い分け、操れるようになることが大人になるという一つの条件だと私は思っているのだが、現在の大人たちはそうは思っていないのかもしれない。その摩訶不思議な能力を失うことが大人になる条件だと勘違いしているようにも見受けられる。それとも勘違いをしているのは私のほうなのだろうか。


 ところで今から私が綴る物語は私の少年期の出来事を私の主観に残っている記憶としてここに綴るものである。しかしなぜ今のこのような状況にある私が君たちに当ててこのような、一見ほのぼのとした思い出に見える記憶の一部を手紙として綴っているのかは、これが君たちの知らない一つの真実であり、私の懺悔でもあるからだ。

 そしてその時の記憶を綴ることが私の気持ちの整理なのだ、と割り切って読んで欲しい。

 これを読んでもなお、君たちが私のことを友人として呼んでくれるとは思っていない。

 それでも君たちにはあの時私がしたことを知ってもらいたかった。それだけを伝えたいがためにこれを書いている。これを君たちが読んでいる頃には、私は既に死んでいるだろう。だからこそ持つことのできた決心でもある。私はあの頃弱かった。それは今も変わらない。これを書くことで私は楽になりたいだけなのかもしれない。

 しかし、それでも私は君たちへ向けて書いていることが偽りではないことをここに誓う。

 この手紙を別れの挨拶として、親愛なる友人、ユキヤ、タカル、サクマへ贈る。君たちが私と同じ人生を歩まないことを安らかな眠りの中、祈っております。


 ***

「絶対にゴジサウルスだって」

「やだよ、そんなダっサい名前。ユッキはセンスねぇな」

「じゃあ何が良いんだよ、タカちゃん言ってみろよ!」

「おれ? ん~そうだなぁやっぱり見た目通りにクロだな」

「なにそれタカちゃん、犬じゃないんだからさ」

「二人ともうるさいよ。この子が怯えてしまうよ」

 ユキヤとタカルの毎度の言い争いを、サクマが一声で制止した。タカルが将軍ならユキヤが船長でサクマは彼らの上司だった。今の会話にも混ざらず、ただにこにこと笑っていたシゲルはといえば、その主人公が三人もいるドタバタ劇を見ている観客のようなものだった。

「サクマはいい名前考えてんのかよ?」タカルは青い野球帽を被り直して聞いた。

「この子はねぇ、ミチルって名前だよ」

 サクマはしゃがんでいる。その足元には彼女の靴ほどの大きさの黒い生き物が彼女に撫でられ、気持ちの良さそうに尻尾を振りながら寝ていた。

「はあ? なんでミチルなんだよ、それにもう決まってんのかよ?」

「『道に落ちている子』略してミチルだよ。それとも私の決めたことに文句あるのかな?」

「それだったらミチコじゃん……」

「いいじゃんミチルで」ユキヤは頭に手を組んで空を見上げていた。

「うん、まぁなんでもいいんだけどさ、俺は」

 こうやっていつもサクマの意見にユキヤが賛成して、タカルも結局は賛成するのだ。シゲルはそれをただ眺めて、傍で笑っているだけ。それが彼にとっての、本当に幸せなことだった。ずっとこの三人の傍で笑って居たかった。

 四人はこの日も秋風の冷たい溜息が木の葉を舞い散らかす中、タカルのお祖父さんの私有地の林で忍者ごっこをして遊んでいた。そのとき一番初めにシゲルがこの奇妙な生き物を見つけた。けれど彼はこういった自分の手のひらよりも大きな生き物は怖くて触れない。子猫だって大きいと触れなくなる。だから必死に走ってタカルの元へと向かった。「いざという時にはタカちゃんが一番頼りになる」シゲルは常々こう考えていた。タカルの元へ駆けていく最中に「タンマ、タンマだよ」とシゲルが叫んでいたにも拘わらず、タカルは敵忍者だったシゲルに対し、竹の剣で切りかかっていった。タカルは遊びとなると決まってこうである。夢中になると、周りが見えなくなるのだ。

 その後タカルがこの生き物を素手で抱えて捕まえ、忍者ごっこは中断し、代わりにこの生き物についての会議が始まった。この四人は今、忍者からジュラシックパークに迷い込んだ研究員に代わっていた。

「なぁサクマ、このミチルってなに? サル?」ユキヤが丸くしゃがんでいるサクマの小さな背中越しに覗いた。

「わからない。でもこれは猿じゃない。私にだって知らないことはあるよ」

「でもなんか可愛いよな。このふわふわの毛だってこの尻尾も」

「そんな乱暴に撫でちゃかわいそうだよユキヤ」

 ユキヤが強引過ぎたのか、サクマの手の中で寝ていたその生き物は「キュー」と一鳴きし、暴れだした。

「ほらぁー」とサクマが頬を膨らませ、それを目の前で見たユキヤは頬を赤らめていた。

 シゲルはその様子をタカルよりも後ろから、ほんのりと自分の胸が熱くなるのを感じながら見つめていた。

 きっとタカちゃんはそんな細かい人間模様なんて観察してないだろうなぁ、という想像までシゲルはする余裕があったし、このシゲルの感情は、アニメキャラクタに寄せる淡い想いのようなものだとも、彼は自分で理解していた。つまりはサクマへの憧れだったのである。


 四人はミチルと名づけたその生き物を、この林の地面に埋まっていた深さの浅い土管の中に入れ、自分たちだけで育てることにした。何を食べるかもわからないので、手当たり次第に昆虫やら蛙やら、冷蔵庫に入っていた食べ物を与えてみた。すると、ミチルは昆虫や蛙を好んで食した。毎日学校が終わると彼らは田んぼや原っぱを駆け巡り、昆虫採集あらため、食料調達に勤しんでいた。ミチルの食欲は旺盛で日を増すごとに、身体は目に見えて大きくなっていた。サクマの小さなクツほどのサイズだったミチルは立ち上がれば今やサクマの膝下くらいまでの成長を遂げていた。

 土管ではミチルがすぐに逃げ出してしまうことに困った四人は林の中に深めの穴を掘り、そこに屋根をつけ、堀炬燵のような小屋を造った。穴掘りには慣れていたせいもあり、ミチルが土管から逃げ出す大きさに成長する前になんとか掘り炬燵型小屋は完成した。


「今日もシゲルが見張りな」

 ユキヤがシゲルの肩に腕を回してタカルたちに向けて言った。

「おっしゃ、シゲル。ちゃんと見とけよ。今日はヤマカガシをミチルにご馳走してやるんだから」タカルは走るわけでもないのに屈伸をしている。「そうだなぁ。また学校の五時の音楽なるまでには戻ってくっから」

「シゲル。嫌ならちゃんと言いなよ? 私たちと一緒に行きたいでしょ?」サクマはしゃがんで靴紐を結び直していた。

 シゲルがサクマを意識するとき、大抵彼女はしゃがんでいる。このことに気がついたのはユキヤがサクマを見つめているときに大抵サクマがしゃがんでいるという発見をしてからだった。

 しゃがんでいるサクマは子猫のように愛らしく、小さいものが放つ独特の色っぽさもあったように、シゲルには思えた。きっとユキヤも無意識にそれを感じ取っているのだろうな、そんな分析をシゲルはしていた。

「ううん。僕ミチル観察してるの好きだから」皆がいる方向とは逆にあるミチル小屋に身体を向きなおしながらシゲルは言った。

「なら良いんだけどさ。じゃあよろしくね」既に林から抜け出そうと駆け出していくタカルとユキヤをサクマも追いかけていった。

 もしも今、もう一度訊ねてくれたのなら、「僕も行きたい」と言えていたのかもしれない。そんな自己分析をシゲルはミチル小屋を眺めながらしていた。しかしそんな仕草をシゲルは一切他の三人の前で表に出さない。ずっとにこやかに笑っている。たまにタカルたちの会話に独りで突っ込みながら声を出して笑うことが稀にあるくらいであった。


 ミチルさえいなければ……昔のように僕も一緒に。口から出そうになったこの思いを、シゲルは必死に否定した。精一杯に、自分を戒めつつ。

 ――こんな感情はらしくない、らしくない。シゲルはこの異質であるはずの感情が刻み込まれる前に何度も心の中で呟いていた。

 シゲルはなんだかミチルに対しても謝りたくなった。謝ることで自分を許そうとシゲルはしていた。そのことにまだ彼は気がつけていない。

 ミチル、ごめんね。地面に窪んで存在しているミチル小屋を覗き、この言葉をシゲルは口にしようとした。だがそれは見下ろした先の光景を目にしたことで、生唾と一緒に飲み込んでしまった。首が不自然に傾いた白黒の仔猫に覆いかぶさっているミチル。仔猫の首を咥えなおし、こちらを睨んでいた。どうみても仔猫はすでに息絶えていた。

「ミチル……なに、してんの」シゲルは目を逸らすことができなかった。こちらを警戒しながらミチルは仔猫を食いちぎり始める。その目はシゲルを捉え続けている。両手を器用に使い、リスがドングリを食すかのようにミチルは仔猫の欠片から肉だけを剥ぎ取り口に含んでいた。

 その光景を全身の神経を研ぎ澄まさせながらシゲルは見ていた。ミチルから目を逸らした瞬間に自分がああなるのでは、その考えがシゲルを無言でそこに佇ませていた。

 視覚と反射を最大限に高めるべくシゲルの他の四つの感覚そして時間の感覚は麻痺していた。

 自身の身体を取り巻く服が汗を吸い取り重みを増していることと、時間の経過を再び彼が気にしたとき、ミチルは小屋である穴の隅に身を寄せ眠りについていた。仔猫だったものは綺麗に白骨化しており、血一滴とも残ってはいなかった。

 シゲルはもう自分の行動に意味を見出す分析は放棄しており、なぜ自分がミチル小屋に降り、仔猫の遺骨を寄せ集め、土に埋めたのか、この行動がどんな心理動向によって引き起こされているものなのかを見つめなおすこともしなかった。

 遠くから微かに聞こえるカラスの鳴き声と共に、小学校から五時を知らせる音楽が響いていた。

 約束通り、タカルたちは蛇とイナゴを袋に詰めて戻ってきた。食後のミチルは一旦起きたが、タカルたちの食事には見向きもせずにまた眠りについた。その間もシゲルは何も言わなかった。いつものように黙って微笑みながら、そのようすを三人の後ろから眺めていた。


 ***

 僕は怖かった。ミチルのあの鋭い眼差しと、あのグロテスクな狩のようす。もちろんそれが自然の中ではごく当たり前に繰り返されている命の循環の仕方であることは学校の理科で習っていた。けれど習うことと学ぶことは違う。僕はその二つのことを恐怖という消えない夢と一緒に記憶の中へ仕舞いこんでしまった。

 目を瞑るたびに僕は想像してしまうんだ。僕らほどの大きさに成長したミチルが、あの子猫にしたように、タカちゃんやユッキ、サクマを地面に押さえつけ、牙で、爪で、柔らかい彼らの皮膚を、肉を、引き裂き喰らうんだ。それを僕は泣きながら見つめていることしかできない。「助け、て……シゲ……ル」皆が苦痛に顔を歪ませながら悲壮な瞳に涙を浮かべている、その涙の滴に僕は映っている。そして立ち尽くし、悲鳴を上げている、誰よりも安全なこの僕が。一番大きな声で。

 これらが夢よりもリアルに、想像よりも客観的に僕の瞼に浮かんで僕を闇に閉じ込める。それが昼夜問わずに襲ってくるようになった。僕はその悪夢にとり憑かれていた、いや違う、もはやそれは僕にとって予言に近かった。現実に起こりうる絶対的な未来だと僕は錯覚していたんだ。尋常じゃなかった。

 その頃の自分を今になって冷静に分析してみると、僕は君たちとの疎外感を感じ始めていたんだ。いつしか僕は、君たちが主役の劇の客ではなく、TVの前で傍観するだけの孤独な客になってしまったのだ、と僕は思い込んでいた。君たちと離れるのが、君たちを失うのが僕は怖かった。その恐怖が僕にあんなどす黒く湿ったねばねばとした世界を見せていたんだ。全ては僕の自己顕示欲と所有願望が僕の心を歪曲させ、陽の光のあたらない狭い部屋へと押し込め、呪縛していた。

 気が付いたとき、僕は夜の林に立っていた。足元には僕の頭ほどの岩。月明かりが照らし出すその岩の下からは、夜の擦れた黒さとは別の艶やかな黒い毛がはみ出していた。そこから染み出してくるチョコレートのような蜜、粘液。僕は自分がしてしまったことを認識してからも正気ではなかった。だって僕は笑っていたのだから、嬉しかったのだから。自分よりも弱い生き物をこの手で殺し、それを目の当たりにして僕は……僕は、目を見開き、月を仰ぎ見て顔を歪ませていた。月がもし鏡のようだったら僕の笑顔は、あの忌まわしい幻想で見た友人たちの苦痛に歪ませた顔と見分けが付かなかったかもしれない。そしてその小心者の僕を心の底から見つめている抑圧された僕は、きっと大声で悲鳴をあげていたのだろう。

 次の日僕は、何食わぬ顔をして君たちとミチルの亡骸を発見し、泣き崩れるサクマを怒りに震えるタカちゃんとユッキと共に励ましていた。そのときも僕は微笑んでいたのだろうか……。それを僕は覚えていない。


 その数ヵ月後、私の父親の元へ第三次世界大戦徴兵勧告の通達が来た。母親と話し合った結果父は、私たち母子を一緒に連れて行くという結論を出した。徴兵勧告を言い渡されるのは成人男性だけだが、その際に妻帯者や扶養家族のいる者は、戦地にその家族を連れて行く選択の自由が法律では定められていた。

 家族愛制度。この国同士の戦争には国同士の戦争ルールが決められており、過去のような虐殺や殺戮のような悲惨なものではないとされていた。そのうち最も有名なルールは人道破壊兵器の使用禁止。これには銃や火薬も含まれる。そのため、世間では集団格闘技のようなスポーツだという認識が国民の間で広まっていた。現に私もそう思っていた。その結果家族で離れ離れになるよりは、案外に安全とされている戦地へ一緒に向かう家族が一般化していた。戦争が終われば、戻ってこられるし、善戦を称えられればこっちの平和に見える社会に戻ってこられるという政府の見解を私も含め国民は純粋に信じていた。

 そしてそのために、君たちとの湿っぽくも照れくさい別れも、私は一時の苦痛だと甘い考えを抱いていた。

 だが戦地の現状はどうだ。弓矢、槍、刀、投石器。使うものは原始的になったものの、殺戮や虐殺は日常的に行なわれ、手から伝わる人の命の消えていく感触が、急速に私らから人間としての尊厳も誇りも覆い隠し、奪い去ってしまう。子どもや女性は戦争に加担しなくても良いとされていたが、この日常的な憎悪と殺意の中でどうして無関心でいられようか。目の前では朝挨拶を交わした隣人が串刺しになって動かなくなり、昨日父を亡くし慰めていた子どもが今日はバラバラにされ赤黒く転がっている。そんな日常でどうして人を殺めずに生きながられようか。ここは人が人として生きられるようなところではなかった。ここでは、人は獣にすらなれていなかった。獣などの方がよっぽど自然という法を遵守し、高潔な生き物だと私は痛感した、と同時にその自分を許せなかった。

 私もたくさんの人間を殺してしまった。私は絶対に、絶対に許されてはいけないことを、してしまった。私は、敵国の赤ん坊を人質にとり、その子の腕を、切り落として、更にその上、その子の父親を脅迫するという……、ああ、今こうして思い出すのことすらおぞましいことを、なんてことを、私は。

 決して許されるはずもない。

 忌むべきことは総じて等しく戒めるべきであり、罪である。だから、悪魔や他の邪悪な所業と、私の犯した罪を、比べるべきではないのだろうが、しかし、やはり、悪魔よりも、どんな邪悪よりも、私のやったことは……許されてはならない。

 この場所が人間の本性なのか、この場所が人間を化け物とさせてしまうのかはわからない。ただ言えることはこんな場所に君たちは来てはいけない、それを君たちに伝えること、ただそれだけが私に許される行為なのだと、私は思っている。

 あのとき、私がミチルを殺してしまったとき……私は既に人ではなくなっていたのかもしれない……。その後に君たちとずっと一緒にいられたのなら……もしかしたら私はまた、人に、人間に戻れていたのかもしれない。こうなってしまった今はもう、どう仕様もないことなのだが、せめて、せめてこのことを、この事実を、一人でも多くの国民に知らせて欲しい。そのことを君たちに伝えることが、私の生きている間にできる最後の償いであるのだから。


 親愛なる我が友たち、タカル、ユキヤ、サクマ。

 私の犯した罪をどうか、決して許さないでいただきたい。

 そしてどうか、ずっと忘れないでいてください。



 私がまだ、君たちの記憶に留まっていることを祈り、これを私の最期の意思とする。

    幼き日の友たちへ。

         木樽目 茂より

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